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Volume 01 ,No.1 Pages 10 - 17

2. ビームライン・加速器/BEAMLINES•ACCELERATORS

NanoTerasu共用ビームラインBL02Uについて
Introduction of public beamline at NanoTerasu : BL02U

菅 大暉 SUGA Hiroki[1]、小出 明広 KOIDE Akihiro[1]

[1](公財)高輝度光科学研究センター ナノテラス事業推進室 NanoTerasu Promotion Division, JASRI

Abstract
 NanoTerasuでは3本の軟X線ビームライン(BL02U、BL06U、BL13U)が共用ビームラインとして建設され、2025年3月から共用利用が開始された。本稿では共鳴非弾性X線散乱のビームラインであるBL02Uについて、登録施設利用推進機関であるJASRIの視点から紹介する。
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JASRI

 

1. はじめに
 NanoTerasuではBL02U、BL06U、BL13Uの3本が共用ビームラインとして建設され、これらの共用利用が2025年3月3日から開始された[1][1] https://nanoterasu.jp/2025/03/nanoterasu共用ビームラインのユーザー利用を開始/
。登録施設利用推進機関であるJASRI はこの日に向けて利用者選定や利用支援業務を行ってきた。特に後者に関しては装置設置者である量子科学技術研究開発機構(QST)と連携・協力してビームラインの共用利用に備えてきた。
 NanoTerasu は2つの利用制度によって成り立っている。コアリション利用と共用利用である。2024年4月9日から一般財団法人光科学イノベーションセンター(PhoSIC)により実施されているコアリション利用は組織ニーズプル型:イノベーションを加速すること(シーズの発展)を主たる目的としているのに対し、JASRIが関わっている共用利用では個人探究型:イノベーションシーズを育むことを目的としている。
 以下では、共鳴非弾性X線散乱のビームラインである共用ビームラインBL02Uについて「共用利用をする」という視点からビームラインの現状やこれからの期待などについて紹介する。

 

2. BL02U
 BL02U は軟X線領域の共鳴非弾性X線散乱(Resonant Inelastic X-ray Scattering: RIXS)を世界一のエネルギー分解能条件で利用者に供することを目指したビームラインである[2-4][2] J. Miyawaki et al.: J. Phys.: Conf. Ser. 2380 (2022) 012030(DOI: 10.1088/1742-6596/2380/1/012030)
[3] K. Yamamoto et al.: J. Phys.: Conf. Ser. 3010 (2025) in press.
[4] J. Miyawaki et al.: Synchrotron. Radiat. News. 2380 (2025) in press.
。近年のRIXS測定において、E/ΔE = 20,000 程度のエネルギー分解能が一部の先進的な施設で達成されているが、それを上回る超高分解能の達成は非常に挑戦的である。BL02Uでは、世界最高の超高分解能条件でのRIXS測定を実現したが、この達成にはビームラインが発揮するエネルギー分解能の向上、安定化による高分解能の維持、そして測定の効率化の課題を同時に解決することが必要であった[5][5] 宮脇淳、堀場弘司、大坪嘉之:放射光 37 (2024) 95.

 

2-1. エネルギー分解能の向上
 エネルギー分解能には、回折格子・ミラー・検出器など、すべての光学素子の性能が総合的に影響する。そのため、超高分解能を達成するには、それぞれの光学素子を高精度で製作・調達することが不可欠である。しかし、個々の光学素子の性能や製作精度には限界があるため、その制約の中で光学系全体の性能を最大限に引き出すために、専門的かつ高度な光学系の設計が必要となる。さらに、光学素子を組み合わせて系を構築する際には、それらの幾何学的な配置が分解能に直接影響を及ぼすため、装置の建設や光学調整にも極めて高い技術と精度が求められる。こうした技術的課題を乗り越える設計と実装によって、超高分解能化が実現されている。ここでは、光学素子の高分解能化の一例として、分光の中核を担う回折格子について取り上げる[5][5] 宮脇淳、堀場弘司、大坪嘉之:放射光 37 (2024) 95.

 回折格子には、基板としての形状誤差やスロープエラーに加え、刻線の高い精度が求められる。理想的な回折格子において、その理論的な最大の分解能は、総刻線数(刻線密度と刻線領域の積)と使用する回折次数との積によって与えられるが、刻線は人工的に作製されるため、刻線密度・領域・形状のいずれにも限界があり、超高分解能に対応する回折格子の決定的な製作法は、現在のところ確立されていない。そこでBL02Uでは、刻線密度を下げて製作精度を高めるために、ブレーズ型回折格子による高次回折光の利用を採用している。ブレーズ型回折格子では、ブレーズ角を高次の回折に最適化することにより、特定のエネルギー領域では1次の回折で分光するよりも、より高い回折効率(より明るい回折光)が得られる。一般に、刻線密度が低い方が製作上の難易度が下がり、刻線の精度も高くなることが期待される。実際に、3000本/mmの1次の回折と1000本/mmの3次の回折では原理的な分解能が同等なので、より刻線密度の低い1000本/mmの3次の回折をRIXS分光器では利用している。ただし、利用可能なエネルギー範囲は狭くなり、この点はトレードオフとなる。BL02Uで主要なエネルギー領域である500‒1000 eVについては、1次の回折よりも高次の回折の方が高い回折効率を持つ計算結果が得られたため、ブレーズ 型回折格子と高次の回折の組み合わせが採用されている[5][5] 宮脇淳、堀場弘司、大坪嘉之:放射光 37 (2024) 95.

 

2-2.安定化による高分解能の維持
 次に、一時的にでも達成した高分解能条件を長時間安定して維持するためには各種の位置ずれを抑える必要がある。例えば、振動などに由来する短周期の位置ずれや、温度変化に起因する長周期の位置ずれなどであり、性質の異なる要因が重なるため、それぞれに適した対策が求められる。特に極めて高いエネルギー分解能を目指す場合には、検出器の安定性に加え、回折格子に桁違いに高い位置・角度安定性が要求される[5][5] 宮脇淳、堀場弘司、大坪嘉之:放射光 37 (2024) 95.

 

2-3.測定を高効率化
 軟X線領域におけるRIXSは、その測定原理上、もともと効率が低いが、超高分解能化によってさらに低効率になる傾向がある[5][5] 宮脇淳、堀場弘司、大坪嘉之:放射光 37 (2024) 95.
。軟X線では、オージェ過程が支配的であるため、放出される散乱X線の強度は1%未満と極めて低い。さらに、全方位に放出された散乱X線のうち、検出可能なのは分光器の取り込み角(水平・垂直ともに約10 mrad)に収まるごく一部である。加えて、超高分解能用の回折格子は回折効率が約5%程度と低いため、全体として測定効率は大きく制限される。したがって、超高分解能を実現したとしても、現実的な測定時間内で解析に必要な信号強度を有するスペクトルを得るには、測定効率の向上が不可欠となる。
 BL02Uでは、2D-RIXSと呼ばれる手法を採用しており、波長分散型X線吸収微細構造(Dispersive XAFS)のように、複数の入射エネルギーのスペクトルを同時に取得することで高効率を達成している。これはビームラインの分光器からのエネルギー分散光(鉛直方向に分光)をそのまま試料に照射し、さらに散乱光を水平方向に分光することで、入射光と散乱光のエネルギー分散を2次元的に検出する。単色化した入射光を用いる従来のRIXS測定に対して、2D-RIXSでは分散光を活用することで入射エネルギーの僅かに異なる複数のスペクトルを一度の測定で得ることができるため、これらを積算することで単色光による測定よりも高効率な測定を実現している。またビームラインのレイアウトは放射線安全要件なども考慮しつつ、2D-RIXSに最適化された設計となっている[5][5] 宮脇淳、堀場弘司、大坪嘉之:放射光 37 (2024) 95.
Figure 1にBL02Uのエンドステーションの写真を示す。
 BL02Uでは上記のような先端的な技術が実際に導入され実現されたことにより、多層膜試料の測定にて、930 eVの入射エネルギーに対して16.1 meV(E/ΔE~58,000)という世界最高のエネルギー分解能を達成している[3, 4, 6][3] K. Yamamoto et al.: J. Phys.: Conf. Ser. 3010 (2025) in press.
[4] J. Miyawaki et al.: Synchrotron. Radiat. News. 2380 (2025) in press.
[6] https://www.qst.go.jp/site/press/20240918.html

 

Figure 1.BL02UのエンドステーションにあるRIXS装置。右手のビームライン上流から左手のメインチャンバー内の試料に入射X線が導入され、試料からの散乱X線は手前の回折格子で分光された後、更に右手前の検出器で検出される。[https://nanoterasu.jp/com.res/よりQST の許可を得て使用。]

 

3.RIXSとは
 ここではBL02Uにて展開される共鳴非弾性X線散乱(RIXS)について概説する。RIXSという用語の詳細や用法については完全に統一された見解があるわけではない。また分野内での歴史的経緯も含む種々の事情もあるため、本稿では厳密な定義を与えることを目的としない点をご理解いただきたい。
 RIXSの手法名にある「共鳴」とは、入射光のエネルギーを内殻電子の吸収端など特定の内殻励起エネルギーに合わせた条件で用いることを意味している。物質にこの共鳴条件のX線を入射すると内殻電子は外殻軌道へ励起し、同時に内殻空孔が生成される。この際、励起した内殻電子および発生した内殻空孔は、物質中の電子との相互作用を介して様々な低エネルギー励起を引き起こす。これらの低エネルギー励起によって内殻励起エネルギーの一部が奪われるため、入射X線エネルギーよりも低いエネルギーを持つ散乱X線が観測される。このようなエネルギーロスを伴う散乱現象を非弾性散乱と呼ぶ。RIXSは入射光と散乱光のエネルギー差を測定する手法のうち、特に数eV以下の低エネルギーロスの成分を精密に観測する手法のことを指し[7][7] https://www.qst.go.jp/site/qubs/nanoterasu-rensai-78.html
、原子・分子・格子振動、スピン、電荷移動などに起因する低エネルギー励起を観測できる。
 共鳴条件を用いることで、RIXSは次の二つの特徴を持つ。一つは、微分断面積が著しく増大するため、強度が微弱な低エネルギーロス成分の検出が可能である。もう一つは、元素および軌道に対する選択性を持つ内殻励起を通じて、複雑な試料中から特定の励起成分を選択的に観測することができる。
 本稿では、非弾性X線散乱の観測手法のうち、共鳴条件下における低エネルギーロス成分はRIXS、それ以外の高エネルギーロス成分は、X線発光分光(XES)として区別する。この高エネルギーロス成分は主に蛍光X線として検出されるエネルギー領域に属する。XESでは、蛍光X線スペクトルを解析することで、元素分析や価数評価が行われる。非共鳴条件における非弾性散乱も測定手法が確立されているが、本稿では共鳴条件に焦点を絞るため、その紹介は割愛する。
 BL02Uにて展開される高分解能RIXS測定では、特に物質中における格子振動やスピンの集団励起であるフォノンやマグノンをはじめとした素励起による非弾性散乱のピーク構造が、その詳細まで明瞭に観測できる。遷移金属酸化物などで見られる典型的な素励起のエネルギースケールを概観的にFigure 2に示す。
 フォノンおよびマグノンは、波数(結晶運動量)に依存してエネルギーが変化する分散関係を持つ。非弾性散乱においては、散乱角の制御により光子が素励起に与える運動量を調節できるため、散乱ピークの角度依存性を測定することで分散関係を高精度に解析できる。それら分散関係の応用先のほんの一例として、種々の伝導現象の支配的因子である電子格子相互作用の評価や、マグノニクス材料探索における基礎物性値としての活用が挙げられる。
 また、中性子や非共鳴条件でのX線を利用した測定方法と異なる点として、RIXSでは吸収原子の外殻軌道と強く結合した励起状態の情報が得られるため、フォノンやマグノンに対して支配的寄与を持つ元素および電子軌道の特定や不純物効果の評価を行うことができる。この特性を活用することで、RIXSによる新奇材料探索は大きく進展している。

 

Figure 2.固体物質で観測されるさまざまな素励起とその代表的なエネルギースケール [Reprinted figure with permission from[8][8] L. J. P. Ament et al.: Rev. Mod. Phys. 83 (2011) 705. (DOI: https://doi.org/10.1103/RevModPhys.83.705)
. Copyright (2011) by the American Physical Society.]

 

4.共用利用に向けた各種の現状および準備状況
 BL02Uの共用においてJASRIがまず目指すべきは「QSTにより世界最高のエネルギー分解能を示すよう整備されたRIXS装置を安定してユーザーに提供すること、およびその利用環境の整備」である。担当者もユーザーもビームタイム中においては「測定そのもの」と「得られた結果の解釈」に集中できることが望ましい。ゆえに作業マニュアルの整備、作業場所や寒剤容器の搬入経路などの明確化を実施し、実験時の時間ロスが極力生じないように準備を進めてきた。始動直後であり、足りない部分も少なくはないが、引き続きJASRI とQSTで連携し、実際に利用したユーザーからの声も反映しつつ、限られた時間で最大限の成果が創出できる共用実験の提供を目指した整備を継続する。

 

4-1.試料プレート
 研究内容および試料特性によっては、3本の共用ビームラインの相互利用が最適と判断される場合も想定される。これに対応するため、試料プレートは3ビームラインで共通とすることがQSTにより決定され、実現されている。これにより、例えばBL06UでのARPES測定によるバンド構造の観測を通して興味深い結果が得られた試料を、そのままの試料状態でBL02Uに搬送・導入してRIXS測定をすることが可能である。BL02Uの試料プレートは冷却時の熱伝導率も考慮して無酸素銅製が推奨され準備された。
 JASRIでは共通化された試料プレートの仕様に基づき、ユーザー利用に係わる範囲においての新規製作・デザイン相談・改造・数量管理、および運用を行っている。Figure 3にその一例を示す。

Figure 3.ユーザー実験に向けてJASRIが作成した試料プレートの一例。

 

4-2.寒剤の利用と申請
 現在、試料冷却のための寒剤として液体ヘリウムが使用できる。1 つの実験課題につき、現状の最大量として200 Lの使用申請が可能であり、実際の使用量に応じた金額が実験終了後にJASRIからユーザーへと請求される。使用されたヘリウムは施設の回収配管に回収され、その回収率に依存して請求される金額が変動するため、利用時期によって金額の変動があり得るが、2025年5月現在は1 Lあたり1675円である。通常の手順による最冷却時で32 K程度まで冷却可能で、その際の液体ヘリウム消費量はおおよそ1.2 L/h である。消費量は試料交換の頻度や設定する測定温度により変動するが、液体ヘリウム使用量を申請される際の1つの目安とされたい。なお消費量は増加するがさらなる低温度での測定も不可能ではない。加えてBL02Uには温度コントローラーも準備されており、目的とする温度に設定した状態でRIXSを測定することもできる。
 目標とする冷却温度や、冷却の目的(例えば、冷却による試料のX線照射ダメージの低減)によっては液体窒素による冷却で十分な場合もあるだろう。だが現状のBL02Uでは液体窒素を使用した冷却装置が常設されていないため、申請課題において液体窒素の使用を希望する場合にはビームライン担当者への事前相談をしていただきたい。なお液体窒素の使用料金は実験時にご負担いただく「消耗品実費負担額」にあらかじめ含まれている。使用量に関しては実験に先立ってユーザースオフィスから確認の連絡があり、その際に希望した量のみを実験で使用することができる。

 

4-3.大気非暴露条件での試料準備環境の整備
 試料によっては一度でも大気へ暴露してしまうと急激な酸化の進行等により、望んだ測定条件を保てないものも少なからず存在する。このように大気非暴露環境が必要な試料に関しては、JASRIとしてグローブボックスを用意している。現在、搬送ロッドを用意することで単なるバルブによる封じきりでの大気非暴露搬送は可能である。より高い真空状態を保ったまま試料を搬送することができるイオンポンプ搭載型の試料搬送ロッド(真空スーツケース)の整備をQSTと共同で進めている。これらの設置場所はBL13Uであるが、3 本の共用BLのいずれにも接続できる真空ポートの規格を有している。グローブボックスの使用を希望する場合は事前連絡が必要である。また事前相談が必要にはなるが、ユーザーが自作した試料搬送用ロッドの持ち込みにも基本的に対応可能であるため、使い慣れたロッドを用いて試料準備と搬送を行い、RIXS装置へと試料を導入することもできる。

 

4-4.試料搬送の手順
 Figure 4(a) にメインチャンバー周辺の様子を示す。試料は(i) ロードロックチャンバー(L.L.) に搭載されたクイックアクセスドアを通じて真空導入される(導入後に真空引き)。その後(i) → (ii) プレパレーションチャンバー(Prep.) → (iii) メインチャンバーの順に搬送される。L.L.とPrep.には5つのホルダーが搭載できる搬送用ロッド(サンプルバンク: Figure 4(b))が備わっている。両チャンバー間の試料移動は、L.L. 上部に搭載されたウォーブルスティックによって行われる。Figure 4(c) にBL02UのRIXS装置内部の写真を示す。これはFigure 4(a)の「View Port」部分からメインチャンバー内部を覗いた様子である。測定試料は左手方向に位置するPrep. チャンバーからサンプルバンクに搭載されて導入される。その後、右手方向にあるウォーブルスティックを用いて、測定位置である写真中央の試料ステージに搭載される。Figure 4(d) は試料ステージに調整用の試料を取り付けた時の様子を表している。またメインチャンバーには3試料を搭載できるサンプルバンク(Figure 4(c) にて中央より少し右下に位置する)も用意されている。

 

Figure 4.(a) BL02Uエンドステーションのメインチャンバー周辺。試料搬送のための各チャンバーが示されている。(b) サンプルバンク、5つの試料プレートが搭載できる。ここでは赤矢印部の2箇所に試料プレートが搭載されている。(c) メインチャンバー内部。(a) の“View Port” 部分からチャンバー内部を観察している。中心部に測定ステージが位置している。(d) 試料ステージに調整用試料を取り付けた様子。[(c) についてはhttps://nanoterasu.jp/com.res/よりQSTの許可を得て使用。]

 

4-5.共鳴エネルギーの決定
 RIXSはXASデータの取得を通じた共鳴エネルギーの決定が必須である。BL02Uでは導電性試料のドレインカウントを計測する全電子収量法(Total Electron Yield: TEY)に加えて、全蛍光収量法(Total Fluorescence Yield: TFY)による吸収測定環境が QSTによって整備されている。TFYは絶縁体となった試料の測定位置確認や共鳴エネルギーの決定に活用される。TFYでは試料の厚みに起因する自己吸収の影響に加えて、目的元素以外からの蛍光X線をバックグラウンドとして検出することから、共鳴エネルギーの決定に必要なピーク構造が潰れて不明瞭になる場合がある。目的元素以外からの蛍光X線によるXASスペクトル形状の歪みを低減し、より正確に共鳴エネルギーを決定するため、目的元素のみに着目したXASを取得できる部分蛍光収量法(Partial Fluorescence Yield: PFY)が可能なシステムの導入が今後の展開として検討されている。PFYが導入されれば微量元素および、多元素構成材料などへの対応力も高まる。

 

4-6.測定の実行や結果の初期解析
 全ての機器の制御・監視システムの構築はQSTによって行われており、各種ソースコードの管理と保守についても同様である。データ取得のための各機器の制御(測定の実行)はPythonコードにて行われており、インターフェースとしてブラウザベースのJupyter Lab が用いられる。各種実行コードは来所初日のインストラクションを通じてJASRIからユーザーに説明・共有されるため、各自で望む測定シーケンスを組んで実行することも可能である。また得られた2D-RIXS画像の初期解析(重心演算や画像からRIXSスペクトルへの変換)についてはQSTが用意したLabVIEWプログラムを使用できる。データ取り出しについては、データ取り出し専用のネットワーク環境下のPCから専用USBを用いた取り出しと、一部のWebクラウドを通じた取り出しが可能である。

 

5.今後の共用利用に向けた取り組み
 BL02Uで採用している2D-RIXS測定では、入射光および散乱光のエネルギーが2次元検出器のピクセル位置として検出される。共用実験における入射エネルギーの正しい観測ピクセル位置と1ピクセルあたりのエネルギー分解能は調整時に多層膜試料を用いて決定されているが、実際の測定試料の表面の平滑性によっては、表面の凹凸によってX線の散乱点(発光点)が変化し、到達したピクセル位置が本来計測されるべき位置からずれる。この位置のずれは見かけ上のエネルギー位置のずれを与えてしまうため、補正が必要である。そこでまず、ビームラインからのエネルギー分散を持つ弾性散乱が2次元ピクセル上で理想的には線形となることを利用し、弾性散乱の位置を特定する。そして、弾性散乱の位置を正しく特定できれば、そこから正しいエネルギーロス(非弾性散乱)を与えるピクセル位置へと変換することができる。しかし、ずれがあまりにも大きい場合や弾性散乱が弱い場合には弾性散乱の位置を特定することが難しくなるため、現状では補正・変換が容易な平滑表面を持つ試料に測定が限られている。そこで、測定可能な試料範囲を拡大するために、機械学習や画像解析を用いて弾性散乱位置を特定する技術の開発をJASRIでは検討している。
 また、現状では公開されている汎用的な第一原理計算プログラムには、フォノンおよびマグノンを考慮したRIXSの理論計算は実装されていない。RIXS測定に慣れたユーザーの多くは、独自にRIXS計算手法を開発している研究者との共同研究基盤を既に持っているため、測定結果を成果に結び付けることが比較的容易である。一方、ビギナーには独自に解析手法を開発する、もしくは共同研究者を探すことが必要であり、これによってRIXS測定への参入障壁が高くなっていることが想定される。そこで、ユーザー層の拡大を目的として、RIXS理論研究者との共同研究も視野に入れながら、JASRIでRIXS解析をサポートする理論計算手法の開発を検討している。RIXSに限らず理論計算や画像解析等でユーザーを支援するためのCPUマシンおよびGPUマシンをJASRIで用意している。それぞれ のマシンの特徴として、CPUマシンが128コアおよびメモリ768GBを有し、GPUマシンがNVIDIARTX6000Adaを4枚搭載した仕様となっている。これらの計算性能は、スーパーコンピューターの1ノード分、あるいはそれ以上に相当する。この計算資源をユーザー実験で得られたデータ解析などに活用し、成果創出へとつなげるための環境整備を進めている。

 

6.今後の展望
 近年、世界中のRIXS装置ではいかに高いエネルギー分解能を達成できるかの競争が繰り広げられてきた。特にRIXS研究が盛んに行われている固体物理分野の研究では、100 meV 以下に現れる低エネルギー励起を議論できるエネルギー分解能が必須である。日本はRIXSを含むあらゆる測定手法を駆使してこの低エネルギー励起の舞台で世界と戦ってきたが、RIXS装置の測定分解能においては10年近くの遅れをとっていた。しかし、NanoTerasuにてBL02Uの運用を開始したことで、日本は世界一の物性解明のツールとさらなる研究競争力を手に入れた。
 高分解能測定によってフォノンやマグノン等が詳細に観測可能になった一方で、注意すべき点もある。d-d遷移や電荷移動励起のみを狙って観測する場合、高分解能測定ではエネルギー分解能が必要以上に高過ぎるため、従来の分解能でも信号強度が稼げる測定手法や装置を利用した方が高効率となる場合がある。また測定可能なエネルギー範囲(ワンショットで観測することのできるエネルギーロスの範囲)も観測対象とする励起状態に合っている必要があるため、単純に高分解能から低分解能に落とせば全ての励起現象に対して高分解RIXS装置が活用できる訳ではない。そのため、従来装置に置き替わるものとして高分解能RIXS装置を捉えるのではなく、観測したい励起現象に応じて各RIXS装置を選択/ 相補的に活用することが望ましい。RIXSの盛んな海外では、実際に異なる放射光施設のRIXS装置間で目的ごとに棲み分けがされており、相補的な利用がスタンダードになっているようである[9][9] 次世代放射光施設利用研究検討委員会:資料5-2 超高エネルギー分解能共鳴非弾性軟X線散乱ビームラインワーキンググループ報告書 https://www.qst.go.jp/site/3gev/41909.html

 また本稿では主だって取り上げなかったが、RIXSはXESと同様にPhoton-in/Photon-outの手法であるため、バルク敏感かつ外場中でも測定可能な特徴を有する。これを活かすことで、電池材料や電子デバイスなどにおけるRIXSのin-situ/operando測定が展開されている。BL02Uの高分解能RIXSが、従来装置との相補利用を通じてRIXS研究全体を活性化することで、学術・産業問わず幅広い材料・デバイス研究開発促進の一役を担うことを期待している。

 

謝辞
 本稿の執筆にあたって、QST NanoTerasuセンターの宮脇淳 博士、山本航平 博士、堀場弘司 博士、高橋正光 博士から専門的・技術的コメントをいただいた。ここに深く御礼申し上げたい。また、共用に向けた試料プレートの準備では、JASRIナノテラス事業推進室の横町和俊 氏、神田龍彦 博士に大変ご尽力いただいた。グローブボックス導入・整備・大気非暴露搬送対応のための改造作業についてはQST NanoTerasuセンターの北村未歩 博士、大坪嘉之 博士、JASRI ナノテラス事業推進室の脇田高徳 博士、JASRI 分光推進室(現分光イメージング推進室)の伊奈稔哲 博士のご協力の上で達成された。原稿の全体構成についてはナノテラス事業推進室の本間徹生 博士と大石泰生 博士から多くのアドバイスをいただいた。共用利用が無事に開始できたのはQSTとJASRI 間の連携の賜物であるが、コアリション利用の先立った成功による後押しと、それを担ったPhoSICのご活躍も大変大きい。最後にNanoTerasuの運転・維持・管理に関わられている全ての方々に感謝の意を表する。

 

 

 

参考文献
[1] https://nanoterasu.jp/2025/03/nanoterasu共用ビームラインのユーザー利用を開始/
[2] J. Miyawaki et al.: J. Phys.: Conf. Ser. 2380 (2022) 012030(DOI: 10.1088/1742-6596/2380/1/012030
[3] K. Yamamoto et al.: J. Phys.: Conf. Ser. 3010 (2025) in press.
[4] J. Miyawaki et al.: Synchrotron. Radiat. News. 2380 (2025) in press.(DOI: 10.1080/08940886.2025.2501509
[5] 宮脇淳、堀場弘司、大坪嘉之:放射光 37 (2024) 95.
[6] https://www.qst.go.jp/site/press/20240918.html
[7] https://www.qst.go.jp/site/qubs/nanoterasu-rensai-78.html
[8] L. J. P. Ament et al.: Rev. Mod. Phys. 83 (2011) 705. (DOI: https://doi.org/10.1103/RevModPhys.83.705)
[9] 次世代放射光施設利用研究検討委員会:資料5-2 超高エネルギー分解能共鳴非弾性軟X線散乱ビームラインワーキンググループ報告書https://www.qst.go.jp/site/3gev/41909.html

 

 

菅 大暉 SUGA Hiroki
(公財)高輝度光科学研究センター ナノテラス事業推進室
〒980-8572 宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉468-1 SRIS棟 209号室
TEL : 050-3496-9053
e-mail : hiroki-suga@jasri.jp

 

小出 明広 KOIDE Akihiro
(公財)高輝度光科学研究センター ナノテラス事業推進室
〒980-8572 宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉468-1 SRIS棟 209号室
TEL : 050-3502-6482
e-mail : akihiro.koide@jasri.jp

 

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[ - Vol.15 No.4(2010)]
SPring-8/SACLA利用者情報
Online ISSN 2187-4794
[ - Vol.30 No.1(2025)]
SPring-8/SACLA/NanoTerasu利用者情報
Online ISSN 2760-3245
[Vol.1 No.1(2025) - ]