Volume 14, No.3 Pages 237 - 239
5. 談話室・ユーザー便り/OPEN HOUSE・A LETTERS FROM SPring-8 USERS
SPring-8の10年:課題と展望
Past and Future Decades of SPring-8 :Challenges and Opportunities
これまでの10年
SPring-8の十周年を祝って利用懇が次の十年をどうするか、考えようという企画、タイムリーで有意義なものになると期待しています。既に完成している原稿の一部を拝見しましたが、それぞれの領域で今後の研究の展開に対するユーザーの強い意気込みが溢れており、大変心強く感じました。特に菊田さんの正確で、的確なレビューは注目に値します。菊田さんはSPring-8の発端から今日まで、一貫してSPring-8の推進と実施の中心で活動された方ですから、その総括が包括的で正確であるのは当然ですが、国の内外を広く展望して今後の方向を示唆する菊田さんの提言は皆さんの参考になると思います。ただ菊田さんは当事者であり、もともと謙虚な方なので、 SPring-8のこの十年間の成果を総括するに当たっては自画自賛に陥る危険を慎重に避けておられ、文章のトーンは大変地味です。しかし私は当初この計画の推進にはお手伝いをしましたが、建設段階では既に第一線を離れていたので、たまに誘われて現場で遊ばせてもらった経験を除けば、研究活動に直接参加したことはありません。SPring-8のこの十年間を評価するに当たっては、岡目八目で多少気楽な事を言っても許されるでしょう。
研究成果の広報について
SPring-8がこの規模の国の大型プロジェクトとしては大成功であったことは疑いありません。他の放射光施設もそれぞれに独自性を発揮して立派な成果をあげていますが、その中にあってSPring-8の果たしつつある役割は極めて大きなものがあります。発足して十年後の今日、よくぞここまで来たものと驚嘆します。この計画を承認した財政当局がそれをどの程度認識しているか疑問ですが、SPring-8のホームページを覗いて次々に公表される最近の成果を眺めてみるだけでもそのことは納得できるはずです。多くの異なる専門分野にわたる多彩で、それぞれが画期的な研究成果が日々、年ごとに大量に蓄積されてゆく様はまさに壮観です。生命科学、物質科学の基礎的研究に始まって、最近では医療、材料、エネルギー、環境など社会的に大きなインパクトが目に見える応用分野でも目覚ましい進展があります。成果だけではなく、それを支える光源技術、測定技術、新しい測定手法の開発でも多くの目覚ましい進歩があり、技術的水準は十年前を大きく超えるものがあります。これは単なる自画自賛ではないと私は確信していますが、さてそれでは世間やマスコミの認知度は如何と云う事になると、かなり心細いのは事実です。今日日本の基礎科学と先端技術が欧米先進諸国に遜色ない高い水準にあることは国際的にも広く認知されているにも拘らず、国民一般や政府・報道関係者のこうした研究成果や技術の進歩への関心や理解は極めてお寒い状態です。この点ばかりは欧米と日本の間には大きな格差があります。しかしそれを嘆いてばかりいてもなにも改善しないので、SPring-8の活動や成果の広報には従来にもまして我々自身の努力が要求されます。今日JASRIの広報部は見学者の対応やHPの編集など活発な活動を展開しており、HPの内容や質には多くの努力改善の跡が見られます。個々の研究成果の非専門家向けの解説など、見ごたえのある記事も多くなってきました。非定期的に公表されるニュースのレリーズにも一般向けの記事としての配慮があって、読みやすいものが多くなってきました。ところでこうした成果の公開に当たっては研究者本人の解説が一番正確で、間違いがないのは当然ですが、自分が書くとどうしても力が入って、同業者や専門家の目を意識しすぎるのは避けられません。内容を十分消化した上で、多少厳密さを欠いても素人に分かる面白い記事の書ける「専門」のライターを育成する、或いは皆さん自身が大変身を遂げてそういうライターになるのもJASRI或いは「利用懇」の責務ではないでしょうか?因みにアメリカ物理学会は十数年前からPhysics Updateなる啓蒙記事をWebで非定期的に連載しており、素粒子や宇宙論から先端ナノテク材料の開発に至る物理・応用物理の重要発見を一般人に分かる平易な文章でいち早く紹介しています。その筆者はAPSの指名でこれを担当する3人の覆面ライターで、物理の理解も文章の分かりやすさも正に一流です。記事を分かりやすくするイラストにプロを動員するのも一つの方法で、ESRFやダレスベリー研究所などは早くからこうした努力をしており、レポートのイラストはとても魅力的です。こうすると一般に訴える力では格段の差があります。
研究利用者の支援について
SPring-8が光源としての性能が優秀で仕事をしやすいことは、外国から実験をしに来たユーザーや、外国の施設、例えばESRFとSPring-8の両方を使って実験した経験のある内外のユーザーが絶賛します。ところが外から初めて実験をしにきた不慣れなユーザーに対するuser-friendliness、つまり生活援助や技術支援についてどうだと聞くと、皆さんニヤニヤしながら、あちらの方が良いです、と答えます。JASRIでは定員の制約からビームライン当たりの担当職員数が不足で、ユーザーのお世話をし切れないことがある、とは始めから分かっているので、担当者を責めることはできません。しかしこの状態を何時までも放置しておくのは問題です。これはユーザーの責任ではなく、JASRIの行政責任ですが、例えばこんな方法はないものでしょうか?アメリカはルイジアナの放射光施設CAMDではルイジアナ州立大学の大学院・学部の学生をアルバイトで多数雇用しています。一定期間の研修をした上で、マシンの運転、ビームラインの運転、維持管理、ユーザーへの技術支援などを担当させています。収入が得られる上、研修を受けて自分自身にも役に立つ技術知識を習得する機会が得られると大変好評で、希望者が多くて採用者の選別に苦労するほどだと云います。幸いJASRIも至近距離に兵庫県立大学の学生諸君が大勢いるわけですから、彼らにアルバイトの機会を提供すると言えば人を集めるくらいすぐ出来るのではないでしょうか?人件費を財政当局が認めないと言うなら、民間の使用料収入の一部とか、「SPring-8サービス」で見学者用に記念グッズを販売して収益を上げるとか、業務委託として費用を落とすとか、方法はいくらでもあるでしょう。アメリカのフェルミ研究所などでは入口に見学者向けグッズの販売コーナーがあり、盛大に稼いでいます。
これからの課題
さて動き始めて十年、ビームラインごとに開始時期や歴史は違いますが、全体としてはそろそろ成果の決算評価、設備の更新や転換を考え始める時期です。
設備や技術が時代の進歩に遅れてはいないか、所期の目的を達成し得たかどうか、このままの路線で継続・拡充するか、思い切って全部か一部の戦略見直しをするかどうか、他目的のビームラインに切り替えるか、有限の資源を有効利用しようと思えばどの一本のビームラインも貴重な財産です。個別の評価とともに、全体としての戦略的配置を考える視点も必要です。利用が殺到して採択率が著しく低い実験種目については改めて設備増強の方策を検討すべきでしょう。
これに関連して一つ指摘しておきたい問題があります。それは一部の関係者からもご指摘が出ていますが、SPring-8では軟X線のビームラインが少なく、SU-25、SU-27は何時も混んでいて、採択率が極めて低いという苦情があります。そもそもSPring-8の建設を早くから提案していた関西の放射光研究者の団体「6-GeVSR」は当初6GeVクラスの「大型放射光」計画に併せて2 GeVの中型高輝度光源をも提案していました。ところが理研がこの提案を引き取って計画がスタートした頃、文部省と科技庁の間で激しい主導権争いが生じ、科技庁が中型高輝度光源まで独占してしまうのは遠慮した方がよさそうだ、という戦略的判断から2 GeVの計画は撤回して大型のSPring-8を硬X線光源と位置付け、軟X線ビームラインの建設も控えめにしたという経緯があります。実はSPring-8は硬X線ばかりでなく、軟X線光源としても優秀であることが光源関係者から指摘されていたのですが、こうした配慮からSXの公開ビームラインとしては固体分光用のSU25と気体分光用のSU27に限定されることになったのです。この二つの分光研究用ビームラインが高度の性能を発揮して多くの成果を上げてきたことは、例えばこれによって阪大の菅さんが数々の栄誉ある国際的な賞を受賞されたことでも証明されています。
残念なことに、関係者の期待に反して文部省関係での実現が望まれていた中型高輝度放射光施設はついに日本では実現せず、この分野では欧米に対して大きな立ち遅れが生じました。現在建設が進んでいる東京大学のアウトステーション施設はこの損失の埋め合わせとして、遅ればせながら採用された救済策です。一時は厳しく対立していた文部省と科学技術庁はその後文部科学省に統合され、もはや対立状況は事実上消滅しました。SPring-8が我が国の軟X線光源としてもその性能をフルに発揮したり、ビームラインを増強したりするのに行政的障害はもうありません。今は過去に犯した戦略的失敗を取り戻す時期に来ていると思います。しかし私たちが時間を浪費していたその間にも内外で次世代の自由電子レーザーの利用が一部実現して、軟X線放射光の研究ポテンシャルは今や新しいフェーズに入ろうとしています。過去の戦略を洗いなおして遅まきながら隙間を埋める努力をする必要があるのか、或いは思い切って新しい戦略でより高度な分光研究を目指すか、腰を据えて検討する時期が来たように思います。特にFELのフェムト秒領域の高輝度パルスは分光研究にとっては全く新しい研究機会の出現を意味します。Franck-Condon、Born-Oppenheimerの原理など、従来広く用いられてきた量子力学の概念を改めて検証する機会が生ずるかもしれません。
課題の申請や審査の方式に問題を感じておられる方も少なくないようです。1980年代にPFで採用された方式がその後多少の修正を加えて踏襲されているようですが、当初の立案に関わった者としては種々反省点もあり、未だに悩ましい問題です。PFの方式は大規模な共同利用研究の発足に当たって、未だ世間から認知されていない段階で早く確実に成果を上げる事に主眼を置いたため、かなり保守的であったと思います。技術審査などは未経験な申請者に対しても十分な技術支援が期待できるならあまり厳格にやる必要のないことです。今後に改善の余地はたくさんあるように思いますが、実際に苦労しておられるJASRIの担当者、審査委員や申請者の皆さんの創造的な提案と討論を期待します。