Volume 29, No.4 Pages 302 - 307
1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
イリジウム使用量を95%以上削減したPEM水電解触媒の開発
Development of PEM water electrolysis catalyst that reduces iridium usage by more than 95%
[1](国)理化学研究所 創発物性科学研究センター 物質評価支援チーム Materials Characterization Support Team, RIKEN Center for Emergent Matter Science、[2](国)理化学研究所 環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム Biofunctional Catalyst Research Team, RIKEN Center for Sustainable Resource Science、[3]東京工業大学 地球生命研究所 Earth-Life Science Institute, Tokyo Institute of Technology、[4](国)理化学研究所 放射光科学研究センター 軟X線分光利用システム開発チーム Soft X-Ray Spectroscopy Instrumentation Team, RIKEN SPring-8 Center、[5](公財)高輝度光科学研究センター 放射光利用研究基盤センター 産業利用・産学連携推進室 Industrial Application and Partnership Division, Center for Synchrotron Radiation Research, JASRI、[6](公財)高輝度光科学研究センター 放射光利用研究基盤センター 分光推進室 Spectroscopy Division, Center for Synchrotron Radiation Research, JASRI、[7](公財)高輝度光科学研究センター 研究プロジェクト推進室 Research Project Division, JASRI、[8]電気通信大学 燃料電池・水素イノベーション研究センター Innovation Reserch Center for Fuel Cells, The University of Electro-Communications
- Abstract
- 世界的なSDGsの潮流の中で、再生エネルギーを用いた水の電気分解によるグリーン水素製造が注目されている。中でも、プロトン交換膜(PEM)水電解は電圧応答性が高く、再生可能エネルギーによるグリーン水素製造に適した技術として注目されている。しかし、PEM水電解の陽極触媒には非常に高価で埋蔵量の少ないイリジウムが用いられており、その使用量の削減が喫緊の課題となっている。我々はマンガン酸化物系触媒に取り組んできており、今回イリジウムを二酸化マンガンに原子状に分散させた酸素発生触媒を開発した。本触媒は、イリジウムの使用量を従来の触媒よりも95%以上削減しているにもかかわらず、高い活性と安定性を維持した。我々はSPring-8を活用し、本触媒の多角的な解析を行った。X線吸収分光(XAFS)およびX線光電子分光(XPS)により、本触媒中のイリジウムは+6価の高酸化状態となっており、これが本触媒の優れた活性・安定性の起源であることを明らかにした。
1. はじめに
水の電気分解(水電解:2H2O → 2H2 + O2)は、二酸化炭素を排出しない環境負荷の低い水素製造技術として注目されている。中でも、PEM水電解は電圧応答性が高く、発電量が変動する再生可能エネルギーによるグリーン水素製造に適した技術として注目されている。しかし、PEMでは酸素が発生する陽極は電解によって生じたプロトンにより強酸性環境にさらされ、また、高電流密度を得るため高電圧が印加されるため、耐酸性特性に優れる酸化イリジウムが使われている。酸化イリジウム触媒では粒子表面のイリジウム(Ir)原子しか触媒反応に寄与しないため、Irの原子利用効率が低い。そのため、現在のPEM水電解では、水電解能力1 kW当たり、おおよそ1 gのIrが必要とされている。Irの価格は金の約2倍、白金の約4倍と非常に高価であり、コスト削減が重要な課題となっている。Irは地殻中の存在量が極めて低く、世界の年間生産量が7~8トン/年しかない。2050年までにカーボンニュートラルを達成するためには水電解能力が2,000 GW程度、すなわち約2,000トンのIrを用いたPEM電解槽設置規模が必要だといわれており、仮に今後Irの生産量が多少増加し、そのすべてを水電解触媒に用いたとしても150年分以上の生産量が必要と見積もられている。このため、PEM水電解の大規模展開にはIrの希少性の課題を解消することが不可欠であり、Ir使用量を従来の10分の1以下に低減することが大きな課題として国際的に認知されている。これまで、担持材料の改良や、材料のナノスケール化などにより、Irの使用量が削減されてきた。Irの削減だけでなく、実用化に向けては高活性で長寿命な触媒が必須であるが、少量のIrで活性と安定性を維持できる材料はまだ開発されていなかった。最近我々は、Ir使用量を抑えつつ、活性と安定性を兼ね備えた水電解触媒の開発に成功した。本研究では、本触媒の高い活性・安定性の起源の解明を目的とし、我々は5つのビームラインで10回以上実験を重ね、SPring-8を駆使して多角的に本触媒の構造および化学状態に迫った。以下本稿ではその内容[1][1] A. Li et al.: Science 384 (2024) 666-670.を紹介する。
2. イリジウム―マンガン触媒の合成とin-situ XAFSによる触媒合成過程の追跡
我々は、PEM水電解の触媒材料としてマンガン酸化物系に着目して研究を進めてきた[2, 3][2] A. Li et al.: Angew. Chem. Int. Ed. 58 (2019) 5054-5058.
[3] S. Kong et al.: Nat. Catal. 7 (2024) 252-261.。その過程で、二酸化マンガンが溶液中のIrイオンを特異的に吸着することを発見した(図1A)。この知見を踏まえ、本研究では新たなIr触媒材料の合成に挑戦した。触媒の合成の過程は、①MnO2の電析、②Ir吸着、③熱処理の3ステップからなる。まず①でMnO2電極を電析法で作製し、得られた電極(MnO2/多孔質輸送層(PTL))を②でK2IrCl6前駆体溶液に95°Cで6時間以上浸漬し、Irの吸着を行った(図1BのIr吸着過程)。その後、③で450°Cで焼成し、本触媒材料を合成した(図1Bの熱処理過程)。
図1 in-situ XAFSによる新規イリジウム触媒(IrVI-ado触媒)の合成過程の追跡
(A)二酸化マンガン(MnO2)がイリジウムを吸着する様子。MnO2共存下では、Irソース(K2IrCl6)由来の赤褐色な溶液が無色透明に変化した(下)。
(B)IrVI-ado触媒の合成過程。
(C)Ir L3吸収端のXANESの経時変化を示した2次元カラーマップ。吸収端が高エネルギー側にシフトし、Irが酸化されたことが分かる。
(D)Ir L3吸収端のFT-EXAFSの経時変化を示した2次元カラーマップ。結合距離の短縮から、Irの配位子が塩化物イオンから酸化物イオンに交換されたことが分かる。
(C)および(D)の左側に示されている青矢印は加熱もしくは冷却プロセスを表し、黒矢印は定温プロセスを表す。
本触媒の合成過程でどのような変化が起きているかをin-situ XAFSにより追跡した。Ir L3吸収端のXAFS実験はSPring-8 BL14B2にて蛍光法で実施した。合成過程の変化の時間スケールより十分短く、かつ、良好なスペクトルが得られるように、1スキャンあたり6分で測定を行い、これを110回繰り返した。まずXANESに着目すると、②の吸着の過程でIr L3吸収端のホワイトラインのピークが高エネルギー側にシフトしており、Irが酸化されていることが分かった(図1C)。さらに③の熱処理でわずかに高エネルギー側にシフトするとともにホワイトラインの強度が大きくなり、Irが元の+4価からさらに酸化されたことが明らかとなった。また、EXAFSに着目すると、②のIr吸着過程で最近接原子との結合距離の短縮および2.6 Å付近に新たな第二近接原子のピークの出現が見られた(図1D)。MnO2にIrが吸着されたと同時に、K2IrCl6とMnO2の配位子交換反応が進行し、Irの配位子が塩化物イオンから酸化物イオンに交換されたことが明瞭に観測された。
3. 放射光を活用した触媒の構造・化学状態解析
次に、本触媒の構造および化学状態の解析に取り組んだ。最終的に得られた触媒のIr L3吸収端の動径構造関数をMnO2のMn K吸収端およびIrO2のIr L3吸収端の動径構造関数と比較した。その結果、本触媒ではMnO2のMn原子の一部がIrに置換された構造であることが明らかになった。さらに、重原子であるIrを原子分解能で観察できる高角散乱環状暗視野走査透過顕微鏡(HAADF-STEM)を用いて試料の観察を行った。図2Aの明点はIr原子であり、XAFSの結果と同様にMnO2のMn原子がIrに置換され、Irが原子レベルで分散されている様子が観測された。
図2 IrVI-ado触媒のHAADF-STEM画像およびIrの酸化数の特定
(A)IrVI-ado触媒のHAADF-STEM画像。Ir原子(白い点)は原子レベルで均一にMnO2に分散している。
(B)IrVI-ado触媒のIr 4f XPSスペクトル。観測された二つのピークはいずれも+6価のIrで精度よくフィッティングすることができた。
(C)IrVI-ado触媒および標準試料のIr L3吸収端のHERFD-XANESスペクトル。
(D)Ir L3吸収端のホワイトラインのピークの面積とIrの5d軌道に含まれる正孔数の関係。ピーク面積と酸化数の関係性を示した検量線は標準サンプル(黒)として用いた金属状態のIr、IrCl3、K2IrCl6、IrO2、Sr2MgIrO6から作成し、IrVI-ado触媒のX線吸収ピークの面積(緑)から酸化数を+5.8±0.1と算出した。
続いて、本触媒のIrの酸化状態を決定するため、SPring-8 BL17SUにおいてX線光電子分光(XPS)実験を行った(図2B)。本触媒のIrの4f光電子のピークは、標準物質として用いた+4価のIrO2よりも高結合エネルギー側に観測され、文献[4][4] J.-J. Velasco-Vélez et al.: J. Am. Chem. Soc. 143 (2021) 12524-12534.で示された+6価のピーク位置と良好な一致を示した。
XPSに加えて、XAFSからも化学状態の評価を行った。作製した触媒の価数を評価するために、BL39XUおよびBL36XUにおいて、高エネルギー分解能蛍光検出(HERFD)XANES実験を行った(図2C)。試料から放出された蛍光X線を5枚のGe分光結晶の800反射により分光し、Ir Lα1線のみを検出した。その結果、通常のXAFSよりも鋭敏なスペクトルが得られた。本触媒のXANESは、+4価のIrO2よりも明らかに高エネルギー側にシフトし、かつ、ホワイトラインの強度も増加していた。図2Dのようにホワイトラインの強度と価数には強い相関があり、Irは+5.8±0.1価であると推定された。また、Ir–O結合距離と価数にも相関があり、EXAFSから得た結合距離から推定した+5.7価はホワイトライン強度から推定した値と近い値であった。
通常Irの酸化物ではIrは+4価の酸化状態を取ることが多いが、以上の実験結果を踏まえ、本触媒では+6価の状態となっていることが明らかとなった。ここまでの結果から、本触媒が原子状に分散された+6価のIr酸化物(atomically-dispersed oxide)であることが判明したため、以下本触媒をIrVI-ado触媒と呼ぶ。IrVI-ado触媒ではMnO2の表面にIrが原子レベルで分散されているため、ほぼ全てのIrが水の電気分解に関与することができ、原子利用効率の向上につながっている。+6価のIrは理論的に高活性な酸素発生触媒として働くことが予想されていたが[5, 6][5] L. C. Seitz et al.: Science 353 (2016) 1011-1014.
[6] R. A. Flores et al.: Chem. Mater. 32 (2020) 5854-5863.、その実現は長らく困難だった。IrVI-ado触媒では、MnO2が単なる担体としてだけでなく酸化剤としても働くことで、珍しい+6価の高活性のIrが得られている。さらに、Ir–O結合が強くなることで触媒の耐久性も向上しており、これが本触媒の活性・耐久性の起源であると考えられる。
4. 触媒の性能の評価
上記のプロトコルに従ってIr担持量が0.02、0.04、0.08 mg/cm2のIrVI-ado触媒を合成した。現在実用化されている電極におけるIr使用量が2–4 mg/cm2であることを踏まえると、本触媒では95%以上のIr使用量の削減に成功している。Ir担持量の異なるこれらの3種類の触媒を用いて、PEM環境における水電解特性の評価を行った。
市販のPEMセルを用いて工業レベルの1 A/cm2の電流密度で耐久性試験を行った。Ir担持量が0.02、0.04および0.08 mg/cm2のIrVI-ado触媒の寿命はそれぞれ1,710時間、2,000時間および3,800時間だった(図3C)。これまでの文献と比較しても、活性・安定性ともにPEM環境下において優れた特性を示した(図3D)。
図3 IrVI-ado触媒の安定性の評価
(A)0.08 mg/cm2 Irを含むIrVI-ado触媒を用いた、PEMセルにおける電解測定の結果。電解電圧は1.5、1.8および2.5 Vである。
(B)パネルAと同じPEMセルを用いて測定したIrVI-ado触媒のIr L3吸収端のXANESスペクトル。セル電圧を変えてもスペクトル変化が小さく、Irが+6価状態を維持していることが分かった。なお、OCVは測定前の開回路電圧、OCV-2はすべての測定後に開回路電圧に戻したスペクトルに対応する。
(C)市販のPEMセルにおいて電解を行った際のIrVI-ado触媒のセル電圧。担持量を変えた3つの材料のデータを示す。
(D)IrVI-ado触媒および文献で報告されたIr触媒の比較。質量活性に対する触媒回転数をプロットした。(ア)~(ウ)は、図3Cの曲線(ア)~(ウ)に対応する。(エ)はイリジウム担持量0.08 mg/cm2、電流密度1.8 A/cm2の場合、(オ)はイリジウム担持量0.02 mg/cm2、電流密度2.0 A/cm2の場合の耐久性試験の結果を示す。電解実験はいずれも80°Cで行った。
さらに、BL14B2で触媒動作中のoperando XAFS測定を行い、電解中のIrの酸化状態の変化を評価した。水電解反応では、特に高電流密度条件下で激しく気泡が発生するため、気泡がX線の光路上に干渉せずに背面に逃げるように工夫した独自のoperando XAFS用の電解セルを開発した。そのセルを用いてoperando XAFS実験を行い、PEM環境において2.3 A/cm2の高電流条件下でIrVI-ado触媒が+6価のIrの状態を維持していることを確認した(図3A、B)。
さらに、PTL基板の構造、電析されたMnO2の厚み、膜電極複合体(MEA)の作製条件などを最適化することで、IrVI-ado触媒のさらなる活性と安定性の向上を試みた。その結果、0.08 mg/cm2イリジウムを含むIrVI-ado触媒から2 Vで4 A/cm2の電流密度が得られた。また、1.8 A/cm2の電流密度で2,500時間以上、水電解反応が継続した。これは、0.08 mg/cm2のイリジウム使用量でも、82%の電圧効率(理論上電解が起きる電圧に対する、実際に印加した電圧の比)を維持しながら、水素製造が可能であることを実証する結果である。また、これは、イリジウム1 g当たり約40 kWの電力密度(40 kW/gIr)に相当し、イリジウムの年間生産量を踏まえると、年間約324 GWのPEM水電解槽を設置できることを示唆している。さらに、電圧効率を82%と仮定すると、年間260 GW以上の水素製造が可能となり、世界の持続可能なエネルギー供給に向けて重要な貢献となることが期待される。
5. おわりに
本研究では、マンガンとイリジウムの相互作用を活用することで、高酸化状態(+6価)の新規イリジウム触媒(IrVI-ado触媒)を開発した。この材料は低貴金属使用量・高活性・長寿命の三拍子揃った触媒であり、PEM水電解を展開する上でボトルネックである貴金属使用量を軽減し、2050年カーボンニュートラル実現に貢献することが期待される。この成果は、国際連合が定めた17の持続可能な開発目標(SDGs)のうち、「7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに」に貢献するものである。
謝辞
放射光実験は大型放射光施設「SPring-8」のビームラインBL14B2(XAFS)、BL39XU(HERFD-XANES)、BL36XU(HERFD-XANES)、BL17SU(XPS、XAFS)、およびBL44B2(SR-PXRD)で実施した(JASRI課題:2021A1664、2021B1892、2022A1761、2022A1776、2022B1667、2023B1661、2023A1395、2023A1431、2023B1372、理研課題:20220060、20230043)。STEM測定の際には、西湖大学物質科学共用施設センターの蒋斉可博士の支援を受けた。SR-PXRD測定の際には、理化学研究所 放射光科学研究センターの加藤健一専任研究員、日本技術センターの繁田和也氏の技術支援を受けた。EDXマッピングの際には理化学研究所 創発物性科学研究センター 物質評価支援チームの井ノ上大嗣専門技術員の技術支援を受けた。XRFでは株式会社リガクの高橋学人氏の支援を受けた。
本研究は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「水素利用等先導研究開発事業JPNP14021(研究代表者:和田智之)」の委託事業の成果が一部含まれる。また、科学技術振興機構(JST)革新的GX技術創出事業GteX Program Japan「グリーン水素製造用革新的水電解システムの開発(研究代表者:高鍋和広、JPMJGX23H2)」による助成を受けて行われた。
参考文献
[1] A. Li et al.: Science 384 (2024) 666-670.
[2] A. Li et al.: Angew. Chem. Int. Ed. 58 (2019) 5054-5058.
[3] S. Kong et al.: Nat. Catal. 7 (2024) 252-261.
[4] J.-J. Velasco-Vélez et al.: J. Am. Chem. Soc. 143 (2021) 12524-12534.
[5] L. C. Seitz et al.: Science 353 (2016) 1011-1014.
[6] R. A. Flores et al.: Chem. Mater. 32 (2020) 5854-5863.
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