Volume 29, No.3 Pages 200 - 204
2. 研究会等報告/WORKSHOP AND COMMITTEE REPORT
10th International Conference on Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy(HAXPES 2024)会議報告
Report on 10th International Conference on Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy(HAXPES 2024)
(公財)高輝度光科学研究センター 放射光利用研究基盤センター 分光推進室 Spectroscopy Division, Center for Synchrotron Radiation Research JASRI
1. はじめに
2024年6月4日~7日にチェコ共和国のプルゼニにて硬X線光電子分光(HAXPES、HArd X-ray PhotoElectron Spectroscopy)の国際会議10th International Conference on Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy(HAXPES 2024)が開催された[1][1] https://www.haxpes2024.zcu.cz/en/。一般に普及している軟X線領域の光電子分光(XPS、X-ray Photoelectron Spectroscopy)では2 keV以下の励起光を用いるのに対し、HAXPESでは励起光として硬X線を用いる。よってHAXPESでは検出される光電子の運動エネルギーも数倍大きくなり、検出深さも数十nm程度になる。この結果、これまで表面敏感な測定であるために表面の影響を排除できなかったXPSと違い、表面から離れた深部の試料そのものの電子状態や結合状態を調べることが可能となった。現在ではHAXPESは物性研究だけでなく、デバイス開発や電圧印加時の電極のオペランド測定など実用材料などの産業利用をはじめ様々な研究分野における分析評価ツールとしても定着している。この会議はこうしたHAXPESを軸として、各種の基礎物性研究や応用事例に加え、世界各地の放射光施設の最新のビームラインや硬X線領域の実験室X線源を用いた装置開発、またHAXPESに関連した物性理論も含む広範囲な研究内容が報告される会議である。
2003年にHAXPESのワークショップとしてグルノーブルで第1回が開催され参加者は62名であった[2][2] 島田賢也: 放射光 17 (2004) 26-27.
https://www.esrf.fr/events/conferences/HAXPES/。その3年後の2006年にはSPring-8で第2回目のワークショップが開催された。2009年にブルックヘブンで第3回が開催された後は2年ごとの開催となっている。ただし前回の姫路で開催予定だった第9回に関しては、当初は2021年の予定だったが、コロナ禍のため1年延期され2022年の開催となった[3][3] http://rsc.riken.jp/haxpes2022/。そして、今回のプルゼニでの開催は記念すべき第10回目の開催である。
プルゼニはチェコ共和国の西部の都市であり、首都のプラハから南西に90 km程度のところに位置する。空港からプラハ本駅までバスと電車で30分ぐらいかかり、さらにそこから電車で1時間半ほどかけてプルゼニ中央駅に到着する。プルゼニには西ボヘミア大学があり、その大学に所属するJán Minár氏が本会議の実行委員長を務められた。また実際に会議が行われた会場は大学の近くにあるホテル(Parkhotel Pilsen)内の会議場であった(写真1)。なお、プルゼニのドイツ語名はピルゼンであり、ピルスナービールの発祥の地として知られている。今回の会議の2日目の夕方にピルスナー・ウルケル醸造所の見学ツアーが用意されており、参加者は元祖ピルスナーを楽しんだ。
写真1 HAXPES 2024が開催されたParkhotel Pilsen(上)とホテル内会議場の入り口(下)
前回の姫路開催はコロナ禍中であったため、感染対策の必要性に加えて海外からの渡航も制限があり、現地の対面とオンラインのハイブリッド形式での開催となった。筆者は現地実行委員を務めており、ハイブリッド開催に関する苦労は前回の報告書に詳しく記載してある[4][4] 安野聡、高木康多: SPring-8/SACLA利用者情報 27 (2022) 207-212.。一方、今回はコロナの影響も減り、海外渡航の制限も緩和されたこともあって、講演のオンラインの配信はなく現地のみの開催となった。本会議はシングルセッションで行われるため、写真2の部屋ですべて口頭講演が行われた。一方、ポスター講演はホテルのフロントから会場へ向かう階段付近のホワイエで行われた(写真3)。また企業展示も同じ場所で行われ、今回はHAXPESのアナライザーを製造している3社が出展していた。これらの3社にはスポンサー講演として10分の講演枠がプログラム内に割り振られており、企業として製品をユーザーにアピールし、一方で参加者は先端の装置の開発状況の情報を得られる機会が用意されていた。これまでのHAXPES国際会議は放射光施設の近くで行われ、プログラム内に放射光施設の見学ツアーがあることが多かったが、今回はなく、また大学等の研究室の見学も行われなかった。施設見学は実際の装置を直接見て、その現場の担当者と詳しい議論できる貴重な機会であるため毎回楽しみにしているのだが今回は少し残念であった。
写真2 講演会場の様子
写真3 ポスター講演の様子
2. 会議の概要
本会議では4件のPlenary講演、12件のInvited講演、35件のContributed講演があり、またポスター講演は57件であった。全日程は4日間であり、各日の最初にPlenary講演があり、その後にInvited講演を挟みながらContributed講演が行われた。初日と2日目は口頭発表が夕方まで続き、その後ポスター講演が行われた。3日目の講演は午前中で終わり、午後はエクスカーションが用意されていた。最終日は午前中のみの講演で次期開催地の発表とClosing Sessionを経て閉会となった。本会議の参加者は14か国から120名であった。コロナ禍前の2019年にパリで開催されたHAXPES 2019の参加者143名には及ばないが[5][5] 保井晃: SPring-8/SACLA利用者情報 24 (2019) 294-297.、100名を超える参加者が一同に会して議論を交わし、HAXPESに関する最新の情報を交換した。
講演の分類として表1に示す6つのトピックに分かれていたが、同じカテゴリーで講演の順番にまとまりがある程度で、特にタイムテーブル的なセッションの切り分けはなかった。プログラム上では口頭での講演数の内訳としてApplied HAXPESが16件、ARPESが5件、Theory and Method Developmentが16件、Atomic and Molecular Spectroscopyが4件、Beamline Sessionが8件、Othersが2件となっている。しかしながら実際には講演内容が複数の分野にまたがる講演も多くあり、またシングルセッションということもあって、参加者は取捨選択することなくすべての講演を聴くことになるので、このTopicによる分類はあくまで目安程度の扱いであったと思う。
TOPIC 1: | Applied HAXPES |
TOPIC 2: | ARPES |
TOPIC 3: | Theory and Method Development |
TOPIC 4: | Atomic and Molecular Spectroscopy |
TOPIC 5: | Beamline Session |
TOPIC 6: | Others |
3. 講演の内容の概略
この項では筆者が聴講し、興味深かった口頭講演について紹介したい。深い内容まで説明はできないが、どのようなトピックが取り上げられたか雰囲気が伝わればあり難く思う。
初日はTOPIC 1のApplied HAXPESの16件の講演が行われ、またTOPIC 5のBeamline Sessionの講演が3件行われた。最初にPlenary講演としてTemple UniversityのA. Gray氏がHAXPESによる物質の界面の測定についての報告を行った。HAXPESの深い検出深度を活かしてLaNiO3/CaMnO3の界面を測定している。また軟X線の定在波による深さ分解測定も相補的に用いており、界面でのLaNiO3の金属絶縁体転移とCaMnO3の磁性状態について詳しく議論をしていた。続いてStockholm UniversityのP. Lömker氏によるInvited講演で大気圧HAXPES(AP-HAXPES)を用いてのCo表面上でのFischer-Tropsch反応に関する研究が紹介された。ドイツの放射光施設であるPETRA IIIのP22ビームラインにあるPOLARISというAP-HAXPES装置を用いたガス雰囲気下のHAXPES測定について詳しく議論され、さらに将来的にはグラファイト膜を取込口に用いて動作圧力を高める計画について報告された。同じくInvited講演としてUniversity of OxfordのR. Weatherup氏からリチウムイオン電池の電極の測定についての報告があった。イギリスの放射光施設であるDiamondのI09ビームラインで測定しており、6 keVと2.2 keVを励起光とするHAXPESおよび軟X線のPESとの結果を組み合わせて議論した。また電極に電圧を印加した状態のオペランド測定も実施しており、可逆的なLiの反応や電解質の分解による副反応についても報告した。University of KonstanzのM. Müller氏からは強誘電体キャパシタとしてHfO2とTiN電極の界面のHAXPES計測が報告された。HAXPESの深い検出深度を用いて界面におけるHfの価数を分析し、デバイスの性質に直結する酸素空孔の状態を議論している。この他、Uppsala UniversityのR. Lindblad氏はHAXPESによるハイエントロピー合金の測定について報告し、Roma Tre UniversityのF. Offi氏は金属水素化物の測定について報告した。一方、日本からもNIMSのS. Ueda氏がスピン分解HAXPESについて報告し、Osaka UniversityのH. Fujiwara氏からは角度分解直線偏光HAXPES測定についての報告があった。このようにApplied HAXPESのTOPICだけを見ても非常に多くの対象や手法に関する発表があり、HAXPESが広い分野へ適用されていることを感じられる内容だった。
またBeamline Sessionの3件の講演は、J.-P. Rueff氏がフランスにある放射光施設SOLEILのGALAXIESビームラインのHAXPES装置について、D. Biswas氏がDiamondのI09ビームラインに最近導入された軟X線のモーメンタムマイクロスコープについて、S. Nemsak氏が米国バークレイにあるALSのBeamline 11.0.2に導入されたAP-XPSとX線散乱を組み合わせた装置について、それぞれ装置の特徴と最新の成果について発表した。Beamline Sessionについては、この日だけでなく最終日にも5件の講演があった。
2日目はTOPIC 3のTheory and Method Developmentの16件の講演が行われた。Plenary講演としてMax-Planck Institute for Chemical Physics of SolidsのA. Severing氏からウランの5f殻の電子について、光イオン化断面積のHAXPESから軟X線のPES領域までのエネルギーに対する依存性を利用してスペクトル分離を行う手法について報告された。続いてInvited講演としてSLAC National Accelerator LaboratoryのT. Driver氏からLinac Coherent Light Source(LCLS)のアト秒領域のダイナミクスの研究紹介があった。硬X線領域のアト秒の線源としてHAXPESに応用されると非常に面白いかもしれない。またJohannes Gutenberg University MainzのO. Fedchenko氏はTOF型のモーメンタムマイクロスコープで交代磁性(altermagnetic)を持つRuO2の磁気円二色性を測定し、時間反転対称性の破れの直接観測について報告した。測定に使われたTOF型のモーメンタムマイクロスコープはPETRA IIIのHAXPESビームラインP22に設置されているが、今回報告された実験はPETRA IIIの軟X線のビームラインP04のオープンポートにて実施されたものであった。
3日目はTOPIC 2のARPESの5件とTOPIC 6のOthersの2件の講演が行われた。Plenary講演としてArgonne National LaboratoryのJ. McChesney氏から共鳴角度分解光電子分光による量子材料系のバンド特性の解析が報告された。Invited講演としてはMax Planck Institute of Microstructure PhysicsのN. Schröter氏がトポロジカル半導体に関して、表面敏感な軟X線のARPES測定と硬X線の深い検出深度を利用したバルクのARPES測定を報告した。また同じくInvited講演として、Kyoto UniversityのD. Ootsuki氏はCa2‑xSrxRuO4の金属-絶縁体転移について表面のARPESとバルクのHAXPES測定を比較してSr微量ドープ領域の電子構造を議論していた。ARPESでは主に軟X線が使われるため表面敏感な測定になるが、HAXPESはバルクに敏感な測定になる。表面とバルクの電子状態が異なっている場合や、埋め込まれた物質の測定にHAXPESを使うことで、HAXPESの特徴が活きる。またARPESと相補的なデータが得られ、詳しく議論をすることができる。またTOPIC 6のOthersではJASRIのA. Yasui氏が磁場下の試料の共鳴HAXPES計測について報告した。
最終日はTOPIC 4のAtomic and Molecular Spectroscopyの4件とTOPIC 5のBeamline Sessionの5件の講演があった。Plenary講演としてSorbonne UniversitéのO. Travnikova氏からSOLEILのGALAXIESビームラインを用いた気相の測定について報告された。また近年開発されたMUSTACHEという3次元のイオン運動量イメージングと高分解能の高エネルギー光電子分光が同時計測できるシステムについて報告された。またInvited講演としてUniversity of TurkuのE. Kukk氏からチオール分子からの光電子の反跳効果をシミュレーションし、その角度情報を分析することによって、分子の形状や配置などが解析できる可能性が示された。
またTOPIC 5のBeamline SessionにおいてはPaul Scherrer InstitutのE. D. Valle氏がSwiss Light SourceのADRESS beamlineにおける軟X線領域のARPES測定装置について報告し、Helmholtz-Zentrum Berlin für Materialien und EnergieのA. Sokolov氏がBESSY-IIのu41-TXM-beamlineに導入されたテンダーX線領域用の多層ブレーズド回折格子について報告した。筆者がSPring-8のBL46XUにあるAP-HAXPES装置について報告し、Lund UniversityのA. Shavorskiy氏がMAX IVの新しいHAXPESビームラインの計画について報告し、最後の講演としてJASRIのO. Seo氏がSPring-8の2つ目のHAXPES専用ビームラインBL46XUについて報告した。
本会議の講演は、全体を通して内容が理論から物性測定まで広くカバーされており、その対象も固体物性から化学反応、また原子・分子まで多岐にわたる。また最先端の測定の手法や装置、その他ビームラインについても報告されている。特に今回はHAXPESに限らず、軟X線のARPESや関連手法の話題も多くあり、今後の方向性として、HAXPESを軸に据えながらも、より広い分野を含めて議論した上で研究を検討する必要がある現状がうかがえた。本会議はシングルセッションのため講演を聴き逃すこともなく、HAXPESに関する情報を広く知ることができる。馴染みがない分野の講演を理解することはなかなか骨が折れるが、普段接している分野ではあまり得られない情報もあるので、参加者には非常に有意義な会議になっていると思われる。
4. おわりに
Closing Sessionでは本会議の優れた講演に贈られるC. S. Fadley AwardとY. Takata Awardが発表された。この2つの賞は今回はポスター講演の中から選ばれており、Y. Takata AwardはOsaka UniversityのG. Nozue氏が受賞した。また、これらの賞以外にbest oral presentationsとして3講演が選出され、その一つをOsaka Metropolitan UniversityのA. Hariki氏が受賞している。彼らにはHAXPESの分野での今後のより一層の活躍が期待される。
次回HAXPES 2026はイギリスのOxfordでの開催が予定されている(2026年6月)。これからの2年で起こるであろうHAXPESの発展を考えると、次回の会議がまた楽しみである。
参考文献
[1] https://www.haxpes2024.zcu.cz/en/
[2] 島田賢也: 放射光 17 (2004) 26-27.
https://www.esrf.fr/events/conferences/HAXPES/
[3] http://rsc.riken.jp/haxpes2022/
[4] 安野聡、高木康多: SPring-8/SACLA利用者情報 27 (2022) 207-212.
[5] 保井晃: SPring-8/SACLA利用者情報 24 (2019) 294-297.
(公財)高輝度光科学研究センター
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