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Volume 28, No.4 Pages 434 - 438

3. SPring-8/SACLA通信/SPring-8/SACLA COMMUNICATIONS

HAXPES II ビームラインBL46XUの現状
Current Status of Hard X-ray Photoelectron spectroscopy II beamline BL46XU

安野 聡 YASUNO Satoshi[1]、ソ オッキュン SEO Okkyun[1]、髙木 康多 TAKAGI Yasumasa[2]、保井 晃 YASUI Akira[2]

[1](公財)高輝度光科学研究センター 放射光利用研究基盤センター 産業利用・産学連携推進室 Industrial Application and Partnership Division, Center for Synchrotron Radiation Research, JASRI、[2](公財)高輝度光科学研究センター 放射光利用研究基盤センター 分光推進室 Spectroscopy Division, Center for Synchrotron Radiation Research, JASRI

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SPring-8

 

1. はじめに
 硬X線光電子分光(HAXPES、HArd X-ray PhotoElectron Spectroscopy)は数keV~15 keVの硬X線を励起光として用いる光電子分光(XPS、X-ray Photoelectron Spectroscopy)であり、一般に普及している軟X線のXPSに比べて、検出される光電子の運動エネルギーが数倍大きく、検出深さが数十nm程度にまで大きくなる特徴を持つ[1][1] K. Kobayashi: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res. A601 (2009) 32-47.。これにより試料深部の電子状態や結合状態を非破壊で調べることが可能となり、近年は学術分野での利用の他、デバイス開発や実用材料などの産業利用をはじめとした様々な研究分野における分析評価ツールとして定着している。SPring-8では、その有用性と汎用性の高さから複数のビームラインで運用され、目的や対象の試料構造によった使い分けがなされ利用が進んできた[2][2] C. Kalha et al.: J. Phys. Condes. Matter 33 (2021) 233001.。一方で、これまではHAXPESの運用や技術開発がビームライン・装置毎に独自に行われ、制御ソフトやサンプルホルダー等でビームライン・装置間に統一性が無いなど、ユーザビリティの向上や効率的な運用と技術開発の点で課題があった。このため、我々はこれまでにSPring-8における共用HAXPESアクティビティをBL46XU及びBL09XUへ集約し、効率的なビームライン運用と既存の利用ニーズ及び今後の潜在的なニーズに幅広く対応することをコンセプトとして検討しビームラインの改変を進めてきた。先行するBL09XU(HAXPES I)では既にビームラインのアップグレード作業と2台のHAXPES装置の導入、コミッショニングが終了し、2021B期にユーザーへの供用が開始された[3, 4][3] 保井晃、髙木康多: SPring-8/SACLA利用者情報 26 (2021) 445-447.
[4] A. Yasui et al.: J. Synchrotron Rad. 30 (2023) 1013-1022.
。さらにBL46XUにおいても、2022年12月より光学系から計測装置に亘る大規模なアップグレードを実施し、BL09XUに続く2番目のHAXPES専用ビームライン“HAXPES II”として2023年7月よりユーザー利用を開始した。表1にBL09XU及びBL46XUの各HAXPES装置の特徴をまとめたものを示す。
 アップグレード後のBL46XUのビームラインレイアウトを図1に示す。

 

表1 BL09XU及びBL46XUにおける各HAXPES装置の特徴。
実験ハッチ BL09XU
(HAXPES I)
BL46XU
(HAXPES II)
EH1 共鳴・高分解能 自動測定
EH2 3次元空間分解 大気圧測定

 

図1 BL46XU(HAXPES II)のビームラインレイアウト。

 

 

 今回実施したアップグレードの主な特徴を以下に示す。
(1) 2つの異なる特徴を持つHAXPES装置の導入
 上流の実験ハッチ1(EH1)には自動測定に特化したハイスループットHAXPES装置、下流のEH2にはガス雰囲気下での測定が可能な大気圧HAXPES装置を整備した。特に大気圧HAXPES装置は国内初の共同利用であり、ガス・湿潤雰囲気下の測定に対応し、固気・固液界面反応など幅広い利用が見込まれる。
(2) ダブルチャンネルカット結晶分光器の導入
 従来はSi(111)のチャンネルカットモノクロメーター(CCM、Channel-cut Crystal Monochromator)のSi 333、Si 444、Si 555反射を用いていたため励起エネルギーが6, 8, 10 keVに限定されていたHAXPES計測において、定位置出射化により励起エネルギーの選択性が大幅に拡大した。また、Si(220)とSi(311)の2種類の結晶を使い分けることで、分析目的に応じて最適な励起X線条件(分解能、フラックス)を選択でき、効率的な実験が可能になった。Si(311)は5.5~21.8 keV、Si(220)は5.5~18.5 keVのエネルギー範囲における使用が可能である。
(3) Wolter集光ミラーの導入
 EH1及びEH2のHAXPES装置の前にそれぞれWolter集光ミラーを新設し、高フラックスかつ安定性の高いX線の利用が可能となった。また再集光時の再現性が高い特徴を持ち、実験ハッチ切替時間の短縮化によるビームタイムの高効率利用にも繋がっている。
(4) 新しい制御系システムBL774の導入
 BL774は光学系機器・HAXPES装置を同じプラットフォーム上で制御できるシステムである[5][5] K. Nakajima et al.: J. Phys. Conf. Ser. 2380 (2022) 012101.。これにより、機器間連携が容易になり、将来の自動計測実現につながる。加えてBL09XUを含めたSPring-8の各ビームラインへの導入が進められており、BL09XUとの制御系ソフトウエアの共通化などさらなるユーザビリティの向上が期待できる。
 本アップグレードや新規装置の導入は、今後の一層の成果創出やユーザーの利便性向上に繋がるものと考えている。本報告では、コミッショニングで得られたビームラインスペックを紹介するとともに、光学系機器、及び、HAXPES装置の整備状況について報告する。

 

 

2. 光学ハッチに関する整備状況
 光学ハッチでは、二結晶分光器以外の機器がほぼ全て一新され、X線の性能や利便性が大幅に向上した。上流側より、X線の特性向上や将来の低エネルギー利用を目的とした差圧排気高速遮断アブソーバー&ゲートバルブ機構(これによりFE部と光学ハッチ間に設置されていたBe窓の撤去が可能に)、X線エネルギーの高分解能化のためのダブルチャンネルカットモノクロメーター(DCCM、Double Channel-cut Crystal Monochromator)機構、偏光依存性計測を可能にするダイヤモンド移相子(XPR、X-ray Phase Retarder)機構、厚みの異なるAl及びSiフィルターを選択して所望のフラックスに調整することで試料帯電やダメージの緩和を行うアッテネーター機構などを新設した。特に今回導入したDCCMは2つのCCMを組み合わせた機構となっており、先述した通りエネルギーを変更させても出射位置が変わらない特徴がある。従来(1つのCCM)に比べて、簡便にX線エネルギーが変更できるため、例えば試料構造に最適なX線エネルギー条件(光電子の脱出深さ・分析深さ)での測定が実現できるなど、X線エネルギーを自在に選択できる放射光の特徴を活かしたHAXPES測定が可能となった。また、Si(311)とSi(220)の2種類の結晶を整備しており、分解能やフラックスなど目的に応じた使い分けが可能である。
 図2にDCCM Si(311)とSi(220)におけるX線エネルギーと総エネルギー分解能(HAXPESアナライザーの分解能を含む)の関係を示す。尚、測定にはAu箔を使用し、12及び15 keVの測定データは、アナライザーで計測可能な10 keV(光電子の運動エネルギー)以下となるように、試料に正電圧を印加して測定を実施している。またこれを含む以下の全てのデータは室温で得たものである。得られた分解能は、BL09XUで得られたものとほぼ同等であった。その他、HAXPESのアナライザー条件を組み合わせることで、光電子強度や分解能の選択範囲をさらに広げることができる。図3にAu箔試料におけるX線エネルギー7.94 keVの光電子強度(Au 4fピーク)及び総エネルギー分解能のパスエネルギー依存性の評価結果を示す。このように適当なDCCMとアナライザー条件を組み合わせることで、試料構造や目的に応じて最適な測定条件(分解能、フラックス、光電子強度)を選択した計測を行うことができる。

 

図2 X線エネルギーと総エネルギー分解能の関係。HAXPES測定条件:パスエネルギー100 eV、Slit 0.3 mm。

 

図3 X線エネルギー7.94 keVにおける光電子強度及び総エネルギー分解能のパスエネルギー依存性評価結果。図中の実線は光電子強度、波線は総エネルギー分解能を示している。Slit 0.3 mmは分散方向のアナライザースリットサイズを示している。

 

 

3. 実験ハッチ1(EH1)ハイスループットHAXPES装置に関する整備状況
 EH1のHAXPES装置では、近年の共用HAXPES全体における高い競争率を緩和するとともに多種試料のコンビナトリアル測定等を実現すべくハイスループット化を目指した自動計測HAXPES装置の開発を行っている。本装置は以前にBL46XU EH2に設置されていた汎用HAXPES装置をEH1に移設したものをベースとしており、これまでに高精度試料位置調節機構(6軸マニピュレーター)と自動試料搬送機構の導入を行ってきた。図4に自動試料搬送機構の概要(イメージ図、写真)を示す。試料の搬送は測定チャンバー下部へ設置されたロードロックチャンバー内でストッカーを交換することによって行われる。現状では、ロードロックチャンバーは一度に4つのストッカーを格納して真空排気することが可能な構造となっている。ストッカーは図5(a)のようなものであり、BL09XUと共通のサンプルホルダーを4つ格納できる構造を有する。両ビームラインを利用するユーザーにおいて、同一サンプルの持ち回り測定など利便性向上に繋がることを期待している。この他、これまでにユーザーより要望のあった大型もしくは厚みのあるサンプル形状へ対応するため、ストッカー自体にサンプルマウント機能を持たせたタイプも整備している(図5(b))。今後、試料搬送などの制御系から計測系を統一的に扱うアプリケーション開発を行うなど、完全自動計測にむけた技術開発を行っていく予定である。

 

図4 BL46XU EH1に設置されたHAXPES装置用自動試料搬送機構。(a)イメージ図、(b)装置全体写真、(c)ロードロックチャンバー。図(a, b)中の数字は(1)測定チャンバー、(2)ロードロックチャンバー、(3)6軸マニピュレーターをそれぞれ示している。

 

図5 (a)サンプルホルダー用ストッカー、(b)サンプルマウント型ストッカー。

 

 

4. 実験ハッチ2(EH2)大気圧HAXPES装置に関する整備状況
 EH2にはガス雰囲気下の試料に対するXPS測定が可能な大気圧HAXPES装置が設置された(図6)。本装置はSPring-8のBL36XUで運用されていたもので、本ビームラインアップグレードに合わせてBL46XUのEH2に移設され、共用ビームラインの装置として一般供用が開始された。従来のXPS装置は真空下の試料しか測定できなかったが、本装置はアナライザー先端の小径アパーチャーとアナライザー前段の差動排気部により、試料の周囲のガス圧を上げてもアナライザー内の真空度が維持されるためガス雰囲気下の試料のHAXPES測定が可能である。

 

図6 BL46XU EH2に設置された大気圧HAXPES装置。

 

 

 アナライザーにはScienta Omicron社の差動排気型アナライザーR4000 Hipp-2を用いている。標準のアパーチャーはφ300 µmであり、カタログスペックとして5000 Paまでのガス圧の測定に対応している。一方で、φ30 µmのアパーチャーを独自開発し、標準のアパーチャーと交換して利用することで、測定圧力を大気圧まで引き上げることに成功した[6][6] Y. Takagi et al.: App. Phys. Exp. 10 (2017) 076603.。今回のビームラインのアップグレードに伴い、ビームの集光サイズがBL36XUに比べより小さくなり、試料位置で約横10 µm × 縦1 µmの集光ビームの利用が可能である。アパーチャー形状をビームに合わせることでより効率の良い測定が可能あることから、本アップグレードにおいて、従来の円形ではなく横80 µm × 縦20 µmの長方形にしたものを作製した(図6)。このアパーチャーを用いた場合でも、試料周りを大気圧にしてもアナライザー内部は10-5 Pa以下を維持しており、大気圧下の試料の測定も問題なく行えている。
 測定槽に0.1気圧(10 kPa)の大気を導入し、ガスそのものを測定した際のスペクトルを図7に示す。試料を入れずに測定槽内をガスで満たしており、入射X線がアナライザーのアパーチャー前の大気成分を励起し放出された光電子をアナライザーで分光している。入射光エネルギーは7.94 keV、集光サイズは10 µm × 1 µmである。

 

図7 大気10 kPaと水蒸気4000 PaのHAXPESスペクトル。

 

 

 サーベイスキャンでは大気中の窒素分子と酸素分子からのピークが得られている。特に酸素分子からのO 1sピークは酸素分子がスピンをもつことに由来して1.1 eVの分裂が起きている[7][7] J. D. Lee: J. Surf. Analysis 16 (2009) 127-152.。一方、測定槽に水を導入し、飽和水蒸気圧の4000 Paで満たして測定した結果も図7に併せて示す。このサーベイスキャンでは水分子の酸素からのピークが得られた。このO 1sピークは酸素分子からのピークよりも3.5 eVほど低エネルギー側にあり、また分裂もしていない。このようにガスにおいても酸素原子の化学状態を反映したスペクトルが得られている。
 本装置ではガス雰囲気下での測定が可能であり、今後は固体試料を導入してガスとの反応時のオペランド測定や水蒸気下に試料を導入して乾燥を嫌う試料の湿潤状態での測定などを行っていく予定である。

 

 

5. 最後に
 本アップグレードにより、BL46XUは光学系から計測装置に関して大幅な性能の向上を達成した。正確な比較は励起X線の分解能やアナライザー、測定条件によるためにできないが、光電子強度は本アップグレード前に比べ1000倍程度に改善している。こうしたシグナルの高強度化やDCCMによる励起X線エネルギーの選択性の向上を活かし、従来では検出が困難であった電子状態や化学結合状態の微弱な変化の観測、実用的な大気圧測定の実現、これまでにないHAXPESをベースとした新しい測定技術の開発などを進めていく。またさらなるユーザーの利便性向上を進めるべくBL09XUとの各機器、制御系の共通化にも取り組みたい。BL46XU及びBL09XUのそれぞれ2台で計4台のHAXPES装置を使い分けることで、SPring-8全体で幅広い測定対象や分析に対応できる体制を構築していく。

 

 

謝辞
 本ビームラインアップグレードには非常に多くの方々の御尽力をいただきました。光学系全般に関しては、理化学研究所の大坂様、JASRIビームライン技術推進室の大橋様、仙波様、山崎様、小山様、清水様、齊藤様の御協力をいただきました。また、現場工事作業では、理化学研究所の菅原様、エンジニアリングチームの皆様、JASRIのテクニカルスタッフの皆様の御協力をいただきました。BL774関連では、理化学研究所の本村様、中嶋様の御協力をいただきました。本ビームラインアップグレード全体につきまして、理化学研究所の矢橋様、玉作様、JASRIの為則様、佐藤様、河村様の御協力をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

 

 

 

参考文献
[1] K. Kobayashi: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res. A601 (2009) 32-47.
[2] C. Kalha et al.: J. Phys. Condes. Matter 33 (2021) 233001.
[3] 保井晃、髙木康多: SPring-8/SACLA利用者情報 26 (2021) 445-447.
[4] A. Yasui et al.: J. Synchrotron Rad. 30 (2023) 1013-1022.
[5] K. Nakajima et al.: J. Phys. Conf. Ser. 2380 (2022) 012101.
[6] Y. Takagi et al.: App. Phys. Exp. 10 (2017) 076603.
[7] J. D. Lee: J. Surf. Analysis 16 (2009) 127-152.

 

 

 

安野 聡 YASUNO Satoshi
(公財)高輝度光科学研究センター
放射光利用研究基盤センター 産業利用・産学連携推進室
〒679-5198 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
TEL : 0791-58-0924
e-mail : yasuno@spring8.or.jp

 

ソ オッキュン SEO Okkyun
(公財)高輝度光科学研究センター
放射光利用研究基盤センター 産業利用・産学連携推進室
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髙木 康多 TAKAGI Yasumasa
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保井 晃 YASUI Akira
(公財)高輝度光科学研究センター
放射光利用研究基盤センター 分光推進室
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