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Volume 28, No.3 Pages 243 - 250

1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH

2019年度指定パートナーユーザー活動報告
固液界面現象解明のための液体電子状態探索と大気圧溶液セル開発の高度化
Liquid Electronic State Search for Elucidation of Solid-Liquid Interface Phenomena and Advancement of Ambient Pressure Cell Development

池永 英司 IKENAGA Eiji[1]、原田 慈久 HARADA Yoshihisa[2]、木内 久雄 KIUCHI Hisao[2]、土井 教史 DOI Takashi[3]、保井 晃 YASUI Akira[4]、山添 康介 YAMAZOE Kosuke[4]

[1]名古屋大学 未来材料・システム研究所 Institute of Materials and Systems for Sustainability, Nagoya University、[2]東京大学 物性研究所 Institute for Solid State Physics, University of Tokyo、[3]日本製鉄株式会社 先端技術研究所 Advanced Technology Research Laboratories, Nippon Steel Corporation、[4](公財)高輝度光科学研究センター 放射光利用研究基盤センター 分光推進室 Spectroscopy Division, Center for Synchrotron Radiation Research, JASRI

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SPring-8

 

(1)

指定時PU課題番号/ビームライン 2019A0067/BL47XU
PU氏名(所属) 池永 英司(名古屋大学)
研究テーマ 固液界面現象解明のための液体電子状態探索と大気圧溶液セル開発の高度化
高度化 化学反応状態解析のための実環境下反応セル開発によるHAXPES測定技術の高度化
利用研究支援 当該装置を用いた利用実験の支援
利用期 19A 19B 20A 21A 合計
PU課題実施シフト数 32.875 44.75 54 42 173.625
支援課題数 1 2 2 2 7

 

 

(2)PU活動概要
1. はじめに

 大気圧湿潤環境下の試料に対する電子状態観測を可能とする硬X線光電子分光(HAXPES)測定の独自技術を基に、化学反応中の固液界面とその近傍の液相における電子状態変化の“その場”観測を行った。一般に光電子分光は試料へのX線等の照射による光電効果により、真空中に飛び出した光電子の運動エネルギーを計測する手法である。このため、試料および機器環境に高真空(10-6 Pa以上)が必要である。しかし、高真空中では湿潤試料は凍り、液体を保持した状態下におけるその場測定が困難であった。第三世代光源SPring-8で世界に先駆けて開発されたHAXPESを適応させ、この問題を解決する。液体のような湿潤試料の界面電子状態分析は、燃料電池等の高効率な次世代クリーンエネルギー開発や高価な元素の大量消費を回避させる低炭素型社会の構築が求められる現状で、重要な課題である。また液体を対象とした電子状態の研究分野は、その計測の困難さから敬遠され、著しく遅れているのが現状である。光電子分光計測分野においてフロンティアである液体電子状態探索に挑む本研究は、新規性が極めて高い研究開発である[1][1] E. Ikenaga et al.: Synchrotron Radiation News 31, 10 (2018).。光電子透過窓を用いた「大気圧溶液セル」に電気化学(電池やメッキ反応等)研究にも利用を拡大させることができる電圧印加や温度制御機構を加えた高度計測技術の開発を行い、先駆的な研究展開を図ると共にさらなる安全対策やビームタイム確保および効率化を図るため、本パートナーユーザー(PU)活動を行った。
 本報告では、我々がPUで実施した大気圧溶液セルを用いたHAXPES計測の開発状況と計測例を紹介し、本計測技術の現状と展望について述べる。

 

 

2. 高度化への協力
 図1に実施・達成した大気圧溶液セル機構の概略図を示す。このセル機構は、大気圧の部屋セルを高真空内に配置し、セル部に備えた絶縁体Si3N4メンブレン薄膜(光電子透過窓)を隔て高真空を保持している。また溶液を試料とする際は、X線をメンブレン薄膜に直接照射する。HAXPESの特長である8 keVの硬X線で励起された高い運動エネルギーをもつ光電子の非弾性平均自由行程(IMFP)は15 nm程度であることを利用し、メンブレン薄膜を透過した溶液自身の光電子測定を可能にすることが大気圧セルの最大の特長である。またセル内に溶液試料を常に循環フローさせ、X線照射によって生じるラジカル反応による試料劣化を防いでいる点も特長の一つである。しかし、光電子透過窓および試料溶液種の低導電性により、帯電が起きる。この帯電に起因する窓の破損が大きな問題となっていた。本PU課題を通して、技術面では下記の箇条事項の問題を解消し、大きな安全・安定性の向上が図れている。

 

図1 大気圧溶液セル機構開発の概略。

 

 

2-1. 光電子透過窓材の高導電化
 以下の2点の高伝導化対策から帯電問題を解消した。

・Si3N4メンブレン薄膜の品質向上により、従来使用してきた15 nm厚から10 nm厚下での耐圧の向上を図り、メンブレン薄膜厚10 nmでの大気圧室の確保に成功。

・10 nm厚メンブレン薄膜の真空側にCarbon coating(9 nm厚)を施し、当該メンブレン薄膜をセル本体にマウントする際に、Si3N4フレーム(大気圧/試料溶液側)にAu箔を接触させ、外部から直接アースを採る。

 以上の対策から、帯電による窓材破損を防ぐことができるようになった。この帯電問題解消は大きく、10 nm膜厚はHAXPES検出深度制限下での多様な蒸着等積層膜試料へ適用することができ、導電性の確保とともに広範な研究展開へ繋がる。またこの対策は本PU期間最後まで試行錯誤し、得た成果である。

 

2-2. 電圧印加可能な機構開発
 上項目2-1の窓材の高導電化により、電圧印加計測で重要な基準電位を担保し、加えて窓材ホルダー材の絶縁により、±5V程度の電圧印加型溶液セルを新たに開発した。この開発では、reference電極とカウンター電極を切り離した精度の高い電位制御が可能な3極仕様での電圧印加計測に至った。2020年度までは2極仕様で、電位計測精度が低く、真空度的にも不安定なマウントだったが、安定計測が可能になっている。これは電池反応やメッキ技術など電圧印加下における固液界面の反応研究ニーズに応える機構開発として成功したと考えている。

 

2-3. 温度制御可能な機構開発
 従来では、常温のみ適用可能であったが、利用者支援している「液晶/液晶配向膜の界面状態分析」研究では、最大50°C程度の動作条件であるため、この利用実験とともにセル機構を開発した。高温下窓材の膨張による液漏れをどのように防ぐのかがキーとなる開発であったが、10 nm厚Si窓材表面にコーティングする材種の選定等の試行錯誤から、50°C程度でも耐圧を確保できるように膜厚の適性を調査し、温度制御を可能とした。

 

2-4. 高真空状態復旧時間の緩和システムの開発
 従来の問題点として、液漏れ事故後、試料種によるが真空下では溶液が凍るため、測定可能な高真空状態に復旧するのに8時間(1シフト)程度のビームタイムロスが生じていたが、上項目2-1に挙げた成果により、帯電による液漏れ事故が無くなったことから、事故によるロスタイムを正確には測れていない。しかし、BL47XUからBL09XUへ本装置システムが移設された際に、ターボ分子ポンプを新たにする等、真空排気システムの強化がなされている。加えてビームラインX線光路上に細かく光強度減衰制御できるアッテネーターが導入され、上項目2-1のメンブレン薄膜帯電問題調査や解消に役立っている。
 総じて液漏れ事故や真空度に関して非常に安定した長時間計測が可能となった。とくに10 nm厚のメンブレン薄膜適用を調査し、帯電問題を大幅に解消した成果やHAXPES検出深度制限下での積層膜形成を可能にした本PU成果は、科学技術的波及にとって非常に大きく、3極電圧印加や温度制御機構の開発は、溶液を対象とした電気化学反応研究など、今後のHAXPESユーザー利用を広げるアドバンテージになると確信している。

 

 

3. 研究成果
 光電子分光計測分野においてフロンティアである溶液電子状態探索に挑む本研究は、新規性が極めて高い。また硬X線を用いることで、特にソフトマターに対するX線照射ダメージを顕著に軽減できるHAXPESの利点を活かした研究開発である。そこで上記の高度化とともに貴金属微粒子-溶質界面(ソフトマター)をもつ系(コロイド溶液等)における複雑な固液界面の電子状態解明をテーマにした基礎的な学術研究の他に、産業利用課題に適用した研究の成果をいくつかを解説する。

 

3-1. NaCl水溶液中に分散するAu、Ptナノ粒子分散構造の解明-SPP法によるナノ粒子径制御-
 ナノ粒子は、バルクとは異なる性質を発現する。また貴金属ナノ粒子は生体適応性の高い金属ナノ粒子であると言われており、医療分野への応用が進められている[2][2] K. Kutsuzawa et al.: J. Jpn. Soc. Colour Mater. 85, 283 (2012).。検査用マーカーなどのさらなる応用に対して、生体内での金属ナノ粒子の表面吸着種やpHなどイオン環境の変化に対する分散安定性の違いについて追究する必要がある。本研究で使用したAuおよびPtナノ粒子(NP)試料作製は液中プラズマ法(SPP)を用いた[3][3] T. Mizutani et al.: Appl. Surf. Sci. 354, 397 (2015).。このSPPの特長として、分散剤や前駆体を加えることなく貴金属ナノコロイドの作製が可能なことが挙げられるため、貴金属ナノ粒子本来の情報が得られる。図2はSPPを用いて作製したNaCl水溶液1 mM中のAuNPコロイド溶液のpH依存による呈色変化を示している。

 

図2 SPPで作製したAuNPコロイド溶液のpH依存。NaOH、HClでpH値を調整。

 

 

 以上を踏まえた本研究の目的は、生体を想定したNaCl水溶液中に分散するAuおよびPtナノコロイドにおけるpHに依存した粒子径や分散機構について溶液電子状態から解明することである。
 大気圧溶液セルを用いたHAXPES計測から、AuおよびPtNPコロイド溶液のpH依存性を見出した。図3にAuNPコロイド溶液におけるAu 5d band価電子(a)および拡大したフェルミ近傍のスペクトル(b)を示す。Auの電子状態における知見として、フェルミ端近傍に量子サイズ効果に起因する電子状態密度の減少[4, 5][4] P. Zhang et al.: Phys. Rev. Lett. 90, 245502 (2003).
[5] J. T. Newberg et al.: Surf. Sci. 605, 89 (2011).
を観測し、価電子帯ではAu 5dバンドとO2pの混成による構造が現れていることから、AuNP表面吸着種は酸素であることがわかった。またCl1s、Na1s内殻準位スペクトルから、水和するCl-やNa+または電気二重層を形成するNa+の描像を得た。さらに興味深いことに、低pH水溶液にのみ、AuNPと吸着するCl-と帰属できる特異なピーク成分を観測した。以上の結果から図3(c)に示したようなAuNP表面吸着種の描像を考察している。AuNP表面にはO-が吸着し、特に低pH水溶液ではO-とCl-が混在して吸着している描像を考察している。また、イオン吸着によるAuNP表面の負帯電および、その周囲を取り囲むH+またはNa+による電気二重層の形成がもたらすクーロン反発相互作用が起因となって分散状態を保つ構造を提案した。

 

図3 AuNPコロイド溶液におけるpHに依存した電子状態。(a)Au 5d band価電子スペクトル、(b)拡大したEf近傍のスペクトル、(c)溶液中の吸着状態と電気二重層形成の描像。

 

 

 また同様にPtNPコロイド溶液状態でのpH依存性を調査し、溶液環境下に特異な化学結合状態や電気二重層の形成によるスペクトル変化の観測に至った。この結果はAuとPtコロイド溶液では、電気二重層の形成の描像とは異なっていることを示唆している。またこれらの情報比較は、水和、酸化状態および電気二重層を形成する複雑な固液界面現象を理解するために重要な基礎情報となる。具体的にはDNA修飾したAuNPコロイド溶液を用いた一塩基変異体(SNP)分析における簡便、迅速な検出システムの開発[6][6] Y. Akiyama et al.: ChemistryOpen 5, 508 (2016).の指針を得る成果を得た。

 

3-2. 軟X線発光分光・硬X線光電子分光によるトレハロース溶液中の濃度分布および電子状態観測
 トレハロースは二糖類の一種であり、生体内における乾燥、凍結などの物理的ストレスから細胞膜やタンパク質を保護する働きがあることが知られている[7, 8][7] R. Nagata et al.: Kagaku to Seibutsu, 33, 259 (1995).
[8] M. Sakurai et al.: P. Natl. Acad. Sci. USA 105, 5093 (2008).
が、未だその作用機序は完全には明らかにされていない。
 そこで軟X線発光分光とHAXPESを併用して、溶液中の水とトレハロース間の相互作用に伴う水およびトレハロースの変化を詳細に捉えて作用機序を考察した。軟X線発光分光はトレハロースの水和およびトレハロースの凝集による水構造変化の情報を与えたが、二糖溶液中の水和水はバルク水と比べて大きな構造変化を示さなかった。つまり水の水素結合ダイナミクスの低下が作用機序に主に関係していると考察された。そこで大気圧溶液セルを用いたHAXPES実験を行った。帯電防止のために厚さ3 nmの金薄膜で表面をコーティングした、厚さ15 nmのSi3N4薄膜を真空隔離膜として使用した。この膜が、実質的にトレハロースと相互作用する物質のモデルとなる。各種濃度の4種類の二糖(トレハロース、マルトース、スクロース、ネオトレハロース)溶液に対して、C1s、O1s内殻の信号強度から各元素濃度の膜からの深さ分布を求め、窓材の影響も差し引くことによってトレハロース濃度の深さ分布を求めた結果、低濃度においては膜近傍にトレハロースが寄っており、高濃度になるにつれて膜近傍から排除されていく様子が捉えられた(図4参照)。この傾向は赤外吸収で捉えられた結果[9][9] J. F. Carpenter et al.: Biochemistry 28, 3916 (1989).とよく一致しているが、HAXPESは発光検出と比べると浅い検出深さのために、膜表面にトレハロースが偏析する様子が極めて高感度で捉えられているものと考えられる。トレハロースの高い生体物質保護作用を説明する仮説として、トレハロースがタンパク質表面から排除され、タンパク質表面に残った水によりタンパク質が安定化されるという説(水閉じ込め仮説)や、逆に、トレハロースが細胞膜やタンパク質に直接結合し、水分子の代わりとなるという説(水置換仮説)等があったが[10][10] N. K. Jain et al.: Protein Sci. 18, 24 (2009).、本研究の結果は、生物が乾燥状態になるにつれてトレハロース濃度が大きくなると、トレハロースが膜近傍から徐々に排除されることを意味しており、乾燥ストレスに対しては「水閉じ込め仮説」が現象をよく理解できることがわかった。

 

図4 (a)トレハロース濃度に依存したC1sスペクトル、(b)相対量に対するC1sピーク成分の積分値。

 

 

3-3. Fe2O3鉄鋼材料の多種溶液反応における酸化状態分析-固液界面状態分析-
 屋内、外問わず構造用高強度部材として用いられる鋼材には、その強度、景観性保持のため、耐食性が要求される[11][11] 海津信廣: 日本風力エネルギー学会誌 42, 154 (2018).。この要求の実現のためには、鋼と鋼表面を覆うことで腐食環境との絶縁を実現する防錆顔料、防錆塗料との相乗効果の最大化が必要と考えられる。鉄鋼材料の多種溶液反応における酸化状態分析と電圧印加における腐食機能発現のメカニズムを明らかにすることを目的に、研究を進めた。とくに本研究で必要な技術として、電気化学反応制御下での観測技術がある。すでに、他の施設や他のビームラインでも同様技術の適用が進んでいるが、準大気圧光電子分光分析装置との組み合わせが前提の装置構成[12][12] P. Kerger et al.: Review of Scientific Instruments 89, 113102 (2018).や、比較的真空に与えるダメージの少ない非水系溶媒での適用が主である[13][13] H. Kiuchi et al.: Electrochemistry Communications 118, 106790 (2020).。この背景から、上記した高度化案項目2電圧印加可能な電気化学セル機構開発を進め、Fe2O3膜の酸化還元サイクルの繰返し電気化学反応測定を実施した。
 メンブレン薄膜窓材の高導電化と窓材ホルダー材の絶縁により、±5 V程度の電圧印加型溶液セルを新たに開発し、reference電極とカウンター電極を切り離した精度の高い電位制御が可能な3極仕様での電圧印加計測に至った。電位制御には、一般的な対極設置型ポテンシオスタットを用い、放射光X線照射中は常時電位制御し、その電位はAg/AgCl電極基準で制御している。この電気化学セルの開発は本PU期間最後まで試行錯誤し、現在も改良を行っている。
 溶液は、ホウ酸緩衝溶液(pH8)にNaCl 10 mM/L加えたものを7 ml用意し、Ar脱気した後、溶液セルに導入した。この溶液は、測定中常時循環した。溶液導入後、即座に-1.0 V(Ag/AgCl)、Feの腐食はほぼ抑制される電位に保持し、光電子測定を行った。この時、溶液成分であるClも検出されたことから、溶液/Fe界面の光電子スペクトルの取得に成功したと判断できる。また本PU高度化により、薄い10 nm厚さのSi3N4メンブレン薄膜を用いて試行した結果、真空隔壁として十分な強度を有していると判断できた。電位制御の結果、約1.7 Vピークはシフトするとともに、酸化物状態のピークが増加したことを観測し、溶液/Fe界面の光電子スペクトルの取得に成功した。しかし本電位域でのFeの腐食速度は、長時間平均で1 nm/day程度と通常よりも早い速度を見積もっているが、製膜条件、腐食初期ということもあり、想定より腐食速度が速かったものと考えられる。今後も検証を継続し、有効な測定を連続的にできる条件を探索する。このように液中電気化学における電子状態計測が可能となる大きな一歩となった。

 

 

4. ユーザー支援
 本PU課題の計測技術は、新規性が極めて高い最新技術である。このため計測操作に関する全般を指導している。また主に突発的な液漏れが生じた際の復旧技術を考慮に入れて、利用者支援に対して、とくに以下の支援を行った。

 

4-1. 角度分解HAXPES解析技術に関する支援
 スペクトル測定後の解析技術の指導に関する支援を行っている。これまでは市販のスペクトル解析ソフト“Igor Pro”等に制限されてきたが、角度に依存した各スペクトルを容易に規格化できる“KolXPD”プログラムソフトを用いる。このKolXPDは現在市販されているが、以前から、角度分解HAXPES解析に特化してSPring-8 staffが開発した優れた解析プログラム(https://www.kolibrik.net/en/solutions-products/kolxpd)である。これを積極的にユーザーに紹介することで、解析データの生産性が飛躍的に向上している。

 

4-2. 突発的な液漏れが生じた際の復旧指導および真空事故軽減支援
 表面コーティングなど窓材の高導電化やアッテネーター導入により帯電破損事故を解消する対策を講じたため、試料漏洩による真空事故件数は極めて少なくなった。しかし、光電子透過窓であるメンブレン薄膜は10 nmと非常に薄いため、試料の導電性によっては突発的な液漏れが生じることを認識する必要がある。よって本復旧指導および事故軽減支援は、一般ユーザーが計測を実行する上で重要な要素の一つであると考えられる。

 

4-3. 新規産学連携支援
 上記のようなユーザー支援および利用実験を通して、1件の新規産学連携課題支援に繋がっている。ここでの詳細な内容報告は避けるが、液晶テレビや、スマートフォン等の携帯端末に搭載されている液晶表示素子を構成する部材である液晶/液晶配向膜の界面状態分析課題における支援を行った。この支援の結果、本手法が界面の元素分布をin situで可視化できる強力な手法であると当該企業からの認識を頂いている。PU課題を終了した現在でも、引き続き実験条件等の詳細打ち合わせや解析、とくに角度分解HAXPES解析技術に関する支援を行なっていく予定である。

 

 

5. 大気圧溶液セルを用いたHAXPES計測技術の現状と将来展望
 「大気圧溶液セル」ではとくに光電子窓から透過した微弱な信号を統計精度良く計測するため、いかに光電子強度・検出効率を上げるかが重要である。この問題を克服するために、立体角±34°程度の広角対物レンズ(BL09XU常設)を併用している。この広角対物レンズの光電子捕集効率は30倍を持つため、検出効率減少を大幅に補うことができる。また最大の利点は試料角度を変えることなく、一度に広角度の光電子放出角度依存性を観測し、深さ分析が可能なことである[14][14] E. Ikenaga, et al.: JESRP. 190, 180 (2013).。立体角および収差性能は非常に優れており、この対物レンズとKBミラーを用いた1 µm集光と組み合わせたHAXPESシステムは、世界的にも唯一BL09XUのみに備えられている。このため、本PUで開発を進めた大気圧環境セルにも最適な条件でメンブレン薄膜部のみに照射することができ、また深さ分解分析による固液界面や溶液のみの電子状態を探索することができるのは、現在SPring-8のみである。
 近年用いられている差動排気型アナライザーは、アナライザーのみ真空に保ち、試料周りの解析槽を雰囲気制御するため、湿潤環境による真空トラブルが少ないという大きな利点がある。しかし、以下の欠点も多くあると考えられる。

準大気圧観測に限定
これはアナライザーのみを真空に保つため、先端部のアパーチャーサイズに依存するためである。

試料−レンズ間の距離Working Distance: WDが極端に短い
このWDが100 µm弱程度と非常に短い。これは試料周りに空間自由度が乏しく、本稿で紹介した温度制御および電位依存性計測等を可能とする追開発や最適計測条件を見出すことが難しい。

角度分解計測が困難
捕集立体角や球面収差補正に乏しく、HAXPES計測の最大の特長である深さ分析を活かせない。

蒸発ガスと液体の電子状態が混在する
液体と蒸発状態が混在するため、それぞれのピークがスペクトル中に重なって出現する。このため、解析が困難になる。これが最も厄介な問題といえる。

高価

 大気圧環境セルはアナライザーと試料溶液はメンブレン薄膜で分離されており、上で紹介した差動排気型アナライザーと比較して、真に大気圧下の溶液および固液界面電子状態を取得できる。またWDを気にすることなく温度制御および電圧印加制御機器や広角対物レンズとの組み合わせが容易である点も特長である。
 本高度化における波及は、固気、固液界面をもつ環境分子・生体科学の“生もの”(電池材、光合成反応、医療、新薬開発)などへの適応と利用の拡大が見込まれ、異分野融合による広範な湿潤な試料界面における研究が促進されることが期待される。

 

 

 

参考文献
[1] E. Ikenaga et al.: Synchrotron Radiation News 31, 10 (2018).
[2] K. Kutsuzawa et al.: J. Jpn. Soc. Colour Mater. 85, 283 (2012).
[3] T. Mizutani et al.: Appl. Surf. Sci. 354, 397 (2015).
[4] P. Zhang et al.: Phys. Rev. Lett. 90, 245502 (2003).
[5] J. T. Newberg et al.: Surf. Sci. 605, 89 (2011).
[6] Y. Akiyama et al.: ChemistryOpen 5, 508 (2016).
[7] R. Nagata et al.: Kagaku to Seibutsu, 33, 259 (1995).
[8] M. Sakurai et al.: P. Natl. Acad. Sci. USA 105, 5093 (2008).
[9] J. F. Carpenter et al.: Biochemistry 28, 3916 (1989).
[10] N. K. Jain et al.: Protein Sci. 18, 24 (2009).
[11] 海津信廣: 日本風力エネルギー学会誌 42, 154 (2018).
[12] P. Kerger et al.: Review of Scientific Instruments 89, 113102 (2018).
[13] H. Kiuchi et al.: Electrochemistry Communications 118, 106790 (2020).
[14] E. Ikenaga, et al.: JESRP. 190, 180 (2013).

 

 

(3)成果リスト
・口頭発表(主な招待講演)

[1] 池永英司、“固-液界面現象の電子状態観測”、表面分析研究会、川崎市 (2023/3/2).

[2] 池永英司、“光触媒発現機構の解明のための共鳴HAXPES計測利用と固-液界面の電子状態探索”、SPRUC固体分光研究会、2021、オンライン開催 (2021/3/3).

[3] 池永英司、“硬X線光電子分光の新たな展開: 共鳴計測および溶液の電子状態観測”、「第80回応用物理学会秋季学術講演会」、19p-B31-2、北海道大学 (2019/9/18).

 

 

 

池永 英司 IKENAGA Eiji
名古屋大学 未来材料・システム研究所
〒464-8601 名古屋市千種区不老町
TEL : 052-789-5893
e-mail : ikenaga@imass.nagoya-u.ac.jp

 

原田 慈久 HARADA Yoshihisa
東京大学 物性研究所
〒277-8581 千葉県柏市柏の葉
e-mail : harada@issp.u-tokyo.ac.jp

 

木内 久雄 KIUCHI Hisao
東京大学 物性研究所
〒277-8581 千葉県柏市柏の葉
e-mail : kiuchi@issp.u-tokyo.ac.jp

 

土井 教史 DOI Takashi
日本製鉄株式会社 先端技術研究所
〒660-0891 兵庫県尼崎市扶桑町1-8
e-mail : doi.5e3.takashi@jp.nipponsteel.com

 

保井 晃 YASUI Akira
(公財)高輝度光科学研究センター
放射光利用基盤研究センター 分光推進室
〒679-5198 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
TEL : 0791-58-0833
e-mail : a-yasui@spring8.or.jp

 

山添 康介 YAMAZOE Kosuke
(実施時所属)(公財)高輝度光科学研究センター
放射光利用基盤研究センター 分光推進室
〒679-5198 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1

 

 

Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
Online ISSN 2187-4794