Volume 25, No.2 Pages 103 - 113
1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
2015年度指定パートナーユーザー活動報告1
粉末・多粒子X線回折によるその場構造計測基盤の構築
Development of Measurement and Analytical Techniques for Multi-Particles to the Future Fast Three Dimensional Structure Analysis
[1]広島大学 大学院理学研究科 Graduate School of Science, Hiroshima University、[2]大阪府立大学 大学院理学系研究科 Graduate School of Science, Osaka Prefecture University、[3]筑波大学 数理物質系/エネルギー物質科学研究センター Faculty of Pure and Applied Sciences, University of Tsukuba / Tsukuba Research Center for Energy Materials Science
(1)
指定時PU課題番号/ビームライン | 2015A0074/BL02B2 | ||||||||
PU氏名(所属) | 森吉 千佳子(広島大学) | ||||||||
研究テーマ | 粉末・多粒子X線回折によるその場構造計測基盤の構築 | ||||||||
高度化 | 迅速オペランド構造計測ステーションの整備 | ||||||||
利用研究支援 | 当該装置を用いた利用実験の支援 | ||||||||
利用期 | 15A | 15B | 16A | 16B | 17A | 17B | 18A | 18B | 合計 |
PU課題実施シフト数 | 50.75 | 50.875 | 53.75 | 50.625 | 41.75 | 47.625 | 44.5 | 47.125 | 387 |
支援課題数 | 11 | 8 | 7 | 7 | 8 | 11 | 9 | 10 | 71 |
(2)PU活動概要
1)目標
本パートナーユーザー(以下、PU)グループは、代表者森吉千佳子(広島大学教授)と、久保田佳基(大阪府立大学教授)、西堀英治(筑波大学教授)により構成される。粉末結晶構造解析のための共用ビームラインBL02B2の高度化に協力するために2015A期にスタートした。
X線構造解析は物質構造解明の中心的な役割を果たしてきた。さらに、昨今のX線自由電子レーザー(XFEL)や次世代放射光源を用いた測定では、ナノメートルオーダーサイズの領域のフェムト秒オーダーの時間分解能の構造情報を引き出すことが可能になりつつあり、その場観察(in-situ)や実使用下観察(operand)など外場下での微小・大強度ビームによる測定が注目されている。データをある1次元方向に計測するだけの粉末・多粒子X線回折実験では、X線源の高性能化の恩恵を最大限享受できる。高平行度のX線を用いれば高分解能化のためのスリット系が不要であり、試料周りに広い空間が確保できるためである。本PU課題がスタートする以前から、BL02B2では、大型デバイ・シェラーカメラと二次元イメージングプレート検出器を組み合わせ、試料周りの広い空間を活用して温度・電場・ガス雰囲気下など多様な外場変化用の機器が導入され、様々な分野の研究が実施されてきた。イメージングプレートはノイズが小さく広いダイナミックレンジのデータが観測されることから精密構造解析や電子密度レベルの結晶構造解析に適している。本PU課題では、近い将来に実現するであろうX線源の高性能化を見据えて、既存の検出器システムを活かし発展させながら、新たに迅速なデータ収集のためのオンライン計測可能な一次元半導体検出器システムを導入することにより、in-situやoperandなどの多彩な外場下で物質の三次元構造決定を可能とする多粒子回折データ収集システムを構築し、BL02B2のポテンシャルをさらに引き出すことを目的とした。
2)高度化への協力
PU期間の前半で主に要素技術を立ち上げ、後半にはそれらを組み合わせたその場観察の環境整備と利用研究を進めた。高度化のコンセプトは、①既存のイメージングプレートと新規導入の一次元半導体検出器を共存し、これまで実績のある電子密度レベルの精密構造研究のさらなる発展と迅速構造解析ステーションの構築を目指すこと、②可能な限りシステムを自動化することによりユーザーフレンドリーな実験ステーションを構築すること、③汎用性のあるシステムを提供し、ユーザー独自のオプションを持ち込んだ多様な実験を可能にすることである。以下、BL担当者と協力して行った主要な高度化についてまとめる。
2-a)多連装型半導体一次元検出器の整備
2015A期に半導体一次元検出器(DECTRIS社製MYTHEN 1K)を6台連装した多連装型検出器システムが導入され、BL担当者を中心にオンライン測定ソフトウェアの整備が行われた。より広範囲のユーザーを想定し、初心者でも誤作動を引き起こすことなく安心して測定を実施できるよう使いやすいシステムが構築された。
図1に測定システムの概念図を示す。検出器を第一と第二の配置に設定して測定することによる全2θ範囲をカバーする標準的な測定モード(Double-step mode)の整備が行われ、角度分解能の高いデータの取得が可能となった。これにより、イメージングプレートでは検出が困難であった回折ピークのスプリットが観測されるようになるなど、物質の対称性や構造をより正確に調べるための測定が可能となった。2015B期にユーザー利用が開始された。また、合成実験や化学反応実験などの時々刻々と構造変化する試料や、外場により破壊が起こる試料の場合は、1データの測定時間を短縮することが本質的に重要である。このような測定を可能にするため、6連装の半導体検出器を±2θ範囲に非対称に配置し、一度の測定で2θ < 35°の強度データの取得が可能な測定モード(Single-step mode)が採用された。さらに、1つの検出器モジュールをある2θに固定し、特定の回折ピークのプロファイルを精密に測定するシステムが構築された。さらに、秒単位で構造変化が起こる試料を測定したり、温度や圧力などが変化する際の構造変化を効率的に検出したりするため、特定のピークの強度を連続的にモニターする機能が付与された。
図1 BL02B2の多連装半導体検出器システムに標準装備された2種類の測定モード。
2-b)ガス雰囲気下実験システムの設計、作成と立ち上げ
BL02B2における高分解能粉末回折データのガス吸着その場測定は2002年より始まっているが、これまではガス導入ラインのリークチェックやこれらを回折計に設置する際に特別なアタッチメントが必要で光軸調整に時間がかかること、共用設備として整備されていないこと、リモート制御が難しいことが問題となっていた。本PU期間中に、新しいガス吸着用試料ホルダーとガス導入ラインが開発され、標準の回折計ステージに取り付け可能となり、数時間を要していた装置の立ち上げ時間が約10分へと大幅に短縮化された。そして、最終的に測定プログラムと連動した自動測定を可能にすることを目指し、2016A期にBL担当者とPUが協力して新しいガス導入その場測定システムの作製を開始した。実験におけるガス導入・排気手順を踏まえてバルブや圧力計などの配置を検討し、プログラムによりガス圧力を制御しながら粉末回折データを測定できる状態になった。そして、より使いやすいシステムが構築できるようBL担当者に提言を行いながら、このプロトタイプ機器の共用を開始した。その後、バルブを順次自動制御弁に置き換え、マスフローコントローラも組み合わせることによりデータ測定プログラムと連動した自動測定が可能となった。ガスラインの加温システムやインライン温湿度計、溶媒蒸気の前処理や試料の加熱処理システムの導入など、オフライン機器についてもアップグレードや整備は現在に至るまで継続して実施されている。本装置によりユーザーはキャピラリに装填された試料を持参するだけで、様々なガス種で圧力と温度を精密制御した測定が容易にかつ迅速に行えるようになった。また、施設側と協力して汎用性の高い外場雰囲気制御装置を整備することにより、一般ユーザーによる独自のガス圧力制御装置の持ち込みはなくなり、ガス雰囲気下実験のハイスループット性、安全性が向上した。PUは実試料を用いたテスト測定として、ガス吸着プロファイルが良く分かっている多孔性配位高分子CPL-1を用いて、酸素吸着その場測定および結晶構造解析を行い、新しいその場測定システムの動作・性能確認を行った(Kawaguchi et al. 2017)。また、ユーザー支援課題において利用指導を行った。これらの支援活動の中でユーザーフレンドリーなシステムを念頭に置きながら操作環境の整備にも貢献したことにより、新しいシステムを用いて、多孔性配位高分子のガス吸着状態や合金ナノ粒子の水素吸蔵・放出、触媒特性の研究を始め多くの成果が創出され、今後もさらなるガス・蒸気雰囲気下実験の拡大が見込まれる。
2-c)自動試料交換機とオンライン強度計測システムの整備
一次元半導体検出器のオンライン強度測定のポテンシャルを最大限に引き出すため、新しい自動試料交換機の導入(30または50試料が可能)、自動試料センタリング機構の開発、低温・高温N2ガス吹付型温度制御装置との連携ソフトウェアの整備が行われた。実験ハッチの開閉を極力行うことなく多数の試料に対して温度制御が可能な回折実験が標準で実施できるようになった。
2-d)高温電気炉の整備
酸化物材料などの特性を明らかにしたり、高温で起こる材料の化学反応機構を明らかにしたりするためには、1000°Cを超える高温環境が必要である。これを実現するため高温電気炉(Anton Paar HTK 1200N with capillary extension)が導入された。BL担当者により基本的なリモート制御システムと回折計に設置するためのアタッチメントの開発が行われた。PUは、本装置の立ち上げ作業を行い、ガラスの結晶化や構造相転移する実試料の測定を行うことにより、装置の動作確認と装置の温度校正を行った。キャピラリに試料を装填した測定の場合には1000°Cまで、セラミックス材料などプレート状試料の測定を行う場合には1200°Cまでの測定が可能となった。2015B期後半から整備が行われ、2016A期にはユーザー利用を開始した。
3)研究成果
新しく導入された測定システムを活用した研究や支援を推進しながら、PU独自の研究を行った。成果の一部を紹介する。
3-a)超臨界ナノ材料合成の放射光その場観察装置の開発
超臨界水熱合成は、水の臨界点である647.3 K、22.1 MPa以上の温度圧力条件でナノ粒子を合成する手法である。ナノ粒子のサイズ・形状は温度・圧力などのパラメータに支配される。超臨界反応場の微視的な特性は未解明のままである。放射光粉末回折法を用いたその場観察により合成を原子スケールで追跡することで、反応場の微視的な特性の解明が期待できる。本研究では、BL02B2における放射光その場観察用の装置を開発した。最適化した条件を用いて、CeO2ナノ粒子の合成に対してその場観察測定を行った。
装置はサンプルセルと高圧ポンプで構成される。セルはIversenら(Aarhus大学)の装置を参考に設計した。水溶液を入れたキャピラリが圧力容器である。キャピラリの材料は温度673 K、圧力35 MPaに耐える溶融石英である。キャピラリの左右に配管を接続し、BLの実験ハッチ外から加圧する。キャピラリを加熱することで水溶液中にナノ粒子が合成され、同時に放射光を照射してその場観察測定を行った。
CeO2ナノ粒子の水熱合成に対して、放射光その場観察測定を行った。プリカーサーとして0.1M Ce(NO3)36H2O水溶液を用いた。入射X線の波長は0.44 Åを選択した。1回の測定時間は20秒で、これを連続して90回、180回あるいは270回行った。リートベルト解析により、スケール因子、格子定数、ピークの半値幅関数を決定した。
図2に単位胞体積の粒子サイズ依存性を示す。単位胞体積は格子定数から計算した。気相条件と液相条件では、同一の粒子サイズに対して単位胞体積が約0.3 Å3異なった。超臨界条件の結果は液相と気相の間に位置した。超臨界条件と液相条件では、単位胞体積の異なる圧力依存性が得られた。47 nmの粒子サイズにおいて、液相条件では10 MPaの圧力変化に対して単位胞体積がほとんど変化しなかったのに対し、超臨界条件では7 MPaの圧力変化に対して、0.1 Å3の相対的に敏感な圧力応答を観測した。
図2 CeO2の単位胞体積の粒子サイズ依存性。
3-b)Hofmann型多孔性配位高分子のガス吸着構造解析
[M1(pz)M2(CN)4](pz = pyrazine、M1 = Fe, Co, Ni、M2 = Pt, Pd)と表されるHofmann型多孔性配位高分子は、図3のような結晶構造を持ち、吸着分子の種類によるスピン転移の挙動の変化や、吸着量に伴う転移温度の連続的変化など、ゲスト分子吸着による磁気物性の制御の観点から多くの研究がされている。一方で、多孔性配位高分子の物性に影響を与える因子として、骨格構造の金属イオンの置換がある。[M1(pz)Pt(CN)4]化合物は、酸素吸着等温測定において、単位格子当たりCoおよびNi化合物では最大3分子、Fe化合物では最大2分子の酸素分子を吸着した。このガス吸着量の違いを理解するために、本研究ではBL02B2において、Co(pz)[Pt(CN)4]およびFe(pz)[Pt(CN)4]に対して、高性能化された計測システムを用いてガス吸着下放射光粉末回折実験を行い、粉末X線結晶構造解析により結晶構造とガス吸着特性の関係を明らかにすることを目的とした。
図3 Hofmann型多孔性配位高分子の結晶構造。
酸素吸着の参照として調べた窒素吸着状態では、いずれの化合物においても窒素分子は細孔内で平行に配列し、その分子間距離は分子同士がちょうど接触するくらいの距離であった。また、ピラーのピラジン分子はゲスト分子を避ける方向に配向していた。酸素分子は窒素分子に比べてわずかに小さいが、Fe化合物は測定温度において低スピン状態にあり、単位格子が3~5%小さくなっていた。そのため、図4に示すように酸素分子は窒素分子と同様な平行配列となっていた。ただし、分子間距離は短い部分と長い部分が混在していると思われる。一方、Co化合物では、窒素分子に比べて酸素分子が入る空間は若干広いため、斜めにずれた平行配置をとり、窒素よりも1分子多く吸着されていると理解された。M2 = Pdの化合物についても同様な実験、解析を進めており、この系では、ゲスト分子と細孔の大きさのわずかな違いによって、吸着量と分子配列が決まっていることが分かりつつある。
図4 CoおよびFe化合物の酸素吸着構造。酸素分子とpzピラー分子の面を示している。
3-c)長尺2θアームを用いた高角度分解能測定による微小格子歪みの観測
FeV2O4やCoV2O4などのスピネル構造を持つバナジウム酸化物は温度降下に伴い多段の相転移を示す。これらは結晶構造の変化を伴った磁気秩序や軌道整列による相転移と考えられている。スピネル構造において八面体配位をとるV3+イオンはt2g軌道に軌道自由度を持ち、軌道整列状態において3d電子がどの軌道を占有するかによってV−O原子間距離が変化する。したがって、FeO4やVO6などの配位多面体の歪みを精度良く観測することにより間接的に軌道状態を推測することができる。本研究では、CoV2O4およびその置換体の低温下における粉末結晶構造解析を行い、CoV2O4における構造相転移の起源を明らかにすることを目的とした。
四面体配位サイトに遷移金属が入るスピネル酸化物は多数、構造・物性研究がなされているが、相転移に伴う格子歪みの大きさは、|1 - c/a|で0.5~1.7%程度の値をとる。ところが、CoV2O4のそれは0.06%程度の極めて小さな値をとることが想定される。そのため微小な格子歪みを検知するために高角度分解能の回折データ測定が重要となる。本研究では、BL02B2のデバイシェラー回折計の2θアームにディフラクトメータ半径1,146 mmの位置にMYTHENモジュールを設置して高角度分解能測定(Δd/d~0.02%)を行った。回折線幅は半値全幅で、0.008~0.009°であった。その結果、図5に示すようにCr置換体Co(CrxV1-x)2O4の、軌道整列に伴う極めて小さな正方晶歪みを観測することに成功した。このような高分解能粉末回折および結晶構造解析と磁化測定のデータを基にCrやMn置換体の構造・磁気相図を作成した。そして、CoV2O4の低温における2つの構造相転移がこの物質に固有のものであり、それぞれの相転移において、collinearからnon-collinearなフェリ磁性への磁気相転移、V3+イオンの軌道整列が支配的であることが明らかになった。
図5 Co(CrxV1-x)2O4の回折プロファイルの温度依存性。
3-d)鉛フリー強誘電セラミックスの電場誘起歪み発現機構の解明
強誘電セラミックスに電場を印加するとセラミックス全体が伸び縮みする。このような性質は、超音波発振器など多くのデバイスに応用されている。多くの強誘電セラミックスの電場誘起歪みは、格子そのものの歪みではなく自発電気分極の反転や回転が巨視的歪みにより寄与するとされている。この研究では、新しく開発した鉛フリーの圧電材料BaTiO3-Bi(Mg1/2Ti1/2)O3-BiFeO3セラミックスの巨視的な電場誘起歪みの発現機構を明らかにすることを目的とし、外部電圧を印加しながら格子歪みを明らかにするため、図6に示すような配置で、セラミックスに直流電場を印加しながら、一次元半導体検出器を用いて回折ピークシフトを観察した。その結果、巨視的な歪み-電場バタフライカーブと微視的な格子歪み-電場バタフライカーブは良く似ており、このセラミックスでは格子そのものが柔軟に伸び縮みすることにより巨視的歪みが発生することが明らかとなった。
図6 (a) 圧電セラミックス試料の電場誘起格子歪み測定の概念図。(b) 回折パターンの電場変化の例。(c) 電場誘起格子歪みのバタフライカーブ。
このような電場下格子歪みの測定については、本PU期間の以前から測定を検討していた。しかし、イメージングプレート検出器は広い角度範囲の強度データを取得できる利点を持つ一方、角度分解能がやや劣ること、長時間の測定中に絶縁破壊が起こる場合があることから、わずかな格子歪みを迅速に検出することには困難があった。半導体検出器を用いてより高い角度分解能で測定を行うことにより、10-5~10-6オーダーの格子歪み-電場曲線を明らかにする測定を1シフト程度のビームタイムで実施できるようになった。今後、強誘電・圧電セラミックスの開発だけでなく、様々な材料やデバイス動作時の歪み測定への活用が期待される。
3-e)溶液中イオン交換反応のその場観察(SPring-8 publication ID = 39146)
水溶液中で触媒反応やイオン交換反応を示す化合物が数多く知られている。しかし、反応がどのように進行するか、中間生成物はあるのかなど、反応の最中に何が起こっているのかについてはほとんど明らかにされていない。ここでは、水溶液中で層間に陰イオンを含む層状複水酸化物が別の陰イオンを含む溶液環境におかれたときどのようにイオン交換が進行するかを調べるため、図7に示すような回折パターンの時間変化をミリ秒オーダーで測定する方法を検討した。試料を水などの溶媒に拡散して撹拌しながら、オートビュレットにより溶液を滴下し、その直後からの回折パターンを測定する。これにより、濃度の異なる溶液が滴下されたときの層状複水酸化物のイオン交換反応が進行する様子を観察した。
図7 (a) 溶液中イオン交換反応測定の概念図。(b)、(c)、(d)はそれぞれ異なる濃度の溶液が滴下されたとき測定された層状化合物の回折パターンの時間変化。
3-f)未知構造決定と精密電子密度計測
3-f-1)溶媒蒸気の識別が可能な新しい分子集合体材料を作成−取り込む分子に応じて蛍光が大きく変化する多孔性デンドリマー結晶−
蛍光プローブは、神経ガスや重金属イオン、蛋白質、遺伝物質など、様々な分子の識別に用いられる。蛍光センシングは、蛍光消光、発現、強度変化、励起エネルギー移動型などのタイプに分けられる。蛍光発現型で、固体状態で使用可能な蛍光センサーは実用的に重要である。発光色変化を伴う蛍光センシングは、複数の検体を識別可能であることから、その特性を持つ材料開発が進められている。特に、表面積が大きくてナノメートルサイズのチャンネルを有する多孔性材料が、ガスや蒸気のセンシングで期待されている。
筑波大学物質工学域の山本洋平教授の研究グループは、π共役デンドリマーとよばれる巨大分子から、多孔質の結晶性ファイバーを作成した。デンドリマーのコア部位には電子受容性のトリアジンが、シェル部位には電子供与性のカルバゾールデンドロンが用いられている。この分子は、熱活性化遅延蛍光を示し、塗布型有機EL素子のホール輸送層/発光層の応用が検討されている。溶液中における自己組織化挙動を検討した結果、蒸気拡散法によりファイバー状の構造体を形成することが分かった。
ファイバーの単結晶および粉末X線回折をSPring-8の複数のビームラインBL02B1、BL02B2、BL26B2を使用して行った。その結果、ファイバーは長軸方向に1次元のナノサイズのチャンネルを有することが明らかになった(図8)。
窒素ガス吸着測定より、このファイバーは650 m2/g以上のBET表面積を示した。この多孔性ファイバーを様々な溶媒蒸気に晒して蛍光観察を行ったところ、ほとんどの溶媒蒸気で蛍光発現が観測され、溶媒の種類により色が変化することが分かった。
図8 1次元ナノチャンネルを持つ結晶構造。
3-f-2)アルミニウムの精密電子密度解析
アルミニウムは、非鉄金属の中で最大の産出量を持ち、窓のサッシから飛行機の部品まで幅広い産業応用を持つ重要な金属である。これまでの金属や合金の機械的性質の研究は、結晶の格子欠陥や組織構造と結び付けられてきた。しかし、欠陥や組織構造を持たない理想的な金属の性質は、量子力学的に決定されるべきである。
2000年以降、計算科学や測定技術の進歩により、単純金属の電子分布と機械的性質との関係を量子力学的に理解しようと研究が進められている。特に、2011年にアルミニウムの収束電子線回折で観測された電子分布において四面体サイトにおける電子のわずかな集積が、ほぼ自由な電子(Nearly free electron: NFE)近似で求めた電子分布からのずれとして観測された。この電子分布は第一原理計算でも予測され、現在、機械的性質との関係が提案されている。
2011年の研究では、収束電子線回折による電子分布の観測には、構造因子のうち最低次の2本のみが利用された。結晶全体の電子分布を表すには、最低次の2本のみでは不十分であるが残りは全てNFE近似と同じという仮定の基で電子分布が決定された。そこで本研究は、放射光を用いれば200本を超える構造因子の精密測定が可能なことに着目し、これを用いた電子分布の観測を行った。
BL02B2の大型デバイ・シェラーカメラで、30 K、波長0.328 Åの条件で粉末X線回折のデータを測定した。また、リートベルト法と多極子展開法の組み合わせにより、アルミニウムの電子分布を観測した。第一原理計算によりアルミニウムの電子分布を求め、観測値と比較した。
図9に、実験と理論計算でのアルミニウムの金属結合の電子分布を示す。どちらの結果でも、図中にアルミニウムの四面体サイトに、電子の集積によるピークが存在する。このピークは収束電子線回折や過去の理論計算で発見された電子の集積と一致した。ピークの高さを比較すると、実験の方が理論よりもわずかに高い値を示すことが分かった。
図9 実験と理論計算でのアルミニウムの金属結合の電子分布。
この高さの差の起源を調べるため、実験の金属結合の分布から計算の金属結合の分布を引き差分を調べた。その結果、アルミニウムの原子周りに、電子の集積による対称的な配置の原子軌道と類似した形状のピークが存在した。構造因子の値を詳細に調べたところ、実験構造因子も原子軌道的なモデルの値に近いことが分かった。アルミニウムは、自由電子的なモデルで理解されてきたが、そのヤング率やせん断応力などの機械的特性は力を加える方向によって異なることが知られている。方向性を持った電子分布は、こうした機械的特性に説明を与えることを可能する。
以上のように、新しく導入された多連装型半導体一次元検出器を活かした研究および既存のイメージングプレートを用いた研究のさらなる発展研究が行われた。さらに、本PU期間中にメンバーの久保田が2016年に、西堀が2017年にそれぞれ日本結晶学会学術賞を受賞した。
4)ユーザー支援
国内外の学会や講演会での講演、SPring-8シンポジウムやSPRUC構造物性研究会などで成果発表、学協会での講習会、国内外の大学や研究機関および材料合成に関わる企業の研究者や開発担当者と打ち合わせなどの活動を行い、BL02B2の高度化内容および性能の周知を試みた。このような活動の結果、海外、企業、大学院生提案型課題などのユーザーを開拓した。また、BL02B2の既存ユーザーについても、多連装型検出器システムを活用することにより高分解能の放射光回折実験が従来よりもゆとりを持って実験できることが認識された。新規ユーザー、既存ユーザー共に、新しく導入した温度変化システム、ガス雰囲気下実験システム、高温電気炉の使用希望が拡大した。なお、ユーザーがこれらを利用して実験を行う際に要望を収集し、BL担当者にフィードバックすることにより、よりユーザーフレンドリーなシステムが構築されただけでなく、ガス反応や溶液反応、化学反応中のX線回折によるその場観測などについて、新たな研究テーマが開発された。
支援課題の件数は、2015A~2016B期は33課題、2017A~2018Bは38課題であった。多孔性配位高分子のガス吸着実験、酸化物の基礎物性、新しい高温超伝導体の伝導メカニズムと結晶構造との相関、形状記憶合金の構造物性、触媒などの機能を示すナノシートの創出に向けた結晶化学、イオン交換物質、グリーンエネルギー変換材料の結晶化学、準結晶の構造科学、高効率の誘電・圧電セラミックス材料開発のための構造物性研究、溶液反応実験のその場観測、電場印加構造計測、超精密電子密度解析のための精密強度計測など、PUによるユーザー開拓と支援により多種多様な分野の測定が行われ、多くの成果が創出された。
5)共用粉末回折BLとして期待されるBL02B2の今後の発展
本PU期間前半に行われたBL02B2の高度化により、ユーザーのニーズが本質的に変化した。シンプルな温度変化測定だけではなく、様々な外場や環境下でのその場粉末回折計測に関する利用研究が増加し、約半数を占めるまでになった。数年前まではその場計測に関係する実験課題は1~2割程度であったことから、この新しいシステムがもたらした変革は大きく、本PUの目指した目的の大部分は達成されたと考える。高度な実験を当たり前に行えるような、かつユーザーフレンドリーな実験ステーション環境を整えることが共用粉末回折BLとして求められる姿であると強く認識した。今後もin-situやoperandをキーワードとしたその場計測研究はさらに拡大すると予想される。このようなニーズを引き出し、かつシーズを創出するためには、SPring-8の強みである高エネルギーのX線を用いた広い逆空間領域でのデータを短時間で測定することが重要で、これが他の放射光施設との差別化につながると考える。学協会のアンケートの実施結果を参考にすると、サイズの大きな試料やバルク試料、重元素を主成分とする材料や溶液などに関する、多様な環境下でのその場計測や時間分解での構造計測に関する多くの要望が既に寄せられている。今後、国際動向も十分視野に入れながらBL02B2の高度化と利用研究に取り組むことを目的とし、2019A期よりAarhus大学のメンバーを加えて新たなPU課題「外場変化物質科学研究を実現する高エネルギーX線多目的一次元回折」をスタートした。さらなる発展を目指したい。
(3)成果リスト(査読付き論文)
SPring-8利用研究成果登録データベースに登録済みで、PU課題番号が関連づけられた査読付き論文のみを掲載します(その他、PUとして支援した一般課題の発表論文やポスター発表、受賞歴など多数の成果がありますが、掲載スペースの都合上割愛しています)。
[1] SPring-8 publication ID = 31176
I. Fujii et al. "Electric Field Induced Lattice Strain in Pseudocubic Bi(Mg1/2Ti1/2)O3-modified BaTiO3-BiFeO3 Piezoelectric Ceramics" Applied Physics Letters 108 (2016) 172903.
[2] SPring-8 publication ID = 31418
H. Kasai et al. "Multiple Powder Diffraction Data for an Accurate Charge Density Study using Synchrotron Radiation X-ray" Physica Scripta 91 (2016) 043009.
[3] SPring-8 publication ID = 31419
H. Tanaka et al. "Metal-Semiconductor Transition Concomitant with a Structural Transformation in Tetrahedrite Cu12Sb4S13" Journal of the Physical Society of Japan 85 (2016) 014703.
[4] SPring-8 publication ID = 31420
B. Zhou et al. "A Single-component Molecular Conductor with Metal-Metal Bonding, [Pd(hfdt)2] (hfdt: bis(trifluoromethyl)tetrathiafulvalenedithiolate)" Chemistry Letters 45 (2016) 303-305.
[5] SPring-8 publication ID = 32113
S. Takeda et al. "Off-Centering of Rare-Earth Ion in (Ba,R)(Ti,Mg)O3 (R = Gd, Dy)" Japanese Journal of Applied Physics 55 (2016) 10TC08.
[6] SPring-8 publication ID = 32498
B. Liu et al. "Unconventional Luminescent Centers in Metastable Phases Created by Topochemical Reduction Reactions" Angewandte Chemie International Edition 55 (2016) 4967-4971.
[7] SPring-8 publication ID = 32829
H. Kasai et al. "Spatial Distribution of Electrons Near the Fermi Level in the Metallic LaB6 through Accurate X-ray Charge Density Study" Scientific Reports 7 (2017) 41375.
[8] SPring-8 publication ID = 33345
K. Moriai et al. "Synthesis of TiO2 Nanotubes: Effect of Post-treatment on Crystallinity and Photocatalytic Activity" Materials Research Express 4 (2017) 045017.
[9] SPring-8 publication ID = 34719
S. Takeda et al. "Structure Fluctuation in Gd- and Mg-Substituted BaTiO3 with Cubic Structure" Japanese Journal of Applied Physics 56 (2017) 10PB10.
[10] SPring-8 publication ID = 35131
Y. Maeda et al. "Improper Ferroelectricity in Studied Aluminate Sodalite for Pyroelectric Energy Harvesting" Physical Review Applied 7 (2017) 034012.
[11] SPring-8 publication ID = 35487
H. Nishino et al. "Formation and Characterization of Hydrogen Boride Sheets Derived from MgB2 by Cation Exchange" Journal of the American Chemical Society 139 (2017) 13761-13769.
[12] SPring-8 publication ID = 35488
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