Volume 25, No.1 Pages 77 - 80
5. 談話室・ユーザー便り/USER LOUNGE・LETTERS FROM USERS
ESRF-EBS Workshop on X-ray Emission Spectroscopy会議報告
Report on the ESRF-EBS Workshop on X-ray Emission Spectroscopy
(公財)高輝度光科学研究センター 放射光利用研究基盤センター 分光・イメージング推進室 Spectroscopy and Imaging Division, Center for Synchrotron Radiation Research, JASRI
1. はじめに
2019年12月3日~5日の期間、ヨーロッパ放射光施設(ESRF)において、次期光源(Extremely Brilliant Source: EBS)であるESRF-EBSの特性を理解し、それを活かしたサイエンスをX線発光分光(X-ray Emission Spectroscopy: XES)という手法によって展開することを目的としたワークショップが開催された。ESRF-EBSは、2015年から2022年にかけて150 M€の予算で順次更新されていく予定で、2019年12月から2020年3月に蓄積リングのコミッショニングが始まり、2020年8月25日からユーザー利用が再開される。この新しく生まれ変わるESRF-EBSを最大限に活かし、サイエンス強化を目的としたESRF-EBS Workshopが2019年から2020年にかけて、全部で16ワークショップが計画されており、これまでの参加者は各回60~100人とのことである。本XESワークショップでは18ヵ国から約100人の参加があり、企画されたワークショップの中では大盛況であったと言える。なお、日本からの参加者は私1人であった。
本稿では、ワークショップで議論された内容について簡単に紹介する。内容の一部については、筆者の知識不足によって間違っている部分もあるかも知れないが、その点についてはご容赦いただきたい。
2. フランス・グルノーブル
筆者がESRFを訪れるのは、学生の時にESRF ID12で実験を行って以来、実に22年ぶりのことになる。フランスへの渡航は今回で4回目であるが、うち3回グルノーブルに訪れている。グルノーブルは、フランスの南東に位置する街で、パリからは高速鉄道TGVを利用して約3時間で到着できる。それほど大きい街ではなく、人口は15.8万人(2017年統計)、面積は18.1 km2(兵庫県芦屋市より小さい程度)である。街の大きさの割に人口が多いため、人口密度は比較的高い(兵庫県尼崎市よりも低い程度)。ちなみに、1968年に冬季オリンピックが開催されている。
グルノーブルで有名なのは、バスティーユ要塞とそこへ行くためのロープウェイであろう。図1の写真のような丸い形で4連に連なっているロープウェイが、町を流れるイゼール川を跨ぐようにバスティーユ砦へと続いている。ちなみに、この山頂にあるバスティーユ要塞へは歩いて登ることもできる。何回もグルノーブルに行かれる方は、一度試してみては如何だろうか。
図1 山頂のバスティーユ要塞へ繋がるロープウェイ。丸い形状が特徴で、その形状から「シャボン玉」という愛称で呼ばれている。
グルノーブルはクルミ(フランス語でNOIX)の名産地としても有名である。殻付1 kgあたり6.5 €で売られていたが、これが一般的な相場として安いのかは、普段、クルミをそのような買い方をしないのでわからない。これが5 kgのネットに入るとまるで枕のようで壮観であった(図2)。クルミに関する珍しいものがないかとスーパーマーケット(Caginoが有名)を見渡すと、クルミオイル、クルミペースト、クルミ入りチョコなど、クルミ関連のものがいろいろ見つかって面白い。
図2 八百屋のような店に積み重ねられていた殻付きクルミのネット。1袋の重量は5 kgである。
22年前にはなかったものが、グルノーブルの街の中を縦横無尽に走るトラムである。このトラムは実に便利で、グルノーブル駅からESRFまではBラインで行くことができる。トラムの料金は距離に関係なく1回の乗車で1.6 €であるが、10回分をまとめて購入すると、1回の乗車あたりの単価が下がる(1.45 €)ので、必要に応じてまとめて購入しておくとお得である。筆者は、今回、関西国際空港からシャルル・ド・ゴール空港経由でリヨン空港へと降り立ち、リヨン空港からグルノーブル駅までバスで移動した。バス乗り場は、空港到着ロビーの外に出てすぐの場所にあるので、迷うことはない。このバスは意外と人気なので、事前にインターネットで予約しておくことをお勧めする。
3. ESRF-EBS Workshopの概略
本ワークショップは、3日間に亘って開催され、初日の夜のポスターセッションを含めて全部で9つのセッションに分けられて行われた。プログラムの詳細はワークショップのホームーページ[1][1] https://www.esrf.eu/xes-workshopを参照していただくこととして、主に装置関連のセッションが2つ、物質関連が2つ、アクチノイド化合物が1つ、環境関連が1つ、理論計算が2つという構成であった。最初にESRFのResearch DirectorであるH. Reichert氏からESRF-EBSの概略およびワークショップ開催の主旨についての説明があり、ESRF-EBSでは4ビームラインを新規に建設すること、検出器や計測装置、サイエンスとしてのデータ解析を重点項目として掲げるとの内容であった。また、ESRF-EBSでは7-Bend Achromatを採用することでエミッタンスが4 nm∙radから100 pm∙radとなり、蓄積リングの電子エネルギーが6 GeV、蓄積電流200 mAの運転によって輝度が12 keVで約100倍、70 keVで約230倍になるとのことであった。ESRF-EBSの極低エミッタンス化によって、2~70 keVでnmからmmオーダーのビームサイズを使うことができる、と主張していた(詳細は[2]を参照)。
ワークショップの主催者であるP. Glatzel氏の冒頭の挨拶(図3)に引き続き、初日の装置関連のセッションでは、ESRF以外の欧米諸国のXESスペクトロメーターの装置とその特性の紹介が8件行われた。その中には、独国ベルリンのBLiXに設置されているラボベースのXESスペクトロメーターや、米国のLCLS、独国のEu-XFELなどのX線自由電子レーザーに設置されているスペクトロメーターの紹介もあった。XESスペクトル計測方法としては、ローランド円に沿ってアナライザー結晶と検出器を動かすステップスキャン方式(Rowland型)と、円筒面上にアナライザー結晶を、円筒の軸上に検出器を設置するエネルギー分散方式(von Hamos型)が存在するが、XFELではXESスペクトルの時間分解計測を目指しているため、後者の方式を採用している。スペクトロメーターの紹介以外では、アナライザー結晶作製に関する報告もあった。ESRFでは、研究所内にアナライザー結晶を開発するラボラトリー(Crystal Analyzer Laboratory: CAL)が存在し、そこで様々な湾曲方式(球面湾曲、円筒面湾曲、ダイス型、ストリップ型など)や異なる曲率の結晶の開発を行っている。また、装置関連のセッションということもあり、アナライザー結晶の作製・販売を行っている仏国SAINT GOBAN社と米国XRStech社から製品の紹介が行われた。オーラルセッション終了後には、32件のポスターセッションが行われ、フランス産のワインとチーズとともに熱い議論が交わされた。
図3 ワークショップの冒頭で開催の挨拶を行うP. Glatzel氏。ESRF ID26の主担当であり、グループリーダーでもある。
余談になるが、3日間を通して、ESRFの食堂での昼食付は有難かった。個人的には肉をその場で焼いてくれるシチュエーションが気に入っている。バイキング形式であるが、どれだけ取っても無料なのかが気になった。日に日に少しずつ量を増やしてみたが、特に追加の請求はなく、その結論は得られなかった。
2日目の午前中は物質科学と錯体化学のセッションが行われた。Fe、Cu、Mo錯体に対するXESを用いた高エネルギー分解能X線吸収(HERFD-XAS)、および価電子帯からの発光(VtC-XES)が主体であった。X線分光を利用する研究者の大半は、化学系の研究に従事していることもあってか、配位子との結合状態に関する知見が得られるHERFD-XASやKβ2,5線、Kβ″線、またはKβ4線といったVtC-XESを用いた研究が主体であった。特にVtC-XESは、その強度が微弱であるため、各国で開発が進められているアナライザー結晶のマルチ化の威力を発揮することができ、本手法の今後の利用者の増加が期待される。セッションの後半では、次世代リチウム(Li)イオン電池として期待されるリチウム−硫黄(Li-S)電池に対するS K-吸収端でのXESおよびHERFD-XASの話題もあった。ちなみに、午前中のコーヒーブレイクの際に、図4のような集合写真の撮影が行われた。
図4 XESワークショップでの集合写真。2日目の午前中に撮影された。
午後からは、ウランを中心としたアクチノイド化合物のセッション、および環境科学のセッションが行われた。MOX燃料を含むアクチノイド酸化物の研究が多かったが、アクチノイドに対する研究自体もそれほど多くないためか、スペクトルと化学状態との関連性の研究が主体であったように思われる。環境科学の分野は、全般的に地球科学分野に近い研究という意味合いが強く、高温・高圧環境下でのXESを中心に、鉱物系の発表が主体であった。動物に含まれる水銀(Hg)量に着目した分類学的な研究は、蛍光X線の感度を重視した装置開発要素も含まれていた[3][3] M. Rovezzi et al.: Rev. Sci. Instrum. 88 (2017) 013108.上に、内容も非常に興味深く面白かったが、講演者が時間を無視して延々と喋り続け、最後は座長が止めに入る始末であった。
2日目終了後にはBanquetが開催され、ESRFからトラムに乗ってグルノーブルの街へと移動した。Restaurant L′ Epicurienという店で、店自体あまり大きくなかったため、ほぼ貸し切り状態で行われた。前菜、メイン、デザートを各3種類から選べるスタイルで、選べる喜びの反面、個人的には選ぶのに時間がかかってしまう問題がいつも生じる。筆者は知らなかったのだが、フランスの伝統料理の一つであるステックアッシュという牛の赤身肉100%をミンチにして形を整え焼き上げ、それをハンバーガーにしたものをいただいた。これは、見た目はハンバーガーであるが、マクドナルドなどで食べるハンバーガーとは全く異なるもので、表面を焼いただけで中は(生の)赤いままであり、味は素朴であった。Banquetでは、本ワークショップ開催にあたって、事務的な作業で多大なる貢献をしていただいた2人の女性へ感謝の意を述べるとともに、XES実験にとって重要なアナライザー結晶をメダルにしたものを贈呈するという、粋な計らいがあった。ただ、そのメダルを収めていたケースに“BAD”と記載しているオチ(要するに、アナライザー結晶としての質が悪い、を意味する)もあったが…。
最終日は午前中だけであったが、データ解析と理論のセッションが行われた。このセッションを2つ行うことからも、ESRFとしては理論計算の重要性を認識しているのがわかる。最近の分光理論計算では、固体の電子状態のバンド構造を取り込むことが基本的なスタンスとなっており、そのような計算では実験で得られたスペクトル形状をかなり精度良く再現することに成功している[4][4] O. Bunău and Y. Joly: J. Phys.: Condens. Matter 21 (2009) 345501.。一方、内殻軌道間発光(CtC-XES)の実験データと多重項計算を組み合わせて、30以上ものFeを含む試料による実験データから定性的な説明を可能とする検量線の導出を試みているものもあった[5][5] S. Lafuerza et al.: Phys. Rev. B 96 (2017) 045133.が、すべての結果に対する傾向を説明しきれておらず、さらなる理論計算の発展とその必要性を強調していた。本ワークショップの最後の発表は、少しだけ内容が異質であった。NSLS-IIのISSビームラインにおいて、モノクロメーターを高速に動かしながら、X線パルスに同期させてX線吸収量を計測し、XAFSスペクトルを構築していた[6][6] H. Singh et al.: Rev. Sci. Instrum. 89 (2018) 045111.。将来的には時間分解計測を目指しているようであるが、光学系や試料位置などの安定性が悪い場合には、不均一な試料には不向きと思われる。この手法のXESへの展開を目指すかは不明だが、面白い取り組みと言える。
4. ワークショップを終えて
本ワークショップでは、XESを利用したサイエンスの議論だけでなく、装置開発や理論計算に関する議論も3日間に亘って活発に行われ、筆者は参加者のXESを用いた研究への意欲の高さに刺激を受けた。一方で、次期光源であるESRF-EBSのワークショップであるが、EBSの特性を活かしたサイエンスの議論はなされていない印象であった。マルチベントアクロマットによる低エミッタンス光源は、空間コヒーレンスの向上、ナノビームの形成に最適であるが、コヒーレンスと分光(特に発光分光)の相性の悪さも相まってか、コヒーレンスの話は皆無であった。ナノビームにしても、そこまで積極的に利用したい意向は感じられなかった。ナノビーム利用に関しては、別のワークショップなどで議論される可能性も考えられる。
ワークショップ全体を通して、(1)SPring-8が苦手とするテンダーX線領域(2~5 keV)の研究、(2)アナライザー結晶の開発、(3)XESやHERFD-XASの理論計算の進展、が強く印象に残った。特に、(2)の開発においては、XES計測における高感度化を目指す場合、立体角を稼ぐ必要があるが、その方法としてアナライザー結晶の数量を増やすだけでなく、結晶の曲率半径を小さくすることで実現している。また(3)においては、日本でもX線分光理論はかなり進展しているが、計算を実施するコミュニティが小さいのが残念なところであろう。
今回のESRFの訪問期間中、蓄積リングのコミッショニング中のため、ESRF実験ホールへの立ち入りは安全系のスタッフのみ可能で、ビームライン担当者すら許可されておらず、久しぶりのESRF実験ホールの見学ができなかったのは残念である。ただ、私が帰路についた12月6日に、ESRF-EBSの蓄積リングに電子を蓄積することに成功したとの報告があり、また、12月15日には電子バンチの水平方向のエミッタンスを308 pm∙radまで小さくすることに成功したとのことで、ESRF-EBSは順調に立ち上がっているようである。次世代リングで今後、どのようなサイエンスが展開されていくか、同じ放射光施設に携わる人間として非常に楽しみである。
謝辞
ESRF-EBS Workshop参加にあたり、事務手続きにおいて、ESRF実験部門の秘書であるClaudine Roméro氏には大変お世話になりました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
参考文献
[1] https://www.esrf.eu/xes-workshop
[2] https://www.esrf.eu/about/upgrade
[3] M. Rovezzi et al.: Rev. Sci. Instrum. 88 (2017) 013108.
[4] O. Bunău and Y. Joly: J. Phys.: Condens. Matter 21 (2009) 345501.
[5] S. Lafuerza et al.: Phys. Rev. B 96 (2017) 045133.
[6] H. Singh et al.: Rev. Sci. Instrum. 89 (2018) 045111.
(公財)高輝度光科学研究センター
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