Volume 24, No.3 Pages 294 - 297
3. 研究会等報告/WORKSHOP AND COMMITTEE REPORT
8th International Conference on Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy(HAXPES 2019)会議報告
Report on the 8th International Conference on Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy (HAXPES 2019)
(公財)高輝度光科学研究センター 放射光利用研究基盤センター 分光・イメージング推進室 Spectroscopy and Imaging Division, Center for Synchrotron Radiation Research, JASRI
1. はじめに
2019年6月2日~7日にフランスのパリ中心部にあるソルボンヌ大学にて開催された、硬X線光電子分光(HArd X-ray PhotoElectron Spectroscopy、HAXPES)の国際会議、8th International Conference on Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy(HAXPES 2019)について報告する[1][1] https://www.synchrotron-soleil.fr/en/events/haxpes-2019(図1)。HAXPESは物質の電子状態を調べる上で重要な実験手法であり、基礎物性のみならず、デバイス開発などの産業応用においても必要不可欠な研究ツールとして認識されている。その特徴はバルク敏感性が高いことである。従来の真空紫外領域や軟X線領域の光電子分光では調べることができなかった、深さ数十nmまで(8 keVのとき約20 nm)の深さ方向の電子状態分布を調べることができる。また、電場などの外場を加えることができることから、更なる利用拡大が期待されている。そのような背景の中、HAXPESのワークショップは2003年にグルノーブルにて開催され、その後、第6回のハンブルグのDESYでの開催から国際会議に昇格し、今回は8回目の開催であった。
図1 HAXPESの会場写真。上は講演会場である。200名程度が聴講できる会場であった。下はポスターセッションの他、Registration、Welcome receptionが行われた、講演会場横の中庭である。
2. 会議内容の概略
ここでは、Plenary talkを中心にその概要と関連トピックについて報告する。内容が偏ったものになっているかもしれないが、ご了承いただきたい。
初日最初の講演はUniversity of California, DavisのC. Fadley氏の講演の予定であったが、急遽参加不可となり、Temple UniversityのA. X. Gray氏が代理で発表した。内容は、X線定在波法を用いた深さ分解解析に関するものであった。定在波光電子分光は、試料結晶のブラッグ条件付近でX線の入射角を走査することで、入射波と回折波の干渉で作られる定在波による試料深さ方向のX線強度変調を利用して、光電子放出位置を高精度に決定できる手法である。LaCrO3/SrTiO3積層膜において、軟X線領域で定在波光電子測定を行い、それを理論計算と比較することにより、走査型透過電子顕微鏡による電子エネルギー損失分光法:STEM-EELS、および、高角度環状暗視野像:HAADFで得られた元素分布を再現することに成功した。さらに、STEM-EELSでは得られないLaCrO3/SrTiO3界面の2オングストローム領域の価数状態を明らかにした。また、トポロジカル絶縁体Bi2Se3の原子層別の価電子帯スペクトルの抽出を行っていた。本物質は、Bi単原子層とSe単原子層が交互に積層した構造を有しており、定在波法を用いることで、各層での価電子帯を分離していた。Gray氏自身の招待講演でも、常磁性体LaNiO3/反強磁性CaMnO3界面に発現する強磁性状態について、定在波法を用いて調べた結果を紹介していた。Mn4+とMn3+の間の強磁性的な二重交換相互作用、Ni2+とMn4+のOサイトを介した超交換相互作用が起こっていることを明らかにした。
このように、定在波法を利用したHAXPES計測は、非常に高精度な試料深さ方向の化学結合状態解析を可能にする。しかしながら、適応試料は、超格子構造を有するものに限られるのが欠点である。一方、光電子の放出角度依存性を調べれば、超格子構造を持たない系であっても深さプロファイルを調べることが可能である。特に、SPring-8 BL47XUのHAXPES装置は、取り込み立体角が64度の広角対物レンズを有しており、試料を動かすことなく試料表面から約20 nmまでの深さ情報を一度に取得することが可能である。ただし、光電子非弾性平均自由行程(IMFP)を事前に知っておく必要があるなど、角度情報から深さ情報への変換が難しいという問題がある。
一方で、本会議の中で、NIMSのS. Ueda氏は、全反射を利用することにより、実効的なIMFPをコントロールする方法を紹介していた。上記の角度分解計測による深さ分解解析では、試料表面すれすれで出射される光電子強度が非常に弱く、精度の良い取得に時間がかかるという問題がある。全反射を利用することで、表面敏感性を高めることが可能であり、かつ、強度の大きなロスなく試料表面近傍の情報を取得可能であることを示していた。通常の角度分解測定の約10倍程度の効率で計測できるとのことであった。ただし、全反射条件は物質により異なることから、多層膜試料の解析は困難である。
Cambridge UniversityのB. Yildiz氏は、HAXPESと他のX線分光、走査型透過顕微鏡(STM)を組み合わせて、固体燃料電池に必要な界面化学状態を調べた研究を紹介していた。Nd2NiO4/LaSrCoO3の界面構造は、STMにより温度上昇で境界が曖昧になることが分かっていたが、角度分解HAXPESにより、2層間の酸素移動がその原因であることを示していた。このように、HAXPESが得意とする異種界面の電子状態を調べた研究紹介は非常に多く、その中でも抵抗変化型メモリ(ReRAM)、強誘電体メモリ(FeRAM)、電界効果トランジスタ(MOSFET)など、次世代電子デバイスに関するものが多く見られた。
蓄電池研究の第一人者であるCollège de France/フランス電気化学エネルギーデバイス研究ネットワーク(RS2E)のJ.-M. Tarascon氏は、蓄電池の高容量化につながる正極での酸素アニオンの可逆的酸化還元反応について調べた例を挙げ、蓄電池研究において、HAXPES解析技術に期待する課題事象について紹介した。他に電池関係の研究では、JASRIのY. Takagi氏が、準大気圧下での計測が可能なBL36XUの差動排気型光電子分光装置の紹介と、それを用いて固体高分子形燃料電池(PEFC)の陰極電極と電解質の界面の電気二重層が印加電圧に応じて変化する様子を調べた研究について紹介した。本会議の主トピックはオペランド計測であったため、この他にも、ガス雰囲気下計測、電圧印加計測、磁場印加計測、レーザー照射下など、外場とHAXPES計測を組み合わせた計測例の紹介が多くみられた。
理化学研究所のT. Ishikawa氏はSPring-8とSACLAの加速器・光学系の現状、および、開発について紹介した。また、SACLAの時分割計測時に問題となるスペースチャージ効果について調べた研究について紹介した。一方、DESYのR. Röhlsberger氏はSACLAのSASE(Self-Amplified Spontaneous Emission)方式とは異なる動作原理のX-ray free-electron laser oscillator(XFELO)の紹介を行っていた。高輝度の電子バンチを利用した実験が可能であるとのことであった。今後、これらの自由電子レーザーを用いたHAXPES計測が広く利用されることが期待される。また、Sorbonne UniversityのT. Marchenko氏や理化学研究所のM. Oura氏は、自由電子レーザーやX線チョッパーを使うのではく、内殻準位の電子励起により生じる内殻正孔の寿命を利用した時分割計測法について紹介していた。一般的に励起内殻準位の束縛エネルギーが高いほど、内殻正孔の寿命が短い。従って、励起内殻を選択することにより、フェムト秒からアト秒までの異なる時間スケールでの電子状態を調べることができる。この“core-hole clock method”と呼ばれる方法を用いて、Marchenko氏はSOLEILのGALAXIESビームラインにおいて、ガス試料の電子励起状態の緩和ダイナミクスを調べていた。
Centre de Physique ThéoriqueのS. Biermann氏は、第一原理バンド計算に動的平均場理論を組み合わせた計算手法の紹介と、それを用いてSr2IrO4の(軟X線)角度分解光電子分光スペクトルを解析した結果について紹介していた。本物質の場合、Ir原子間の強い反強磁性揺らぎによる原子間自己エネルギーの考慮が必要であるとのことであった。このほか、理論研究の発表も多く見られた。これまで、光電子分光過程を理論的に扱う場合、1)固体内での光電子発生、2)光電子の固体内での移動、3)光電子の表面からの放出の3つの過程に分けて考えられてきた(3ステップモデル)。しかしながら、University of West BohemiaのJ. Minar氏はこの3ステップモデルでは、光電子過程の終状態効果や、角度分解計測において重要な光電子回折効果などが考慮されないことを指摘した。これらの効果を取り入れた多重散乱グリーン関数法を用いた1ステップモデルの重要性を示していた。また、光電子スペクトル解析において重要な、バックグラウンド解析、光電子イオン化断面積や光電子放出角度依存性のパラメータに関する理論についても紹介された。
各放射光施設におけるHAXPES装置の紹介も行われた。特に、興味を持ったのは、PETRA IIIのP22ビームラインである。本ビームラインはPhoibos 225HVアナライザーを持つ通常のHAXPES計測、硬X線領域の光電子顕微鏡計測(HAXPEEM)、飛行時間(ToF)型のモーメンタムマイクロスコープ計測、差動排気型アナライザーを用いた準大気圧下計測の4つの実験セットアップがタンデムに配置されている。その中で、ToF型のモーメンタムマイクロスコープ装置について、Johannes Gutenberg-Universität MainzのK. Medjanik氏が紹介した。モーメンタムマイクロスコープは、PEEMレンズ系と光電子アナライザーを組み合わせることにより、元素軌道を選別した実空間2次元像計測(HAXPEEM)や幅広い波数空間のバンドマッピングが可能である。また、PEEMレンズ系を用いることで、光電子アナライザー単体時の光電子取得角度に比べ、はるかに大きい角度範囲をカバーできることから、非常に検出効率が大きいという特徴を有している。Re試料に対し、6 keVの入射光を用いて測定することで、約30個のブリルアンゾーンをカバーする角度分解計測の例を示していた。これにより、光電子遷移選択則による、バンド強度の変調効果を平均化し、真のバンド強度を得ることができる。一方で、光電子回折効果も合わせて観測されることから、解析には注意が必要である。しかしながら、その光電子回折効果を利用することで、非常に精密な構造解析が可能である。Gray氏は、モーメンタムマイクロスコープのように一度に非常に多くのデータが得られる上で、ビックデータの解析法を早急に検討することが重要であるとコメントしていた。本ビームラインには、光電子装置以外にも、2組のチャンネルカットで構成される超高分解能モノクロメーター(DCCM)と偏光用ダイヤモンド移相子を組み合わせた装置など、先端的な光学系装置が配置されていた。DCCMは、現在、SPring-8 BL09XUでパートナーユーザー課題の下で開発を進めている共鳴HAXPES計測において必要な要素技術であり、導入に向けた検討の参考になった。
発表では、放射光施設を利用した成果の他、実験室光源を利用した装置、および、その利用成果の紹介も多く見られた。Physical ElectronicsのJ. E. Mann氏は、ULVAC-PHI社のPHI Quantesという実験室HAXPES装置の紹介をした。本装置は、Al Kα(hν = 1486.6 eV)とCr Kα(hν = 5414.9 eV)の軟X線、硬X線領域の2種類の入射光を利用できる。また、SEMの電子ビームのように、それぞれの入射X線の照射領域を2次元スキャンすることが可能である。従って、表面と固体内部の電子状態を分けて、それぞれ2次元マッピングを行うことができる。また、IMEC/MCAのC. Zborowski氏は、シエンタオミクロン社のHAXPES-Labの紹介をしていた。その装置の特徴は、Ga Kα線源を利用した9.25 keV励起を用いることにより、従来の実験室光源利用に比べ、より深部の情報の取得が可能になる点である。一方で、深部からの情報取得になることで、スペクトルにおけるバックグラウンド解析が重要になる。同氏はバックグラウンド解析法のうち、SESSA法とTougaard法の概要について述べていた。
会期5日目の6月6日の午後には、バスで1時間程度の距離にあるSOLEILの施設見学があり、HAXPES装置のあるGALAXIESビームラインを含め、いくつかのビームラインを見学した(図2)。GALAXIESビームラインは2.3 keVから12 keVまでの入射光を利用でき、HAXPESの他、Resonant inelastic X-ray scattering(RIXS)の装置が最下流に配置されている。上述のとおり、本ビームラインのHAXPES装置では、固体試料だけでなく、ガス試料の計測に力を入れており、複数の導入ガス種を1か所で管理できる装置があり、利用・管理が容易になるよう工夫されていた。施設は、SPring-8と同様に郊外に位置し、自然が豊かな環境の中にある。施設外装において木を用いており、環境と調和していた。施設内は屋根に木が使われており、また、外光が入るため、開放的な印象を受けた。
図2 SOLEILの施設内外の写真。上はエントランス部、下は実験ホール内の2階からの写真である。天井には7.7 tのクレーンが配置されている。
3. おわりに
本会議の口頭発表件数は、Plenary talkが6件、Invited talkが16件、Contributed talkが30件で、会期中、常に密度の濃いものであった。また、Poster presentationは30件であった。内容は、強相関電子系物性や原子分子物理などの基礎物性にとどまらず、半導体や電池などの応用材料、さらに、化学系、理論、新手法と多岐にわたるものであった。
本会議の参加者の総計は143名であった。国別参加者数のトップは、開催国のフランスで35名であった。次いで、ドイツの29名で日本は3番目に多い21名であった。
次回の開催国は日本であり、2021年の11月1日~5日(予定)にて姫路の姫路コンベンションセンター(建設中)で行われることが決定した。HAXPES研究が益々発展している中、世界一のHAXPES研究者数を誇る日本での開催であるため、非常に多くの参加が期待される。
参考文献
[1] https://www.synchrotron-soleil.fr/en/events/haxpes-2019
(公財)高輝度光科学研究センター
放射光利用研究基盤センター 分光・イメージング推進室
〒679-5198 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
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e-mail : a-yasui@spring8.or.jp