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Volume 22, No.4 Page 296

理事長室から -心の哲学と科学技術の連携-
Message from President – Cooperation of Science and Technology with Philosophy –

土肥 義治 DOI Yoshiharu

(公財)高輝度光科学研究センター 理事長 President of JASRI

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 今回は、心の哲学と科学技術の連携を論じたいと思う。心が身体とは独立に存在するか否かは、ギリシャの時代から哲学における存在論上の難題であった。17世紀に近代科学の基礎をつくったデカルトは、2千年近くも自然の認識論において支配的であったアリストテレスの経験論を退けて、精神には生得的な数学的観念があり、その合理論的認識によって自然界の必然的法則を解明できるとした。そして、身体の構造と機能も物理的対象であり、科学の原理によって機械論的に理解できるとした。しかしながら、思惟する私の心は身体から独立した非空間的な実体であり、心の理解は哲学によるべきとして、心身の実体二元論を提唱した。この心身二元論は、感覚を知覚・知識へと認識する心身の合一をいかに説明するかという難問を抱えた。また、心的活動と身体的活動の対応関係をどのように説明するかという心身問題も提起した。
 近年の脳神経科学の急速な進展によって、心身一元論が米国において優勢となっている。科学主義的唯物論に立てば、心は脳という物質の産物であり、神経細胞ネットワークの活動によって生じる随伴現象として心の活動を純粋に物理的に理解することになる。物質である脳からいかに心が生まれるかという解きがたい難問は残るが、心身問題は解消される。しかしながら、心の活動が物理的法則に従うとする唯物論は、基本的人権としての思想的自由さらには他者の心の存在を否定することになり、自由民主を旨とする憲法と対立することとなる。歴史的にも、唯物論的政策は人間の「心の自由」を認めない全体主義へと導いたことを指摘しておきたい。
 さて、人間の心の能力は知性、感情、意志の知・情・意に区分され、それらは認識上の真、美学上の美、倫理上の善の真・美・善という普遍的価値を生み出す。科学研究は対象の知覚的性質や価値的意味を捨象して数量化する作業であり、得られた科学の知識(真理)には客観性と進歩性がある。他方、美学上の美や倫理上の善は、対象の知覚的性質や価値的意味を追求するものであり、主観的であり相対的である。科学の対象とならない自然の美を感知するために、人間は心と身体を一体化して自然環境に向かい、身体の五感を介して色や音や香りなどの知覚性質を感覚し芸術作品をつくる。また、心と身体を一体化して他者に向かい、価値的意味を考えて倫理上の善や正義を追求する。このような真・美・善の哲学を理解しつつ科学技術研究を進めることが、自然環境と調和した豊かな現代社会をつくるために極めて重要と考える。
 ところで、科学技術は客観的な科学的真理と主観的な目的や価値との総合であり、言うまでもなく科学技術の進展が社会経済や医療福祉の発展に大いに貢献してきた。しかしながら、自然の美や生態系に特別な配慮を置かない一面的な科学技術の進展は、これまでに多くの地球環境問題を引き起こしてきた。また、倫理上の善を軽視した医療技術の進展は人権問題を引き起こした。人と環境に優しい科学技術の発展には、科学の着実な進歩とともに、美・善の価値を追求する心の哲学との連携が必要と思う。
 18世紀末にカントは、真理の合法則性、美の合目的性、善の究極目的を認識するための体系と方法を有名な三批判書で論じた。カント以来、科学の画期的な進歩によって存在論的諸問題は個別の科学で扱われるようになり、哲学の主要な役割は存在論ではなく認識論に移った。今後いかに科学が進歩しても、美とは何か、善とは何か、正義とは何かという問題を科学のみでは答えることができないと思う。科学技術は、心の哲学との連携によってこそ人類のための正道を歩むものと確信している。

 

 

Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
Online ISSN 2187-4794