Volume 22, No.2 Pages 136 - 139
3. SPring-8/SACLA通信/SPring-8/SACLA COMMUNICATIONS
SPring-8利用研究課題審査委員会を終えて 分科会主査報告1 −生命科学分科会−
Proposal Review Committee (PRC) Report by Subcommittee Chair – Life Science –
SPring-8利用研究課題審査委員会 生命科学分科会主査/(国)理化学研究所 放射光科学総合研究センター RIKEN SPring-8 Center
1. はじめに
平成27年4月から平成29年3月までSPring-8利用研究課題審査委員会生命科学分科会主査を務めさせていただいた。生命科学分科会は、3つの小分科(L1、L2、L3)に分かれ、それぞれ、L1:蛋白質結晶構造解析、L2:生物試料回折散乱、L3:バイオメディカルイメージング・医学研究一般の課題審査を担当している。
以下の報告は、L1小分科は杉本が担当し、L2小分科は片岡幹雄先生(奈良先端科学技術大学院大学)、L3小分科は白井幹康先生(国立循環器病研究センター)にまとめていただいた。
2. L1:蛋白質結晶構造解析
L1小分科では、蛋白質結晶の構造解析の課題を審査する。この分野のユーザーのほとんどは、ビームラインに整備された試料ステージ、試料交換ロボット、検出器、解析用ソフトウェアなどを利用する。ルーチン的な要素が多いため、国内外の他の放射光施設においても自動化が進んでいるのが特徴である。しかし、測定対象とする蛋白質試料が膜タンパク質や巨大分子の複合体のような例では、結晶を得ること自体が難しい。結晶が運良く得られたとしてもそれが良質かどうかに関わらず、そのX線回折能をいち早く評価して次のサンプルの調製や結晶化へとフィードバックをかけることの繰り返しが、厳しい研究競争に打ち勝つためには必須である。このような実験の特徴に対応するため、L1小分科では、これまでにもビームタイムを細分化したり、留保ビームタイムという枠を設けて緊急を要する利用希望にも審査と配分を行ってきた。さらに柔軟な対応を目指して、2015A期から運用方針が大きく変更された。2014B期までは半年毎に行われる課題審査を経てビームタイムが配分されていたが、課題有効期間が1年となり、ビームタイムの配分は年に4回に分けて決定するという方式に変わった。本分科会ではまず、レフェリーによる評価点に基づいた配分優先順位だけをつけ、その後で年に4回の配分希望調査書に基づいて、5つの蛋白質結晶構造解析用のビームラインの選択とそのシフト数を決定した。したがって、課題申請時には希望ビームラインをPX-BLという5つのビームラインをまとめた形で課題申請をしてもらっている。この運用の狙いは、結晶が得られたら直ちにデータ収集・解析を行うことができるようにすること、そして、半年先には必要になるだろうと思って確保したビームタイムの直前のキャンセルを回避することである。また、高速二次元検出器、解析用計算機の充実、共通化された測定制御インターフェースの導入などによって測定の効率が近年著しく向上したことから、1シフト(8時間)でもいいからBL41XUを使いたいというユーザーの声を反映させたい意図もある。つまり、ビームタイムの効率的な運用によって、より多くのユーザーが共用アンジュレータとピクセルアレイ型検出器「Pilatus 6M」を利用する機会が増えることになり、ユーザーの全体的な成果向上の効果も期待した。
L1小分科では、結晶が得られていなくても課題申請を行うことができるため、課題申請書にしっかりと実験目的、研究対象や意義などについて書かれていれば、ほぼ全ての課題が採択される。レフェリーの採点に基づいて決定した配分優先順位と申請者の希望に合わせて、配分ビームラインも本分科会が決定することになるが、やはりアンジュレータビームラインのBL41XUとBL32XUの競争率は高かった。上位50%以上の点数がなければBL41XUへの配分は困難であった。創薬等支援技術基盤プラットフォーム事業によって整備されているBL32XUは、一般課題枠への配分が限られていることから、さらに競争率は高かった。脂質キュービック層での結晶化もより汎用的になってきた。受容体・チャネル・トランスポーターといった薬剤やホルモンなどの物質のやり取りに関わる膜タンパク質や創薬のターゲットとなり得るようなものを研究対象とした課題は申請総数の約30%を占めており、多くはSPring-8のアンジュレータビームラインの必要性が高いと評価されている。その一方で、偏向電磁石ビームラインのBL38B1では顕微分光システムや、試料湿度調整装置、遠隔地からの実験を支援するリモートアクセスのシステムが運用されており、他の蛋白質構造解析用ビームラインとの差別化を図っていることから、多様な課題申請があった。2015A期から理研のBL26B1の共用枠が80%に拡大されたこともあり、偏向電磁石ビームラインに限っては、全ての利用時間枠が最初の希望申請で埋まらなくなった。埋まらない時間枠は、先着順の追加募集となる。したがって、ユーザーは結晶が得られ次第すぐに実験ができるメリットを享受できる。余裕のある配分によって、多数の結晶のX線回折能を確認するためのスクリーニングや開発的な実験を行うことも可能となるかもしれない。ユーザーは各ビームラインの特性を考慮して有効な使い方を検討すべきであろう。
3. L2:生物試料回折散乱
L2小分科のグループ名は生物試料回折散乱であるが、実際は蛋白質結晶構造解析(L1小分科)、バイオメディカルイメージング・医学研究一般(L3小分科)以外の生物科学系の課題は全てこの小分科に申請される。したがって、小角散乱・溶液散乱の他に、X線分光はじめX線を利用したさまざまな測定手法を用いた生物科学系の課題を審査することになる。2015B期から2017A期までの申請課題総数は137件、採択課題総数は94件であり、申請、採択とも例年よりやや多目であった。採択課題数を使用ビームライン毎に見ると、BL40B2(42件)、BL40XU(32件)、BL45XU(17件)と大半を占め、BL19LXU、BL35XU、BL37XUが各1件ずつあった。BL37XUではX線反射率を用いた研究が行われている。ソフトマターの分野では威力を発揮する反射率測定であるが、生体試料では広がりが見られないのが残念である。BL19LXUでは核共鳴振動分光、BL35XUではX線非弾性散乱を用いたチャレンジングな申請が、ともに外国からなされたことが特徴的であった。
BL40XUでは、羽ばたき中の昆虫飛翔筋の収縮機構など、マイクロビームを応用した筋肉などの繊維状生体組織のin situ X線回折の研究が進んだことが特筆される。細胞内あるいは組織内構造解析は、マイクロビームと干渉性を兼ね備えた放射光によって初めて可能になる重要な研究であるが、SPring-8で今後目指すべき方向の一つと思われる。このビームラインでは、高速X線1分子追跡法(XDT)のさまざまな系への応用研究も盛んに行われた。XDTは日本発の測定法であり、期待度は高いものがある。興味深い成果も挙がってきているのは心強い。
BL45XU、BL40B2では、生物学的に意味のあるタンパク質に関する溶液構造の動態や脂質膜、皮膚、毛髪に関する溶液散乱・回折の伝統的な研究が数多く行われた。高速液体クロマトグラフィーや限外ろ過カラムを試料槽に連結させたX線溶液散乱測定が行われるようになったことも最近の特徴である。凝集しやすい試料の単分散系の測定や、凝集そのものの時間分解測定のために重要な技術的進歩である。その他、皮膚角層での透過機構の研究や膜タンパク質の結晶化で脚光を浴びる脂質キュービック層に関する研究に関して、さまざまな観点からの課題が採択されたのも特徴であった。
Ab initioの溶液構造解析が簡便にできるようになり、低分解能の形状を容易に求められる溶液散乱はタンパク質研究の標準的手法になってきている。この中で、天然変性タンパク質や天然変性領域を持つタンパク質、その特殊な凝集形であるアミロイド線維の溶液散乱研究も最近のトレンドであり、興味深い課題が採択された。
最近、SPring-8と「京」あるいはJ-PARC/MLFとの相補的利用の重要性が強調されるようになってきた。溶液散乱情報は、空間平均だけでなく時間平均された構造情報である。すなわち、ダイナミクスの情報を隠れ持つ。ダイナミクス情報を直接得ることのできる分子動力学シミュレーションや中性子非弾性散乱、中性子スピンエコー測定などと組み合わせて、溶液構造の動態に迫る研究は、相補的利用の好例になるのではないかと期待される。このような観点の課題が今後増えて欲しい。
4. L3:バイオメディカルイメージング・医学研究一般
L3小分科では、医学から生物学まで広い分野の申請を扱い、課題の対象はヒト、動物、植物、薬剤など多様である。2015B~2017A期の申請課題の総数は144課題(2015B期36課題、2016A期30課題、2016B期41課題、2017A期37課題)で、2013B~2015A期とほぼ同じであった。希望先のビームラインは、多いものから、BL20B2(54課題)、BL37XU(31課題)、BL28B2(22課題)、BL20XU(17課題)、BL39XU(7課題)、BL47XU(6課題)、BL43IR(3課題)、BL40XU(2課題)、BL29XU(1課題)、BL40B2(1課題)の順であった。
この2年間の研究動向について、研究法別にみると、位相差コントラストX線CTおよび透過X線マイクロCTを用いた摘出臓器組織、植物、昆虫や薬剤などのサンプルの構造・機能解析が申請総数の50~60%を占め、2013B~2015A期より割合がさらに増えた。特に位相差コントラストX線CTによる構造解析の課題が増加し、2017A期には申請総数の約40%に達した。その申請内容は、病的心臓、血管、眼のレンズなどの組織内密度差解析、骨の成長・リモデリングの3次元解析、軟骨コラーゲンの分布解析、脳微小血管網と脳実質組織の同時イメージングなど多彩であった。特に注目される課題として、病的心臓に移植したiPS由来心筋細胞シート組織の密度差解析が挙げられ、シート組織内の血管構築、血流分布(in vivo微小血管造影による)との関連付けが進めば、心筋シートの質的改善や心筋移植技術の向上に寄与する可能性がある。透過X線マイクロCTの研究内容は、脳神経、骨・軟骨、肺、歯、植物、昆虫、薬剤(錠剤)などの微細構造解析であり、2013B~2015A期から継続した課題が多く見られた。
2番目に多かった研究は、蛍光X線元素分析(XRF)あるいはX線吸収分光法(XAS)を用いた組織中の元素、微量物質の検出、分布・動態解析などで、申請総数の約20%を占めた。薬物の組織、腫瘍内の分布・動態解析は、薬理効果・毒性発現や治療抵抗性のメカニズム解明に役立つ可能性がある。また、脳組織内での(精製された状態ではない)タンパク質凝集体の解析は、アルツハイマー病などの脳変性疾患の病態解明、治療法開発に繋がる可能性がある。
次に多かったのは、微小血管造影法および屈折コントラスト法による生きた動物での機能・構造イメージングの課題であった。微小血管造影では、遺伝子改変マウスを用い、糖尿病性冠動脈機能障害の分子機序解析や機能障害に対する運動・薬剤の治療効果の評価が進んだ。麻酔下マウスの微小冠動脈の高精度な可視化技術は世界的に見てSPring-8が突出しており、また、生体内拍動心臓での心筋収縮たんぱく質分子動態解析(BL40XU)との関連研究ができる唯一の放射光施設でもあることから、SPring-8は将来、心臓病基礎研究の中核施設となり得る。屈折コントラスト法を用いた肺気道・血管イメージングでは、換気・ガス交換機能や気道上皮の分泌・異物排出能の機序解明がさらに進み、臨床への還元が期待される。しかし、残念なことに、これらのin vivo研究はこれまで申請総数の約20%を維持してきたが、2015B期では20%、2016A/B期では15%、2017A期では5%と割合が減少した。また、その多くは海外からの申請であった。SPring-8は、現状、大型動物を用いた前臨床的研究ではなく、小動物イメージングによる基礎研究にほぼ特化しており、臨床分野まで含めた幅広い研究者の参入には限界があるかもしれない。また、小動物実験には技術的な困難さがともなうであろう。今後、生体イメージングの研究を増やすには、SPring-8の特性を活かして、遺伝子改変マウスによる生体での分子病態機序解明が治療法開発に直結し得ることをアピールすると同時に、実験技術のサポート体制を築くことが必要かもしれない。また、新たな技術開発を進め、定性的に新しい発見を生み出すことも重要であろう。この2年での新技術の動向として、1. 大視野X線位相CTを用いた高感度定量計測、2. 高エネルギーX線ビームを用いたX線位相CTによる強位相(たとえば頭蓋骨)および弱位相物体(たとえば脳実質)の同時計測、3. 4D-X線位相CTの時間分解能向上、4. 高視野高時間・空間分解能の微小血管造影技術が挙げられ、将来の発展が望まれる。
その他の課題として、白色X線によるタンパク質1分子構造変化計測、マイクロビームを用いた放射線治療法の開発があるが、今後の展開が待たれる。
SPring-8の医学利用の普及には、高度専門化だけでなく、裾野の拡大も必要であろう。放射光研究に初めて興味を持った研究者に対してトライアルビームタイム申請枠を設けたり、大学院生提案型課題の宣伝・普及も必要であろう。2015B~2017A期の大学院生提案型課題は全部で6課題であった。
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