Volume 20, No.4 Pages 309 - 313
1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
ホウ素融体のコンプトン散乱測定 -高温融体中の結合の可視化-
Compton Scattering Experiments on Liquid Boron – Visualizing the Bonding Properties of High-Temperature Liquids –
[1]国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所 Institute of Space and Astronautical Science, Japan Aerospace Exploration Agency、[2]東京大学大学院 新領域創成科学研究科 Department of Advanced Material Science, The University of Tokyo
- Abstract
- 軽くて硬いという特徴を持つホウ素(B)は、採掘が容易なことから古くから人類に用いられてきた。ホウ素の性質について、これまでさまざまな研究が行われてきたが、ホウ素の溶融状態については、2,000℃を超える高い融点を持つことと、ホウ素の融体を保持する容器が存在しないことが障害となり、その性質はよく分かっていない。ホウ素融体の価電子の挙動を調べるために、容器を用いずに融体を保持する「静電浮遊溶解装置」をBL08Wへ設置し、ホウ素融体のコンプトン散乱測定を行った。第一原理計算を用いた解析の結果、ホウ素融体中の価電子の大半が共有結合的な性質を持つことが判明した。
1. はじめに
ホウ素は周期表5番目の元素である。ホウ素化合物は、硬いこと(ホウ素は単体としてダイヤモンドに次いで硬い)、軽いこと、耐熱性に優れること、など有用な性質を持つ。ホウ素は現在分かっているだけで、6種類以上もの同素体を持つ。この数は周期表の中で硫黄についで2番目に多く、今後も高温高圧などの極限環境下において、新たな同素体が発見される可能性があり、物質探索が行われている。
周期表において、元素は大きく分けると金属(金属、半金属)と非金属(半導体、絶縁体)に分類される(図1)。理化学辞典では金属について「金属光沢をもち、電気と熱をよく導き、固体状態では展性、延性に富む物質」と記述されている。このことをミクロな立場から言い換えると、「金属とは、価電子が伝導電子となって、物質中を自由に動き回っている物質である」と述べることができる。物質の電気的性質は価電子の挙動によって決まる。物質中で価電子がどの程度動き回ることができるかを知ることは物質の性質を推定する際の重要な判断基準となるため、ほとんどの周期表では、元素が金属か非金属かを一目で判別できるように色分けされている。こうした分類は液体についても重要であり、安定に存在する元素のほとんどは、液体状態の性質も解明されている。しかしホウ素の液体は、例外的にその性質が解明されていない。
図1 周期律表
ホウ素やケイ素などの元素は、金属と非金属の境界に位置する。こうした元素は、固体と液体で性質が大きく異なることが知られている。ケイ素、炭素、ゲルマニウムなどは、固体では典型的な半導体であるが融けると金属になる。したがって、半導体であるホウ素も融けると金属になると考えられてきた[1][1] N. Vast, S. Bernard and G. Zerah: Phys. Rev. B 52 (1995) 4123.。しかし、ホウ素の融点は2360 Kと非常に高く、ホウ素融体の反応性が高いことが、ホウ素融体の実験を妨げ、実際にホウ素が融けると金属になるのかは明らかになっていなかった。
2. 静電浮遊法
地上では液体を保持するための容器が必要である。容器を用いて液体を保持する場合、容器と液体の反応や容器壁からの不純物混入が問題となる。最近実用化された無容器プロセシング(浮遊法)は、容器の問題が生じない画期的な方法として注目されている。無容器の利点は液体を超高温あるいは過冷却状態に保持できることである。通常、液体を容器に保持し、温度を融点近傍に下げると、容器壁において結晶核が生成され凝固する。ところが、無容器では容器壁における核生成が生じないので、融点よりもかなり低い温度(一般には、融点の10~20%過冷する)まで液体状態を保持できる。深い過冷状態を経て凝固させると、通常は得られない準安定相を作製できることがあり、無容器プロセッシングは物質探索の有効な手法である。
我々が開発を進めてきた静電浮遊法(Electrostatic Levitation Technique)は、クーロン力を用いて試料を浮遊させる。もともと、重力がほとんどない宇宙ステーションにおいて、試料の位置決めを行う方法としてNASAおよびJAXAが開発を進めてきた実験技術である[2,3][2] W.-K. Rhim, K. Ohsaka, P.-F. Paradis and R. E. Spjut: Rev. Sci. Instrum. 70 (1999) 2796.
[3] P.-F. Paradis et al.: Mat. Sci. Eng. R 76 (2014) 1-53.。地上では、図2(a)に示すように、帯電した試料に静電場をかけ重力と釣り合わせることによって、試料を2枚の電極間の任意の位置に浮遊させる。浮遊させた試料をレーザー加熱することにより溶解する。標準的な電極間距離は約10 mm、試料サイズは約2 mmである。電極間には10~20 kVの電圧が印加されるが、放電を防ぐためチャンバー内は真空雰囲気(10-5 Pa)に保たれている。2台のCCD位置検出器を用いて試料の3次元的な位置を測定する。測定した位置情報を用いてPID制御で電極間の電圧を調整し、試料位置を±10 µm以内の精度で安定化させることが可能である。試料の温度は放射温度計を用いて測定される。静電浮遊法では、試料が帯電すれば金属・絶縁体を問わず浮遊できる。レーザーの出力を上げれば、タングステン(融点3700 K)を融かすことも可能である。図2(b)に示すように、ホウ素についても溶融できる。
図2 (a) 静電浮遊溶解装置のシステム概要
(b) 静電浮遊法を用いて真空雰囲気(10-5 Pa)で溶融されたホウ素。
3. X線コンプトン散乱実験
静電浮遊法を用いることにより、ホウ素を溶融保持することが可能になったが、次に問題になったのが、溶けたホウ素が金属かどうかをどのようにして調べるかということである。一般に、物質が金属かどうかを調べるためには、物質が電気をどの程度流すかを調べる(電気伝導測定)。そのためには、物質に2本以上の電極を取り付け、電極間の電圧と電流の関係を調べる。固体の場合、電極を取り付け測定することは容易である。液体であっても、融点が高くなく、反応性に乏しい場合は、電極を液体に差し込んで測定を行うことができる。ところが、ホウ素融体と反応しない物質が、これまでのところ見つかっておらず、ホウ素融体に差し込む電極が存在しないために、ホウ素融体の電気伝導は直接測定できない。
そこでX線コンプトン散乱測定を行い、ホウ素融体中の価電子の空間分布を求めることを試みた。コンプトン散乱は非弾性X線散乱の一つである。コンプトン散乱X線のエネルギー分布からコンプトンプロファイルが得られ、そこから電子運動量密度に関する情報が得られる。コンプトン散乱の詳細については文献を参照いただきたい[4][4] 櫻井吉晴:SPring-8利用者情報 16 (2011) 178-185.。我々がコンプトン散乱に注目した理由は2点ある。第一は、SPring-8で行うコンプトン散乱実験が、116 keVの高エネルギーX線を用いることである。通常、高温の液体は蒸発が激しく試料表面が荒れている。バルク情報を得るためには硬X線の利用が必須である。第二は、コンプトン散乱は全価電子の電子運動量密度分布を観測するので、フェルミ準位近傍の価電子だけでなく、結合に寄与する深い準位の価電子の挙動を解明できる点である。実際に、ケイ素融体に関するコンプトン散乱測定が行われ、ケイ素融体の価電子の運動量分布が自由電子モデルから解離していることが判明した[5][5] K. Matsuda et al.: Phys. Rev. B 88 (2013) 115125.。さらに第一原理計算を用いた解析から、ケイ素融体の結合状態が、共有結合と金属結合の共存している状態にあることも判明した[6][6] J. T. Okada et al.: Phys. Rev. Lett. 108 (2012) 067402.。
コンプトン散乱測定は高エネルギー非弾性散乱ビームライン(BL08W)に設置されたCauchois型X線スペクトロメータへ静電浮遊溶解装置を組み込み行った。試料は真空雰囲気(10-4 Pa)で保持し、加熱レーザー(波長980 nm、出力100 W)を3方向から試料へ照射することによって溶融した。試料温度は放射温度計により測定し、固体ホウ素(300 K)と液体ホウ素(2500±15 K)の測定を行った。得られた生データに対して、データ補正を施し(バックグラウンド補正、散乱断面積のエネルギー依存補正、吸収および多重散乱補正、スペクトロメータおよび検出器のエネルギー依存補正)、運動量空間のプロファイルへ変換した。ここから内殻電子(1s)2の寄与を取り除き、価電子のコンプトンプロファイルを得た(図3)。
図3 固体ホウ素および液体ホウ素中の価電子が寄与するコンプトンプロファイル。
固体ホウ素から液体ホウ素を差し引いたプロファイルを図4に示す。明瞭に差異が表れている。図4の実験プロファイルは、第一原理分子動力学(MD)計算により得られたプロファイルと良く一致した(図4の実線)。第一原理MD計算と実験が良く一致したことから、液体ホウ素中の価電子の結合分布を調べるために、ワニエ関数解析[7][7] N. Marzari and D. Vanderbilt: Phys. Rev. B 56 (1997) 12847.と呼ばれる手法を用いてホウ素融体中の価電子の挙動を可視化した。図5は価電子が動き回る範囲を示したものである。図の横軸は右にいくほど電子の稼働範囲が広いことを示す。ホウ素との比較のためにケイ素の結果も示す。ダイヤモンド構造を持つ典型的な半導体であるケイ素の中では、価電子は、原子間の共有結合に全て拘束されているため、図5(b)に示されるように、電子の動き回る範囲(遍歴範囲)は限定される。ケイ素は溶けると一転して完全な金属になり、融体中を電子が自由に動き回るようになるが、図からもケイ素融体中の電子の遍歴範囲が大きく広がっている様子が分かる。
図4 固体ホウ素と液体ホウ素コンプトンプロファイルの差分。実線(赤色)は第一原理分子動力学計算により求めた差分プロファイルを示す。
図5 実験結果の解析により求められた伝導電子が動き回る範囲(遍歴範囲)。
青色が固体、赤色が液体。ホウ素(a)とケイ素(b)の結果を示す。
図5(a)にホウ素の結果を示す。ホウ素も固体状態では半導体であり、伝導電子は原子間に拘束されているが、結晶構造が複雑なために結合の長い共有結合が存在する。それゆえにケイ素と比べると価電子の遍歴範囲が広がっている。融解に伴い遍歴範囲の分布は右へシフトするが、固体と融体の分布の大部分はオーバーラップしている。ケイ素の場合とは明瞭に異なり、ホウ素の場合、融体中の伝導電子の遍歴範囲は固体と似ている。このことは、ホウ素は溶けても固体と同じく価電子のほとんどが共有結合的な状態を保持しており、金属にならないことを示す。これまではホウ素は溶けると金属になると考えられていたが、実際には半導体のままであることが明らかになった[8][8] J. T. Okada et al.: Phys. Rev. Lett. 114 (2015) 177401.。
4. まとめ
本稿ではホウ素融体のコンプトン散乱測定について紹介した。これまで、半導体である固体ホウ素は融けると金属になると考えられてきたが、実際には価電子の大半が共有結合的な状態にあり、ホウ素融体は半導体と考えられることが判明した。融体は周期的な原子配列を持たないために、結晶の物性を理解するために発展してきた理論体系を融体へ適用することができず、融体の電子物性に対する理解は固体と比べると十分とは言えない。本研究において価電子の空間分布を求めるために用いたワニエ関数解析法は、融体一般に適用可能である。融体中の価電子の性質を調べるための有益な方法として今後の発展が期待される。
本研究は、P. H.-L. Sit教授、渡辺康裕氏、七尾進教授、B. Barbiellini博士、伊藤真義博士、櫻井吉晴博士、A. Bansil教授、濱石光洋氏、石川亮博士との共同研究として行われた。コンプトン散乱実験はSPring-8、BL08Wで行われ(課題番号:2007B1235)、科学技術振興機構 戦略的創造推進事業「新物質科学と元素戦略」の支援を受けた。
参考文献
[1] N. Vast, S. Bernard and G. Zerah: Phys. Rev. B 52 (1995) 4123.
[2] W.-K. Rhim, K. Ohsaka, P.-F. Paradis and R. E. Spjut: Rev. Sci. Instrum. 70 (1999) 2796.
[3] P.-F. Paradis et al.: Mat. Sci. Eng. R 76 (2014) 1-53.
[4] 櫻井吉晴:SPring-8利用者情報 16 (2011) 178-185.
[5] K. Matsuda et al.: Phys. Rev. B 88 (2013) 115125.
[6] J. T. Okada et al.: Phys. Rev. Lett. 108 (2012) 067402.
[7] N. Marzari and D. Vanderbilt: Phys. Rev. B 56 (1997) 12847.
[8] J. T. Okada et al.: Phys. Rev. Lett. 114 (2015) 177401.
国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所
〒305-8505 茨城県つくば市千現2-1-1
(現所属)
東北大学 金属材料研究所
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