Volume 20, No.1 Pages 2 - 8
1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
貴金属を全く使わず液体燃料から発電する燃料電池自動車
Pt-free, Zero-emission Vehicle Powered by a Liquid-feed Fuel Cell
ダイハツ工業株式会社 開発部 Research and Development Division, Daihatsu Motor Co., Ltd.
- Abstract
- 地球温暖化を抑制するために低炭素社会の実現が望まれている。二酸化炭素排出量の20%に相当する運輸部門においては、電気自動車(EV)や燃料電池車(FCV)などの普及により、二酸化炭素の排出を電力や燃料生産側に集中させることが有効な手段だと考えられる。ここでは我々が現在取り組んでいるFCV開発『CAFEプロジェクト』と、SPring-8のシンクロトロン放射光を活用した技術開発について紹介する。核となる技術は、貴金属を全く使わない電極触媒、新規アニオン交換膜、液体燃料・水加ヒドラジン(N2H4·H2O)から直接発電、の3つである。特に脱貴金属触媒の開発に対してはSPring-8のシンクロトロン放射光を用いたin-situ XAFSによる触媒の活性状態での微細結晶構造解析や、HAXPESを用いた触媒の化学状態解析を駆使して開発を加速してきた。この燃料電池は、貴金属を使わないことから低価格・省資源であり、液体燃料を用いるため扱いやすく、二酸化炭素を排出しない上にコンパクトで高出力であり、広く普及することが期待されている。特に水加ヒドラジンはポリエチレン容器で広く保管・流通しており、インフラの無い過疎地区でも使いやすい燃料電池車として、さらには生活電源や災害時の緊急発電用として一日も早く実現し、SPring-8の産業利用成果であるこの燃料電池が、人々の暮らしを支える技術として育っていくことを願う。
1. はじめに:答えの見つからない問い
「モノは人を幸せにするか?」材料開発を生業とする自分自身にとって永遠の問いであり、若き日にその答えを求めて世界を旅した。しかしながら、見渡す限り虚空なサハラ砂漠も、哲学者の棲息するギリシアも、唯一絶対神が加護する中東も、神々の宿るヒマラヤも、仏陀の聖地インドにおいても、迷える子羊を導く預言者は姿を現すことはなかった。
1年の放浪の後、答えの見つからない命題を「モノは人を幸せにする」という仮説に転じ、エンジニアに復帰すべくダイハツに漂着した。自動車開発の現場で様々な「モノ」を開発することにより、仮説が真か偽かを知りたいと願い、エネルギー・環境・資源を軸に、次なる仮説検証の旅を続けている。
「光」が波と粒子の両方の性質を持つように、「モノ」も物質と機能の両方を持っているのではないだろうか?見えるもの、触れ得るもの、計測できるものこそが存在するというならば、人を幸せにする「モノ」を訪ねるには、SPring-8の「光」を使って、これまで見えなかった「モノ」を計測することこそ、旅の道先案内人となってくれるだろう。
2. 環境と調和するクルマ
自動車は私たちの暮らしの中に溶け込み、生活に役立っているだけでなく、趣味のアイテムや家族の一員のように愛される存在にまでなっている。これからの持続性社会に向かって自動車が愛され続け、私たちの暮らす環境と調和していくためには自動車はどうあればいいのだろうか。
燃料電池車の開発を担当して、「ガソリンってなんて素晴らしい地球からの贈り物だろう」、「エンジンってなんて素晴らしい発明だろう」としみじみと感じ入る。石油はエネルギー密度が極めて高く大変運びやすい液体燃料であり、そして同時に樹脂や繊維の原材料としても広く利用され、社会に役立っている。また、内燃機関は機構・出力・信頼性・コスト全ての面で進化し続けており、ガソリンを燃料として供給する社会システムも含めて、その完成された姿を羨望するばかり。
では「何故、燃料電池車を開発したいの?そのモチベーションは?」と自問する。我々のこだわりは、資源に頼らずより持続性のある社会を実現すること。それは、世界中どこでも作ることができるエネルギーである電気を使うこと。電気を運ぶ媒体としてエネルギー密度の高い液体燃料を利用し、貴重な貴金属資源を使わない燃料電池車の実現である(図1)。
図1 ダイハツ燃料電池車『FC商CASE』(2011年 東京モーターショー出展車両)
3. 燃料電池研究とFCV開発の歴史
燃料電池の歴史は自動車よりも古く200年にもおよぶ。1839年にWilliam Robert Grove卿が、硫酸中の2つの白金電極に水素と酸素を供給して発電に成功したことは有名である[1][1] W. R. Grove: Phil. Mag. Ser. 3 14 (1839) 127-130.。この時はGas Voltaic Batteryと呼ばれていた。それに先立ち1802年にHumphry Davy卿が燃料電池の原理を発見したともいわれている[2][2] H. Davy: J. Natural Philosophy, Chemistry and the Arts (Nicholson's Journal) 1 (1802) 144.。Fuel Cellの名称が使用されたのは1889年のLudwig MondとCharles Langerによる粗製水素と空気による発電実験以降である。
水酸化カリウム(KOH)を電解質に用いたアルカリ形燃料電池において、ケンブリッジ大学の教授であったThomas Baconは、1932年に水素と酸素を用いた発電研究に着手し、1959年には電気溶接用電源として5 kWという高い出力を発電したという記録が残っている[3][3] F. T. Bacon: Int. J. Hydrogen Energ. 10 (1985) 423-430.。1960年代にはジェミニ宇宙船やアポロ宇宙船に水素と酸素を用いる燃料電池が搭載された。ジェミニはプロトン交換膜、アポロはアルカリ液電解質を用いた[4][4] Exhibited by the Smithsonian Museum. (http://www.si.edu/)。燃料電池の歴史において、酸形とアルカリ形が共存してきた点は注目される。
燃料電池開発において、我が国にも古い歴史があることは注目される。1972年に(独)産業技術総合研究所(当時は工業技術院 大阪工業試験所)が、アルカリ形燃料電池車を実際に走行させたことが記録されている[5][5] Exhibited by The National Institute of Advanced Industrial Science and Technology, Kansai Center, Japan. (http://www.aist.go.jp/index_en.html)(図2)。燃料には水加ヒドラジン(N2H4∙H2O)を用い、空気を酸化剤として5.2 kWの電力を発生した。パナソニック(株)に並んでダイハツ工業(株)もこのプロジェクトに協力したことが伝えられている。
図2 アルカリ形燃料電池車:産総研1972年製[5][5] Exhibited by The National Institute of Advanced Industrial Science and Technology, Kansai Center, Japan. (http://www.aist.go.jp/index_en.html)
プロトン交換膜を用いる水素燃料電池車の開発は1990年代後半から急速に進み、2009年9月にダイムラー、フォード、GM/オペル、ホンダ、ヒュンダイ/KIA、ルノー/日産とトヨタが共同で2015年までに燃料電池車を実用化するため協力し合う合意書を交わしたことを共同発表した。そしてついに2014年12月に燃料電池車「ミライ」がトヨタから市販された。日本の燃料電池技術は住宅用においても「エネファーム」としてすでに10万台以上普及しており、世界を大きくリードしている。燃料電池自動車においても日本が世界の先駆的役割を果たすことにより広く普及していくことが期待される。
4. 燃料電池開発の取り組み
4.1. CAFEプロジェクト
ダイハツの燃料電池研究開発における産官学共同の取り組みをご紹介したい。“CAFE(Creation of Anionic Fuel-cell for the Earth)Project”と称し、大学や公的研究機関、民間企業が協力して新しいアニオン交換膜形燃料電池を開発することにより、持続可能な社会を実現させようというプロジェクトである(図3)。
図3 CAFEプロジェクト:地球に優しいアニオン形燃料電池の創生(イラスト 田中杏奈 2008年)
(独)日本原子力研究開発機構、(独)産業技術総合研究所、大阪大学、東京大学、東京工業大学、(株)インターリンク、大塚化学(株)、北興化学工業(株)そしてダイハツ工業(株)の各機関から1つもしくは複数の研究室が参画し、他にも山梨大学、九州大学、茨城大学、米国のニューメキシコ大学、ガス技術研究所(GTI)の協力も得て研究開発を推進している。
CAFEプロジェクトの研究開発の目的は、地球の資源的限界と抵触することなく、同時にインフラ整備などの負荷も少なく利便性に富み、普及しやすい燃料電池自動車(FCV)を実用化に結び付けることにある。核となる燃料電池技術は、(1)正負両極とも白金を用いない電極触媒、(2)OH–イオンが移動するアニオン交換膜、(3)液体(および水溶性固体)燃料を高密度なエネルギー貯蔵媒体として用い改質ではなく直接電子を取り出す技術を3本柱とし開発に取り組んでいる[6-10][6] K. Yamada, K. Yasuda, N. Fujiwara, Z. Siroma, H. Tanaka, Y. Miyazaki and T. Kobayashi: Electrochem. Commun. 5 (2003) 892-896.
[7] K. Asazawa, K. Yamada, H. Tanaka, A. Oka, M. Taniguchi and T. Kobayashi: Angew. Chem. Int. Ed. 46 (2007) 8024-8027.
[8] H. Tanaka, K. Asazawa, T. Sakamoto, T. Kato, M. Kai, S. Yamaguchi, K. Yamada and H. Fujikawa: ECS Transactions 16 (2008) 459-464.
[9] K. Asazawa, T. Sakamoto, S. Yamaguchi, K. Yamada, H. Fujikawa, H. Tanaka and K. Oguro: J. Electrochem. Soc. 156 (2009) B509-B512.
[10] H. Tanaka, K. Asazawa and T. Sakamoto, "Chapter11 Automotive Applications of Alkaline Membrane Fuel Cells" Non-Noble Metal Fuel Cell Catalysts, Willey-VCH, Edited by Z. Chen, J.-P. Dodelet and J. Zhang (2014) 389-421.。
CAFEプロジェクトの活動範囲は貴金属フリー燃料電池を核とし、電極触媒、アニオン交換膜、セパレータ、スタックといった燃料電池技術開発の他、触媒界面反応やイオン伝導機構の解明を中心とするサイエンスの探究や、CO2排出を極限まで抑えた液体燃料合成手法の開発、新燃料と燃料電池技術の社会受容性や貢献性の評価などの環境システム、エネルギー戦略と拡がりを見せている。
4.2. エネルギーキャリアとしての液体燃料
水素社会を実現するためには、様々なタイプの燃料電池が登場し、相互補完しながら用途を多岐に広げていくことが望まれる。そのためには、水素もしくは天然ガス改質による水素にはじまり、燃料の多様化が重要となる。水素を電子のキャリアとして用いるWE-NET(World Energy Network:水素利用国際クリーンエネルギーシステム技術研究開発)の考え方をさらに進めて、水素を化学反応により液体の化学物質に変化させることにより、インフラも簡便となり、エネルギー需要側の使い易い形を実現できる。これにより、エネルギー需給両側の地理的・時間的ギャップを埋めてエネルギーを濃縮・平準化でき、再生エネルギー適用範囲の拡大に貢献できる。
運輸部門におけるCO2排出削減に対する一番の課題は、個々の自動車が空間的に分散した場所にてCO2を撒き散らすため回収・固定化が望めないことにある。非炭素系の燃料を用いてCO2を全く排出しない燃料電池自動車を実現し、CO2排出を燃料製造工場側に集中できれば対策の幅が拡がる。
燃料電池において様々な燃料を使っていく試みは大切である。自動車用燃料として何が有望であるかについて考えてみたい。Weimin Qianらは各種燃料の酸化反応における電気化学特性を比較報告している[11][11] W. Qian, D. P. Wilkinson, J. Shen, H. Wang and J. Zhang: J. Power Sources 154 (2006) 202-213.。
この中でヒドラジンは、ΔG0/ΔH0が1を超え、燃料が持つ化学エネルギーを熱損失なく電気エネルギーに変換可能である。また、酸素との反応による理論起電力が1.61 Vと高く、燃料電池用に極めて有望な燃料といえる。特に炭素を含まず、発電によって発生するのは窒素ガスと水のみという点においてCO2削減には大変好ましい。電子を貯蔵・搬送する化学物質としてもエネルギー密度が高く、小さな自動車にも搭載しやすい(図4)。
図4 燃料のエネルギー密度とCO2排出量
ガソリンやメタノールはエネルギー密度が高いが、自動車などの移動体や、モバイルをはじめとする民生・家電品ではCO2回収固定化が困難であり、その点では水加ヒドラジンやアンモニア水など炭素を含まない常温常圧液体燃料が優れていると判断される。特に水加ヒドラジンは引火しにくく、ポリエチレン容器でも流通していることから、インフラの無い過疎地区や災害時の緊急発電用の燃料としてとても扱いやすい。しかしながら、これら有用な液体燃料は反応性に富むが故に、人や生体・自然界に対する毒性や攻撃性も懸念される。これらを化学物質として安全性と社会受容性を評価し、継続して更新することは我々にとっても特に大切な使命と考えている。
4.3. 貴金属フリー・アニオン形燃料電池
固体高分子電解質膜を用いる燃料電池は、一般的に正電荷を持つ水素イオン(プロトン)のみが移動できるプロトン交換膜を使用するため、強い酸性の環境となる。そのため、電極触媒として高い耐蝕性と触媒活性を兼ね備えた白金を使わざるを得なかった。我々は逆転の発想により、負電荷を持つ水酸化物イオン(アニオン)のみが移動できるアニオン交換膜を用いている(図5)。これにより燃料電池はアルカリ性雰囲気となり、触媒材料を幅広く選択することができるようになった。
図5 プロトン交換形とアニオン交換形燃料電池
図6に我々の開発した貴金属フリー液体燃料電池の80℃における発電特性を示す[12][12] A. Serov, M. Padilla, A. J. Roy, P. Atanassov, T. Sakamoto, K. Asazawa and H. Tanaka: Angew. Chem. Int. Ed. 53 (2014) 10336-10339.。アノードにはNiZn/C、カソードには鉄アミノアンチピリン錯体(Fe-AAPyr)を熱処理した触媒を新規に開発した。燃料は20%濃度の水加ヒドラジンに1モルのKOHを添加し、酸化剤としては空気を用いた。白金を全く使わず、遷移金属触媒のみで高い発電出力を示すことがわかる。電気化学探究のためにも高出力であることは有利であり、放射光を用いた解析により新たなアルカリ化学の知見を得ることが期待される。
5. 放射光を活用した燃料電池開発
5.1. in-situ XAFSによるカソード触媒のその場解析
「かんじんなことは、目に見えないんだよ。放射光で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。(L'essential est invisible pour les yeux. On ne voit bien qu'avec le synchrotron.)」星の王子様ならぬ光のおじ様のアドバイスにより、SPring-8にて燃料電池触媒の解析を開始した。
反応中のFe原子の配位数・価数変化を測定するため、SPring-8のBL14B2にて、その場X線吸収微細構造(in-situ XAFS: X-ray Absorption Fine Structure)解析を実施した。試料はFe-AAPyr、測定電位は1.174 Vから0.324 V(vs RHE)の範囲とし、19素子SSD検出器を使用した蛍光法により鉄のK吸収端を測定した。電位によるXANESスペクトルのシフトがみられ、高電位から低電位になるにつれ、XANESスペクトルが低エネルギー側にシフトしていることがわかる[13][13] 岸浩史、坂本友和、朝澤浩一郎、田中裕久、松村大樹、田村和久、西畑保雄、S. Alexey、A. Plamen:自動車技術会 学術講演会前刷集 2-14 (2014) 7-11.(図7)。
図7 in-situ実験によるFe-K吸収端スペクトルの変化[13][13] 岸浩史、坂本友和、朝澤浩一郎、田中裕久、松村大樹、田村和久、西畑保雄、S. Alexey、A. Plamen:自動車技術会 学術講演会前刷集 2-14 (2014) 7-11.
また図8には、EXAFSスペクトルをフーリエ変換することにより得られたFeの周りの動径構造関数の変化を示す[13][13] 岸浩史、坂本友和、朝澤浩一郎、田中裕久、松村大樹、田村和久、西畑保雄、S. Alexey、A. Plamen:自動車技術会 学術講演会前刷集 2-14 (2014) 7-11.。Feの周りの第1近接ピークは軽元素C、N、Oなどによる配位構造を反映していると考えられる。高活性を示したFe-AAPyrは、電位変化に伴う配位数の変化が観察された。理論計算を併用して反応機構を考察すると、この配位構造の変化は高電位でFeに吸着した酸素が電位の低下に伴って還元され、OH–イオンとなり、脱離していく様子を示唆しているものと理解される。さらに研究を継続していく。
図8 in-situ EXAFSによる動径構造関数の変化[13][13] 岸浩史、坂本友和、朝澤浩一郎、田中裕久、松村大樹、田村和久、西畑保雄、S. Alexey、A. Plamen:自動車技術会 学術講演会前刷集 2-14 (2014) 7-11.
5.2. HAXPESによるカソード触媒の化学状態分析
SPring-8の高エネルギー・シンクロトロンX線を利用した硬X線光電子分光(HAXPES: Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy)は、軟X線によるラボ光電子分光(XPS)に比べて検出深さが大きく、また深いエネルギー準位からの光電子を測定できることが特徴である。SPring-8のBL46XUにて、入射エネルギー7.94 keV、光電子出射角度80°の条件で、Fe-AAPyr電極触媒を構成する鉄、窒素、炭素、酸素それぞれの光電子スペクトルを測定した。測定で得られたN 1sスペクトルを図9に示す[13][13] 岸浩史、坂本友和、朝澤浩一郎、田中裕久、松村大樹、田村和久、西畑保雄、S. Alexey、A. Plamen:自動車技術会 学術講演会前刷集 2-14 (2014) 7-11.。これまでにも酸素還元反応(ORR)活性に寄与する構造について議論されてきたが、焼成温度を変えた高活性なFe-AAPyrにおいては、5員環の窒素構造(Pyrrolic)の割合が、6員環の窒素構造(Pyridinic)に比べて多いことがわかった。鉄が窒素に配位したキレート構造を持つ前駆体から、熱処理を経てカソード触媒を調製する際に、Pyrrolicな窒素構造を維持させることが触媒活性を向上させ得る手法として重要と考えられる。
図9 HAXPESによるN 1sスペクトル[13][13] 岸浩史、坂本友和、朝澤浩一郎、田中裕久、松村大樹、田村和久、西畑保雄、S. Alexey、A. Plamen:自動車技術会 学術講演会前刷集 2-14 (2014) 7-11.
5.3. 放射光を利用した材料開発の取り組み
このように最先端のin-situシンクロトロン放射光解析を駆使し活性状態の触媒の微細構造を解析し、それを反映した触媒設計・実験・解析を繰り返し、高活性な触媒開発を進めてきた。さらには活性種探索とともに、酸素・水酸化物イオン・電子のいずれもが拡散しやすい触媒構造を設計することも重要である。
液体燃料をエネルギーキャリアとして用いる新規燃料電池は取り扱いしやすく実用には大きな恩恵をもたらすが、イオン交換膜を燃料が透過するクロスオーバー現象やシャント電流と呼ばれる液相を介する漏電など、実現への障害となる独自の課題も多い。これら全ては原子・イオンスケールで進行する電気化学反応に直接係わる課題で、解決には対症療法ではなく、基礎科学的な掘り下げが不可欠である。
これまでのアニオン交換膜の研究開発からイオン伝導を担う4級アンモニウム塩の低安定性と高含水性が、燃料透過と低耐久性の原因であることがわかってきた。量子ビーム(電子線・ガンマ線)によるグラフト重合・架橋法を利用した電解質膜の開発をブレークスルー技術として、電解質膜に要求される機械特性・耐熱性・燃料バリア性に優れた高分子膜を選択し、新規4級塩を設計することにより、これらの課題解決に取り組んでいる[14][14] K. Yoshimura, H. Koshikawa, T. Yamaki, Y. Maekawa, K. Yamamoto, H. Shishitani, K. Asazawa, S. Yamaguchi and H. Tanaka: ECS Trans. 50 (2012) 2075-2081.。
同時に得られた電解質膜の構造解析を中性子やX線小角散乱や電子顕微鏡で詳細に解析することにより、ナノスケールからより高次な構造に渡る基礎・基盤科学的な理解を深めることを心掛けている。先行しているプロトン交換膜形燃料電池に比べて、アニオン交換膜形燃料電池は未踏の研究分野とさえいえ、基礎的な現象から理解を進めていくことが成功への唯一の道と考えている。
6. 多様な用途展開とLove Local
液体燃料をエネルギーキャリアとして自動車に充填することは、取り扱いが容易であり、エネルギー密度が高いため航続距離が長く、また燃料供給インフラにおいても魅力的である。従来からダイレクトメタノール燃料電池(DMFC)の開発も精力的に取り組まれてきた。過去においてもダイムラーが一人乗りのゴーカートをDMFCにて走行させたことを発表しているが、出力を得るためには白金を数百グラム使用したともいわれている。
我々は水加ヒドラジンをエネルギーキャリアとして用い、アノードにはNi系、カソードには最新のFe系電極触媒を用いた燃料電池スタックを搭載した2台の姉妹車を開発した。その1台は2011年の第42回東京モーターショーにガルウイングを持つ“FC商CASE”として出展した(図1)。Box On BoxのコンセプトをもとにFCシステムを床下に搭載することにより、アッパーボデイの設計に自由度を与えるものである。もう1台はダイハツ社内テストコースにて走行試験を実施してきた。我々が目指してきた液体燃料を用いた貴金属フリー燃料電池が実際のFCVとして走行可能なことを実証できた。どちらも軽自動車のパッケージの中で4人乗車を実現できている。
2013年の第43回東京モーターショーには軽ピックアップトラック“FC凸Deck”を出展した。モーターショーに先立ち、SPring-8構内にて走行試験を実施し、その動画をダイハツブースのメインステージ・スクリーンにて披露した(図10)。
図10 『FC凸Deck』の走行@SPring-8
さらには灯油よりも引火性の低い水加ヒドラジンの特性を活かして、プラスチックボトルに充填した燃料をカートリッジ交換することにより、燃料電池発電機として手軽に使用できることも併せて展示した(図11)。家庭用だけでなく、屋外のイベントやキャンプ用の電源として長時間発電できる。水素社会の実現のためには、先行する水素燃料電池や天然ガス改質、あるいはダイレクトメタノール燃料電池と一緒に、補完し合いながら発展していくことが望まれる。
図11 燃料電池車『FC凸Deck』と家庭用発電機『FC Dock』(2013年 東京モーターショー出展)
軽自動車は低価格で維持費も安価であることから、暮らしを支える身近な乗り物として、特に郊外や地方において家庭に数台といった使われ方をしている。ダイハツではオープンカーのコペンを中心に、地元に根差しながら充実した暮らしを応援する「Love Local」活動を展開している。現在、我々が開発している燃料電池も貴金属を使わず低価格・省資源であり、液体燃料を用いるため扱いやすく、かつコンパクトで高出力である。燃料電池・軽自動車として、あるいは身近な発電機として暮らしを支えてくれるだろう。
7. まとめ
20世紀においては、日々の生活を支えるエネルギーは化石資源に、環境技術は貴金属資源に強く依存してきた。資源の安定的な確保が産業のみならず国家安全においても重要な課題である。これらの貴重な資源は地球上の限られた地域でしか産出されず、石油はアラビア半島の国々、貴金属は南アフリカとロシアの一部に限定される。稀少資源の利権に絡む侵略や征服、あるいは人種差別などが引き起こされてきたことも忘れてはならない。
これに対し、電気エネルギーは様々な方法で作り出すことが可能であり、各地の気候や地形、経済活動などに応じた最適な方法、例えば太陽光・風力・水力・地熱・潮流・原子力などを選ぶことにより、基本的には世界の至る所で生み出すことのできる再生可能エネルギーといえる。この世界中で作ることのできる電気を様々なエネルギーキャリアによって持ち運び、広く普遍的に存在する元素からなる触媒にて再び電気として利用する。
この新しい燃料電池技術がもたらす世界により、これまでと同等以上の安全で快適な生活を維持し、かつ温室効果ガス排出を極限まで抑えることが21世紀の科学技術の目指す大きな方向性であると信じ、これを量産可能な技術で実現するため燃料電池の開発に取り組んでいる。この技術が資源にまつわる紛争の解消につながり、「モノは人を幸せにする」という仮説の証明となることを願う。
謝辞
この放射光を活用した燃料電池の技術開発に対して「ひょうごSPring-8賞(第12回)」を受賞させていただきました。身に余る光栄なことと心より感謝申し上げます。これもひとえに15年間に渡り放射光実験の手ほどきをしていただきました、(独)日本原子力研究開発機構・水木純一郎博士(現在は、関西学院大学教授)、西畑保雄博士と量子ダイナミクス研究グループの皆様、(株)豊田中央研究所の皆様、(公財)高輝度光科学研究センターの皆様のお陰であり、心から感謝申し上げます。また、CAFE(Creation of Anionic Fuel-cell for the Earth)プロジェクトのメンバーをはじめ、共同研究者各位に厚くお礼申し上げます。
SPring-8における触媒解析にはBL11XU、BL14B1、BL14B2、BL46XU、BL47XU、電解質膜の構造解析にはBL19B2など多くのビームラインを利用させていただいています。ここに掲載した放射光による実験は、SPring-8の重点産業化促進課題をはじめとする課題(2011B1802、2012A1774、2012A1775、2012B1731、2013A1643、2013A1644)により実施しました。
また、FC凸Deck走行試験と撮影にご協力いただきました、(独)理化学研究所、(独)日本原子力研究開発機構、(公財)高輝度光科学研究センターの関係各位に厚くお礼申し上げます。末筆になりましたが、一緒に燃料電池車の開発を続けているダイハツ工業(株)先端技術開発チームとモーターショーグループの仲間に深く感謝いたします。
この研究開発は、(独)科学技術振興機構(JST)による先端的低炭素技術開発(ALCA)および戦略的創造研究推進事業(CREST)の支援を受けています。
参考文献
[1] W. R. Grove: Phil. Mag. Ser. 3 14 (1839) 127-130.
[2] H. Davy: J. Natural Philosophy, Chemistry and the Arts (Nicholson's Journal) 1 (1802) 144.
[3] F. T. Bacon: Int. J. Hydrogen Energ. 10 (1985) 423-430.
[4] Exhibited by the Smithsonian Museum. (http://www.si.edu/)
[5] Exhibited by The National Institute of Advanced Industrial Science and Technology, Kansai Center, Japan. (http://www.aist.go.jp/index_en.html)
[6] K. Yamada, K. Yasuda, N. Fujiwara, Z. Siroma, H. Tanaka, Y. Miyazaki and T. Kobayashi: Electrochem. Commun. 5 (2003) 892-896.
[7] K. Asazawa, K. Yamada, H. Tanaka, A. Oka, M. Taniguchi and T. Kobayashi: Angew. Chem. Int. Ed. 46 (2007) 8024-8027.
[8] H. Tanaka, K. Asazawa, T. Sakamoto, T. Kato, M. Kai, S. Yamaguchi, K. Yamada and H. Fujikawa: ECS Transactions 16 (2008) 459-464.
[9] K. Asazawa, T. Sakamoto, S. Yamaguchi, K. Yamada, H. Fujikawa, H. Tanaka and K. Oguro: J. Electrochem. Soc. 156 (2009) B509-B512.
[10] H. Tanaka, K. Asazawa and T. Sakamoto, "Chapter11 Automotive Applications of Alkaline Membrane Fuel Cells" Non-Noble Metal Fuel Cell Catalysts, Willey-VCH, Edited by Z. Chen, J.-P. Dodelet and J. Zhang (2014) 389-421.
[11] W. Qian, D. P. Wilkinson, J. Shen, H. Wang and J. Zhang: J. Power Sources 154 (2006) 202-213.
[12] A. Serov, M. Padilla, A. J. Roy, P. Atanassov, T. Sakamoto, K. Asazawa and H. Tanaka: Angew. Chem. Int. Ed. 53 (2014) 10336-10339.
[13] 岸浩史、坂本友和、朝澤浩一郎、田中裕久、松村大樹、田村和久、西畑保雄、S. Alexey、A. Plamen:自動車技術会 学術講演会前刷集 2-14 (2014) 7-11.
[14] K. Yoshimura, H. Koshikawa, T. Yamaki, Y. Maekawa, K. Yamamoto, H. Shishitani, K. Asazawa, S. Yamaguchi and H. Tanaka: ECS Trans. 50 (2012) 2075-2081.
ダイハツ工業株式会社 開発部
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