ページトップへ戻る

Volume 13, No.3 Pages 259 - 263

4. 利用者懇談会研究会報告/RESEARCH GROUP REPORT (SPring-8 USERS SOCIETY)

「超精密結晶構造因子測定とその展開」研究会の活動報告
Report on the Activity of the Research Group “Super Accurate Electron Density”

田中 清明 TANAKA Kiyoaki

名古屋工業大学大学院 工学研究科 Graduate School of Engineering, Nagoya Institute of Technology

pdfDownload PDF (49 KB)


1.はじめに
 われわれの研究会はSPring-8にビームラインを持たない研究会として発足した。精密測定の分野は、X線解析の最先端分野のひとつであり、X線回折法の進歩の重要な要素である、構造因子の測定精度およびその補正法の向上、測定構造因子のより高度な解析法を用いた電子の関わる物性の解明がその任務である。以下に述べる近年のこの分野の進歩を俯瞰すると、実験室での測定精度の向上には限界があり、高輝度放射光を利用した、超高精度測定に活路を求める必要性が高まっている。
 
2.何故、超精密結晶構造因子測定が必要か? 
 電子密度分布を測定・解析する精密測定は、有機化合物の解析を中心として発展してきた多極子解析法及びそれを活用するBaderのトポロジー解析法の発展が一段落し、次の解析法へ移行する段階を迎えている。量子力学をできるだけ厳密に適用して、物性を分子軌道(MO)または原子軌道(AO)に基づく軌道モデルにより明らかにする研究の流れもそのひとつである。また、精密測定に基づく電子密度解析の領域を、希土類元素等の重原子を含む結晶の電子密度までも取り扱えるように拡張することも重要な課題である。これは電子密度全体を数学関数で置換して物性を論じる多極子解析法では、電子が高密度に集積した重原子結晶の、個々の結合軌道の情報を得ることが、著しく困難になるからである。未だに高温超伝導体の電子密度を観測し、多極子解析法により定量的に解析されていない理由はここにある。
 しかし、回折強度への影響がより小さい物理量を有意に求め、さらに詳しい物理量を求める研究がなされているが、解析法の必要とする測定精度に、実験が追いつかない状態になりつつある。たとえば、近藤結晶CeB6のCe-5d軌道が電子により占有されていることが明らかになってきたが[1]、5d軌道半径は4f軌道の3倍弱である。したがって、軌道上の平均電子密度を比べると、5d電子密度は4f電子密度の約1/20であり、差フーリエ図の5d領域における0.1eÅ-3の山は、4f領域では2.0eÅ-3の山に相当する。また、5d領域では、フーリエ級数打ち切りの誤差が無視できない。このため、強度の弱いsinθ/λの大きい高角反射まで、高精度で測定することが求められる。また、結合電子数の全電子数に対する割合の低い重原子結晶では、通常の球対称散乱因子による解析でも、R−因子は1%程度まで低下する。したがって、1%から0.1%のオーダーのR−因子の低下が解析の対象になる。次に、有機化合物において、MOを電子密度解析に取り込んだ場合を考える。MOは、分子中のAOの一次結合(LCAO近似)で表現されるので、その二乗の電子密度をフーリエ変換して求める構造因子には、2中心散乱因子が含まれる。この分子軌道を特徴付ける2中心散乱因子の構造因子への寄与の割合が1%(○)および3%(●)を超える反射数を、sin(θ/λ)で0.05おきにプロットしたものを図1に示す[2]。化合物は(NHCHO)2である。一番上の線はsin(θ/λ)で0.05の幅の間に測定された反射数である。参考までにNH4Fe(SO42・12H2Oの場合について1%を超える反射数を赤線でプロットする。遷移金属原子を含む場合には、最小二乗法で決定すべき分子軌道の係数が飛躍的に増えるのに反し、有意な反射数が大きく減少する。したがって、X線回折実験からMOを(位相を除いて)決定することは、現行の測定精度では、簡単な有機化合物では可能であるが、遷移金属錯体や希土類化合物では難しいと考えられる。

 

図1 構造因子中に2中心散乱因子の寄与を1%(○)、3%(●)以上含む反射数

 このように、有機・無機を問わず、構造因子の精密測定による電子密度解析を行うためには、測定精度を1桁向上させる必要がある。X線構造解析測定の精度は現在1%程度であるが、これを0.1%まで向上させると、AO、MOに関係する変数は、現在の座標や温度因子と同様に、容易に決定できる変数となろう。これにより、高温超伝導体をはじめ多くの興味深い物性を持つ、重原子結晶の電子密度が、量子力学に基づき軌道レベルで解析できるであろう。また、配位子場理論を適用すれば、配位結合中の、共有結合性とイオン結合性の割合が実験的に確定できる等、配位結合の性質の解明も飛躍的に進むであろう。
 測定精度を0.1%に向上させるためには、個々の反射の計数誤差を0.1%以下にすることが必要であり、そのためには強度の弱い高指数反射についても、少なくとも100万カウントの計数値が必要である。これを達成する手段は放射光の他にはない。

3.高精度測定を達成するために必要な研究
3-1.解析法の展望
(1)多極子解析法(Multiple Refinement)[3]
 多極子解析法は、X線回折法で測定した電子密度を、各原子の内殻電子と外殻の結合電子によるものの和と考え、結合電子による電子密度を球面調和関数等で展開し、それをフーリエ変換して求めた計算構造因子と観測構造因子の差の二乗の和を最小にする最小二乗法でその展開係数を求める方法である。この方法は有機化合物に主として適用されてきたが、差フーリエ図上で、結合の中央付近に存在する、前節で述べた2中心電子による結合電子の山もきれいに説明する。このため、この方法はBaderによる電子密度のトポロジー解析[4]に発展した。トポロジー解析では化学結合の再定義が行われ、結合の性質の詳細な議論が行われている。たとえば、相転移時の“化学結合”の切断と形成が、相転移による結晶構造変化に対応すること等が示されている[5]。しかし、多極子解析法では、2中心電子を取り扱わないにも関わらず、結合電子の山も説明する点は、同方法で求められる電子密度の関数表現の量子力学的正当性に一抹の疑念を抱かせる点である。このため、化学結合論に基づいた軌道モデルに対応する以下の解析法が提案されている。
(2)Roothaan-Hartree-Fock エネルギー最小化過程とX線回折法の組み合わせ[6]
 Roothaan-Hartree-Fock 法による、変分原理に基づきエネルギーを最小にする計算の過程で、X線解析で使用される<χ2>を1に近づけるという条件を、観測および計算構造因子に適用して、ラグランジュの未定乗数法で取り込み解析する方法である。量子理論計算とX線回折実験を組み合わせた方法であり、観測および計算構造因子の差を小さくすると同時にエネルギーを最小にしつつ分子軌道(MO)を求める優れた方法である。この方法の問題点は、X線回折実験と理論計算の重要性の割合を示す未定乗数を、解析者が与える必要があり、このため、理論計算におけるX線回折実験の重みが不明確であることである。前節で述べたように、遷移金属錯体の場合、現行のX線回折実験の測定精度ではMOを決定することはほぼ不可能と推定されるが、このような場合にも、MOが求められている。
(3)X線原子軌道解析(XAO)[7]
 前節で述べた4fおよび5d電子密度分布の解析に使用された方法であり、金属原子や固溶体等の非化学両論組成のイオン結晶で有効に使用される方法である。XAO法は(2)の場合と異なり、X線回折実験だけから位相を除いたAOを求めようとする方法である。本方法では、AO間の規格直交条件を厳密に満たす解析が行われるので、各AOを占有する電子数が求められる。これは分光法では求められないので、今後、回折法による物性研究において、重要な役割を果たすと考えられる。尚、言うまでもないが、多極子解析法では各軌道の占有電子数は求められない。XAO法を発展させると、X線回折実験から、位相を除いたMOを求める方法となりうる可能性がある。前述したように、遷移金属錯体のXMO解析を行うためには、0.1%の測定精度が必要となろう。 

3-2.補正法の展望
  測定精度の1桁向上を目指せば、Lp補正も含めすべての補正法の再検討が必要になる。特に、消衰効果補正はX線回折法にとって、いわば永遠の課題であるが、消衰効果の小さい有機化合物を中心に使用されてきたBecker & Coppensの方法が今後も使用できるのか、常に注意を払うべき問題である。消衰効果が大きい場合により有効であるといわれるN.Kato等による補正法[8]の導入も真剣に検討する必要があろう。一方、希土類化合物の4f電子密度の測定は、同時反射を回避する測定法の開発により可能になった。単位格子中の4f電子数に対する全電子数の比は1%程度であるが、同時反射による観測構造因子の変動は、容易に1%を超える。放射光ではX線の拡散が少ないため、同時反射は無視できると考えられていたが、最近、PF-14AにおけるAPDを検出器とする4軸回折計を使用して行った実験によると、Ψ-scan法を利用して同時反射を避けた測定と通常の測定を行った測定の結果得られた差フーリエ図に驚くほど大きな差があることが明らかになった。異常な強度を持つ反射として、明確な根拠もなく棄てられていたであろう反射の多くが、同時反射の影響を受けていた。放射光による測定では、IP等の高精度2次元検出器による測定が、貴重なビームタイムを有効に使うため、ほとんどのビームラインで行われている。しかし、希土類元素など重元素を含む結晶等、同時反射を無視できない場合には、APDのような0次元検出器と4軸回折計により、1反射ずつ同時反射を避ける測定を行う方が、何度も結晶を取り替えて2次元検出器で測定し、測定反射の過半数を棄てるより有効であるかもしれない。実験室で行う測定の場合、各回折斑点の強度測定に、1〜10分必要であるが、PF-14Aではそれに等価以上の高精度測定が1〜3秒でできる。4軸の移動角度の最小化を行っても、4軸設定に2〜10秒かかるが、1日に約1600反射の精密測定ができる。4軸回折計の角度設定の高速化ができれば、放射光による超精密測定の非常に有効な手段になると思われる。

 
3-3.計測器
 測定精度を1桁向上させると、より本質的な電子物性が測定できることを述べてきたが、計測器の性能が0.1%の測定に耐え得なければ、すべてが画餅と帰する。計数誤差のみを考えても、強度の弱い高指数反射も含めて、100万個以上の光子を各反射毎に計数する必要がある。そのため、強力なX線源と高効率計測、高い線形応答性を持つ計測器が必須であり、これを満たせるものは放射光と最先端計測器の組み合わせしか存在しない。
 そこで、本研究会では、現在の最先端計測器、IP、APD、PILATUSを代表する3人の講師の方々にお集まりただいて、「0.1%の高精度測定は可能か」をテーマにして、各1時間講演していただいた。講演題目等は活動記録に記すが、講演後2時間にわたり、研究室のゼミ程度の気楽な立場で、自由で活発な討論を行った。PILATUSについては、その応用面の高い自由度と可能性に着目した質疑が多くなされたが、本研究会の目的である超精密測定の観点からのみまとめると、
(1)IP では強度の記録からデジタル化の過程で生じる誤差の伝播により、各反射で1%以下の精度を達成するのは困難である。多くの反射の統計的な平均により、測定反射全体で見た場合、R-因子を1%以下にするのは可能であろう。 
(2)APD、PILATUSでは、X線光子数を計数するので、高輝度X線により0.1%の達成は可能である。計数の直線性は107(IP)、108(APD)、107(PILATUS)まで達成されている。 
(3)PILATUS、IPは2次元検出器であるので、検出器に入射するX線の場所による、感度のバラつきは避けられない。そのため、標準的な光源を使用して、実験的に補正を行う必要がある。APDにはこの問題はない。
 
4.活動状況・活動記録 
 これまで2回研究会を開催した。 
(1)第1回会合 
日 時:2006年10月21日 
場 所:SPring-8中央管理棟 
出席者 
 大庭卓也、坂田修身、佐々木聡、竹中康之、田中清明、田中雅彦、八島正知、山中高光、吉朝 朗、Yury Ivanov 計10名 
講 演 
①中性子・放射光粉末回折による精密構造解析 
  東京工業大学大学院教授 八島 正知 
②電子密度測定の現状と今後の課題−何故“超”精密が必要か− 
  名古屋工業大学大学院教授 田中 清明
 
議事内容 
 研究会設置申請書、外国人研究者に配布した参加要請、活動計画書のコピーを配布して、研究会の目的について賛同を得た。参加者の自己紹介を兼ねた各人の研究について、皆さんが熱心に話されたので、2時間以上かかった。その後会の運営方針を協議した。ビームライン獲得のため、特定領域への応募も含めて、今後協議することになった。APDの専門家2名が今回は急用で参加できなかったので、次回以降に、あるべきビームラインについて協議することになった。その後、メンバーの2名による講演が行われた。

(2)第2回会合 
日 時:2008年2月16日14:00〜19:00 
場 所:東京大学本郷工学部6号館107会議室 
出席者 
 雨宮慶幸、岸本俊二、豊川秀訓、植草秀浩、大庭卓也、小澤芳樹、尾関智二、河野正規、坂倉輝俊、佐々木聡、竹中康之、田中清明 計12名
 議 題 
 超精密測定における、IP、APD、PILATUSの適用性 
議事内容 
 超精密測定を行うときに必要となる検出器の性能を明らかにするため、現在の代表的な検出器、IP、APD、PILATUSを代表する3名の講師をお招きし、講演していただいた。講演者と講演題目は以下の通りである。
①雨宮慶幸、「イメージングプレートとX線回折用CCD検出器−精密測定の立場から−」 
 検出器の基礎全般および積分型検出器としてのIPの特徴、X線を受ける時点からデータ読み出しまでの各段階における誤差の原因を、主としてDQE(Detective Quantum Efficiency)を用いて説明された。本会議での検出器全般にわたる素晴らしい基調講演であった。 
②岸本俊二、「シリコン・アバランシェフォトダイオード(Si-APD)検出器のX線回折実験への応用」 
 APDはX線1光子によるナノ秒パルスの検出を行う、積層型高計数率のパルス型検出器である。計数率のダイナミックレンジが10桁であり、108cpsの高速計数が可能であり、10keV以上の高エネルギーのX線領域でも十分な計数効率を有するなど、放射光X線精密測定に適した検出器であることを、その仕組みも含めて説明された。 
③豊川秀訓、「PILATUS Single photon counting pixel detector for synchrotron radiation applications」
 PILATUSは1光子によるパルスの検出を行う2次元検出器である。現在の読み出し時間が、IPが分、CCDが秒のオーダーであるのに比べ、ミリ秒のオーダーで格段に早い。107cpsまで強度線形性がある。PILATUS100Kの場合、83.8×33.5mm2の有効面積をもち、その中に172×172µm2のピクセルが並んだ構造になっている。有効面積の広いPILATUS-2M(254×289mm2)および-6M(424×435mm2)も、SPring-8の多くのビームラインで使用されており、その実例を説明された。

  尚、2回の会合の要約は、以下の諸外国の会員にも、連絡された。 
Becker, Pierre France Professor 
  UMR SPMS, Ecole Centrale Paris 
Blessing, Robert USA Professor 
  SUNY at Buffalo 
Coppens, Philip USA Professor 
  SUNY at Buffalo 
Dylan, Jayatilaka Australia A/Professor 
  The University of Western Australia 
Fertey, Pierre France Professor 
  LCM3B, Univ. Henri Poincaré, Nancy 1 
Gillet, Jean Michel France Professor 
  Ecole Centrale Paris 
Ivanov, Yury Russia Dr. 
  National Library of Russia 
Lecomte, Claude France Professor 
  LCM3B, Univ. Henri Poincaré, Nancy 1 
Rossmanith, Elisabeth Germany Professor 
  Universität Hamburg 
Schneider, Jochen R. Germany Professor 
  HASYLAB at DESY 
Spackman, Mark Australia Professor 
  The University of Western Australia 
Tsirelson, Vladimir G. Russia Professor 
  Mendeleev University of Chemical Technology of Russia 
Wang, Yu Taiwan Professor 
  National Taiwan University 
Zhurov, Vladimir Russia Dr. 
  Karpov Institute of Physical Chemistry 
Zhurova, Elizabeth, A. USA As/Professor 
  Univ. Toledo
 
5.おわりに 
 本研究会はSPring-8の研究会活動の見直しに伴い、会員の方と協議した結果、継続しないことになった。外国の会員からは、大変、興味深い内容なので、是非、再立ち上げしてほしいという声も届いている。精密計測と精密測定という立場での研究会が近い将来立ち上がることを期待している。
 20世紀のX線結晶学はラウエの回折理論に始まり大発展を遂げた。20世紀を通してほぼ5〜10年おきにノーベル賞が授与されてきたことからも明らかであるが、この分野は、実験科学の中心に位置し続けた。世界最先端施設であるSPring-8では、このX線回折法の歴史的な役割をさらに発展させる使命があると考えられる。精密測定に関しては、最早、放射光なくして、抜本的な測定精度の向上は期待できないと言っても過言ではない段階に立ち至っている。放射光と最先端計測器の組み合わせによって初めて0.1%の測定精度が達成できるのである。
 
参考文献 
[1]R. Makita, K. Tanaka, Y. nuki and H. Tatewaki : Acta Cryst. B63 (2007) 483-492. 
[2]K. Tanaka : Mol. Cryst. Liq. Cryst. 278 (1996) 111-116. 
[3]N. H. Hansen and P. Coppens : Acta Cryst. A34 (1978) 909-921. 
[4]R. F. W. Bader : Atoms in Molecules - A Quantum theory. Oxford University Press (1990). 
[5]Y. Ivanov, T. Nimura and K. Tanaka : Acta Cryst. B60 (2004) 359-368. 
[6]D. Jayatilaka and D. J. Grimwood : Acta Cryst. A57 (2001) 76-86. 
[7]K. Tanaka, R. Makita, S. Funahashi, T. Komori and W. Zaw : Acta Cryst. A : accepted (2008). 
[8]N. Kato : Acta Cryst. A50 (1994) 17-20.他多数
 
田中 清明 TANAKA  Kiyoaki 
名古屋工業大学大学院 工学研究科 おもひ領域 
〒466-8555 名古屋市昭和区御器所町 
TEL&FAX:052-735-5278 
e-mail : tanaka.kiyoaki@nitech.ac.jp


Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
Online ISSN 2187-4794