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Volume 13, No.3 Pages 252 - 258

4. 利用者懇談会研究会報告/RESEARCH GROUP REPORT (SPring-8 USERS SOCIETY)

高エネルギーシンクロトロン放射光蛍光エックス線分析の科学捜査への応用 −10年の歩み− 科学捜査研究会
Application of High Energy Synchrotron Radiation X-ray Fluorescence Analysis to Evidence Based Scientific Investigation (EBSi) – Development in Ten Years –

鈴木 真一 SUZUKI Shinichi

科学警察研究所 National Research Institute of Police Science

Abstract
SPring-8 has been plying a significant role in forensic science field, especially in trace physical evidence. This facility is indispensable for the discrimination and classification in evidence based scientific investigation (EBSi). In our group, several analytical techniques have been applying to various samples, for instance, arsenous acid used by murder case, glass fragments, trace gold particles, and trace miscellaneous materials at arson case. SPring-8 has been contributing to social safety and security by resolving criminal incidents.
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 科学捜査研究会は、SPring-8の犯罪捜査への応用について、広範な試料に対して、どのような分析手法を用いれば、「微細物件」から多くの情報を抽出し、証拠価値を付与し、「微細証拠物件」としての利用が可能であるかの検討を行う研究会である。研究会の構成は、警察庁科学警察研究所や都道府県警察科学捜査研究所の研究者が多く、研究会員はその専攻も幅広く、物理、化学及び工学などから構成されている。研究会活動は、「日本法科学技術学会」のひとつの研究分野として、毎年開催される同学会のサテライト的な意味合いを持ち、学術集会より、踏み込んだ問題点の討論を同学会の日程に合わせて行っている。

 Super Photon ring- 8 GeV(SPring-8)の存在と目に見える形での「社会貢献」が広く知られたのは、平成10年の和歌山県下における亜ヒ酸をもちいた無差別殺人事件の鑑定に、東京理科大学の中井グループが犯行に用いられた毒物と押収された毒物の同一性の証明をSPring-8 BL08Wを用いた蛍光エックス線分析で行ったことに始まる。しばらくの間、我々のグループでは、本手法の妥当性の検討や、定量法の開発などを行い、報文としてまとめている。

 当初、BL08Wの放射光(116 keV)を用いた時の機器の配置及び実験の様子を図1から図3に示す。

 

 

図1 SR-XRF分析の機器の配置

 

 

 

図2 SR-XRF分析時の放射光及び蛍光エックス線の流れ

 

 

 

図3 BL08WでSR-XRF分析用の各種機器配置を行っているところ

 

 

 初期のSPring-8における実験では、BL08Wを用い、産出国、精製法などの試料の履歴が明確な亜ヒ酸を試料として、非破壊、非接触の微量元素分析法であるシンクロトン放射光蛍光エックス線分析(SR-XRF)法で、試料に含まれるどのような微量元素が異同識別の対象になるかを検討し、5元素(Sn, Sb, Se, Bi, Pb)を選択した。さらに他の確立された定量分析法である誘導結合プラズマ-発光分光法(ICP-AES)によるこれら5元素の定量結果を、図4(a)から(c)に示す。 またこれらの試料を図5に示すような固定装置を用い、116 keVでSR-XRF分析を行った。

 その結果得られた、放射光蛍光エックス線スペクトルを図6(a)から(c)に示す。

 

 

図4 (a) 中国において精製した亜ヒ酸のICP-AESによる不純物分析結果

 

 

 

図4 (b) 日本において精密濾過方式で精製した亜ヒ酸のICP-AES分析結果

 

 

 

図4 (c) ドイツにおいて精製された亜ヒ酸のICP-AES分析結果

 

 

 

図5 SR-XRF分析に用いたサンプルホルダー

 

 

 

図6 (a) 中国製亜ヒ酸(中国で精製)のSR-XRF特性エックス線スペクトル

 

 

 

図6 (b) 日本で精密濾過法により精製した亜ヒ酸のSR-XRF特性エックス線スペクトル

 

 

 

図6 (c) ドイツで精製された亜ヒ酸のSR-XRFの特性エックス線スペクトル

 

 

 検出された元素について、ICP-AESの結果得られた5元素の中でPbと例数の少ないSeを除いた3元素について、マトリックスのヒ素のカウント数で各ピークのカウント数基準化した値と、SR-XRF分析の結果得られた特性エックス線強度を主要元素であるヒ素の特性エックス線強度で基準化した値を算出し、それらの相関を検討した。その結果を図7(a)から(c)に示す。

 

 

図7 (a) SnのSR-XRFとICP-AESの定量値の相関関係

 

 

 

図7 (b) SbのSR-XRFとICP-AESの定量値の相関関係

 

 

 

図7 (c) BiのSR-XRFとICP-AESの定量値の相関関係

 

 

 全く原理が異なった方法でも、マトリックス元素で目的元素を基準化した値には相関があり、定量分析の可能性も示唆された。

 本研究会で扱う分析対象試料は、極めて微細で、かつ非破壊分析を求められる場合が多い。そのような試料の中で微細ガラス片は、犯罪現場に遺留される場合が多く、被害者に付着する可能性が高い。前述の理由から、精密屈折率測定法による微細ガラス片の異同識別(屈折率で小数点以下4桁目の差異が±0.0002以内であることが、同種のガラスの必要とされるひとつの条件)が行われてきたが、試料量が10 mg以上あり、破壊分析が可能である場合には、マイクロ波加熱酸分解の後、ICP-MSにより微量不純物の分析を行い、精密屈折率の結果とあわせてさらに精度の高い異同識別を行っていた。しかし、この試料量は極めて多く、被害者付着のガラス片はおおよそ、2~3 mg以下の場合がほとんどであり、精密屈折率という1変数のみで類似性を評価していた。そこで、放射光蛍光エックス線分析による不純物元素の高感度分析が可能であるSPring-8を用いることにより、基礎データの収集を行った。初期にはBL08Wを用いていたが、励起エネルギーが高いため、目的とする元素の高感度分析には116 keV の励起エネルギーは不適当であることが明らかとなったため、放射光エネルギーが75.5 keVのBL37XUを用いて実験を行った。

 その結果、得られた異同識別の対象となる微量不純物の感度は満足するものであり、かつ試料量も0.5 mg程度で、測定が可能であった。図8に同一のガラス片を116 keVと75.5 keVの励起エネルギーで励起した蛍光エックス線分析の結果得られた特性エックス線スペクトルを示す。明らかに、20 keV以下の部分が高感度で検出されている。

 

 

図8 励起エネルギーの違いによる感度の向上。試料NIST SRM 612(Standard Glass Sample, Heavy Metals Spiked)。

 

 

 また、実際の事例で、犯罪現場から採取されたガラス片と被疑者から採取した複数の微細ガラス片の精密屈折率は類似の範囲内であったが、放射光蛍光エックス線分析の結果では異なっていた場合と同一であった場合を、図9及び図10に示す。

 

 

図9 精密屈折率のみでは識別不可能だったガラス片試料(車上荒らし事案)

 

 

 

図10 精密屈折率が一致していたガラス片のSR-XRF分析による識別

 

 

 さらに、微細ガラス片を対象とした研究では、窃盗犯の現住建造物侵入の際にガラスの一部(鍵の近辺)にバーナー等で熱をかけ、急冷、鋭利な工具でその部分をつつき、ガラスを破壊して住居内に入るという、いわゆる「焼き破り」の場合には、ガラスの熱履歴が変わってしまうために、ガラス片の鑑定法の国際標準というべき精密屈折率が変化してしまうという現象が確認された。この場合、屈折率は小さくなり、異同識別の判断基準として用いている数値である±0.0002の範囲を大きく逸脱してしまう。このような場合、微量不純物分析が異同識別の唯一の方法となるが、この場合、加熱前と加熱後の微量不純物含有量に変化が無いことを担保しておくことが必須である。そのため、模擬試料を作成して、BL37XUの高エネルギー側のライン(75.5 keV)を利用して、微量不純物の変化を測定した。図11に示すように、加熱前後では屈折率は変化しても、微量不純物には変化が認められないことが明らかになった。

 

 

図11 435°C、2 min加熱前後の微細ガラス片含有微量元素の変化。○:加熱前、●:加熱後(a) Srと(b) Znについての変化。

 

 

 同様な熱による変化を検討した事例では、放火事案に用いられるマッチの着火剤の、燃焼前後における異同識別に使用する微量不純物元素の変化の有無がある。異なる着火剤では、微量元素が異なっていたが、同じ着火剤の場合では燃焼前後でその含有元素のパターンには変化のないことが確かめられた。放射光蛍光エックス線分析の結果得られた特性エックス線スペクトルを図12に示す。

 

 

図12 異なったマッチ試料の頭薬に含有される微量成分が異なった試料(sample a and sample b)の燃焼前後での変化。黒色実線:燃焼前、赤色実線:燃焼後。

 

 

 SPring-8の放射光を利用した微細証拠物件に証拠価値を与える研究は、ガラス片にとどまらず、実際の犯罪捜査(Crime Scene Investigation)で押収される、すべての物件に及び、金箔(当然 1 mm × 1 mm程度のもの)などの研究例のほとんど無い分野へも応用の範囲が広がっていった。強盗殺人事件で、ふすまの金箔の一部が被疑者に付着し、その異同識別を求められた事例がもとになっているが、この場合、金のLα線と銀のKα線との比較からその異同識別を可能としている。

 図13に代表的な金箔の特性エックス線スペクトルを示す。

 

 

図13 異なった金箔試料のSR-XRF分析の結果得られた特性エックス線スペクトル。a) Au の含有量の多い金箔粒子、b) Auに比較してAg含有量の多い金箔粒子。

 

 

 科学捜査研究会で扱った研究及びその応用例の一部を概括したが、現在の司法制度では精緻な化学分析の結果が、科学技術の進歩とともに公判の維持のために必要となってきている。例えば、毒物であるが、「犯罪に使用された毒物」と「押収された毒物」の同一性の証明や、毒物の摂取は吐瀉物や胃内容物からの検出だけでは不充分で、生体試料(血液、毛髪、尿など)や解剖時に採取された臓器からの検出が要求される。この点が決定的に薬物の場合と異なっている点であり、戦後の事件で、実際に被害者死亡の案件で「同一性」の証明がいわれ始めたのは、ここ十数年である。われわれの行ってきた研究が、難事件の解決に幾ばくかの貢献をなしていることを信じたい。これからの分析対象も研究室レベルの機器では処理できないものが多数存在しているであろう。決して華やかな分野ではないが、微細物件ごとに確実な分析手法を確立し、巧妙化する犯罪に対峙してゆかなければならない。

 

 

 

鈴木 真一 SUZUKI Shinichi

科学警察研究所 法科学第三部

〒277-0882 千葉県柏市柏の葉6-3-1

TEL:04-7135-8001(ex.2530) FAX:04-7133-9153

e-mail : suzukis@nrips.go.jp

 

 

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[ - Vol.15 No.4(2010)]
Online ISSN 2187-4794