Volume 12, No.5 Pages 403 - 408
3. 利用者懇談会研究会報告/RESEARCH GROUP REPORT (SPring-8 USERS SOCIETY)
原子分子の内殻励起研究会の現状報告
Meeting of Inner -Shell Excitation Process Research Group
[1](独)産業技術総合研究所 AIST、[2]兵庫県立大学大学院 物質理学研究科 Graduate School of Material Science, University of Hyogo
1. 設立趣旨
本研究会は、もともとは「内殻励起ダイナミクスの最前線」という研究会であり、内殻励起状態のダイナミクス(動的変化)に関する最新情報を交換したり、それに関する新規な計測技術を開発することを目的として設立された。組織改変に伴い、その研究会を母体として、平成18年度から「原子分子の内殻励起研究会」として新たにスタートし現在に至っている。主に原子分子をターゲットとして実験を行っている研究者で構成されているが、理論の方なども加わっている。
内殻電子が励起・イオン化した原子や分子は、高いエネルギー状態にあり、電子放出、フラグメント生成などでエネルギーを放出することにより、緩和する。原子・分子という基本的な物質にもかかわらず、その励起・イオン化および緩和過程は非常に多彩であり、一言では語れないが、いわゆる「内殻励起ダイナミクス」と総称している。高輝度放射光と超高分解能分光器の出現によって、近年、内殻励起ダイナミクス関連の研究は大きく発展してきた。中でもSPring-8の軟X線ビームラインでは10,000を優に超える分解能が達成され、特にBL27SUにおいて、世界に類を見ない高輝度・高分解能を活かした実験が積極的に進められている。今後、X線自由電子レーザ、フェムト秒レーザなど新たな光源の利用によって、内殻励起ダイナミクスの研究はさらに発展すると考えられる。
本研究会の第一の目標は、このような最先端光源を用いたより精緻な分光実験を通して原子・分子の内殻励起ダイナミクスを明らかにするとともに、そのために必要な測定系の技術開発を行うことである。また、それらの技術をさらに発展させ、クラスターや表面およびイオン等を含む励起種をもターゲットにして、内殻励起ダイナミクスを原子・分子レベルで解明することである。そのために、国内各研究所での内殻励起状態ダイナミクス探索の現状を分析すること、また世界における内殻励起ダイナミクス研究の現状を掌握するため、国内学会だけでなく積極的に国際研究集会に参加して、情報の収集とSPring-8における研究成果の宣伝に努める。このような国内外の現状分析に基づき、次のブレイクスルーを引き起こすにはどのような計測技術の開発が必要となるか、あるいはどのような特性を持った次世代ビームラインあるいは次世代光源が必要となるかを議論することが、第二の目標である。内殻励起状態ダイナミクスの探索はこれまでも軟X線光源の進歩と共に新たな展開を見せてきた。SPring-8においても、軟X線領域の偏光可変アンジュレーターや、長尺アンジュレーター、自由電子レーザの建設が進められている。このような新たな光源の利用による内殻励起状態ダイナミクスの研究における新たな展開の方向性、あるいは新たな光源の性能をフルに活かすにはどのような計測手法の開発が必要なのかについても広く議論していきたい。
2. 研究会開催の報告
2007年2月19日(月)から2月21日(水)に、「原子分子の内殻励起研究会」および「軟X線技術研究会」の2つの研究会が合同で、SPring-8普及棟中講堂において研究会を行った。「軟X線技術研究会」はBL27SUのBLSGが母体となってできた研究会で、軟X線ビームラインの設計者や新しい測定装置を開発する研究者で構成されている。過去には、この研究会のメンバーが中心となり、可変偏角飛行時間質量分析装置(VRTMAN)や高分解能電子アナライザーSCIENTA2002などがBL27SUに導入された。今回初めて、2つの研究会を合同で開催することによって、最先端の軟X線分光技術と測定技術を、ビームライン上流から下流まで知ることができた。また、広い分野の研究者が相互に意見交換することで、各自の今後の研究の発展にもつながった。
さて、今回の研究会の目的は主に次の3つである。
①外国人研究者を講演者として招聘して、海外の最先端の軟X線技術の情報を聞く。
②今後の研究会の活動予定について話し合う。
③研究会参加者が各々の最新の研究結果を発表して、情報交換する。
2-1. 海外の最先端の軟X線技術情報について
今回は、日本に一時滞在している外国人研究者であるパリ大学のPascal Lablanquie氏に、海外放射光施設の軟X線ビームライン技術、測定装置技術について講演を依頼した。同氏は、BESSY、ELETTRA、PF、LUREのビームラインを使い、磁気ボトル型の光電子アナライザーにより、原子の多価イオン化の研究をしている。今回はこの磁気ボトル型の光電子アナライザー装置と単色軟X線ビームを組み合わせることにより、どのような内殻励起ダイナミクスの研究が可能なのかを紹介した。
2-2. 今後の研究会の活動予定について
本研究会の今後の活動予定について話し合いをした。まず、本研究会の会長を広島大学の平谷氏から産総研の齋藤氏に交代することを満場一致で可決した。さらに、次年度以降の活動について東北大の上田氏のほうからICESS(International Conference on Electronic Spectroscopy and Structure)という国際学会のサテライトミーティングを開いたらどうかという提案があった。ICESSは光電子分光研究者を中心とした国際学会で、2009年に奈良で開かれることが決定している。SPring-8の軟X線ビームラインBL27SUもそろそろ10周年になるので、SPring-8でサテライトミーティングを開いたらどうかという提案であり、今後検討することとなった。
2-3. 研究成果の発表と情報交換
本研究会では2年に1回程度集まり、研究者が最新の研究結果を発表して、情報交換する場を提供している。今回は参加者が多いので、各自に最新の研究内容の発表を行った。通常はひとり10〜15分程度の報告だが、今回は、さらに10分程度の質問時間をとって、議論を行った。以下に講演題目と講演者を報告する。
①クラスターと軟X線技術
伊勢田 満弘(兵庫県立大)
「ケイ光寿命測定による内殻励起クラスターの崩壊過程の研究」
森下 雄一郎(産総研)
「Arクラスターからの原子間クーロン脱励起」
為則 雄祐 (JASRI)
「ヘテロクラスター内における分子の内殻励起と緩和過程」
永谷 清信(京都大学)
「硬X線を用いた希ガスクラスターの内殻励起分光の研究」
見附 孝一郎(分子研)
「フラーレンと放射光科学」
鈴木 功(高エ研/産総研)
「深い内殻電子、Kr2p電子の遷移による多価イオン化」
仙波 泰徳(JASRI)
「最近の軟X線分光技術」
②多電子励起過程
田村 孝(兵庫県立大)
「中性高励起フラグメントイオン検出による分子の二電子励起状態の研究」
彦坂 泰正(UVSOR)
「分子内殻領域の多電子励起状態の分光と崩壊ダイナミクス」
金安 達夫(UVSOR)
「多電子同時計測法を用いた多重イオン化過程の研究」
高田 恭孝(理研)
「高エネルギー光電子分光における反跳効果の観測」
渡部 力(電通大)
「遷移演算子とFano-profileについて」
小池 文博(北里大)
「内殻励起による中空原子の生成と崩壊−理論の立場から−」
東 善郎(PF)
「中空原子、現状と将来展望」
河内 宣之(東工大)
「光および電子衝突励起により生成する二電子励起メタン」
Xiaojing Liu(東北大)
「分子座標系における電子放出」
Mogens Lebech(PF)
「静電場中の中空原子、準安定原子検出による測定」
James Harries(JASRI)
「Neutral products following inner-shell excitation: metastables and fluorescence」
高橋 正彦(東北大学)
「電子衝突で見るtwo-stepメカニズム」
Georg Pruemper(東北大)
「Electron-Ion-momentum Coincidence Spectroscopy - fs-charge transfer in CH3F」
Pascal Lablanquie(CNRS)
「Auger decays in atoms studied with a magnetic bottle」
長谷川 秀一(東京大学工)
「中空ベリリウムの光励起共鳴」
③分子の内殻励起状態とその理論
田中 隆弘(上智大)
「振動励起分子の対称性分離吸収分光(仮題)」
和田 真一(広島大学)
「内殻共鳴励起によるサイト選択的結合切断」
高橋 修(広島大学)
「内殻正孔動力学を考慮した共鳴オージェ過程の理論計算」
福澤 宏宣(東北大)
「サイト選択内殻イオン化によるサイト選択的分子解離」
吉田 啓晃(広島大院理)
「内殻励起フルオロメタン分子のイオン対解離における立体ダイナミクス」
1日目には、①のクラスターと軟X線技術に関して、主にSPring-8での最新の成果および技術の報告がなされた。伊勢田氏は、ケイ光寿命測定による内殻励起クラスターの崩壊過程を明らかにするという、最新の手法をクラスターに適用した。仙波氏はSPring-8 BL17SUにおける高次光除去システムを含む最新の軟X線分光技術について報告した。2日目は、主に多電子励起状態に関する最新の実験結果およびその理論的解釈についての報告がなされた。高田氏は、固体において高エネルギー光電子分光における反跳効果の観測を報告した。中空原子に関して、長谷川氏は実験から、小池氏は理論から現状について紹介がなされた。3日目は、主に分子の内殻励起状態とその理論について報告がなされた。福澤氏は、光電子イオン同時計測とオージェ電子イオン同時計測によりサイト選択的分子解離について報告した。3日間にわたる研究会だったが、インフォーマルな雰囲気の中、活発な議論が行われ、充実した研究会であった。
今年度も研究会の開催を予定しており、活発な議論が期待される。
3. 研究例の報告
上記研究会の中から、SPring-8のBL27SUを利用した研究をいくつか報告する。図1にBL27SUのcブランチに設置されている軟X線超高分解能の不等間隔刻腺回折格子型分光器のレイアウトを示した[1][1] Ohashi et al.: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res., Sect. A 467-468 (2001) 529-533.。エネルギー範囲は、0.17〜2.8 keVで、水平および垂直偏光の光を利用でき、分解能が10,000以上を達成している。
図1 不等間隔刻腺回折格子型分光器のレイアウト
この実験ステーションにはいくつかの測定装置が配置されている(図2参照)。これらの装置を用いて、①高分解能光電子分光、②オージェ電子と解離イオンの同期分光、③電子イオン3次元運動量測定、④クラスターの分光などを測定することができる。
図2 ビームラインに配置された装置の概観図
3-1. 高分解能光電子分光
北島らは、SF6の様な多原子分子でオージェ崩壊と競合する速さの解離過程が存在することを明らかにし、また、この高速解離について、解離フラグメントやオージェ電子放出のエネルギー、異方性を見積もる手法を確立した[2][2] M. Kitajima: Phys. Rev. Lett. 91 (2003) 213003.。超高分解能電子分光装置SCIENTA2002を用いて測定された、SF6のF1sを励起した後に放出される共鳴オージェスペクトルを図3に示す。彼らは、軟X線の偏光方向とオージェ電子の観測方向の関係を平行と垂直にしたときの、共鳴オージェスペクトルの違いに注目した。図3のようにスペクトルは、平行の方向では2つの山があるのに対して、垂直の方向では1つの山になっている。これは次のように説明される。SF6が軟X線吸収し、F原子が水平方向に解離する。解離して運動エネルギーを持ったF原子がオージェ電子を放出する。すると水平方向から電子を観測すると、F原子の運動エネルギー分だけ高いか低いエネルギーを持って電子が観測される。これに対して、垂直方向から観測すると、放出電子にF原子のエネルギーは寄与しない。このスペクトルを解析することによって、F原子から放出されるオージェ電子のタイミング(別の言い方をすると、S−F原子間距離への依存性)を推測することが可能となった。
図3 軟X線の偏光方向を変えて、SF6のF1s電子をa1g*に励起したときに放出される共鳴オージェ電子スペクトル[2][2] M. Kitajima: Phys. Rev. Lett. 91 (2003) 213003.
3-2. オージェ電子と解離イオンの同期分光
超高分解能電子分光装置SCIENTA2002とイオン分光装置を組み合わせることによって、イオン終状態が特定されたオージェ電子スペクトルを測定することができる。福澤らは、オージェ電子−イオン同時計測を行い、CH3F分子のC原子とF原子を選択的にイオン化した際の、原子選択的分子解離について研究した。図4にCH3F分子のC KVVおよびF KVVを経由したH+−CF+とCH3+−F+イオンペア生成の分岐比を、二重イオン化ポテンシャルに対してプロットした[3][3] H. Fukuzawa et al.: Chem. Phys. Lett. 436 (2007) 51.。40から50 eVの範囲においてH+−CF+イオンペアがC KVVオージェ過程で強調され、またCH3+−F+イオンペアはF KVVオージェ過程で強調されていることが分かる。とくに40から45 eVに対応する同時計測が、CH3+−F+イオンペアはF KVVオージェ過程を経由してのみ観測されていることが興味深い。通常、オージェ過程の最中には、その短い寿命のために、原子核間距離は変化しないと考えられているが、この結果はオージェ過程と解離過程が競合している可能性を示唆している。
図4 CH3F分子のC KVVおよびF KVVオージェ過程を経由したH+−CF+とCH3+−F+イオンペア生成分岐比[3][3] H. Fukuzawa et al.: Chem. Phys. Lett. 436 (2007) 51.
3-3. 電子イオン3次元運動量測定
森下らは、アルゴンダイマーの2p内殻ホール形成後のオージェ終状態から、原子間クーロン脱励起過程(ICD)の観測に成功した[4][4] Y. Morishita et al.: Phys. Rev. Lett. 96 (2006) 243402.。ICDとは、励起された原子が近隣の原子にエネルギーを付与して外殻電子をイオン化させる過程である。オージェ終状態はしばしば励起状態にあり、この励起状態のエネルギーをダイマー内の隣の原子が受け取り、ICD電子が放出される。そしてアルゴンダイマーは、Ar2+とAr+に解離する。ICD過程では、解離エネルギーとICD電子エネルギーとの相関図を描くと−1の傾きとして現れる。図5に、放出される電子のエネルギースペクトル(b)、解離エネルギー(c)およびその間の相関を(a)に示した。図5(a)において、赤い線で示したように、相関図が−1の傾きを持っており、ICD過程が起きていることがわかる。
図5 解離エネルギー(KER)と放出電子エネルギーとの相関図[4][4] Y. Morishita et al.: Phys. Rev. Lett. 96 (2006) 243402.
3-4. クラスターの分光
為則らは、エタノール分子とそのクラスターについて、O1sイオン化の後に生成されるイオンの質量分析を行い、図6のようなスペクトルを得た[5][5] Y. Tamenori et al.: Chem. Phys. Lett. 433 (2006) 16.。このことより、エタノールクラスターは、メタノールクラスターと異なり、H3O+イオンが生成されていることがわかった。このH3O+イオンの生成および重水素置換物での対応イオン生成から、C−HとOH間に水素結合があり、Hが移動しやすくなっていることがわかった。
図6 エタノールクラスターから生成されたイオンの飛行時間スペクトル[5][5] Y. Tamenori et al.: Chem. Phys. Lett. 433 (2006) 16.
参考文献
[1] Ohashi et al.: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res., Sect. A 467-468 (2001) 529-533.
[2] M. Kitajima: Phys. Rev. Lett. 91 (2003) 213003.
[3] H. Fukuzawa et al.: Chem. Phys. Lett. 436 (2007) 51.
[4] Y. Morishita et al.: Phys. Rev. Lett. 96 (2006) 243402.
[5] Y. Tamenori et al.: Chem. Phys. Lett. 433 (2006) 16.
齋藤 則生 SAITO Norio
(独)産業技術総合研究所
計測標準研究部門 量子放射科 放射線標準研究室
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下條 竜夫 GEJO Tatsuo
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