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Volume 11, No.6 Pages 384 - 388

2. 研究会等報告/WORKSHOP AND COMMITTEE REPORT

不規則系物質先端科学研究会の現状報告
A New Research Group : Advanced Sciences for Disordered Materials

乾 雅祝 INUI Masanori[1]、小原 真司 KOHARA Shinji[2]

[1]広島大学大学院 総合科学研究科 Graduate School of Integrated Arts and Sciences, Hiroshima University、[2](財)高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門 Research & Utilization Division, JASRI

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1.これまでの経緯と活動方針
 不規則系物質先端科学研究会は、ランダム系物質高エネルギーX線回折研究会を主な母体として、高温ビームラインサブグループ(BLSG)、高分解能非弾性散乱BLSG、理論研究会等に所属していた不規則系物質の研究者およびこの度新たに加入したメンバーで発足し、現在の会員数は54名である。この分野の研究者が対象とする物質は、液体、ガラス、アモルファス、準結晶や、こうした物質と結晶との境界にあるナノ物質など、結晶のように規則正しい原子配列を持たない物質全般である。実験条件も、常温常圧から高温高圧、過冷却領域まで広い範囲に及んでいる。このような構造不規則系の系統的な理解は、結晶(性)物質の理解に比べると未だに発展途上にあるといえる。その理由は、「普通の液体(古典液体)には固体の素励起に対応するものが無く、従って小さな展開パラメータが存在しない。このことが古典液体を考える上で最大のネックであり、古典液体の理解は大幅に遅れることになった。」という言葉に集約されている[1]。一方で、ノーベル賞物理学者のP.W.Anderson[2]は、残された重要な物理学の課題として、“The deepest and most interesting unsolved problem in solid state theory is probably the theory of the nature of glass and glass transition.(途中略)The solution of the more important and puzzling glass problem may also have a substantial intellectual spin-off.”という発言を残しており、不規則系物質の理解は、結晶に比べて原理的な困難を内包しながらも、21世紀に残された重要な科学の課題の1つであると言えよう。本研究会の設立申請書には、不規則系分野の研究を大きく促進させるため、以下のような目標を掲げた。
 液体や非晶質のように構造が不規則な物質の基礎科学には、未解決であいまいなままになっている部分が少なくない。しかしながら、構造不規則系物質は、ガラスや高分子に代表されるように、古くから様々な用途に欠かせない物質・材料として利用されてきた。最近では、結晶−非晶質相変化を利用した大容量記憶メディアや、太陽光発電材料、フォトニックガラス、イオン液体、バルク金属ガラス材料など、多くの構造不規則系材料が我々の生活の中で用いられており、新規材料として大きな可能性を秘めている。このような構造不規則系物質が示す特徴的な物性や機能の発現には、不規則系の中の「規則性」(Order within disorder)[3]が重要な役割を果たすと考えられている。これを見出すためには、より精密な平均構造(静的構造)と、その空間的、時間的ゆらぎ(動的構造)の両方の情報を把握する必要がある。SPring-8にはこうした不規則系物質の解明に欠かせない先端的な構造物性研究を行うための手法・環境が整っている。本研究会では、実験から理論まで不規則系物質の研究者を一同に集め、互いの経験を共有し、SPring-8における上記の静的・動的構造に関する研究を中心に最新の情報を交換し合える環境を整えることを目的としている。さらには、積極的な外部資金の獲得やパルス中性子散乱施設J-PARCとの連携から、中性子・X線を併用した世界最先端の構造不規則系サイエンスを展開し、基礎・応用科学両面でのブレイクスルーを達成することを最終目標とする。このため、以下のような項目について研究協力体制を整え、積極的な活動を行う。

(1)世界トップクラスの構造不規則系ビームライン群の構築
 この分野では、機能性ガラス材料から高温高圧下の極端条件下の液体・流体の物性探査に至るまで、扱う物質はバラエティに富み、関連するビームラインも本研究会の主たる母体である高エネルギーX線回折(BL04B2)に加えて、白色X線回折(BL28B2)、高エネルギーX線小角散乱(BL04B2)、高分解能非弾性X線散乱(BL35XU)、X線吸収微細構造分光測定(BL01B1)、高エネルギー高電子分光(BL47XU)など数多い。高圧プレスやダイヤモンドアンビルセルを使って高圧下の液体・アモルファスの構造研究を行っている高圧グループとの連携もとりつつ、これらの測定手段から得られる情報を有機的につなげ、より進んだ不規則系構造解析を推進する。また、X線異常散乱測定のためのビームラインの整備や実験技術の開発、「凝集体の動的構造研究会」と連携してより高度化した新しい非弾性X線散乱ビームラインの建設に向けた活動を進め、より高精度の静的・動的構造解析に向けた挑戦を奨励する。

(2)世界トップクラスの構造不規則系解析技術の構築
 不規則系物質の解明には、高精度の実験データの取得のみならず、コンピューターシミュレーションによる実験データ解析手法の開発と利用が不可欠である。英国では、世界最強のパルス中性子散乱施設ISISを中心として、このシミュレーション・データ解析技術の開発にもいち早く着手し、世界に先駆けてRMC(Reverse Monte Carlo)法やEPSR(Empirical Potential Structure Refinement)法などの開発に成功し、これまで不明であった構造的特性の解明および可視化に成功している。本研究会では、当該分野の理論研究者との協力体制を強化し、不規則系物質に対する高精度の実験データの取得と独創的解析手法の開発に組織的に着手する。

(3)構造不規則系研究国際ネットワークの構築
 本研究会の設立による日本の構造不規則系研究グループの結集を皮切りに、関連分野における国際的研究ネットワークの構築をめざす。具体的には、欧米およびアジア地区研究者との連携を目指したワークショップ、ミーティングなどの定期的開催、国際共同研究の推進、構造不規則系構造モデリングソフトの共同開発と相互利用等の計画を推進する。

 こうした背景のもと、研究会設立後の最初の会合が、理論・シミュレーションと放射光実験の協力関係を構築することを目的に、平成18年8月28日、29日の2日間、SPring-8の放射光普及棟中講堂で開催された。第1回会合では、冒頭にJASRI利用研究促進部門長の高田昌樹先生にご挨拶を頂いた後、液体、ガラスの構造と電子状態に関わる研究をされている理論・計算機実験の研究者の方々から、実験への要望や問題提起をして頂き、それをもとにSPring-8の関連するビームラインの将来への要望や、中性子散乱との連携の必要性などについて討論した。系統的な理論的枠組みを構築することが困難な構造不規則系では、第1原理シミュレーションが個々の物質の物性を理解する上で非常に威力を発揮している。討論の結果、今後の不規則系物質の解明につながる正確な(現実を反映する)シミュレーションの遂行および理論の構築のためには、静的構造に関する実験においてより精度の高い多種類の回折データを取得する必要のあること、動的構造の正確なデータも今後多くの物質で広く取得する必要があることが明らかになった。これは静的構造に関しては、BL04B2における通常の高エネルギーX線データに加えて、X線異常散乱データが必要であることを意味しているが、現在のところSPring-8にはX線異常散乱実験を定常的に行えるビームラインが存在しないため、早急な整備が望まれる。さらにはパルス中性子回折データの併用も必要であり、今後は理論・シミュレーションと放射光・中性子実験における手法の高度化と協力が、より先進的な成果を獲得していくための王道であろう。ご興味を持たれた方は、SPring-8利用者懇談会ホームページにある議事録もご覧戴きたい。その他、研究会のホームページ開設[4]や、研究会メンバーの間のメーリングリストを開設し、メンバーへの情報伝達やメンバー間の意見交換のための環境を整備中である。

2.具体的な研究例
 本研究会の中心であるBL04B2には、放射光の高エネルギーX線を利用して、パルス中性子散乱に匹敵する高い散乱ベクトル(Q)まで精度の高い構造因子S(Q)を観測できる回折装置が設置されている。高いQまでS(Q)を精度良く測定することで、短距離の位置分解能が従来のX線回折法に比べて大幅に向上した。これまでこの高エネルギーX線回折を利用して、水の量子効果[5]、過冷却液体から合成されたガラスの特異なネットワーク構造[6](図1)など、液体、ガラスを中心とした成果が得られてきた。多くの不規則系物質は多成分系であるが、その部分構造を実験で得ることは、中性子の同位体置換法など限られた方法しかなかったが、中性子回折に匹敵するSQ)が放射光で得られるようになったことにより、X線回折と中性子回折の両方のSQ)を併用したRMCシミュレーションなど、部分構造を導出する新たな試みが行われるようになった。最近では、高エネルギーX線回折は、無容器浮遊法を利用した高温融体[7]および過冷却液体の構造解析(図2)など、極端条件下の物質にも応用されつつある。また、高い位置分解能を駆使して、ナノ物質の構造解析にも威力を発揮し始めている。


(a)シリカ(SiO2)ガラス
SiO4四面体は酸素を頂点共有してネットワーク構造を形成



(b)フォルステライト(Mg2SiO4)ガラスのSi-Oの分布
SiO4四面体は酸素を頂点共有してネットワーク構造を形成



(c)フォルステライト(Mg2SiO4)ガラスのMg-Oの分布
マグネシウムと酸素はMgOX多面体(赤色:MgO4、黄色:MgO5、青色:MgO6を形成)を形成し、これらは酸素を頂点および稜で共有し、ネットワーク構造を作っている

図1 シリカガラス(SiO2)およびフォルステライトガラス(Mg2SiO4)の構造[6]



図2 試料浮遊型無容器高温炉(a)、浮遊している融体(Zr70Cu30,1473K)(b)および Zr70Cu30融体(1473K)の構造因子SQ)(c)[7]

 BL04B2には、高エネルギーX線を利用したX線小角散乱装置が設置されている。観測可能なQ領域は0.04Å-1から0.8Å-1である。これまで主に、高温高圧下の流体水銀の金属−非金属転移の解明を目指した実験がSPring-8の特定利用課題として行われ、転移に付随して出現する特徴的なゆらぎが見出された(図3)[8]。その他、準結晶融体中の正20面体クラスターに着目して小角散乱実験等も行われている。


図3 金属−非金属転移領域における流体水銀の密度ゆらぎの模式図。少し粗な部分を間に挟んで、密な部分どうしが約10Å離れて分布している。

 時間平均された静的構造に加えて、不規則系物質中の原子・分子ダイナミクスの研究は、個々の物質の特徴的な物性を理解するためにも、系統的な理論的枠組みを構築するためにも、極めて重要である。これまで、固体や液体の原子・分子ダイナミクスといえば非弾性中性子散乱法であったが、第3世代の放射光で高いエネルギー分解能をもつ非弾性X線散乱法が実用化し、BL35XUビームラインでは、エネルギー分解能1.5meVの非弾性X線散乱実験が可能である。放射光はビームサイズが極めて小さいため微小試料や極端条件の実験に適している。これまで融点の高い液体シリコン[9]や高温高圧下の超臨界流体水銀[10]のダイナミクス研究が行われている。流体水銀の金属−非金属転移点では、原子間距離程度の波長をもつミクロスコピックな音速が、マクロな断熱音速[11]の3倍も速いという異常な振舞いが見出された。この音速異常は、図3に模式的に示すような金属−非金属転移に出現する10Å程度の相関距離をもつ密度ゆらぎ[8]と強く関係していると予想される。この他BL35XUでは、結晶フォノンの研究は言うに及ばず、準結晶、金属ガラス、分子性液体など、様々な不規則系物質のダイナミクス(動的構造)研究が行われている。浮遊法を用いた高温融体の実験も予定されており、今後ますます放射光を用いた不規則系物質のダイナミクス研究は増加するものと予想される。さらに、ダイナミクス研究は建設中の大強度パルス中性子施設J-PARCでも主要な研究テーマとなっていることから、X線・中性子、双方の特徴を生かしたダイナミクス研究は今世紀において大きく発展すると期待されている。こういった研究を推進していくためには、より高輝度で高エネルギー分解能の新しい非弾性X線散乱ビームラインの建設を提案していく必要がある。

3.SPring-8を利用してどのような研究ができるか
−研究会が関係しているビームライン・実験装置の高度化の現状と展望−
 本研究会の中心となる高エネルギーX線回折ビームラインBL04B2には、非晶質物質用二軸回折計、単結晶構造解析用ワイセンベルグカメラ、高温高圧流体用小角散乱装置、高圧実験用イメージングプレート回折計の4つの装置が設置されており、実験ハッチも非常に手狭な状況となっている。今後、さらにこのBL04B2で不規則物質の構造物性研究を大きく発展させていくには、この実験ハッチの構成を再検討する必要がある。また、非晶質物質用二軸回折計に至っては、その回折データの精度は世界トップクラスであるが、1試料の測定時間が4時間〜12時間と国外の挿入光源のビームラインと比べるとその測定時間は3倍程度長い。質・量ともにさらなる成果を目指すにはハイスループット化は必須で、複数の検出器の利用や二次元検出器の利用により、測定時間の短縮を図る必要がある。しかし、今回の研究会でも話題になったが、これからはより多種類の回折データの利用が不可欠であり、そのためにはX 線異常散乱実験の遂行が必要不可欠である。現在、エネルギーを連続的に変化させることができないBL04B2ではX線異常散乱実験を行うことが不可能であることから、今後実験ステーションの移設等も視野に入れて実験ハッチの構成を再検討する必要がある。

参考文献
[1]川崎恭治著:「非平衡と相転移」朝倉書店 (2000).
[2]P.W. Anderson : Science. 267 (1995) 1615.
[3]P.S. Salmon : Nature Materials.1(2002) 87.
[4]http://home.hiroshima-u.ac.jp/dismat/index-j.html
[5]R.T.Hart,C.J.Benmore,J.Neuefeind,S.Kohara, B.Tomberli,P.A.Egelstaff : Phys.Rev.Lett.94(2005)047801.
[6]S.Kohara,K.Suzuya,K.Takeuchi,C.-K.Loong,M.Grimsditch, J.K.R.Weber,J.A.Tangeman,T.S.Key : Science.303(2004)1649; S. Kohara, K. Suzuya, J. Phys : Condens. Matter. 17 (2005) S77.
[7]A.Mizuno,S.Matsumura,M.Watanabe,S.Kohara,M. Takata : Mater.Trans.16(2005)2799.
[8]田村剛三郎、SPring-8利用者情報、5(2004)203.
[9]S.Hosokawa,W-C Pilgrim,Y.Kawakita,K.Ohshima,S.Takeda,D.Ishikawa,S.Tsutsui, Y.Tanaka,A.Q.R.Baron,J.Phys : Condens.Matter 15(2003)L623.
[10]D.Ishikawa,M.Inui,K.Matsuda,K.Tamura,S.Tsutsui,A.Q.R. Baron : Phys.Rev.Lett.93(2004)097801.
[11][10]の参考文献を参照のこと。

乾 雅祝 INUI  Masanori
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小原 真司 KOHARA  Shinji
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[ - Vol.15 No.4(2010)]
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