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Volume 11, No.3 Pages 180 - 181

4. 談話室・ユーザー便り/OPEN HOUSE・A LETTER FROM SPring-8 USERS

SPring-8利用者懇談会 新会長挨拶
明歴々露堂々

坂井 信彦 SAKAI Nobuhiko

兵庫県立大学大学院 物質理学研究科 Graduate School of Material Science, University of Hyogo

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 慣例に従いましてこの紙面をいただき、SPring-8利用者懇談会の会長を仰せつかった者の挨拶をさせていただきます。平成18年4月より特例として3年間の責務を果たすよう会員の皆様より申し渡され、果たしてそのご要望に充分お応えできるか不安ではあります。が、これまでSPring-8から受けた恩恵に感謝を込め、心身の最善を尽くしてSPring-8利用者懇談会の発展にいささかでも貢献したいと願っております。
 最近、いろいろな場面で「変わる」ということに遭遇し、「変わる」ということにどのような意義があるのか考えるようになりました。齢を重ねること、深い意味では生死のこと。そして一昨年以来、SPring-8利用者懇談会が変わろうとしてきたこともその一例です。つぎのような物理的事実から、私は「変わる」ということは「変わらない」ということの本質であると理解できました。まるで禅問答のようですが。話の手がかりについて述べます。私の専門は固体電子論で、放射光を使ったコンプトン散乱実験のプロとして研究をしております。コンプトン散乱実験から、電子の運動量が観測できます。すると重要なつぎの事実を改めて納得させられるのです。「静止した電子はこの世に存在しない。運動が電子を存在たらしめている」という事実です。量子力学で学ぶように運動量と位置とは不確定性関係にあります。従って静止すれば運動量はゼロでその不確定性もゼロですから、場所の不確定性が無限に広がり、どこにいるやら見当もつかない、いないも同然ということになります。よって電子は動くこと、「変わる」ことで、有限の空間に存在することが許されます。原子軌道に閉じ込められ、その場所がナノメートル以下に確定している電子は、光速度にも近い猛烈な速さで周回運動をすることで空間的に極めて「変わらない」位置を保っています。他の例として振り子の運動を見ても、おもりは始終位置と速さを変えていますが、そのリズムは変わりません。変わることが変わらないことを支えています。ひるがえって、不動のもの、不滅のものを追求した専制君主的社会制度は必ず滅びたことは皆様ご存知のとおりです。「変わり得る自由度」を内在する社会こそ「変わらない」社会、安定した社会として存続できる大切な要因であると言えそうです。もっとも昨今では、変えることは良いことだとばかりに、あるべき法則性を無視してやたら制度や方法を変えたがる輩が国家レベルにもいてずいぶんと迷惑いたします。振り子の糸を切るような無分別さで、これでは「変わり果て」てしまいます。
 さて身近な利用者懇談会ですが、「変わり得る自由度」を内在する組織こそ「変わらない」組織として安定して存続できると言い換えられます。我々が必要とする利用者懇談会の自由度に、新しく取り組む「研究会」の自由度があります。状況に合わせた機能を持ったいろいろな研究会が躍動して利用者懇談会を支えます。この研究会が構想されるまでの平成17年度には、利用者懇談会の運営と組織に大きな変化がありました。運営委員会を評議員会としたこと、会長選出方法を運営委員会選出から全会員による直接選挙としたこと、利用促進委員会を新たに設置し、その下に複数の新研究会を置くこと、併せてそれまでの活動拠点であったサブグループや研究会を解消したことが主な内容でした。これら改革の目的の一つは、SPring-8放射光施設を利用した研究が社会の発展にどのように機能し得るかを、利用者自らが積極的に発信し、放射光コミュニティとその外部との意思疎通を改善しようとするものです。新研究会はこの3月にその申請が締め切られ、利用促進委員会の方針を反映させた採択を経て評議員会で承認されます。次号でその内容をお伝えしたいと思いますが、承認された研究会は原則2年毎の計画で活動いたします。それぞれの研究分野で何を解明することが重要であり、その研究を推進するのにどのような放射光実験が効果的なのか、あるいはどのような改善が不可欠なのかを見据えた具体的計画が提案されるものと期待しております。
     
 すこし前、茶道に入門いたしました。人生の後半を確かに生きる術にと思った次第ですが、茶道の伝統の中に宝庫のような精神世界を感じております。茶席に一行物と呼ばれる禅僧の悟りを表す禅語墨跡の掛け軸が掛かることが多くあります。そうした中のひとつに、我々自然科学研究者には、びしりと叩かれたように痛い一行物、「明歴々露堂々」があります。通常この意味は「いささかも覆い隠すことなく、そっくりはっきりと現前している」(芳賀幸四郎著 「茶席の一行」より)で、何がかと言えば、禅的な真理がであって、心眼を開けない人には明歴々露堂々な真理に全く気が付かないということです。未知の自然現象にしろ、未知の物質にしろ、自然界は明歴々露堂々と我々眼前に現れているのに、凡庸な我々科学研究者はそれに気が付かないでいるのだと、戒められてしまいます。自然の恩恵である放射光にはまだまだ秘められた価値があるはずです。それらは明歴々露堂々のはずですから、私どもも利用者懇談会という修行場で練磨を重ねてそのひとつに出会いたいものです。


坂井 信彦 SAKAI  Nobuhiko
兵庫県立大学大学院 物質理学研究科
〒678-1297 兵庫県赤穂郡上郡町光都3-2-1
TEL :0791-58-0144 FAX :0791-58-0146
e-mail:n_sakai@sci.u-hyogo.ac.jp


Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
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