Volume 11, No.1 Pages17 - 21
3. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
有機サイリスタ「直流を交流に変換する有機物単結晶」を発見
An Organic Thyristor: An Organic Single Crystal Converting DC into AC
[1]早稲田大学 理工学部 Science & Engineering, Waseda University、[2](財)高輝度光科学研究センター JASRI
1.はじめに
サイリスタ(thyristor)と聞いて、それが何かを想像できる読者は、相当な電気工作マニアかあるいは電気・電子工学を専門とされる方であろう。サイリスタとは、P型・N型半導体を図1(a)のように4つまたは8つを組み合わせた素子で、図1(b)のような電圧—電流特性を示す。この素子は、電流の増加に対して電圧が低下する負性抵抗(ただしくは負性微分抵抗)領域を持つ。このため、ある範囲の電圧に対して、2つの電流状態が安定となり、適当なフィードバック回路を構成すると発振素子を作ることができる。この発振素子は直流から交流(直流電流に交流成分が重畳した脈流)を生成し、整流器(交流—直流変換)の逆変換器という意味でインバータと呼ばれる。インバータは冷蔵庫や蛍光灯に実装され、省電力素子として広く用いられている。
図1 (a) サイリスタの模式図 (b)サイリスタの電圧—電流特性 (c) θ-(BEDT-TTF)2CsCo(SCN)4の電圧—電流特性。
白川先生の導電性ポリアセチレンの発見以来、有機伝導体の研究は世界中で精力的に行われてきた。それを基礎とする有機エレクトロニクスも急速に進歩しつつあり、様々なデバイスが設計・合成されてきた。なかでも有機ELと呼ばれる発光素子は次世代ディスプレイ材料として注目されており、有機トランジスタは分子コンピュータの基本要素として精力的に研究されている。しかしながら、それらは有機物ならではの特徴(フレキシブル、軽量、透明など)を備えているとはいえ、動作原理と基本構造は従来の半導体素子と同じであった[1]。
最近、著者たちを含む研究グループは、サイリスタと同じ電圧—電流特性(図1(c)参照)を示す有機物単結晶を発見した[2]。これは単結晶が単体で引き起こすバルクの効果であり、半導体PN接合の界面で生じる非線形効果とは物理が全く違う[3]。著者らは、SPring-8 BL02B1での電流通電下での構造解析によって、そのメカニズムを解明することに成功した。この小文では、その成果をなるべく平易に解説したい。
2.有機導体θ-(BEDT-TTF)2CsM’(SCN)4(M’=Co, Zn)
有機導体θ-(BEDT-TTF)2MM’(SCN)4は森らによって開発され[4]、現在も精力的に研究されている物質群のひとつである。図2(a)にその結晶構造を示す。この物質は、電気伝導を担うBEDT-TTF分子の層とそれを電気的に安定させている陰イオン層MM’(SCN)4層がb軸方向に交互に積層した層状物質である。MにはTl, RbやCsといった1価の大きなイオンが、M’にはCoやZnといった2価の小さなイオンが入る。このMM’の組み合わせを変化させることで様々な試料を作成することができる。ギリシャ文字のθは、BEDT-TTF分子のパッキングのパターンを識別する記号で、今の場合図2(b)に示すとおり、分子は三角格子状に配列している。ここで紹介する有機サイリスタはMM’=CsCoまたはMM’=CsZnの塩である。
図2 (a) θ-(BEDT-TTF)2MM’(SCN)4の結晶構造。(b) BEDT-TTFがつくる伝導面。(c)単結晶試料の写真。
この系のキャリア濃度はBEDT-TTFの形式価数から見積もることができる。陰イオン層の価数はMM’(SCN)4全体で−1価なので、BEDT-TTFは+0.5価となる。つまり2個のBEDT-TTF分子上に、平均1個のホールが存在する。このホールは低温で1分子置きに局在しようとし、いわゆる電荷秩序状態を形成する[5]。後で述べるとおり、MM’=CsCo, CsZnの特徴は、2種類の電荷秩序が低温で共存している点にある。
3.巨大非線形伝導と有機インバータ
試料は図2(c)に示すとおり短冊状(長手方向はc軸方向)である。1番短い長さがb軸方向で、伝導面であるBEDT-TTF層と垂直な方向である。定電流(DC・パルス)電源、定電圧(DC・パルス)電源に標準抵抗と試料を直列につなぎ、定電圧パルス、定電流パルスのいずれの条件でも電圧—電流特性を測定した。パルス測定と直流測定の電圧—電流特性はほとんど一致しており、非線形伝導はジュール熱の効果ではない。
図1(c)にb軸の電圧—電流特性を示す。この電圧—電流特性がサイリスタと同じであることから、我々はこの物質を有機サイリスタと呼んだ。多くの有機結晶や遷移金属酸化物では非線形伝導が観測されるが、その電圧—電流特性は電流が自己増殖的に増える電子雪崩型(ある種の絶縁破壊)で理解されている[6]。このとき、電圧—電流特性はサイリスタのようなN字型にならない。
この系の電圧—電流特性はサイリスタのそれと同じであり、サイリスタはインバータを構成する基本素子であるから、天然のインバータが作れるはずである。図3に定電圧印加の下で、標準抵抗の両端に発生する電圧降下の交流成分の測定結果を示す。図3(a)に示すように、全印加電圧に対して、非線形抵抗は不連続な跳びを6.3 V付近で示し、その大きさは2桁程度減少し、巨大といっていい変化を見せる。図3(b)では同じ直流電圧において、40 Hzの交流成分が急激に発生していることがわかる。これは直流電圧印加によって交流電流が生成されたことを示し、この有機導体がインバータとして動作していることを意味する。図3(c)のフーリエ・スペクトルを見てもわかるとおり、40 Hzの2次高調波成分以外には高調波成分を持たない、ほぼ正弦波と呼んでいい信号である。
図3 図1(c)と同じ試料における直流—交流変換効果[2]。(a) 直流バイアス電圧の関数としてプロットされた面間方向の非線形抵抗。(b) 試料に流れる電流の交流成分。(a)の非線形抵抗が跳びを示す電圧で交流電流が生じている。(c)(b)のフーリエ・スペクトル。
4.X線散漫散乱で捉えた共存する電荷秩序のゆらぎ
θ-(BEDT-TTF)2CsM’(SCN)4は、非線形電気伝導特性が現れる温度域で特徴的な電子状態にあることがX線回折実験によって知られていた。このθ-(BEDT-TTF)2CsM’(SCN)4を含む、一連のBEDT-TTF系有機物質の電子状態はBEDT-TTF分子間のクーロン相互作用が主な役割を持つことが知られている。その中でもθ-(BEDT-TTF)2CsM’(SCN)4は、BEDT-TTF分子間のdimer形成が起こらずむしろ電荷秩序が起こる[5]。電荷秩序の存在は結晶構造解析やNMR測定によって明らかになっていた。この電荷秩序化を散漫散乱観測により捉えたものを図4に示す[7]。三角格子と見なすac面内において、奇妙なことに三倍周期と二倍周期に相当する超格子秩序が同時に存在する。以下では前者をq1、後者をq2と呼ぶ。この二つの超格子秩序は100 Kくらいから低温で徐々に発達する。
図4 低温で観測されたθ-(BEDT-TTF)2CsCo(SCN)4の超格子散漫散乱。ac面を三角格子とみなした場合、三倍周期と二倍周期に相当する超格子を、それぞれq1、q2と呼ぶ[7]。
一般に有機物質では合成の段階で不純物混入の確率が低い。このためこの超格子は物性に由来し何らか電荷秩序の存在を示している。回折信号が存在するのだから、この秩序はコヒーレンスを持ち広い領域にあることを示すが、回折線の線幅は比較的広く、それから見積もられる相関長の平均値は10 nm程度である。つまり秩序状態は明らかに存在するものの長距離には渡らない。また結晶内に分離して存在する二つの秩序領域があるとも言い難い。もしそうであれば回折線幅はもっと鋭くなるからである。さらにこの秩序が出現する温度付近では、比熱のような熱力学変数に異常が見られない。これらを総合すると、100 K付近から徐々に短距離秩序(あるいは10 nm程度の中距離秩序と呼ぶべきだろう)が発達し、低温で双方の秩序が混じり合って混在していることになる。
特にこの物質系は乱れの少ない結晶が作成可能であり、クリーンな系と見なせるにも関わらず、極低温まで二種類の中距離電荷秩序が共存し相転移に至っていない。言い換えれば、母体結晶に乱れがなくともnmスケールにおいて複雑な組織を生ずる“均質な不均一”系であることが結論される。電荷秩序の二相共存という現象はまれである。少なくとも有機物では初めての発見であった。この系に非線形電気伝導が起こるのであれば、共存する二つの電荷秩序と、伝導特性の関係を明らかにすることによって、“均質な不均一系”に固有な知見を得ることができる。
5.電流通電下のX線回折
共存する電荷秩序と非線形電気伝導の関連を探るため、θ-(BEDT-TTF)2CsM’(SCN)4を非線形電気伝導特性が現れる状態に置き、BL02B1の多軸回折計で超格子反射の観測を行った。前述の電気伝導度測定と同様に、c軸方向に針状に成長した結晶を用い、電流導入と電圧測定端子を持つ通常の4端子測定形状に電極端子を設けた。電流はc軸方向に流れる。この試料は非常にもろいため、電極線を巡らしその上に試料を載せ接触点を電極とした。これらをコの字に切り欠いたサンプルホルダーに設置した。この様子を図5に示す。回折に供する部位として、電圧端子間を700 µm程度に広げた部分を作り、入射と回折のX線を電極線が触らない様にしてある。この試料ホルダーを冷凍機内のヘリウムガスが満たされた試料室に置いた。試料室まで低温用同軸線が配線してある。この条件で試料に電流を通電し、電圧測定により非線形電気伝導の出現を確認しながら回折実験を行った。
図5 4端子法による電気伝導特性測定と回折実験を複合する実験の試料部分。
図6に二倍の超格子構造に対応するq2信号の電流依存性を示す。ちょうど図1(c)の、負性抵抗が観測される領域でq2秩序が消滅してゆくことが明らかになった。これよりこの系の特異な非線形伝導は、共存する2種類の電荷秩序のうち一方のq2電荷秩序の電流による融解が起源であることを結論することができた。つまり電流の増加とともにq2秩序領域が融解して抵抗が下がり、q1秩序だけの線形伝導特性に移ってゆく。このq2秩序融解状態において非線形な電気伝導、負性抵抗が出現することが結論される。
図6 電流を流しながら測定したX線散乱強度[2]。q2座標の電荷秩序を示すピークが電流とともに小さくなっていることがわかる。
6.まとめにかえて
本稿では、θ-(BEDT-TTF)2CsM’(SCN)4 (M’=Co,Zn)が低温で3桁におよぶ巨大な非線形伝導を示すこと、そしてそれが印加電流による電荷秩序(q2で特徴付けられる水平秩序)の融解によって生じていることを示した。この結果は、有機エレクトロニクスの新しい方向性を提案しているとともに、基礎物理学としても重要である。電荷秩序とはいわば電子の氷であり、電流は電子の流れである。電流によって電荷秩序が融解するということは、流れによって氷が溶けたことを暗示している。寒い冬の日、池の水は凍るのに川の水は凍らない。我々が今回見出した現象は、その電子版ではなかろうか。この系の電荷秩序が作る本質的不均一状態は、ブラッグ反射の10000分の1程度しかない微弱な散乱である。この応答を捉えるためにSPring-8の高輝度光源がいかに強力であったかは、本誌の読者にはあらためて強調するまでもないであろう。現在、我々は電流パルスに対する電荷秩序ゆらぎの時分割測定に取り組んでおり、一定の成果を挙げつつある。電流による電荷秩序融解のダイナミクスが明らかになる日もそう遠くない。このような研究の先に、新しい凝縮系物理学が広がっていることを期待してまとめに代えたい。
本研究は、澤野文章、森初果、森健彦、渡邉真史、野上由夫、野田幸男各氏らとの共同研究である。本稿の内容は彼らとの議論に基づいているが、誤った理解があるとすれば、その責任はすべて著者らにある。
参考文献
[1]たとえば、石井久夫 : 固体物理 40(2005)375.
[2]F.Sawano,I.Terasaki,H.Mori,T.Mori,M.Watanabe,N.Ikeda, Y.Nogami and Y.Noda : Nature 437(2005)522.
[3]日本語の解説として、寺崎一郎 : 日本物理学会誌 60(2005)212;固体物理 40(2005)899.
[4]H.Mori,S.Tanaka and T.Mori : Phys.Rev.B 57(1998)12023.
[5]妹尾仁嗣、鹿野田一司、福山秀敏 :日本物理学会誌 58(2003)801.
[6]岩佐義宏、国府田隆夫 : 固体物理 25(1990)31.
[7]M.Watanabe,Y.Nogami,K.Oshima,H.Mori and S.Tanaka : J.Phys.Soc.Jpn.68(1999)2654.
寺崎 一郎 TERASAKI Ichiro
早稲田大学 理工学部 応用物理学科
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池田 直 IKEDA Naoshi
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