Volume 10, No.3 Pages 212 - 214
4. 研究会等報告/WORKSHOP AND COMMITTEE REPORT
ELETTRAにおける光電子顕微鏡実験
Photoemission Electron Microscope Experiment in Elettra
台風で被害を受けたSPring-8屋根の修理期間を利用して、1月下旬から3月下旬までの二ヶ月間、イタリアの高輝度放射光施設ELETTRAを研究訪問する機会を得たので、その時の様子や感じたことを紹介したい。最近、SPring-8には、ナノテクノロジー支援プロジェクトの予算を利用して光電子顕微鏡装置(Photoemission electron microscope; PEEM)が導入された[1]
[1]小林啓介、郭方准、脇田高徳、木下豊彦: SPring-8利用者情報 Vol.10 No.2 (2005) 112.。その中の分光型光電子・低エネルギー電子顕微鏡(SPELEEM)装置は、現在定常的に稼動している同種装置のなかでは世界最高性能のものである。装置の運転及び応用に関するノウハウをこれから蓄積し、アクティビティをあげていく必要がある。ELETTRAのNano-spectroscopyビームラインでは、SPELEEMと放射光を組み合わせた研究に最初に成功しており、多くの成果が上がっている。私はそのグループに加わり、実験に参加した。ELETTRAでの実験を通し、SPring-8の特長を生かした実験を行っていきたいという思いをさらに強くした。
ELETTRAはTriesteという町の郊外に建設されているが、そこは、スロベニアとの国境まで2kmくらいしか離れていない。冬は風が強くて寒いという話を聞いていたが、行ってみると想像より厳しい環境であった。時に100km/hを超える強風が吹きあれ、零下6℃の気温でも、その体感温度はさらに低く感じる。交通が不便で、環境の厳しいこの場所に放射光及びその他の研究施設を建設したのは、もともと冷戦時代にTrieste人口の過疎化に歯止めをかける為だったそうである。
ELETTRAのNano-spectroscopyビームラインはAPPLEⅡタイプのアンジュレーター下流に建設されており、SPELEEM用集光ミラーの直前で二つに分岐され、一つはFEL(free electron laser)用で、もう一つはSPELEEM用である。FELの方はほとんど稼動していないので、実際には、SPELEEMブランチが大部分のビームタイムを利用できる。このビームラインにおけるサンプル位置でのビーム照射面積は2μm×30μmで、フォトンフラックスは1013 photons/secである。更にエネルギー範囲20〜1000eVをカバーし、円と直線偏光を供給することができる。したがって、このビームラインで光電子顕微鏡実験を行う場合には、以下のような特徴がある。
(1)小さい観察視野においても鮮明なPEEM画像が得られる。
(2)低い光エネルギー領域(真空紫外)をカバーしており、価電子状態の研究に有利である。
(3)偏光を利用し、磁気円および線2色性(X-ray magnetic circular & linear dichroism; XMCD& XMLD)を利用した実験で、微小領域の磁性研究ができる。
上記特徴の内(1)と(2)はSPring-8の軟X線ビームラインでは実現していない。ELETTRAの小さく絞った光ビームでは、フォトンフラックス密度が高く、画像取得の時間が短くて済む。これによって、振動などに由来する分解能の悪化の影響を小さく抑えられる。ELETTRAの放射光は低いエネルギー領域においても高いフォトンフラックスが得られるのに対して、SPring-8では低い(例えば250eV以下)光を使おうとすると、実効的なフォトンフラックスは急激に減少し、光電子顕微実験はほとんど不可能である。SPring-8の軟X線にとって、価電子状態の研究の際にはこれは大きい壁である。このようにELETTRAでは、比較的低エネルギー領域における、小さく絞った高いフラックス密度と偏光の特徴を活かして、自己組織化の手法で作成したナノ構造(ドット、ワイヤ)、磁性(薄膜及びパターン化構造)、ガス吸着反応、薄膜成長などの観察を幅広く行っている。
ELETTRAには、SPring-8にはない特徴があるものの、同時に欠点も伴う。まず、小さく絞ったフォトンビームは必ずしも使いやすいものとは限らない。一つ目は、大きい視野のXPEEM像を取りにくいことである。集光条件をあまくして大きい視野のXPEEM像を取ろうとすると、フォトン照射領域には著しく不均一が生じるので、PEEM実験には不向きである。PEEMの特徴のひとつに、その視野が比較的広く、反応のダイナミクスなどが比較的観察しやすいことがあげられるが、小さい視野のみの観察に限られてしまう点は、その特徴のひとつを失っていることになる。大きい視野(5μm以上)の像をとる場合、フォトンビーム照射位置をミラー角度の調整によって変え、異なる位置の一連のXPEEMを取得し、最後にそれらを足し合わさなければならない。このようなフォトンビームサイズ過小の欠点を踏まえて、SPring-8のSPELEEMでは、照射面積を25μm×50μmに集光する専用の集光鏡を導入することにした。この照射面積は高いフォトンフラックスの実現と使いやすさを考慮して最も合理的なサイズであると判断した。一方で、ミラーを数種類用意しておき、その切り替えによってビームサイズを観察視野に応じて選べるようにする工夫も必要かもしれない。また、ELETTRAの蓄積リング中の電子軌道には揺らぎがあり、それによってフォトンビームの位置も常に動く。例えば2.5μm視野のXPEEM画像を取得するとき、10分ぐらいの間にフォトンビームは視野外に動いてしまうことがある。従って、測定中頻繁に遠隔操作で集光ミラーを動かして、フォトンビームを視野の真ん中に来るように操作する必要がある。SPpring-8ではその電子軌道が安定し、しかもトップアップ運転によって、光学素子への熱負荷も一定に保たれているため、サンプル上でのスポット位置もより安定であることが期待される。偏光特性については、ELETTRAでは高速偏光切り替えはまだ実現しておらず、アンジュレーターのPhaseパラメーターを入力して偏光の切り替えをしなければならない。磁性物質の観察では、SPring-8の特徴がより発揮されるであろう。
ELETTRAのNano-spectroscopyグループは、世界同分野のグループを見渡しても、最も活躍しているグループのひとつであろう。それは担当スタッフの努力は勿論、幅広くユーザーを開拓していることも要因の一つになっていると思われる。私の滞在中、担当者としてお世話をしたユーザーは、欧州の様々な国からやってきた。またアメリカやカナダにもパワーユーザーがいる。課題募集は、開放と競争原理に基づいており、最先端の課題を集めている。欧州圏内のユーザーに対して交通費と滞在費を支給することも施設利用の活性化を促進する一因となっている。ELETTRAにおける外国人スタッフの多さとテクニカルスタッフの活躍も印象的であった。今年5月、フランスのSOLEILが購入した新しいSPELEEMもELETTRAで立ち上げ整備が行われ、同ビームラインに仮設置となる。新しいSPELEEMは始めての90度ビームセパレーターを導入しており、大きい特徴となっている。因みにこれまでにSPring-8とELETTRAを含む世界各地で導入されてきたドイツElmitec社製のLEEM関連装置はすべて120度ビームセパレーターであった。90度ビームセパレーターでは更に高い空間分解能が実現できそうである。SPring-8でも当初、90度ビームセパレーター型SPELEEMを導入したいと希望していたが、動作と納期の保障ができないと言われて断念した経緯があった。今後、フランスが購入した90度ビームセパレーター型SPELEEMの稼動に注目したい。
SPELEEMはイメージングモード(LEEM/XPEEM)、回折モード(LEED)及びエネルギー分散モード(XPS)を一体化しているので、一つの実験対象に対してビデオレートでの分光、顕微鏡研究が総合的に可能である[2][2]F.Z. Guo, T. Wakita, H. Shimizu, T. Matsushita, T. Yasue, T. Koshikawa, E. Bauer and K. Kobayashi : J. Phys. : Condens. Matter 17 (2005) S1363.。特に放射光と組み合わせることにより、局所領域の元素選択性を利用でき、物性研究において一層強力な研究手段となる。このために欧米諸国は競って光電子顕微鏡の導入と実験環境の整備を行っている。日本においては、放射光とSPELEEMを組み合わせた研究分野で世界の第一線からたち遅れないように、今後よりいっそう緊張感を持って環境整備を行っていく必要がある。SPring-8の場合、比較的高いエネルギーを持つ軟X線と高速偏光特性を利用しての研究でその特徴が発揮できるであろう。今後ELETTRAの研究グループと緊密に連携し、共同研究を促進すると同時に、SPring-8におけるSPELEEMも早く世界のトップに躍り出るような成果を上げることができるよう、努力したい。
ELETTRA滞在にあたり、私を受け入れ、お世話をいただいたDrs. M. Kiskinova、A. Locatelli、T. O. Mentes, S. Heunの各氏に感謝したい。訪問実現のために、いろいろ先方とのコントクトの労をとっていただいた、大阪電気通信大学の越川孝範教授、アメリカアリゾナ州立大学のE. Bauer教授、NTTアドバンステクノロジ㈱の渡邊義夫博士にお礼を申し上げたい。また、派遣に際しご尽力をいただいたJASRIの寿栄松宏仁利用研究促進部門長、小林啓介ナノテク支援室長、木下豊彦分光物性Ⅱグループリーダー及び研究調整部の三好忍氏にも感謝したい。
図1 EletrraのSPELEEM担当者との記念撮影。
上段右から、F. Z. Guo、T. O. Mentes.、
下段右から、S. Heun、A. Locatelli、
[1]小林啓介、郭方准、脇田高徳、木下豊彦: SPring-8利用者情報 Vol.10 No.2 (2005) 112.
[2]F.Z. Guo, T. Wakita, H. Shimizu, T. Matsushita, T. Yasue, T. Koshikawa, E. Bauer and K. Kobayashi : J. Phys. : Condens. Matter 17 (2005) S1363.
郭 方准 GUO Fang Zhun
(財)高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門
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