Volume 10, No.3 Page 138
理事長の目線
一年前に一旦終えた「所長の目線」を「理事長の目線」として再開することにした。理事長になると研究所長の頃よりは発言にも慎重さが求められ、それを十分に考慮すると、おそらく当たり障りの無い凡庸な挨拶の文章になってしまう。そんなものを書くのは気が進まないとか、それやこれやぐずぐず考えている内に一年経ってしまったのであるが、編集部からのたびたびの要請もあり、前と同じ調子で書くことにした。理事長の発言として不穏当である、と言う批判が沢山でるようなら、謹慎して筆を折ればよいと割り切ったのである。読者に心が通じることを願って再開の挨拶としたい。
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SPring-8の管理棟の正面に銀色に輝くオブジェがある。二本の曲線状の柱がらせん形の羽根を支えていて、風が強いとその羽根が廻る。JASRIに来たばかりの頃、これは原研と理研と言う二つの巨人の間でJASRIがきりきり舞をしているのを現しているのだと聞かされた。リルケは、落ち葉がくるくると廻りながら落ちるさまを、「いやいやと言うような身振りで(mit verneinander Gebarde)」と表現したが、それを思い出しながら、羽根のまわるのを見るのが私の楽しみの一つであった。
この面白い解釈もまもなく有効性を失う。原研が今年の9月末をもって、SPring-8の運営から手を引くことになったからである。これにともなって、原研から理研への施設(例えばLINAC、ブースターシンクロトロン)の移管や、原研が負担していた運営費の振り替えなどが行われ、開設以来続いてきたいわゆる3者体制はここに終りを告げる。その後は、理研とJASRIがSPring-8の運営を担当することになるが、これがどのようなものになるかは、まだ詳細は明らかではない。なお原研の放射光科学研究センターは、現有の原研ビームラインを使う研究を継続する。3者体制は、SPring-8という巨大施設が建設されるために、また、共同利用施設として運営されるために、当時の状況ではおそらく最適の解であったのであろう。しかし、実際に動き出してみると、何かにつけて3者の協議が必要であるというのは、この動きの早い世の中で決して良い仕組みではなかった。初期の国際的なメンバーによるレビューでも、この複雑な体制について疑問や批判があったと聞く。その3者体制を解消せざるを得ないような状況が今やってきたわけであるが、原研への失礼を承知で言えば、これは3者体制が抱えていた問題を解決する機会でもある。ただ、3者体制の解消後の形としては、2者体制が唯一の解ではなく、1者体制というのも理論上はありえたのであるが、国は2者体制という答えを出した。
理研は昨年10月に独立行政法人になり、強い裁量権を持つようになった。したがって、JASRIが受け取るSPring-8の運営費も、理論上は、役所の当初の査定とは異なる理研自身の裁量に左右される可能性がある。また、施設は理研が所有している。さらに、原研と言う共同経営者がいなくなって、意思決定に調整要素は大きく減っている。したがって、理研はSPring-8の経営に対して従来よりもずっと強い影響力を持つと考えるのが自然であろう。2者体制の具体的な形は、やっと議論が始まったところであるが、基本的には、SPring-8を、出来るだけ一体化した形で運営してゆきたいと両者とも考えている。
先に触れたリルケの詩「秋」は、木の葉の落ちるところから始まって、落下はすべてのもの中にある、と展開し、最後に「されど、一者(der Einer)ありて、両の手の中に、それ(落下)を限りなく優しく支えたもう」と結ばれている。オブジェの二本の曲がった柱は、その両の手のようにも見える。それが支えているのはSPring-8であるとして、支えている側の実体は何になるのであろうか。理研なのであろうか、理研とJASRIの2本なのであろうか。ユーザーと言うのがあるべき答えでなかろうかと思うのだが、私の目には、平均的ユーザーは支えているというよりは、ぶら下がっているように見える。それだけ頼りにされているのは有難い事であるが、発展のために、もっと切羽詰った言い方をすれば生き残りのために、ユーザーの演じる役割は現状のそれより大きい。青空の下に廻る羽根を見て、ユーザーに支えられてSPring-8は元気に動いている、と言いたいものである。