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Volume 17, No.3 Pages 227 - 231

1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH

長期利用課題報告1 脳を切らずに神経を見る〜脳科学への放射光位相差CTの活用
Long-term Proposal Report 1: Neuroscience and Phase-contrast CT

小野寺 宏 ONODERA Hiroshi[1]、高島 健太 TAKASHIMA Kenta[2]

[1](独)国立病院機構西多賀病院 Research Center, NHO Nishitaga National Hospital、[2]東北大学大学院 医学系研究科 Graduate School of Medicine, Tohoku University

Abstract
 通常のX線CTやMRIでは脳内の神経細胞を見ることができない。しかし放射光を光源とする位相差撮像法は吸収CTの1000倍程度の測定感度をもち、脳微細構造の観察が可能である。我々は放射光位相差CTを用いて、脳を切らずに神経細胞を描出する方法を確立した。このことは脳卒中における血管構築と病巣範囲の相互関係、神経難病での病変分布を立体的・系統的に解析出来ることを意味する。本稿では、神経疾患や遺伝子改変動物の解析、再生医療用デバイス開発において放射光CTがいかに強力なツールであるかを紹介する。多くの形態学的情報が得られる放射光CTは、脳機能と脳疾患の研究において重要な位置を占めていくと考えられる。
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1.はじめに
 脳には1千億もの神経細胞があるとされ、ヒトは3次元的に張り巡らされた感覚・運動・記憶・言語回路の連携の下で活動しています。この巨大ネットワークが脳卒中などの病気で破綻すれば深刻な症状が引き起こされます。臨床ではCTやMRIによる脳断面図から診断を進めますが、病変部位を立体的に理解するには多くの経験が必要です(例;パーキンソン病は中脳ドパミンニューロンが障害されてドパミン神経終末が位置する線条体の機能変調で運動障害に至る。臨床でルーチンに用いるaxial viewでの2次元画像では黒質と線条体との距離が非常に大きいように錯覚しやすいが、実は両者間の距離は短い)。またCTやMRIでは神経細胞は見えないため、現在でも確定診断には脳を切り出して観察せざるを得ない疾患もあります(脳腫瘍の一部など)。また剖検脳から連続切片を何千枚も作成して3次元画像化することは労力と歪みの点で非現実的です。
 放射光を光源とする位相差撮像法は吸収CTの1000倍程度の測定感度をもつため、我々は脳構造と病変部位の描出を目指してSPring-8での研究をスタートしました。本課題代表者はJST-CREST"脊髄外傷および障害脳における神経回路構築による治療法の開発"のなかで神経回路再建用の足場デバイス開発を目指しており、脳脊髄内に埋設した足場デバイス撮影も大きな目的でした。予備実験のなかで偶然、脳の神経細胞がぼんやりと映し出されていることに気づきました。そこで長期利用課題では脳脊髄の描出法を確立し、さらに種々の疾患脳へと撮像対象を広げました。
 本稿では放射光位相差CTの活用例として、小脳疾患や遺伝子変異動物の撮像例を紹介します(本研究はビームライン20B2で実施。一部BL20XUのデータを含む)。


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本研究は長期利用課題2009A0021、2009A0023、2009B0021、2010A0021、2010B0021、2011A0021、2011B0021として実施された。


2.撮像装置による画質の違い、撮影技術の確立
(a)Bonse-Hart干渉計
 当初、SPring-8ではBonse-Hartのシリコン単結晶干渉計を用いて位相差画像を得ていました。しかし干渉計の安定に10時間ほどを要し、ごくわずかな室温変化(空調の風)による画質劣化と撮像中の熱によるサンプル変形のため脳構造はぼんやりと見えるにすぎませんでした(3日間の実験枠で撮像できたのは5〜6サンプル)。しかし海馬(記憶に重要な脳構造)の特徴的な渦巻き構造が霧のかなたに浮かぶように思われたため、条件を詰めて実験を継続することにしました。撮像サンプルと干渉計をビニールで覆って温度変化を最小限とし、サンプルの固定方法も改良すると、霧が晴れるように画像品質は向上して海馬の神経細胞が組織切片染色像のように(図1a)、くっきり浮かびあがりました(図1c)。X線CTやMRIでは全く不可能(図1b)であった神経細胞描出が可能になったのです。より高エネルギーのBL20XUでは、より明瞭に神経細胞が描写されましたが(図1d)、描出範囲は海馬のごく一部にとどまり脳組織がビームで破壊されることが難点でした。放射光位相差画像データを3次元に展開した例を示します。図1eはラットの側頭葉てんかんモデルです。薬剤性てんかん誘発(カイニン酸)による神経細胞死が海馬のCA1領域とCA3領域、ならびに視床の神経核に生じますが、3次元画像(ボリュームレンダリング)により病変の広がりと病変部位の位置関係が直感的に理解できます。しかし、撮像範囲の狭さと不安定な撮像品質がBonse-Hart干渉計を用いた位相差CTの弱点です(毎回、画質が変わる)。SPring-8で最大のBonse-Hart干渉計を用いてもラット脳の半分しか撮像範囲に入りません。




図1 ラット脳(c〜hは放射光位相差CT)
(a)組織染色による正常の海馬(厚さ5ミクロンに海馬をスライスし、クレジルバイオレットで染色)
(b)正常海馬(X線吸収CT。神経細胞は全く描出されない)
(c)正常海馬(海馬神経細胞の細胞体が明瞭に観察できる。Bonse-Hart干渉計、BL20B2)
(d)正常海馬(Bonse-Hart干渉計、BL20XU)
   撮像範囲はきわめて狭いが、解像力に優れることに注目
(e)側頭葉てんかんモデルの脳(Bonse-Hart干渉計、BL20B2)
   赤色部分の神経細胞が薬剤性てんかんにより死滅(3次元再構築画像)。
(f)正常の脳の水平断面(Talbot干渉計、BL20B2)
   □で囲まれた範囲が従来のBonse-Hart干渉計での撮像範囲
(g)移植用足場デバイスを移植した脳(Bonse-Hart干渉計、BL20B2)
   移植足場(密度1.5)と脳(1.05)の同時描出は不可能
(h)移植用足場デバイスを移植した脊髄(Talbot干渉計、BL20B2)
   足場と脳構造(病変部位の浮腫と出血)が描出されている


(b)Talbot干渉計の導入と試料固定法の確立
 Bonse-Hart干渉計の限界に悩んでいたところ、Talbot干渉計が納入されました。透過型回折格子を用いるTalbot型干渉計では試料の微分位相イメージングが可能ですが、微分位相像を積分することで結晶干渉計のような位相イメージングにも使えます。Talbot干渉計は光学系のセットアップが容易で温度変化などの外乱にも比較的安定、Bonse-Hart干渉計では画像にならないような密度差の大きいサンプルの撮像も可能です。従来のBonse-Hart単結晶型干渉計の場合にはラット脳の片側(縦横7 mm角)がかろうじて視野に入りましたが、Talbot干渉計を用いるとラット脳全体を視野に収めることができました(図1f)。計算上の解像度はBonse-Hart干渉計に劣るため画質には期待していませんでしたが、脳の層構造描出能はBonse-Hart干渉計よりもはるかに優れています。脳には神経細胞に富む灰白質と、神経線維を覆う髄鞘に富む白質が層をなしていますが、Talbot干渉計は白質と灰白質を明瞭に描き分けられるため、病理標本のように美しい画像が得られます(図1f)。ちなみに通常の臨床用X線吸収CTは、白質と灰白質の描き分けがたいへん苦手です。我々が開発した神経細胞移植用足場デバイスは密度が1.5と脳実質よりも大きいため、ダイナミックレンジの小さいBonse-Hart干渉計では画像構築は不可能でした(図1g)。しかしTalbot干渉計を用いると脳脊髄病変と足場デバイスを同時に描出できました(図1h)。良いことずくめのTalbot干渉計ですが、神経細胞の描出に関してはBonse-Hart干渉計でのベストショット(4回に1回程度)に軍配が上がります。使用目的に応じてこれら2つの干渉計を使い分けることにより、これまでの撮像方法では不可能とされる多くの情報を得ることができます。
 位相差CTの欠点は撮影に長時間を要することです(15分〜5時間)。高解像度撮像には数時間を要するため、サンプルの微細振動とビームによるサンプルの熱変形が避けられず画像が劣化します。そこで脳とほぼ同密度のアガロースで試料を包埋すると、撮像品質は著明に改善しました。撮影後、アガロースゲルから試料を容易に取り出せるため撮像済みサンプルを他の分析に利用可能です。このサンプル包埋法は他臓器の撮影にも応用できます。これらのノウハウを積み重ね、再現性良く安定した脳脊髄画像が得られるようになりました。



3.中枢神経疾患での撮像例
 以下にSPring-8放射光CTによる中枢神経病変の撮像例を示します。すべて通常の病理標本用処理(ホルマリン等)を行ったサンプルであり、特別な試薬は一切使用していません。
(a)遺伝子改変動物における脳奇形解析(pax6変異マウス)
 遺伝子ノックアウトマウスなどの遺伝子改変動物の解析には膨大な労力と費用を要します。マウスの表現型解析(奇形の有無)の手順を簡単に述べますと、マウス胎児や新生児をパラフィンに包埋し多数の組織切片を作成し一枚一枚観察します。動物の連続切片をすべて観察することは現実的には不可能なため、数十枚ごとに一枚を染色して観察します。このため病変があるのに見逃す危険は避けられません。切片写真から臓器構造異常を立体的にイメージすることも困難です。しかし位相差CTを用いれば1000枚以上の連続画像を記録でき、3次元再構築も容易です。位相差CTの威力を確認すべく生後まもなく死亡するpax6遺伝子変異マウスの構造異常を観察してみました(図2a〜d)。pax6変異による嗅球発生異常(図2bの矢印、図2dのように鼻の骨も無い)、眼球発生異常、脳構造異常(脳の層構造が破綻し脳幹部の折りたたみが無く、脳が一塊になっている)を2回の撮像で解析しました(頭蓋骨は吸収CT、脳構造は位相差CT)。所要時間はあわせて4時間です。放射光CTを用いると全身の臓器奇形を迅速かつ同時に、しかも3次元的に解析できます。放射光CTが今後の遺伝子異常解析の強力なツールとなることは間違いありません。




図2 放射光CTの脳疾患研究への活用(Bonse-Hart干渉計)
(a)正常マウス胎児の脳
(b)pax6遺伝子異常マウス胎児の脳(矢印のように嗅球が欠損し、脳構造異常は著明)
(c)正常マウス新生児頭蓋骨の3次元構築画像
(d)pax6遺伝子異常マウス新生児頭蓋骨の3次元構築画像。顔面奇形が一目瞭然
(e)正常ヒト小脳
(f)小脳変性疾患DRPLAの小脳。小脳は著明に萎縮しており、神経細胞死と神経線維変性による密度低下のため層構造は不明瞭になっている。
(g)脳の動脈硬化病変(矢印)および血管分岐部の3次元構築画像(血管平滑筋構造の乱れを認める)。


(b)脊髄小脳変性疾患
 小脳の神経変性により重篤な運動障害が出現します(酔っぱらったような歩き方と話し方、企図振戦など)。小脳変性疾患のひとつであるDRPLA(dentatorubral-pallidoluysian atrophy)の脳ブロックを用いて撮像と組織密度定量をおこないました。DRPLAではプルキンエ細胞などの神経細胞死とそれにともなう神経線維変性の結果、著明な小脳萎縮に至ります。正常小脳では顆粒細胞層(小さな神経細胞が密集している層)と分子層(神経線維が縦横に分布している層)での密度差により特有の縞模様が観察されます(図2e)。ちなみに位相差CTからの計算値では正常小脳の顆粒細胞層密度は1.078でした。一方DRPLAでは神経細胞死により著明な小脳萎縮と顆粒細胞層の密度低下が観察されます(図2f、密度1.067)。わずか0.01の密度変化をこれほどの画像の違いとして描出できる位相差CTの威力には驚かされます。なお、アルツハイマ病の神経原線維や老人斑、パーキンソン病の黒質病変(レビー小体)は、いずれの干渉計を用いても描出できませんでした(予想に反して密度変化は小さい)。将来、脳ブロックの薬品処理等により異常蓄積物を選択的にラベルする方法が開発されれば、再チャレンジする価値があると考えます。
(c)造影剤を使わずに脳動脈硬化が見える
 ヒト脳血管の内部構造が造影剤を使わなくとも解像されることを見いだしました。ホルマリンに数年間保存されていた脳での撮影例ですが、特殊な前処理は不要でした。閉塞すれば重篤な脳梗塞を引き起こす脳底部の動脈での動脈硬化病変(弾性板断裂、粥状硬化)を示します(図2g)。粥状硬化の内部は不均一であることがよくわかります。血管病変の解析は臨床的にも大きな意義があります(詰まりやすい部位の分析、治療効果の判定)。血管病変の程度・範囲の3次元描画は容易であり、詳細な流体力学的解析が期待されます。
(d)脊髄外傷モデルと再生医療
 我が国では毎年6000件の脊髄外傷事故が発生し、数十万人の患者さんが後遺症に苦しんでいます。いったん破壊された神経回路はほとんど回復しないため、現在の治療技術では麻痺の改善は望めません。そこで神経細胞や神経幹細胞と共に神経の足場となる人工繊維を病変部と健常部を橋渡しして敷設する技術を開発しました。我々が開発した足場デバイスは一定期間後に溶解して脳脊髄から除去されるため、デバイスの分解機序解析に位相差CTを活用しています(図1h)。



4.おわりに
 Talbot干渉計の導入と試料固定法の確立により、安定した広範囲撮像が可能となりました。しかもTalbot干渉計は神経線維(白質)の描出にもすぐれます。しかし、神経細胞体の描出能はBonse-Hart単結晶干渉計のほうがすぐれています。Talbot格子の性能向上と画像化アルゴリズムの改善により、Bonse-Hart干渉計を上回る解像度(神経細胞の描出)も期待されます。放射光位相差CTは他の撮像方法を上回る情報を我々に提供してくれます。今後、位相差CT撮像法は神経研究に欠かせないツールとなることでしょう。



謝辞
 本研究は科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業CREST"脊髄外傷および障害脳における神経回路構築による治療法の開発"によるものでありここに感謝します。研究実施に際してJASRIの八木直人先生、星野真人先生、上杉健太郎先生にお世話になりました。深謝致します。



小野寺 宏 ONODERA Hiroshi
JST-CREST
国立病院機構西多賀病院 臨床研究部
〒982-8555 仙台市太白区鈎取本町2-11-11
TEL:022-245-2111
e-mail:onodera@nishitaga.hosp.go.jp

高島 健太 TAKASHIMA Kenta
JST-CRESTリサーチアシスタント
東北大学大学院 医学系研究科
〒980-8574 仙台市青葉区星陵町1-1
TEL:022-717-7000



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[ - Vol.15 No.4(2010)]
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