Volume 08, No.4 Pages 266 - 268
5. 告知板/ANNOUNCEMENTS
相生ペーロン祭り参加
Aioi PERON Festival
播磨地区の初夏の訪れを告げる「ぺーロン祭り」が、5月24日(土)、25日(日)の両日、相生で開催されました。24日の前夜祭には、数百発の花火が打ち上げられ、25日に相生湾で行われた毎年恒例の「ぺーロン競漕」には、今年もSPring-8からは「SPring-8号」と「じゃすり光号」の2艇が参加しました。
相生の「ぺーロン祭り」については、ご存知ない方もいらっしゃるかと思いますので、簡単にご紹介させていただきます。ぺーロンのルーツは、約2300年前の中国長江以南の民族の鳥の飾りをつけた鳥舟にあると言われています。秦王朝、漢王朝の全国統一による漢民族の竜崇拝により、南方の鳥舟は竜舟(=ドラゴンボート)に替えられ以後中国全土に竜舟が定着するようになり、漢王朝時代後期に竜舟競漕が始まったとされています。
一方、中国の戦国時代、湖南地方で楚の宰相屈原は懐王を助けて善政を敷き、名宰相といわれていましたが、讒言により政界から退けられました。その後間もなく懐王は、秦の軍勢に捕えられ客死しました。屈原は楚の国運をなげいて汨羅(べきら)に身を投じました。人々はこれを非常に悲しみ、彼が亡くなった5月5日には、毎年「ちまき」を作って川に投げ、竜船(白龍)を浮べて、その霊を慰めました。これが今の端午の節句の由来とされています。ちなみに、ペーロンはこの「白龍」の中国音のパイロンがなまったものといわれています。この竜舟競漕と端午の節句が、隋王朝時代に結びついて、今のぺーロンが始まったとされています。我が国へは1655年に伝来しました。その当時数隻の中国船が長崎港を訪れた際、強風のため出航できなくなったので、海神を慰めて風波を鎮めるためにこの「ペーロン競漕」を港内で行いました。これを長崎の人達がとりいれて競漕を行うようになり、相生には、大正11年に長崎県出身の播磨造船所(現在のIHI・・・石川島播磨重工業株式会社)従業員によって伝えられ、終戦までは毎年5月27日の海軍記念日に同社構内天白神社の例祭として、ボートレースと共に行われて来ましたが、この異国情緒あふれるペーロン競漕を絶やすことなく続けたいと、戦後、相生市・商工会議所・播磨造船所の共催による「相生港まつり」として開催し、また前夜祭として花火大会も行われるようになり、現在の祭りの基礎ができました。
この「ぺーロン祭り」の最大のイベントである「ぺーロン競漕」は、毎年5月の最終日曜日に開催され、天龍や昇龍など龍の名前の付いた長さ12m、幅1.58mの木造船(←かなり狭い!)に、艇長の他、舵取、銅鑼、太鼓の各担当と木の櫂を手にした28名の漕手の計32名が乗り込み、銅鑼と太鼓が織りなす「ドン!デン!ジャン!」の囃子に合わせて力漕し、相生湾内に立てられた4本の旗を折り返し点に往復600メートルの順位を競うレースです。レースは、強豪が集うトーナメント方式の一般競争と参加全チームが4チーム毎のグループに分かれて競い合うオープンレースがあります。SPring-8からは、毎年オープンレースに参加しています。
当日、天候は、生憎の曇天で風がかなり強く、うすら寒く感じられた程でした。各所に設けられたスピーカーから「行きはよいよい、帰り(=復路)は怖い(=しんどい)」と競漕の実況を行うアナウンサーのよく通る声が流れていました。9:30数発の花火の合図とともにいよいよ「ぺーロン競漕」の開始です。8頭の龍の冠名をつけたぺーロン艇が、4艇ずつ交互に流線型の身をくねらせながら波間を滑って行きます。幾多の激戦の後、10:30さあ、「SPring-8号」チームの出番です。入念に準備体操を済ませ、紫紺のベストに身を包み、櫂を雄々しく握りしめ、次々と龍の背にまたがっていきます。32名の乗船を見届けると、舟はスタート地点をめざし、ゆっくりと滑りだしていきました。艇長の「用意はいいか」のかけ声のもと、28名の漕ぎ手が木の櫂を高く掲げて準備万端、審査員の「ヨーイ!ゴー!」の号令が鳴り響き、スタートです。往路は、追い風に乗りきれず、僅差の2位で折り返しましたが、復路の直線に入った途端、ぐんぐんその差を縮めていき、船首差の1位でゴールしました。ゴールを知らせる空砲に呼応するかのように、28名の漕ぎ手は、頭上に高々と木の櫂を持ち上げ、勝利の歓声を上げていました。タイムは3分29秒と昨年より1秒強早いタイムとなり、総合成績としてもオープンレース参加全41チーム中7位(昨年は11位)と大殊勲でした。乗船場の岸壁の上から「じゃすり光号」のメンバーが、拍手で迎えてくれました。
「SPring-8号」の熱闘を受け、意気も高らかに、11:10「じゃすり光号」の出艇です。女性中心のチームに相応しく、真っ赤なベストを着こなして、華やかな雰囲気の中、スタートしました。号令とともに滑り出した28本の木の櫂が、ゆっくりと楕円を描きながら、正確かつ等間隔で水面を切っていきます。レースは、「SPring-8号」と同様に後半の頑張りが功を奏して、3位で入賞しました。タイムは3分50秒と昨年より2秒ほど遅れましたが、強風の中、他のチームが大幅にタイムを崩すなかの大健闘でした。総合順位も昨年の34位から30位と躍進しました。厳しい陸上・海上練習に耐えての好成績だったために、メンバーの喜びもひとしおだったことと思います。
「SPring-8号」の凱旋記念
「じゃすり光号」の華麗なる勇姿
戦い終えた両チームのメンバーは、応援に来てくれた方や心配で見に来た(?)家族の方と一緒に石川島体育館の2階の隅に陣取って、互いの健闘を称え、ささやかな(?)祝杯とお弁当をいただきました。勝負の如何を問わず、全力を出し切ったものに与えられる満足感で、にこやかな笑顔のもと、あちらこちらで、談話に花が咲きました。そんな中での「SPring-8号」の漕ぎ手の一人と練習を指導していただいた財団の某職員との会話の一こまをご紹介させていただいて、締めくくりとさせていただきます。なお、文言は、お聞き苦しい点もあろうかと思われましたので、甚だ勝手ながら、播州弁を一部標準語に直させていただきました。悪しからずご了承下さい。
漕ぎ手A 「なんで勝てるのかな?出艇前となりのチームを見たら、筋骨隆々、やる気満々、猛特訓やったってアナウンサー言うとったし。こっちはにわか仕立ての普通のチーム…。スポーツマンタイプばっかり集めたわけじゃないのに。練習も普及棟のパイプ椅子を舟にみたてて2時間程漕いだのと海上練習を1回やっただけ。これで2年連続勝っているのはどうしてだろう。」
某職員B 「教え方にちょっとしたコツがあるのさ。」
A「コツって何?」
B「この発言内容は、他のチームに聞かれるとまずいので省略します。」
A「来年は、オープンレースじゃなくて、強豪ひしめく一般競争にエントリーやな。」
B「この練習方法では、タイム的にここらが上限だ。これ以上大幅にタイムを縮めるなら、別の練習方法をやらないと。やってみる?」
A「イヤ!(海上練習のきつさは、やったものしかわからない…。終わった後、手が櫂の形から戻らない)」
B「大体、ヨーイドンで出発して、4艇の併走して漕いでる様子を少しの間観察したら、その後のレースの展開が見えてくるのさ。今日も「SPring-8号」がどこで抜き去るかって見てたけど、先行しているチームがバテ気味でスピードが落ちてきているのに、なかなか、出てこーへんから、えっ、こっちもバテてるのってひやひやした。(どうやら、スタート直後に勝利を確信してた様子…)」
楽しい一コマ
指導の妙というか、経験則の強みというか、中学生の時、丸暗記させられた兼好法師の「何事も先達(センダツ)はあらまほしき事なり。」がふっと思い浮かんできて、とても興味深く聞かせていただきました。来年も是非参加させていただきたいと思っています。
最後に、いろいろとご指導及びお世話していただいた関係者方々、また、応援していただいた方々、ありがとうございました。
参考資料
相生市ホームページ
http : //www.city.aioi.hyogo.jp
(財)高輝度光科学研究センター 総務部
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