Volume 06, No.4 Pages 258 - 259
所長室から
From the Director’s Office
私は去る6月17日に高(財)輝度光科学研究センター副理事長・放射光研究所長を辞任しましたので、今回が最後の「所長室から」の執筆になります。この欄を利用者情報誌に新設したのは1999年9月号(vol.4, No.5)からですが、その主旨は「SPring-8が優れた成果を上げていくためには、ユーザーと施設者側の幅広い協力が必要になります。そのためには、検討中の計画や施設者側で問題にしている事項をユーザーに紹介し、忌憚のない意見交換ができるようにすることが大切」であり、その一環として『所長室から』の欄を設けて、利用フェーズに入るSPring-8の運営に係わる課題を、検討段階で紹介してきました。これまでで多くの問題を取り上げてきましたが、この主旨をどれほど生かせたかには自信がありません。今回は、これまで記してきたことの背景にある考え方を述べて、最後とします。
最近、文部科学省から恒例の「科学技術白書」が発表されましたが、それについて日本経済新聞が6月21日の社説で取り上げています。その内容を要約すると、「科学技術白書によると、発表された論文数も特許出願数も日本は米国の三分の一程度であった。論文数では英国やドイツとほぼ同程度であり、特許出願数では日本が英国の二倍程度、ドイツの三割増程度となっている。独創性の高い論文ほど他の論文で引用される回数が多いと考えて、各国の論文が全体として何回引用されているかをみると、引用回数のシェアでは米国が50%弱、日本は9%弱でドイツや英国より低い。これらの数字から、米国は別格として、日本は英、独と肩を並べて善戦していると考えられる。しかし、1999年の研究開発投資を円換算で比較すると、米国が28兆円強、日本が16兆円強であるのに、ドイツは6兆5千億円程度、英国は3兆4千億円程度となっていて、日本は英国の5倍程度の投資をして同程度の成果をあげていることになる」と述べていて、日本における研究の生産性の低さを指摘しています。
我が国では研究投資総額のかなりの部分が企業投資ですから、単純に研究投資総額と論文引用回数の高さの比で研究生産性の国際比較をするのは無理があり、場合によっては科学技術研究を誤った方向へ導くことになりかねません。しかし、第2期科学技術基本計画で今後5年間に24兆円もの国費を研究に投じることを決めた我が国としては、最も効率よく研究を進めることが最重要課題で、その意味では研究の生産性という視点が重要になってきます。SPring-8のように多額の国費を使って建設し運営している施設では、世界をリードするような研究成果をできるだけ多くあげることが責務でしょう。
6月中旬にシカゴで開かれたParticle Accelerator Conference(PAC2001)冒頭の招待講演で、ブルックヘブン国立研究所(BNL)の相対論的重イオン衝突器RHIC完成を報告したS. Ozakiプロジェクトリーダーは、RHICがon schedule, within budgetで完成したことを強調し、稼動して1年しか経っていない同施設を利用して、既に7 編の論文がPhysical Review Lettersに発表されたことを報告しました。ここではon schedule、within budgetと質の高い論文のproductivityが重視されていますが、この三つは大型プロジェクトが成功したかどうかを判断する重要な視点になると思います。計画は本来立案したときが最も必要度が高く、その後時間が経つにつれて価値が薄れていくことが多いので、早期実現/早期利用で直ぐに成果を上げる、これが計画の成否を決める鍵になります。この点が、我が国のビッグプロジェクトで最も欠けていた点です。
ところでSPring-8のような基盤的研究施設では、建設後も引き続き最先端の能力を維持して、創造的、先端的研究を支える役割を果たすことが大切です。この点も我が国に欠けていた視点です。
SPring-8の場合、当初予算内でしかも計画を前倒しして供用開始を迎えたうえ、その後の三年間で光源は当初の予定性能を上回る性能も実現し、また、多数の優れた成果を生みだすことに成功しました。これは誇るべきことですが、もっと重要なことは、今後も長い期間にわたって世界最先端の性能を維持し続けることです。世界の研究競争は激しく、少しでも努力を怠るとすぐに最先端から脱落することになりますので、決して楽観できません。
運営の立場から見ると、SPring-8のような共同利用施設は、施設高度化を実行するのは施設固有のスタッフであり、利用して成果を上げるのは外部ユーザーが主力です。また、ビームラインの建設や実験ステーションの増強など施設の高度化には数年はかかります。さらに、放射光のユーザーは極めて数が多くその専門分野は広いので、放射光に関わり方は多様です。放射光施設はいわば、時定数の大きな環境下で性質の全く違う二つの集団が研究活動する系といえます。両者のフェーズが合わないと優れた成果を上げることができなくなりますが、施設高度化を怠ったりその時期や方向を誤ると、急速に展開する科学技術の最先端から遅れてしまいます。いろいろな視点から常に自己点検を行うことで、最先端研究基盤施設としての地位を確保できるのではないかと思います。
話をもとに戻しますが、研究生産性に関連して、SPring-8のような大型研究基盤施設の在り方を検討しなければなりません。できるだけ多くの人が使って我が国の学術研究水準を上げるという役割は、これまでの共同利用加速器施設の一般的な在り方でした。しかし我が国が世界に伍して創造的な研究を競い合う状況下では、優れた研究に多くのビームタイムを与える仕組みを強化する必要があります。これまでも「課題採択率を下げてでも、シフト充足率を高くして研究者の納得できる実験が完了するように配慮する。また、皆が競争でやっている先端的研究は大事だが、誰もしていないことに挑戦する研究をもっと奨励する」ことを述べてきました。また、SPring-8の課題選定の第一基準に先端的研究で発展性のあることが挙げられていますが、独創的な研究を重視して誰もやっていないことに挑戦する新規性を第一基準に挙げるように諮問委員会に提案してきました。
一方、「共同利用施設のインハウススタッフは共同利用支援(サービス)の業務に徹するべきで、研究することはその業務ではない」という考え方が根強く存在していました。しかしインハウススタッフによる研究開発がなければ、施設高度化を図り、世界最先端の研究施設を保持するインセンティブが生まれてきません。強力なインハウススタッフが研究を行うことで新しい研究手法や実験技術を開発し、一方で優れた研究課題を全世界から積極的に誘導してきたのが、これまで世界の趨勢です。
既に述べましたが、我が国には施設を建設した後でその施設を改良し高度化する予算が殆ど計上しない、という傾向がありました。これを改善するための予算要求も必要です。施設高度化に時間がかかるとすると、科学技術あるいは基礎的学術研究の将来を見越した研究環境の整備を考えるのも、施設運営にあたるものの重要な役目です。SPring-8は客観的に見て、世界でも他の施設にはない多くの優れた性能を持った第3世代高輝度光源です。それだけに、SPring-8でなければ開拓できない研究が次々に行われて、新しい研究領域に発展していくことを願っています。