Volume 06, No.3 Pages 239 - 242
6. 談話室・ユーザー便り/OPEN HOUSE・A LETTER FROM SPring-8 USERS
「三日月っていうところ・・・・・」
My Hometown MIKAZUKI
「三日月町」…私の故郷…。名前には相当インパクトがある。おそらく「三日月」という言葉は日本各地ほとんどの人が知っている言葉だと思う。学生時代、同じ兵庫県出身にもかかわらず「三日月町」を知らないと言い切られた経験がある。よく考えてみると私も兵庫県のすべての市町の名前を知っているわけではない。大変小さな町である「三日月町」を知らないと言われても当然といえば当然だが。
三日月町は兵庫県の南西部で佐用郡の東端に位置し、北は宍粟郡、東は揖保郡、南は赤穂郡と接している。人口は約3400人、面積は約50km2。さて…、何もない田舎町をどの様に紹介すればいいだろうか、と考えた結果を以下のちょっと仰々しい文章に要約してみました。
どの町にも昔の姿があり、現在の姿があり、そして未来へ向かおうとする姿が見られると思う。三日月町もやはり、昔の姿を残す史跡や現在の施策、そして未来へ羽ばたこうとする計画等々、様々な姿を見せてくれる。今回このような機会を頂き、自分自身でも我が故郷を再認識し、また三日月町の昔の姿、現在の姿、未来像が少しでも皆様に伝われば幸いです。
三日月町の中心三方里山より
1.三日月町の昔
●有名人(?)の来る町
後鳥羽上皇
新宮町との町境に兵庫県の天然記念物に指定されている俗に「弓の木」と呼ばれる大椋があります。
1221年勃発した承久の乱で敗れた後鳥羽上皇は、隠岐に流される途中この地に立ち寄られ、この大椋に弓をかけられてお休みになったといわれています。またそこで射られた矢が飛んだ方向の谷を「矢の谷」といい現在でもその名は残っています。
ちなみにその約100年後には、元弘の変に敗れた後醍醐天皇が隠岐に移られるとき、当地弓の木を見て、後鳥羽上皇をおしのびになったという言い伝えも残っています。
現在の弓の木
北条時頼
三日月町の中心部より宍粟郡山崎町に向かう道路沿いに春哉という小さな集落があります。そこにはまた、小さな無住の寺「最明寺」があります。この小さな集落の小さな寺が三日月町で最も有名な場所なのです。
鎌倉幕府の執権として、又は得宗として専制政治を行った北条時頼には有名な廻国伝説があります。
そのため全国にはたくさんの時頼に纏わる史跡が存在しますが、三日月町にもやはり存在します。それが「最明寺」にある国の重要文化財「北条時頼像」です。全国で2体しかない時頼像のうちの1体で、鎌倉時代の秀作といわれています。(めったに公開されないため町民の私も実物を見た記憶がない)
また時頼の伝説は、「春哉」という地名と、当地に病のため3ヶ月間滞在したとされていることから「三ヶ月」(みかづき)とする文献も見られるように、三日月町の歴史を彩っています。
深雪にもあさる雉子(きぎす)の声聞けば
おのが心はいつも春哉(はるかな) 時頼
●宿場町三日月
三日月町三日月付近は古くから交通の要所となっており、中世から近世にかけ街道が整備されると、姫路から津山に通じる作州街道、同様に姫路から鳥取に通じる因幡街道の公用宿場となっていました。
意外!?
佐用郡内の公用宿場として三日月の他、佐用、因幡街道随一の宿場と称された有名な平福がありますが、このような中に三日月の地名が入っていることが、私の中では結構意外でした。
江戸時代に入り参勤交代の制度が確立され、宿場には大名が休憩や宿泊するため地方の豪家を本陣として利用しました。佐用は岡田家(松江藩専用本陣)、平福は神吉家(鳥取藩専用本陣)、そして三日月は織田家が本陣となり、宿場の中心となっていました。
織田家は、織田信長の弟信包を祖とした由緒ある家柄で、現在も当時の趣を残した建物や関札やかごなどが残っており、三日月町の貴重な文化財となっています。
私は現在宿場として栄えた地域のど真ん中に住んでいることになります……。
●城下町乃井野
三日月藩は、佐用郡・揖保郡・宍粟郡の合計65ヶ村1万5千石を領地とする郡内唯一の藩でした。藩主は津山藩森家の分家で、古くは織田信長に仕えた森長定(蘭丸)の流れをくむ家柄です。
森家の陣屋(陣屋は、小さな藩の主の住居地)は、三日月町乃井野におかれ、その周囲には武家屋敷が築かれました。乃井野は、三日月藩の中心地として栄えた地域です。
現在でも、当時の陣屋を中心とした城下町としての町割り等ほぼ完全な状態で残っており、歴史的に希少な歴史遺産であるという評価も受けております。
昭和57年より、陣屋跡の整備・保存が検討され、長年の間発掘調査等を重ねた結果、平成12年10月には、陣屋跡の石垣・堀の復元工事が完成しました。
三日月町ののどかな散歩コースとして、また歴史的に興味のある方の探索コースとして、大変よい地区だと個人的に思っています。
ちなみに……当時の三日月は大変教育の盛んな藩であり、藩校広業館は、現在の佐用郡唯一の藩校であったため、郡内はもちろん遠くは岡山方面から学びに来ていたそうです。この広業館からは多くの優れた人材が出ました。また、藩校の他に私塾・寺子屋も多く存在しており、学問のまちとしても大変栄えていました。
乃井野陣屋跡
2.三日月町の今
現在の三日月町は、そう…一言でいうと「自然のまち」(よい風に言うと)。いわゆるどこにでもある「田舎」。もちろん遊園地等もあるはずがない。しかし、その自然や田舎の雰囲気を十分に生かした町づくりが進められています。都会にはない魅力。絶対にあるはずです。
●大きな木と小さな花
下本郷にあるムクの木は、樹齢なんと800年といわれ、樹高も約19m、幹周りも9.9mと日本一のムクと称される程の大木です。県の天然記念物の指定を受けており、一度は見る価値のある木です。小学生の頃ものすごく圧倒されたことを大変よく覚えています。
また、播磨科学公園都市の麓弦谷やムクの木と同じ下本郷には、小さくてかわいい「かたくりの花」が群生しています。この花は日中のみに開花し、朝夕や雨の日には開花しない大変可憐な花です。種子から開花まで6~7年かかるといわれており、大変貴重な花です。うつむき加減に咲くこの花は、桜の季節より少しはやく見ることができます。
山の斜面に群生するかたくりの花
●田舎的スポット!
田舎の気分を味わいたい!! そのような希望をお持ちの方は「味わいの里三日月」またその隣にある「もくもく館」「陶芸館」へ。
「味わいの里三日月」には、三日月町の特産品である高原ぶどう・高原ワイン・もち大豆みそ・こんにゃく・新鮮な野菜等々、県内外でも大変評価の高い商品の直売場、そばの手打ち等が体験できる体験室、実際うったそばや手作りこんにゃく等が味わえる食堂と、田舎気分を十分味わえる施設です。
またその近くにある「もくもく館」では、材料・設備がすべて整った中で、自分だけの木工作品を作ることができ、「陶芸館」では、初心者から経験者まで陶芸を楽しむことができます。
「味わいの里」「もくもく館」「陶芸館」では、様々なイベントが行われます。手作りを楽しみたい方は是非参加してみてください。
味わいの里
●自然を楽しむ!
三日月町内には3本の川が流れていますが、いずれの川にも初夏には蛍が飛び交います。最近はやはり数も少なくなりましたが保護活動もなされており、風物詩となっております。やはり幻想的な雰囲気は見ている人の心を和ませてくれます。
私の住んでいる近くにも川が流れておりますが、蛍の飛び具合(?)というのは、地元に住んでいても結構気になります。
●月の町三日月
夜、新宮町から相坂を越え三日月町にはいると、まず目に飛び込んでくるのが「三日月」にかかる流れ星のイルミネーション。町章のデザインともなっている「三日月」は紛れもなく町のシンボル。
全国各地にはこの「月」のつく市町村が、三日月町を含め14カ所存在するそうですが、北は北海道月形町から南は長崎県生月町まで「つきのまち」として交流し、情報の交換等を行っています。特に同名の町である佐賀県小城郡三日月町とは、平成7年に友好姉妹町の提携をして、小学生の交換留学等を実施しています。
三日月町民として、全国に在する「つきのまち」との交流によって各々の市町村がすばらしい町づくりを提案できればと期待しております。ちなみに「三日月」という町名が他にも存在することには大変驚きました。
3.三日月町の未来
私が小中学生の頃、入学式や卒業式でよく聞いた話に「西播磨テクノポリス構想」というものがありました。当時まだ何のことだか分からず、心の中では「またその話か~」なんて思っていた記憶があります。中学校の遠足は、科学公園都市予定地の散策であった。どこに何ができるなんて話より、腹へったな~なんてことの方が気になっていました。まさか自分がここで働くことになるなんて…。
播磨科学公園都市の核となる大型放射光施設の建設が始まったのは1991年で私が高校生の頃。それ以前に公園都市の整備は始まっていました。地元に住んでいながら全く知らず、大学生となり三日月町を離れた4年間に、見違えた都市となっていました。細い道だった所に大きな道路が走り、大変不便だった上郡・相生方面へ短時間で行けるようになっていた。このように思ったのは私だけかもしれないが、驚きの連続でした。
播磨科学公園都市には現在、第3世代の放射光施設SPring-8を中心に、研究活動を支援する先端科学技術支援センター、大型放射光施設と提携した研究を行っている姫路工業大学理学部、また各企業の研究所及び工場が続々と進出しています。また癌の治療を行う粒子線治療センターと、まさに未来へ目を向けた都市計画が着実に進んでいます。
それに伴い三日月町では、この播磨科学公園都市に一番近いという利点を活かし、現在三日月駅周辺の整備が開始され、まさに三日月町のキャッチフレーズである「自然と科学の出会うまち」が実現しようとしています。
「三日月町?あ~SPring-8のある所か!」なんて会話ができる日も近い!
最後に、拙文ながら三日月町の紹介をさせていただきました(紹介というより自分の主観でしかないようだが)。しかし、三日月町には、そこに住んでいる者には分からない魅力があります。狭い町ですので、皆様が実際目で見ていただき、ご自身で三日月町の魅力を見つけていただければと思います。
参考文献
「三日月町史」
「広報みかづき」
三日月町のホームページ: http://www.town.mikazuki.hyogo.jp/
各務 彰一 KAKUMU Shoichi
(財)高輝度光科学研究センター 経理部
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