ページトップへ戻る

Volume 06, No.1 Pages 64 - 65

6. 談話室・ユーザー便り/OPEN HOUSE・A LETTER FROM SPring-8 USERS

日生のこと
A Little Town HINASE

池田 直

財団法人高輝度光科学研究センター

放射光研究所 利用促進部門

Download PDF (293.95 KB)

 SPring-8に暮らしていると、この地のことを時折「ヤマ」と呼ぶ場面に遭遇する。明日は職場に来るかを問う意で「明日ヤマに来る?」と尋ねる。隠語ではあろうが、それほどに自分たちは山間部で働いているという意識が強いらしい。だが地図を見ると、このSPring-8は瀬戸内海東部の播磨灘から、わずか北に15kmほど入った地に位置しているのであり、瀬戸内沿岸部に存在しているという見方も自然に思える。そこで日頃忘れかけているかもしれないがそのじつ身近である瀬戸内地域の中から、一つの小さな町を紹介したい。

 SPring-8から車で南に20km走ると相生市になる。相生は南を瀬戸内に接した街であるが、海との境にある南北に長い相生湾が山に挟まれており、播磨灘を見るには市街地からさらに南へ2kmほど南下する。瀬戸内沿いに国道250号を西に進むと、隣町赤穂で兵庫県が終わり、日生町に入って岡山県となる。さらに西隣に進めば焼き物の町、備前市に至る。

 日生町はSPring-8から見ると南西に40kmほどの位置に存在する。約9000名の人口のうち、幾割かは町の南側に点在する14余りの島々、日生諸島に生活する。日生諸島の南向かいに播磨灘の西部に浮かぶ小豆島があり、日生の駅前からは小豆島行きのフェリーが発着している。

 日生町に入って驚くのは、海がとても近いことである。東の兵庫県では、播磨灘は市街地から数キロは離れ、近づいても背の高さを超える堤防を越えないと海を見ることができない。一方この日生では国道250号線と海との境に防波堤が無く、諸島部に向かう定期船とバスが同じ高さに並ぶのである(Fig.1)。

Fig. 1  定期船と国道250号線を走る路線バス


土地の人に尋ねると、この1000年以上の間に大きな高潮被害が出ていないと言う。沖合の島々が町の良い防波堤の役割をするので,高潮のみならず台風の時も大波が来ないのだそうだ。

 諸島部に暮らす人々は「島ではない地域」を本土と呼ぶ。諸島と本土の間は定期船がほぼ一時間に一本の割合で運航される。この航路沿いに諸島部の紹介をしたい(Fig.2)。



FIg. 2  鹿久居島の前を行く定期船


 定期船は日生港を出てまず鹿久居島に寄港する。鹿久居島には野生の鹿が生息しており天然記念物の指定を受けている。かつて平清盛が厳島神社を建立する際、広島の宮島とこの鹿久居島を比べ、こちらには神の化身である鹿がいるのでそれを断念したという。土地の人たちはあのとき神社が此処に来ていれば町はずいぶん違ったろうと残念がる。1000年前のことをこれほどに言うのがとても瀬戸内らしい。鹿久居島を出た船は次に建て売り別荘の並ぶ鴻島に寄港する。不動産の広告には、新築一戸建て総二階、車二台の駐車場付で980万円、駅前から“海上タクシー”で15分とある。住宅が多く並ぶ鴻島を後にすると頭島となる。冬になると本土から蜜柑狩り船が運行される島である。日生の冬の味覚はこの蜜柑と養殖の牡蠣であろう。夏の頭島は、その小さな海水浴場が少しだけ賑わう。砂浜の沖に、ロープの張られた一角があり、地元の小学校の公式プールらしいのだが、引き潮でも小学生には足が届かなかろうと思う。牡蠣筏や島々を眺めつつ定期船の終点は一番沖合の大多府島である。この終点まで600円、40分の船旅である。

 日生町は古くから農業と漁業、そして海運が基幹産業であったと聞く。現在の海運業は一時ほどの賑わいを見せていないらしいが、食堂経営や割烹旅館といった観光業も町の産業となっている。事実日生にはかならず満足できる料理店がとても多い。また週末の午前中にだけ開かれる観光市場「五味の市」も大変に興味深い。漁船から荷下ろしする横で開かれる市場であり、生きていない素材は売られていない。ちなみにこの五味の市で籠に山盛りで売られているシャコは日生町の「町魚」に指定されている。

 この町の季節感は、四季の海産物や島々の紅葉と新緑、そして観光客の賑わいに見られるのだろう。冬は牡蠣工場が昼夜を問わず活気を見せ、夏には遅い日暮れ時に家族連れが港をそぞろ歩く姿が見受けられる。夕食後に家族で港を散策できる生活というのは、とても豊かではなかろうか。


 このように瀬戸内らしい豊かな自然環境に恵まれた日生町ではあるが、人口や漁獲高の漸減傾向に悩んでいることも事実である。日生は山稜が海に接した地形となっており、工場誘致に適すような広い土地を用意するのが難しい。それ故おのずと町は海と向き合って生きることを余儀なくされるのだと感じる。誘致した大企業と共に栄枯盛衰することを選ばなかった日生は、自立し豊かな自然を生かし、それと共生することを模索しているのであろう。このようにSPring-8から1時間ほどの距離のところに在り、いろいろな意味で瀬戸内らしさを現す町が日生である。瀬戸内は日本を代表する自然、景観美の宝庫であり、その特異な気象、地理的条件から、1000年を越える産業や生活の歴史集積がある。SPring-8に日々を過ごしながら、そういった環瀬戸内文化圏に思いを馳せてみるというのもいかがでしょうか。

 ヤマの下には海があった、というお話でした。


Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
Online ISSN 2187-4794