Volume 05, No.3 Pages 231 - 234
6. 談話室・ユーザー便り/OPEN HOUSE・A LETTER FROM SPring-8 USERS
播磨の山菜
Edible Wild Plants in and around Harima
魚釣り、潮干狩り、山菜採りといった趣味は、その動機が動物が生きるためのもっとも基本的な本能に根ざしているので、決して高尚なものとは言えない。漁や食物採取といった活動は、野生動物や原始人にとっては生存そのものと同等の意味をもつほど重要ですが、現代人(ただしそれらを生業としない人)にとっては幸か不幸か趣味や遊びの範疇に属します。趣味や遊びといっても、それに熱中しているときは動物的本能を剥き出しにしているのではないかと思うことがあります。
筆者が育った信州の田舎では、春の山菜採りは村の子ども達の年中行事でした。食料が不足していた訳ではありません。伝統的な遊びの一つでした。播磨科学公園都市に住み始めたとき、真っ先に目に飛び込んできたのは、道路脇に堂々と葉を茂らせているタラの木でした。そのとき、子供時代に培われた山菜採りという動物的本能が目覚めました。6月でしたので山菜取りの最盛期は過ぎていましたが、住宅の近くの林の周辺を捜すと、おくてのワラビが芽を出していました。根本からポキッと折り採る感触を久しぶりに味わいました。
筆者が播磨科学公園都市周辺や播磨地方で見つけた山菜のうち主なものを紹介します。
写真は山梨県富士吉田市の磯田進先生(昭和大学薬学部薬用植物園、山菜のホームページ http://maru.showa-u.ac.jp/̃isoda/sansai/index2.html)からご厚意により、大学で薬用植物学の講義に使用されているものを提供していただきました。
ワラビ
山菜の代表格といえます。林の周辺や草地などに生えます。植林直後の山の斜面にはよく肥えた見事なワラビが群生していることがあります。また藪の中ではヒョロッと異常に長く伸びたワラビを発見することがあります。ポキッと折れる部分から折りす。ポキッと折れない部分は繊維が硬くて食べられません。
慣れないうちはワラビの若芽を捜すのは大変です。しかし目が慣れてくると、草むらや枯れ草や藪に紛れた若芽を一瞬にして見いだせるようになります。見つけたときの喜びこそ山菜採りという遊びの醍醐味です。殊によく肥えた長いワラビを見つけたときの喜びは格別なものです。ワラビを調理して味覚を満たすというのは筆者にとっては副次的な楽しみです。一日中ワラビ採りに熱中すると、夜床に入って目を閉じたとき次々とワラビの幻が現れなかなか寝つけなくなることがあります。
たくさん採れたときは近所の人に分けてあげます。必要以上に採取しないこと、採り尽くしてしまわず必ず一部残しておくこと、これが山菜採りの鉄則です。取り尽くしてしまうと、翌年その一帯にはワラビが極端に少なくなっていることに気づきます。
あく抜きは、筆者の田舎では木灰を使っていましたが、ひとつまみの重曹で十分です。重曹を入れた熱湯で数分間茹でるとあくが抜けます。茹ですぎると皮が剥がれてしまいますので茹で過ぎに注意。完全に抜けない場合は、一晩水にさらします。
料理法としては、そのままお浸しにしてもいいのですが、田舎風の煮物の具として使うのが最も美味しいように思います。ワラビには発ガン物質が含まれていると言われていますが、毎日多量に食べる訳ではないので筆者は全く気にしていません。
ワラビと同じシダ類の山菜として有名なゼンマイは、あく抜きに苦労します。重曹程度では抜けないので、筆者はゼンマイを食べるのは諦めました。しかしながら、田舎で食べた経験によると、味の点ではゼンマイの方が圧倒的に格が高い。
ワラビの若芽。採取する場合は、葉の部分が拳のように丸まったものを選びます。
タラの芽
あまりにも有名な山菜ですが、最近はスーパーマーケットや八百屋でも栽培品をよく見かけますので寧ろ野菜と呼ぶ方がふさわしいかもしれません。
タラの木は、木を伐採した山野にいち早く生える、とげのある雑木です。林が生長して日当たりが悪くなると自然に消滅してしまうようです。枝が極端に少ないので1本の木から取れるタラの芽は数が限られます。タラの芽にも棘がありますが、栽培用に品種改良されたと思われるメダラと呼ばれるとげのない種類もあります。実は、筆者の住む住宅の近くの造成地に、植林されたと思われるメダラの林があります(どうか荒らさないでください)。
人目に付きやすい場所にあるタラの芽はたいていもぎ取られています。鋭い刃物で切り取った跡をよく見かけますが、この方法ですと2番芽の生える部分まで切り取ってしまう危険性があります。2番芽が生える余地を残しておかないとタラの木は枯れてしまいます。軍手をした指で1番芽のはかまの部分をつまんでポキッと折り採るのが最もタラの木に優しい採取方法です。2番芽は決して採らないというのも山菜取りの原則です。
料理方法はてんぷらに尽きます。
タラの芽
ウド
ウドはすでに栽培野菜として店頭に並んでいますが、山野に自生するものをあえて山菜と呼ぶことにします。ウドの命ともいえる独特の香は、野菜のウドよりも山菜のウドの方が圧倒的に強い。
筆者は氷ノ山の草原までウド採りに行きます。根本が太くて白い部分の長い若芽のウドを捜し、少し土を掘って根本から切り採ります。食べられるのは白い部分だけです。大木になったウドは食べるところがありません。
筆者の好きな料理方法としては、まず、白い部分を切り取り、皮を薄くそぎ落とします。それを薄く切ってしばらく水にさらしたのち、ぬたにして食べると強烈な香と味を楽しむことができます。また、そぎ落とした皮のきんぴらは絶品です。多少筋が硬くても噛みしめるほどに味がしみ出してきます。
ウドの若芽
ギボウシ
湿地を好むユリ科の植物です。筆者の田舎ではウルイと呼ばれていました。家の裏の畑の一部に植えられていて、毎年春先にはお浸しとして家族の食卓に登場しました。
三日月町を流れる川のほとりで見つけたことがありましたが、あまりにも株数が少ないので採取する気にはなりませんでした。それ以外に播磨科学公園都市の周辺では見かけたことがありません。氷ノ山あたりには結構ありそうな気がします。
茎(葉の柄)の白っぽい部分をお浸しにして食べます。畑で栽培すれば野菜としても通用しそうな気がします。
オオバギボウシの若芽
ツリガネニンジン
キキョウ科の多年生植物で、地方によってはトトキとも呼ばれます。関東では里でもよく見かけましたが、播磨科学公園都市近辺ではあまり見かけません。万勝院の近くで見つけましたが、採取すると絶滅するのではないかと心配する程度の生え具合でした。氷ノ山では多量に採取できました。若芽の上部を摘み取って食用にします。摘み取った後の切り口から乳のような白い液汁が出てくるのがツリガネニンジンの特徴です。
茹でて水にさらしたのちお浸しにして食べます。癖がないので和え物にしても美味しいのではないかと思います。
ツリガネニンジンの若芽(左)と花(右)
ナンテンハギ
マメ科の多年生植物。山菜と呼ぶよりも雑草と呼ぶ方がふさわしいほどありふれた植物です。関東では田畑の畦、線路の土手、雑木林の周辺などで見かけます。しかし、筆者は播磨に来て以来まだ一度も近辺でナンテンハギを見たことがありません。
食べ方は色々あるようですが、ナンテンハギの本来の味を楽しむのには、お浸しが一番いいと思っています。独特の味と舌触りは、山菜のお浸しの中では随一であると思います。
ナンテンハギを見つけることが今後の筆者の目標です。
ナンテンハギの若芽
ヤブカンゾウ
ヤブカンゾウはどこでも見かけるありふれたユリ科の野草ですが、その若芽のぬたは癖がなくまた特有のほのかな甘味があり、山菜料理の一級品といえます。
筆者の田舎では、なぜかヤブカンゾウは毒草と信じ込まれていました。筆者も子供の頃からそう信じていましたので、後年山菜の本でヤブカンゾウが食べられることを知ったときには大変驚きました。しかし、食べられるとは知っても、初めてヤブカンゾウを口にするときは勇気が要りました。
「ヤブカンゾウは毒草である」という村の迷信の根拠を筆者は推理したことがあります。ヤブカンゾウ(またはその根)には薬草としての効果があり、食べ過ぎを抑止する目的で、村の賢者が「毒草」説を故意に流布させたのではないかと。
この推理は、ミョウガ(茗荷)にまつわる村の言い伝えから思いつきました。ミョウガは、ミョウガの子(花)としてもミョウガタケ(茎)としても食用にされます。みそ汁の具にしても煮物の具にしても漬け物にしても、えもいわれぬほどおいしい野菜で、野沢菜漬けと同様、村の子ども達の大好物でした。しかし、子ども達は親から「ミョウガをたくさん食べると物忘れをする」と教え込まれていました。実際ミョウガがそんな成分を含んでいるとは思えません。子ども達は腹の中では「ミョウガのようなおいしい物をたらふく食べさせないように親が考えた方便」だと思っていました。「ミョウガの物忘れ」説と「ヤブカンゾウの毒草」説は同じ穴のムジナではないかと筆者には思えるのです。
しかしそうは思うものの、最近筆者の物忘れがとみにひどくなってきたのは、もしかすると子供の頃ミョウガを食べ過ぎたせいではないかという一抹の後悔が一瞬脳裏をよぎることも事実です。
筆者は「同じ穴のムジナ」という表現をしましたが、このような迷信や風説をむげに否定するわけではありません。迷信や風説そのものは事実とは異なっていても、その奥には深長な宗教的意味合いや教訓、戒めあるいは真実を含んでいる場合もありうるからです。殊に飽食の時代に生きている我々には、食に関する古くからの言い伝え・迷信・俗説・風説をもう一度考察してみる必要があるかもしれません。飢餓の時代が到来したときに狂乱状態に陥らないためにも。
ヤブカンゾウの若芽(左)と花(右)
その他の山菜
フキノトウやセリは播磨科学公園都市内や周辺で比較的容易に見つけられます。セリは小川や貯水池の水辺に生えています。フキノトウもセリも春先、栽培品がマーケットの店頭に並べられます。
ツクシやタンポポも食べられるようですが、筆者はまだ食べたことがありません。
周辺の林に入るとサンショウ(山椒)の木に出会います。若芽と実がよく料理に利用されます。
追記:一昨年は、播磨科学公園都市内の造成地の周辺を一回りすると、十分な量のタラの芽を採ることができました。先日、筆者の住宅周辺を一回りして見ました。タラの芽はほとんど採り尽くされていました。芽に手が届かないほど高く成長したタラの木は、無惨に枝をへし折られたり、鋸で切り倒されていました。タラの芽は商品価値があるため、人の入りやすい場所にあるタラの木々は、金銭目当ての人たちによってなめ尽くしたように荒らされてしまいます。一昨年までは山菜採り場として未開の地であった播磨科学公園都市内も、昨年あたりから荒らされ始めました。来年のことを考慮しないこのような一過性の採取方法は、タラの木のある場所を覚えていて毎年芽が出るのを待っている住民の密かな楽しみをも摘み取ってしまいます。乱穫は結果的に得るものよりも失うものの方が多い。山菜採りは人間と自然との共存を考えさせてくれます。
たかが山菜採り、されど山菜採り。
尾崎 隆吉 OZAKI Takayoshi
(財)高輝度光科学研究センター 企画調査部
〒679-5198 兵庫県佐用郡三日月町光都1-1-1
TEL:0791-58-0901 FAX:0791-58-0952
e-mail:ozaki@spring8.or.jp