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Volume 05, No.1 Pages 44 - 46

5. 研究会等報告/WORKSHOP AND COMMITTEE REPORT

「高分解能コンプトン散乱研究会」報告
Report of High-resolution Compton Scattering Workshop

櫻井 吉晴 SAKURAI Yoshiharu[1]、坂井 信彦 SAKAI Nobuhiko[2]

[1](財)高輝度光科学研究センター 放射光研究所 実験部門 JASRI Experimental Research Division、[2]姫路工業大学 理学部 Himeji Institute of Technology, Faculty of Science

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 高分解能コンプトン散乱研究会は、世界のCOEとしての役割を目指すSPring-8の高分解能コンプトン・スペクトロメータの現状、装置高度化について報告を行い、併せてコンプトン散乱法と他手法の相補性やトピックス的なテーマに絞った講演と討論を行い、 SPring-8における高分解能コンプトン散乱を中心とした物性研究の今後を展望することを目的として、1999年9月17日、JASRI中央管理棟、講堂で開催された。
 コンプトン散乱は電子運動量密度分布を定量的に与える唯一の実験手法であり、その高分解能実験においてはフェルミ面の直接観測や電子の占有軌道状態の決定など、独創的な応用研究が計画されている。今までの高分解能コンプトン散乱実験では、重元素物質を測定するには入射X線のエネルギーが低く、上記のユニークな実験は3d遷移金属及び合金より軽い物質に限定されてきた。高温超伝導体や巨大磁気抵抗効果などを示す強相関電子系や4f、5fの重い電子系など魅力的な物性を示す物質は、今まで高分解能コンプトン散乱実験では手が出ない重元素系物質であった。このようなおあずけ状態を打破すべく、SPring-8、BL08Wの実験ステーションBに重元素系物質の測定が可能なCauchois型高分解能コンプトン・スペクトロメータの建設が計画され、立ち上げ・調整が1999年3月より始まり、同年7月までのビームタイムで順調に第1段階のコミッショニングが完了した。このCauchois型高分解能スペクトロメータはESRFやAR-NE1の使用エネルギーの約2倍の115keVを入射X線としており、U吸収端(115keV)直下のエネルギーのX線を利用することでU化合物まで測定対象試料になり、実質的にはほぼ全ての物質が測定対象になる。一方で、本スペクトロメータの要となる高エネルギー仕様のマイクロストリップGe半導体位置検出器の開発が、「ビームライン高度化計画」の一つとして順調に進行している。
 研究会では下村(原研)のあいさつと研究会の主旨の説明に始まり、続いて坂井(姫工大)はコンプトン散乱による物性研究の原理について説明後、測定分解能の重要性を強調した。コンプトン・プロファイルに現れる微細構造を見易くするためにプロファイル微分をとることが行われる。このときの微分のシャープさは測定分解能の2.5乗で効いてくることを解析的に示した。続いて、櫻井(JASRI)はBL08Wに設置されたCauchois型スペクトロメータの仕様と性能を説明した。現状では、1次元位置検出器の代わりに、スリット付きGe半導体検出器をスキャンすることでプロファイルを測定している。「ビームライン高度化計画」で開発している512素子相当のマイクロストリップGe半導体位置検出器が導入された場合、ほぼ全ての物質について0.1%統計精度(コンプトン・ピークで)を得るための測定時間は1日以内になることを示し、フェルミ面の再構成に必要と考えられる20方位程度のコンプトン・プロファイルが1〜2週間の測定期間で得られることを定量的に評価して示した。平岡(姫工大)は同スペクトロメータの立ち上げ、性能の詳細について報告した。9月17日時点では、0.19auの運動量分解能を達成し、測定効率を約3倍にする目的で導入した3連の結晶アナライザー・システムは予想通りに動作したことを示した。(注;その後、アナライザー結晶を薄くすることで、世界最大の入射エネルギーで世界最高レベルの分解能、0.13auを達成した。)また、世界で初めてNbの高分解能コンプトン・プロファイルの測定をし、Nb固有のフェルミ面形状を反映した微細構造と異方性を明確に示した。続いて、鈴木(JASRI)と豊川(JASRI)は「ビームライン高度化計画」で開発しているマイクロストリップGe半導体位置検出器について講演した。鈴木(JASRI)は、100keVのX線に応用した場合、検出媒体であるGe結晶内での散乱やチャージ分割の影響で、1ストリップからのエネルギー・スペクトルは低エネルギー側にテールを引くことをEGSコードによるシミュレーション結果と実験結果を比較しながら説明した。豊川(JASRI)は第1段階で製作した200µm、350µmピッチの(1+1+5)素子Ge検出器について行ったRI線源を用いた実験の他、実際にスペクトロメータに取り付けて測定したCuのコンプトン・プロファイルの結果を示した。第2段階で製作予定の検出器は64素子相当の検出器になるため、データ収集系としてチップ化したシステムの採用を検討している。
 午後のセッションでは、応用研究を中心にした講演が行われた。菅(阪大)はフェルミ面研究でコンプトン散乱と相補的手法である角度分解光電子分光の観点から、同手法の現状と将来展望について講演した。特に、1keV程度の軟X線を用いることでバルクの電子状態の測定が可能になることを示した。また、マイクロビームを用いた10μmの微小領域の分光やスピン偏極光電子分光が21世紀のテーマであると説明した。久保(日大)はバンド理論計算の観点に立ち、今までに行われた実験と理論の比較からフェルミ面、ウムクラップなど電子状態の特性、電子相関の研究にコンプトン散乱は多くの成果を上げてきたことを示した。バンド理論計算の今後の展開の一つはGW近似により電子相関を第1原理的にいかに取り込むかであり、そのためにはコンプトン・プロファイルとの比較が重要になってくること話した。稲田(阪大)はド・ハース効果による最近注目されているU化合物のフェルミ面の研究について話をした。例えば、UPd2A13は非s波異方的超伝導と反強磁性が共存する興味深い系であり、ド・ハース効果の実験結果とバンド計算結果を比較することにより、フェルミ面の形状を決定している。異方的な超伝導ギャップが実際のフェルミ面上でどのように開くかに大きな興味があることを話していた。松本(総研大)はCuとCu-Pd不規則合金の測定した高分解能コンプトン・プロファイルから3次元電子運動量密度を再構成しフェルミ面の直接観測に成功した。バックグラウンドの低減と22方位という多数のプロファイルの測定が成功のポイントで、Cuにおいて観測されたネック構造がPdとの合金化で消滅していることを明確に示した。河田(物構研)はコンプトン散乱X線と反跳電子のコインシデンス測定を行うことによって、3次元電子運動量密度分布を直接測定しようとする試みの現状について説明した。反跳電子のエネルギーをTOFで測定することで高分解能測定を可能にし、現在、0.3auの分解能を達成し、近い将来0.1auの分解能が可能になることを話した。続く、3つの講演は強相関電子系で重要な役割を果たす軌道秩序に関するトピックスである。村上(物構研)は放射光の特性を活かした共鳴磁気散乱による電荷・スピン・軌道秩序を示すペロフスカイト型Mn酸化物の研究について講演した。廣田(東北大)は共鳴磁気散乱に加え中性子散乱による(LaSr)MnO3系、DyB2C2系の研究について講演した。小泉(姫工大)はLa-Sr-Mn-O系の磁気コンプトン散乱によりMn3dの軌道状態を決定できることを示し、高分解能実験への期待を話した。Mn酸化物やf電子化合物に見られる軌道の物理に関するコンプトン散乱による研究は、磁気共鳴散乱、中性子回折、非弾性散乱などによる研究と相補的に発展していくと期待される。最後に、まとめとして、塩谷(東水大)はKEK-PF、KEK-ARそしてSPring-8と確実にスペクトロメータは進歩していることを強調した。SPring-8では、従来のスペクトロメータでは出来なかった希土類化合物やU化合物の測定が可能になり、フェルミ面形状が主要因の一つになる相転移に関して物理的理解がより深まることへの期待を述べ、それを実現するには専任の若手研究者の確保が最重要課題であるとして締めくくった。
 参加登録者数は30名で、コンプトン散乱に内容が限られた研究会にしては予想を越えた参加人数であった。講演内容に対するコメント・議論も活発になされ、重元素系物質のフェルミオロジーと占有軌道状態の決定が今後の研究課題として重要になるという印象であった。

「高分解能コンプトン散乱研究会」プログラム

「はじめに」  下村  理(原研)

「コンプトン散乱と物性」  坂井 信彦(姫工大)

「高分解能スペクトロメータの概略と高度化計画」  櫻井 吉晴(JASRI)

「高分解能スペクトロメータの立ち上げ報告」  平岡  望(姫工大)

「マルチストリップGe半導体位置検出器(1)」  鈴木 昌世(JASRI)

「マルチストリップGe半導体位置検出器(2)」  豊川 訓秀(JASRI)

「高分解能光電子分光の観点から」  菅 滋正(阪大) 

「バンド計算の観点から」  久保 康則(日大)

「ウラン化合物のフェルミ面の性質」  稲田 佳彦(阪大)

「コンプトン散乱を用いたCu-Pd合金の電子構造」  松本  勲(総研大)

「反跳電子とコンプトン散乱光子との同時測定」  河田  洋(物構研)

「共鳴X線散乱による軌道秩序の観測」  村上 洋一(物構研)

「軌道自由度の物理〜Mn酸化物とf電子化合物」  廣田 和馬(東北大)

「ペロフスカイト型Mn酸化物(La-Sr-Mn-O)におけるMn3d軌道分布状態の磁気コンプトン散乱による研究」  小泉 昭久(姫工大)

「まとめ」    塩谷 亘弘(東水大)




櫻井 吉晴 SAKURAI  Yoshiharu
(財)高輝度光科学研究センター 放射光研究所 実験部門
〒679-5198 兵庫県佐用郡三日月町光都1-1-1
TEL:0791-58-2723 FAX:0791-58-0830
e-mail:sakurai@spring8.or.jp


坂井 信彦 SAKAI  Nobuhiko
姫路工業大学 理学部
〒678-1297 兵庫県赤穂郡上郡町光都3-2-1
TEL:0791-58-0144 FAX:0791-58-0146
e-mail:n_sakai@sci.himeji-tech.ac.jp



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[ - Vol.15 No.4(2010)]
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