Volume 03, No.3 Pages 20 - 22
4. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
「X線その場回折実験により決定されたMg2SiO4ポストスピネル相境界」概要
The Postspinel Phase Boundary in Mg2SiO4 Determined by in Situ X-ray Diffraction
「地球深部マントル不連続面対応の高温高圧X線観察実験に成功」
昨年10月から供用を開始したSPring-8で得られた研究成果が、3 月1 3 日発行の米国の科学雑誌「Science」に発表されました。
プレス発表の模様(平成10年3月12日)
愛媛大学の入舩徹男教授を実験責任者として、日本原子力研究所、(財)高輝度光科学研究センター、ならびにSPring-8利用者懇談会高圧地球科学サブグループとの共同研究として、昨年10月にSPring-8の共用ビームラインを用いて行った実験結果を研究論文として投稿したもので、地球深部マントル遷移層と下部マントルの境界域に対応する高温高圧力下でのX線によるその場観察実験(図1参照)に成功したものです。
以下にその発表概要を掲載します。
図1 X線光学系
研究の背景
地球内部は2つの面(地震学的不連続面)により地殻、マントル、核の3つの領域に区分されている。体積で8割を占めるマントルはさらに深さ410kmおよび660kmの2つの不連続面で3つの領域(上部マントル、マントル遷移層、下部マントル)に分割されている(図2参照)。
図2 地球内部の層構造と圧力
地表から順に、地殻と呼ばれる表面付近の薄い層、マントル、ならびに中心部の核の、3つの層からなっている。マントルは、さらに深さ410kmおよび660kmにおける地震波速度が不連続に変化する面(地震学的不連続面)を境として、上部マントル、マントル遷移層、下部マントルの3つの領域からなっている。
特に660km不連続面はマントル中最大の不連続面であり、その原因を明かにすることはマントルの化学組成と形成過程、沈み込むプレートの行方、上昇するプリュームの運動、深発地震の成因等に深く関連する地球科学上の第一級の問題である。
マントル内部の上記2つの不連続面は、マントルの主要な鉱物であるかんらん石(Mg2SiO4)の構造相転移が原因であると考えられている。即ち、かんらん石は410kmの深さに対応する圧力でかんらん石構造からスピネル構造に、さらに660km付近の圧力でスピネル構造からペロフスカイト構造のMgSiO3と岩塩構造のMgOの2相(ポストスピネル相)に分解し、それぞれ大きな物性の変化をもたらす。
660km不連続面の原因であると考えられるスピネル-ポストスピネル相転移(以下ポストスピネル転移と略)の境界の圧力は、通常もちいられる“急冷法”では正確に決定できない。そこで高温高圧条件下におかれた試料にX線を照射して、構造の変化をリアルタイムで観察すると同時に温度圧力を正確に測定する“X線その場回折実験”が必要になる。
X線その場観察実験は放射光X線と高圧装置を組み合わせることにより可能であるが、これまでは技術的制約から上記のポストスピネル転移の圧力はこのような方法では決定できていない。
実験
Mg2SiO4のポストスピネル相転移境界の、X線その場観察実験に基づく決定を試みた。実験は愛媛大学の入舩徹男、井上徹、および西山宣正を中心とした大学院生の実行チームにより以下のようにおこなわれた。
(1)SPring-8とSPEED-1500に適したその場観察用の高圧セルの開発をおこなった。
(2)かんらん石の粉末を、加熱材、温度センサー等を組み込んだ焼結セラミック製の圧力媒体(高圧セル)の中心部につめ、SPEED-1500で加圧、加熱をおこなった。色々な温度圧力条件のもとで100ミクロン程度の放射光X線を照射し、得られた回折X線のパターンからそれぞれの条件下での試料の結晶構造を決定した。温度は熱電対で読み取り、圧力はかんらん石に混ぜた金の粉末の体積変化から計算した。
(3)実験はそれぞれ約2日間にわたる連続的な実験であり、計5回おこなった。圧力は最高25万気圧程度まで、温度は2000℃を越える条件の範囲でおこなった。高温高圧状態でのX線その場観察実験は、最高連続15時間以上にわたっておこなった。
(4)5回の実験結果をもとに、多くの温度圧力条件で存在する相を決定し、ポストスピネル転移の境界線を制約した(図3参照)。
図3 かんらん石のスピネル-ポストスピネル相転移境界
黒丸位置の温度圧力条件下では、スピネル構造、白丸位置での条件下では、ペロフスカイト構造+岩塩型をとる。この図から、660km不連続面での圧力23.5万気圧において、スピネル-ポストスピネル相転移が起きる温度は、1000℃よりはるか低いことになる。
結果
(1)Mg2SiO4のポストスピネル転移境界が、X線その場観察により精密に決定された。
(2)相転移境界の傾き(dT/dP)は、従来熱力学的あるいは急冷法により見積もられていた値とほぼ一致する。
(3)相転移境界は、従来考えられていた圧力より2万気圧以上も低圧側にシフトする。
結果の意味と結論
本研究により得られたポストスピネル転移圧力によると、660km不連続面の原因がこの相転移ではうまく説明されないことになる。ポストスピネル転移は約600km付近の圧力で起こることになるが、そのような深さで不連続面は観測されていない。
したがって本結果を地球内部に直接あてはめると、マントル遷移層にはかんらん石がほとんど存在しないことになる。また、660km不連続面の存在はポストスピネル転移以外(例えば化学組成の不連続的変化)にその原因を求めねばならなくなる。
しかし、この結論はこれまでの地球科学の常識と大きく異なっており、特に以下の2点についてさらに検討が必要である:
(1)マントル中には本実験で用いたMg2SiO4以外に量的には少ないものの、鉄、アルミニウム、カルシウム等の元素も存在する。従来はこのような元素は上記の相転移圧力にあまり大きな影響を及ぼさないと考えられてきたが、実験的に詳しい検討はなされておらず、これらが相転移圧力になんらかの影響を与える可能性がある。
(2)本実験の圧力は、従来からこの種の実験で用いられてきた金の体積変化により決定されている。金の状態方程式(体積-圧力-温度関係)は良く確立されており、信頼にたる圧力スケールとされてきたが、この圧力のスケール自身を根本的に疑う必要がある。
研究の特徴と意義
(1)相境界の精密決定の実験としては、従来の研究に比べはるかに高い圧力および温度条件での長時間のX線回折その場観察に基づく実験が可能になった。
(2)上記は①SPring-8の強力で安定なX線[JASRI]、②SPEED-1500の能力[原研(内海渉)、JASRI(舟越賢一)、高圧地球科学ビームライン建設グループ(代表浦川啓・岡山大学理学部)]、③新開発の高圧セル[愛媛大学]の3つがうまく働くことにより達成された。
(3)地球内部の研究で第一級の課題であった、かんらん石のポストスピネル転移境界が初めてその場観察法により精度よく決定された。
(4)この結果は従来の常識と大きく異なっており、地球内部研究者のあいだで大きな議論を起こすと思われる。
今後の発展
本研究から直接示唆される緊急の課題として、ポストスピネル転移に対する他の成分の影響を明らかにするとともに、圧力スケール自身の見直しが必要である。また、今後SPring-8とSPEED-1500を用いた研究テーマの例として、以下のようなものが考えられる。
(1)地球深部の物質構成、化学組成(複雑な化学組成をもった系の相関係)
(2)沈み込んだプレートの運命(海洋プレートおよびマントル物質の密度変化)
(3)マグマの発生条件(マントル物質の融解実験)
(4)マントルの運動(高圧相の強度の測定)
(5)深発地震の原因(相転移の速度、メカニズム)
(6)ダイヤモンドの生成過程(黒鉛の相転移)
入舩 徹男 IRIFUNE Tetsuo
昭和29年7月5日生
愛媛大学理学部生物地球圏科学科 教授
〒790-8577 愛媛県松山市文京町2-5
TEL:089-927-9645
FAX:089-927-9640
e-mail:irifune@dpc.ehime-u.ac.jp
略歴:京都大学理学部地球物理学科卒業、名大修士課程、北大博士課程修了。日本学術振興会奨励研究員、オーストラリア国立大学地球科学研究所研究員、北大理学部助手、愛媛大学理学部助教授を経て平成7年より現職。理学博士。日本高圧力学会、日本鉱物学会、日本地震学会、日本惑星科学会、アメリカ地球物理学連合会員。研究テーマ:高温高圧下での地球深部物質の挙動と地球内部の物質構成。趣味:釣り、散歩、写真(機)。