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Volume 04, No.3 Pages 1 - 3

1. ハイライト/HIGHLIGHT

パプアニューギニア沖地震の微少変動をSPring-8の電子ビームで観測
SPring-8 Detected the Papua New Guinea Earthquake with its Electron Beam

熊谷 教孝 KUMAGAI Noritaka

(財)高輝度光科学研究センター 放射光研究所 加速器部門長 JASRI Accelerator Division           

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 SPring-8の蓄積リングは、80億電子ボルトのエネルギーを持つ電子ビームを安定に貯蔵し、その電子から発生する放射光を利用する一周1435.95メートルの円形の加速器である。このリングの特長は、より高い電子ビームの軌道安定性を実現するために、加速器本体が非常に堅い岩盤の上に建設されているとともに、高い安定度を持った高精度機器で構成されている。リング内を周回する電子は、一周する間に放射光の発生によって失われる約900万電子ボルトのエネルギーを高周波加速空洞から供給され一定の軌道上を回り続ける。このとき電子が安定に軌道を周回するためには、電子軌道の一周の長さが、正確にこの加速空洞に加えられた高周波の波長の整数倍の値でなければならない。したがって、一周の長さの精度は、この高周波の波長、言い換えれば高周波の周波数の安定度でほぼ決まることになる。SPring-8の場合この周波数の実効的安定度は、長期間に渡って508579360Hzに対して0.1Hz以内に保たれている。そのため、電子軌道の一周の長さは1436メートルに対して0.3ミクロン以内の精度で一定に保たれることになる。蓄積リングでは、コミッショニングの早い時期から、この電子軌道の変化を288台のビーム位置検出器で数十秒間隔で測定し、そのデータから周長変化をオフラインで観測していた。そして昨年の9月からは周長変化の原因を具体的に調査するために、加速器の運転中数十秒に一回の割合でデータを収集し、そのデータをほぼリアルタイムでフーリエ成分に分解している。この結果から、周長変動に対応する水平方向のゼロ次成分と局所的なリングの形状変化や誤差磁場等に最も敏感な軌道変動成分、すなわちベータートロン振動の整数部を次数とする水平方向の51次、垂直方向の16次成分を常時ワークステーション上に表示している。
 平成11年4月6日の朝、図1に示すように、前日の5日20時15分頃、いままで観測されたことのない波形がこの周長成分のデータ上に観測されていた。しかもこの変動時間に水平および垂直方向のフーリエ成分には何の変化も観測されていなかったことからリング内での局所的な変化ではないと推定された。そこで、この周長変化の原因を調べていくと、この信号を観測したほぼ7分前の20時7分52秒(世界標準時で11時7分52秒)に、図2に示す東経149.843度、南緯5.307度のポートニューギニア沖の深さ33kmを震源とするマグニチュード7.4の地震が発生していた。そこでこの振動波形を詳しく解析すると(図3参照)、同20時16分頃に最初の周長変化を観測し、その10分後の20時25分から30分にかけて第二波の変動を観測していた。最初の周長変化は、1436mのリング周長に対して2ミクロン程度、第二波は最大5ミクロン程度であった(ただし、測定間隔が数10秒と長いため波形の形と振幅の絶対値には多少問題がある)。 最初の変動が縦波(P波)、第二波が横波(S波、およびL波)によるものと推定された。気象庁に確認したところこの地震による第一波の日本到着時間は20時15分頃とのことであった。また、アメリカのUSGS(United State Geological Sarvey)から出されている地震波の到達予想時間ともほぼ一致していた。これらのことから、観測した周長変動が約5000km離れた地震によって引き起こされた波によるものであることが分かった。 
 
 
 
図1 1999/04/05 16:00から1999/04/05 24:00までの軌道変動成分

 緑の線(H〔51〕)が水平方向の軌道変動成分(51次)、紫(V〔16〕)が垂直方向の軌道変動成分(16次)、赤(H〔0〕)が周長変動成分の大きさを表す。月と太陽による地球潮汐力による周長変化を表す曲線上の20時15分から30分にかけて赤のラインのみに振動が見られる。この変動がパプアニューギニア沖の地震によるもの。 
 
 
 
図2 地震発生場所 
 
 
 
図3 周長変動の拡大図、20時16分頃のピークがP波、20時23分頃から30分頃までの変動がS波とL波によるものと思われる。 
 
 
 
図4 4月8日22時10分頃ウラジオストック付近で発生した地震による周長変動 
 
 さらにそれから3日後の4月8日22時10分頃、東経130.53度、北緯46.6度のロシアのウラジオストック付近の深さ559.5kmを震源とするマグニチュード7.2の地震があった。この時の変動波形が図4である。ニューギニア沖の時と比べて、変動の持続時間3ないし4分程度と短く、またP波とS波およびL波との分離が明確ではない。しかしその変動量は10ミクロン程度と前者の2倍ほどであった。これは、測定間隔が数十秒と長いこと、震源がSPring-8に近かったことと震源が深かったことによるものと考えられる。
 また、この二つの地震の発生時刻と月と太陽による地球潮汐力による周長変動を表すH(0)成分との関係を図5に示す。図中の赤線が周長変動を表すH(0)成分で、その振幅が大きいときは、SPring-8と同じ経度の地域では地殻が収縮し、逆の場合には拡張していることを示している。今回観測した2つの地震の発生が、偶然かもしれないが、地殻の収縮過程で発生している点は大変興味深い。
 次に簡単に、観測の原理について説明する。今、蓄積リングが設置されている大地が何らかの原因(例えば、月と太陽による地球潮汐力、雨、外気温度の変化、地殻変動等)で変形したとすると、その変形にともなってリングの一周の長さが変る。同時にリングを周回する電子の一周の長さも変わり、高周波の周波数で決められた値からずれることになる。このずれが生じると、電子ビームは、10ミリ秒程度の時間内で、そのエネルギーを放射光を発生することで失うエネルギーと空洞から受けるエネルギーの収支バランスを自分自身で調整しながら、周波数で固定された周長を正確に実現するエネルギーに自分自身で合わせる機能を持っている。この機能によって周長が変化しても電子ビームは安定にリング内を周回する事ができる。この周回軌道を、リングに設置された288台の電子ビーム位置検出器で測定すると、実際にはリングの機械的周長が変化しているにもかかわらず、電子軌道の周長が変化したように見えることになる。
 今回、リング内を周回する電子ビームが持つこの性質を利用して、地震によって引き起こされた地殻の変形を、蓄積リングの周長変化を通して10−10 程度の感度で観測できたことになる。このことは、SPring-8蓄積リングの安定度を含めたビーム性能が、従来の加速器のそれと比べて飛躍的に向上していることを証明したものと言える。今後、ビーム位置検出器の測定精度の向上とそのデータ収集時間の短縮、リングの運動量圧縮率の低減、および基準時計としての高周波の周波数精度等を上げることによって、さらに極微少変動を伴う現象の観測が可能となるであろう。その時、SPring-8の直径500メートルの蓄積リング内を周回する電子ビームが、地球科学と宇宙科学の分野で、新しい現象を検出することを期待しつつ今回の地震波検出の報告を終わります。
 
  
 
 図5 4月5日から4月10日までの6日間のH(51)、V(16)、H(0)成分の変動と地震発生時刻との関係、毎日15時に見えるピークはビーム入射後の定点観測による変動 
 



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[ - Vol.15 No.4(2010)]
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