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Volume 01, No.4 Pages 19 - 22

1. ハイライト/HIGHLIGHT

航空・電子等技術審議会(諮問第22号)に対する答申
Proposals of Comprehensive R&D Promotion Measures for Structural Biology

科学技術庁ライフサイエンス課 Life Sciences Division Science and Technology Agency

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Ⅰ.はじめに

 20世紀の生物学は、分子レベルで生命現象の仕組みを理解することを目指して努力を重ね、これまでの研究により遺伝子の実体がDNAであり、遺伝子により発現される物質がタンパク質であることを明らかにしました。そして、20種類のアミノ酸の組合せからなるタンパク質は、アミノ酸配列の鎖が複雑に折り畳まれてそれぞれ特異的な立体構造を形成し、その構造変化や相互作用を通じて、生命に不可欠な機能を発揮しています。

 構造生物学とは、このようなタンパク質などの生体高分子の立体構造の静的・動的性質及びそれらの相互作用を解析して、機能との関連を明らかにし、生命現象のメカニズムを解明しようとする研究分野です。 近年のゲノム解析の進展によるタンパク質の一次構造情報の急速な蓄積と、X線結晶解析やNMR解析等の構造解析手法の発展及びコンピュータ技術の急速な進歩により、タンパク質の高次構造が明らかになりつつあり、構造生物学の新しい展開に対し期待が高まっています。


 このような背景を踏まえ、平成7年11月28日、科学技術庁長官から航空・電子等技術審議会(会長:佐田登志夫・豊田工業大学副学長)に諮問第22号「構造生物学に関する総合的な研究開発の推進方策について」が諮問され、バイオテクノロジー部会(部会長:寺田雅昭・国立がんセンター研究所長)及び部会の下に設置された構造生物学分科会(主査:和田昭允・(財)相模中央化学研究所理事)において調査審議が行われました。

部会及び分科会においては、構造生物学研究の意義や重要性について概観するとともに、研究開発の現状、問題点及び今後の動向について調査し、それらを踏まえて総合的な研究開発の推進方策について検討が進められ、平成8年7月11日に開催された航空・電子等技術審議会総会において審議、了承され、佐田会長から中川秀直科学技術庁長官に答申されました。

その中では、構造生物学研究を総合的に推進していくためには、試料の調製から構造解析、機能解析という一貫した研究体制を整備し、広範な研究者の糾合を図るとともに、タンパク質等の生体高分子の高次構造と機能を体系的に解明していく必要があるとしています。そして、平成9年度後半に供用開始される予定である世界最高性能の大型放射光施設SPring-8は、X線結晶解析における強力な研究手段になり、高分子量タンパク質等の構造解析に威力を発揮すると期待されています。その詳細を含めて、今回とりまとめられた答申の概要は以下のとおりです。


Ⅱ.答申の概要
1.構造生物学の重要性

 ヒトのタンパク質は、コラーゲン、ヘモグロビン、アドレナリンやインシュリンなど10万種類はあるといわれ、それぞれが複雑な生命現象の所定の部分の働きを担っている。そして、これらのタンパク質は、遺伝子の塩基配列で規定されるアミノ酸配列(一次構造)が折り畳まれて特異的な立体構造を形成し、その構造変化や相互作用などを通じて初めて機能を発揮する。従って、タンパク質の機能を知るためには高次構造を知ることが不可欠である。


(1) 構造生物学の進展状況

 近年、遺伝子組換えによるタンパク質の量産技術の確立、X線結晶解析、NMR解析などの構造解析技術、コンピュータ技術などの進歩を踏まえ、タンパク質の立体構造から機能を解明する道が拓けた。

 タンパク質の立体構造は、複雑であってもおよそ1,000種と言われる基本高次構造の組合せとして体系的に理解され、ヒトゲノム解析計画により明らかになるであろう10万種に及ぶタンパク質全てを解析しなくとも構造と機能の予測ができるようになってきた。

 また、タンパク質の機能は、立体構造だけでなく、タンパク質相互、他種分子との相互の関係によって発揮されることが多く、幅広い生物学的な研究との組合せで解明されつつある。


(2) 構造生物学の現状と問題点

 構造生物学の重要性を踏まえ、構造生物学研究施設の開設は欧米では目覚ましいものがあるが、我が国の総合的な取り組みは不十分であり、以下のような問題点がある。

①多様な解析手法を利用できるセンター的かつ国際的に評価される構造生物学研究施設は少ない。

②最先端の大型施設・機器が質・量ともに不十分である。

③試料調製から構造・機能解析までの一貫した研究体制と生物・物理・化学などの異分野間の連携・協力体制が不十分である。

④若手研究者が能力を十分に発揮できる機会と経済的支援が与えられていない。

⑤最先端の大型機器・施設の開発・運営やタンパク質試料の大量調製などにおいて必要とされる、高度な技術能力をもつ研究技術者が著しく不足している。

⑥データベースの登録や整備などについて、我が国の国際貢献が少ない。


(3) 構造生物学推進の意義

 ゲノム解析の進展に伴い、タンパク質の一次構造情報は急速に蓄積されている。ヒトゲノム解析計画は2005年頃までに完了しようとしており、これに遅れることなくタンパク質の高次構造を解明し、生命現象の解明に十分に活用することが重要である。

 構造生物学が社会や産業などへ与える波及効果は極めて大である。例えば、がん、感染症、遺伝病などの原因となるタンパク質を標的として、診断・治療・予防などのための医薬品の開発、タンパク質の特性を活かした生体適合性の高い人工骨、人工皮膚の開発、高機能食品の開発などが期待される。

 このように、構造生物学の成果は、付加価値の高い新産業の創出など我が国経済・社会の繁栄に寄与するとともに、疾病の予防・克服や健康の増進など国民生活の向上に寄与しよう。


2.研究開発の今後の方向及び推進すべき重点研究開発課題等
(1) 構造生物学の今後の基本的な展開方向

 タンパク質立体構造と機能を体系的に解明する段階に入りつつある。今後、次のような方向を目指して研究を推進することが重要である。

①タンパク質の基本高次構造の全体像の解明と体系化

 およそ1,000種類と推定される基本高次構造の全体像を体系的に解明する。これにより、多様なタンパク質の高次構造を統一的に理解する。


②超分子複合体の構造解析

 複数のタンパク質が作る機能複合体の立体構造を解析する。これにより、実際に機能を発揮している時の立体構造を解明する。


③アミノ酸配列からの立体構造予測技術の確立

 遺伝子の情報から提供される一次構造を基にして、二次・三次・四次構造、さらには、その動的特性までを予測する技術を開発する。


④高次構造と機能の相関関係の体系的解明

 基本高次構造の相互作用様式を体系的に解析し、基本高次構造と機能の相関関係を解明する。


⑤立体構造に基づく生命現象の解明

 生命現象のメカニズムをタンパク質の立体構造に立脚して解明する。


⑥立体構造に基づくタンパク質の改質と創製

 タンパク質の立体構造に立脚してタンパク質機能を自由に操ることができる技術を開発する。これは、次世代のバイオテクノロジーの基盤として多岐にわたる応用面にインパクトをもつ。


(2)高次構造解析手法の現状、推進すべき重点研究開発課題等
①X線結晶解析

 試料の結晶化がボトルネックであるが、最も一般的な解析手法であり、分子量100万以上の膜タンパク質超分子複合体の構造解析も可能となっている。

 分子量500万程度の構造解析など高度な解析を実現するために、放射光ビームラインの整備などの大規模・高精度解析システムの開発が必要である。


②NMR解析

 分子量約3~4万までが現在の解析限界であるが、結晶化出来ないタンパク質や生理的な溶液条件での構造解析に適している。

 約10年前から実用化された解析法であり、基本高次構造などの解明に必要となる、1GHzを超える超伝導マグネットの開発、高機能NMR装置の開発による高効率解析システムの整備が必要である。


③ 電子顕微鏡解析

 他の手法が利用できないような膜タンパク質など高分子量のタンパク質複合体の解析に適している。最近になって実用化された解析法であり、動的機能の解明に向けての技術改良と開発が必要である。


④中性子線回析

 X線結晶解析と同様の構造解析手法をとるため、結晶化がボトルネックであるが、水素原子の位置を決定できる特徴を有する。最近、中性子イメージングプレートが開発され注目される。


⑤ナノバイオロジー技術

 走査プローブ顕微鏡と超光学顕微鏡を基礎とし、直接、真空中、大気中、水中、細胞中の分子構造を測定できる技術で、分解能の高い設備及び解析ソフトウエアの開発が必要である。


⑥理論及び計算科学

 対象とする生体分子の系をコンピュータ中にモデル化し、そのモデルによるシミュレーション計算などにより、生命現象のメカニズムを理解するもので、高次構造を整理・分類し、ゲノム解析によって得られる遺伝情報のデータベースも加え、情報の抽出・学習を行い、経験的なモデルによってタンパク質分子の立体構造予測や機能推定を行う。このためには、超高速計算機システムやソフトウエアの開発が必要である。


⑦共通基盤技術等

1)遺伝子の系統的解析:一次構造情報の体系化及び高次構造解析のためのタンパク質試料を提供する。

2)試料調製技術の開発:試料の大量調製、結晶化などは、構造生物学の展開にとって重大なボトルネックであり、技術開発が必要である。

3)データベースの構築:遺伝子DNA塩基配列、タンパク質アミノ酸配列、タンパク質立体構造の3大データベースに加えて、生物活性等のデータベースの構築が必要であり、応用分野にも貢献する。

4)タンパク質工学の確立:タンパク質の立体構造と機能の体系化は、構造と機能の相関に関する情報を駆使し、タンパク質の改良、改変を行うタンパク質工学を確立する。


3.構造生物学の総合的な推進方策
(1) 基本的な考え方

 近年のゲノム解析の進展によるタンパク質一次構造情報の急速な増加、X線結晶解析やNMR解析などの構造解析手法の進展、スーパーコンピュータや解析ソフトの開発などのハード・ソフト両面の進歩は、構造生物学に新しい局面を与えた。

 欧米各国では、若手研究者を中心に多くの研究者が構造生物学の分野に参入し、構造生物学に関する研究所が設置されるなど急速に発展してきている。構造生物学は、基礎科学に限らず、応用までを含めた広範な分野に広がる総合科学として展開されるようになってきており、我が国においてこれに対応した総合的な研究推進体制が必要である。

 我が国の構造生物学研究は様々な問題点を抱えながらも、最先端の研究成果を生み出し、また、大型放射光施設など世界最先端の機器・施設を有するようになってきている。従って、今後は研究推進体制を整備し、広範な研究領域、研究者の糾合を図るとともに資金を重点的に投入し、総合的かつ計画的に研究を展開できれば、画期的な成果を生み出し、世界をリードすることが可能となろう。

 以上の認識に基づき、21世紀に向けて、我が国の構造生物学研究を世界の最前線に押し上げるべく、以下の推進方策を策定する。


(2)総合的な推進方策
①重点研究開発・基盤技術開発の総合的推進

 広範な分野の研究者の連携・協力が必要で、長期間にわたる研究開発を必要とする課題を重点研究開発課題として設定し、総合的に推進する。

 また、重点研究開発課題を着実に推進するうえで必要となる先端機器、先端技術の開発も併せて推進する。


②タンパク質基本高次構造全解明のための研究体制の整備

 およそ1,000種と推定される基本高次構造の全体像を体系化するため、超高感度の超高磁場NMR装置を開発し、最新のNMR解析システムを整備するとともに、試料調製システム、スーパーコンピュータ、データベースなどを備えたNMR構造生物学研究センターを整備し、大型X線結晶解析施設となるSPring-8と緊密な連携をとることにより、両施設を併せて、海外の研究者も惹きつけられる我が国の構造生物学研究の中核的研究拠点(COE)としての構造生物学研究センターとする。

 また、本構造生物学研究センターにおいては、海外の研究者を含め、外部の研究者に対して開かれた運営体制を構築し、研究対象の幅を広げるとともに、多くの研究グループ、研究機関などと連携を図る。


③多様な構造生物学の展開のための研究拠点群の整備
我が国では、主に大学の講座や研究所の一部門などの小さな研究単位で行われており、異なった解析手法をもつ研究集団がまとまって機能している研究施設は多くない。このため、構造解析に必要な基本的な装置を中心に周辺研究機器・設備を保有し、試料調製から構造解析、機能解析という一貫した研究体制を整備し、異なる解析手法を持つ優れた研究者集団が存在する研究拠点群を整備する。

研究拠点群の整備にあたっては、特定の解析手法に強い特徴をもつ研究施設を中心に、他の解析手法の装置を整備し、研究拠点間のネットワークを整備することにより、それらの連携・協力を図る。


④研究費の充実

 優れたアイデアを持つ研究者の意欲を高め、積極的な研究交流が可能となるように配慮しつつ、研究費の充実を図る。その際、公募型グラント的制度の活用を図るなどにより、競争的研究環境の創出を促す。


⑤若手研究者の育成

 独創性に富む若手研究者の能力を十分に発揮できる機会と経済的支援を与えるため、ポストドクトラル制度等の整備・確立を図る。


⑥研究技術者の確保

 大型解析装置の開発・運営やタンパク質試料の大量調製などで必要とされる、高度な技術能力を有する技術者の役割を評価し、その育成と確保を図る。


⑦国際協力の推進

 構造生物学は世界共通の課題であり、世界最高能のSPring-8施設や上記②のNMR構造生物学研究センターを海外の研究者に積極的に開放することにより、国際貢献に努める。

 また、構造生物学に関する種々のデータベースの整備は、国際的な連携・協力のもとで進めることが最も効率的である。関係研究機関間におけるネットワークの整備を行い、我が国の貢献度を高める。


Ⅲ.おわりに

 本答申を受けて、科学技術庁としては、今後、構造生物学の推進に取り組んでいきたいと考えております。

 X線結晶解析は、1950年後半から60年初めにかけてミオグロビンとヘモグロビンの構造決定に成功して以来、種々の生体高分子の構造解析手法のなかで最も一般的に使われている手法であり、SPring-8は強力なX線源として巨大分子の構造決定をはじめとして生体高分子の立体構造と機能の相関関係を明らかにするうえで大きな研究手段になるものと期待されます。

 このため、溶液という生理的な条件におけるタンパク質の動的な高次構造や分子間相互作用の解析にも優れるという特徴をもつNMR解析のための施設を整備し、X線結晶解析における強力な研究手段になる大型放射光施設SPring-8と連携・協力することにより、世界の構造生物学研究をリードしうる体制を整えていきたいと考えております。ご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。



Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
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