Volume 28, No.3 Pages 232 - 237
1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
価数揺動量子物質β-YbAlB4における超低速臨界電子電荷ゆらぎの観測に成功-異常金属状態解明の手がかりに-
Observation of Critical Charge Fluctuation in β-YbAlB4
兵庫県立大学 大学院理学研究科 物質科学専攻 Graduate School of Science, University of Hyogo
- Abstract
- 量子物質での量子臨界点近傍で生じる異常金属状態の特徴的挙動を理解するためには、根底にある電子の電荷ダイナミクスを詳細に調べる必要がある。最近開発された放射光メスバウアー分光法を最適化し、価数揺動量子物質β-YbAlB4の異常金属相でのYbイオンの価数揺動現象の温度と圧力依存性について研究を行ってきた。その結果、フェルミ液体領域でスペクトルに観測される単一吸収ピークが、異常金属相の量子臨界領域に入ると2つのピークに分割することを見出した。この結果は、異常金属相ではYbイオン価数がナノ秒の超低速でゆらいでいることを示している。さらに、このナノ秒と長い時間スケールのゆらぎは、格子振動のソフト化によるポーラロンの形成が原因であることを明らかにした。価数揺動現象の研究により、初めて観測された超低速臨界電子電荷ゆらぎが、量子物質における異常金属状態の特性であることが示唆されている。
1. はじめに
半古典的な考え方では物質の特性が説明できない量子物質は、そのエキゾチックな性質から次世代デバイスの基盤材料として期待されている。その量子物質で発達するユビキタスな状態が、異常金属相である。この異常金属相は、絶対零度での量子ゆらぎを起源とする転移(量子臨界)点を中心とした状態相図に扇形領域としてあらわれる。さらに、この量子臨界点近傍においては超伝導状態が安定化することも知られている。
異常金属相では、比熱、抵抗率および磁気輸送などに特徴的な温度依存性があらわれる[1][1] G. R. Stewart: Rev. Mod. Phys. 73 (2001) 797.。これらの特性は、通常金属のフェルミ液体論の標準的な概念とは相いれないことが謎とされている。異常金属的挙動の起源、さらには超伝導の発現機構を解明するために、多くの実験や幅広い理論的な提案が行われている。多くの量子物質で異常金属相の近傍には磁気秩序相が存在するために、電子スピン・ダイナミクスに関係する実験が広く行われてきた。しかし、適切なプローブが存在していなかったなどの理由で、電子電荷ダイナミクスについてはほとんど研究が行われていなかった。
従来、電荷のダイナミクスは光学分光法により研究されてきたが、これらの手法では電磁波の波数ベクトル(k)と電場(E)と電荷による電流(j)との関係j = σE⊥kから発散のない横方向成分を観測している。また、強いクーロン遮蔽効果により、低エネルギー電荷ダイナミクスを測定することは大変困難である。一方、低エネルギー電荷ダイナミクスを検出する伝統的手法として、放射線源を用いたメスバウアー分光法があり、電荷秩序物質における電荷ダイナミクスを観測している[2][2] M. Takano et al.: J. Phys. Colloq. 40 (1979) C2-313.。このメスバウアー分光法では、原子核をプローブとして超微細相互作用により電荷ダイナミクスを観測する。すなわち、強いクーロン遮蔽効果の影響を受けずに、低エネルギー電荷ダイナミクスを観測することが可能な唯一の元素選択的手法がメスバウアー分光法である。
しかし、メスバウアー分光法の普及は、適切な放射線源作製の困難により妨げられてきた。この困難を克服するために、高輝度放射光X線を使用する新世代メスバウアー分光法が近年開発された。放射光を線源としたメスバウアー分光法は、1970年代に提案され[3][3] S. L. Ruby: J. Phys. Colloq. 35 (1974) C6-209.、2009年にSPring-8で実現された[4][4] M. Seto et al.: Phys. Rev. Lett. 102 (2009) 217602.。この放射光メスバウアー分光法では、原子核からの弱い共鳴散乱成分を時間領域で測定している。そのため不確定性関係を超えた有効エネルギー分解能を実現することも可能である。さらに、入射X線の偏光特性を利用することで、メスバウアー原子核遷移を選択することも可能となる。そのために、この新世代放射光メスバウアー分光法は、伝統的な放射線源を用いたメスバウアー分光法が適用できない物質の電荷ダイナミクスを観測するための理想的なプローブを提供する。
我々は、放射光174Yb(Eγ = 76.471 keV)メスバウアー分光法[5][5] R. Masuda et al.: Appl. Phys. Lett. 104 (2014) 082411.を用いて、価数揺動量子物質β-YbAlB4(斜方晶Cmmm構造、Yb(4i)サイトの局所対称性m2m)の異常金属相におけるYbイオン価数揺動ダイナミクスの温度・圧力変化の観測を試みた。多くの希土類イオンは3価をとるが、4f軌道に電子かホールが1個のCe3+, Yb3+イオンなどでは、Ce4+, Yb2+イオン状態もエネルギー的に近く価数揺動現象が起こることはよく知られている。
β-YbAlB4は、常圧力下で異常金属状態にあり、圧力や磁場などの外部環境変数を印加することなく極低温領域で量子臨界性を示す[6, 7][6] S. Nakatsuji et al.: Nat. Phys. 4 (2008) 603.
[7] Y. Matsumoto et al.: Science 331 (2011) 316.。一方、2 T程度の外部磁場か約1 GPaの圧力の印加によりその特性がフェルミ液体論で説明できる状態へと変化する。したがって、β-YbAlB4は、化学量論的結晶における常圧力下で異常金属状態を研究するための理想的なプラットフォームを提供する。また分光学的立場では、Yb元素以外は軽元素で構成されているため、測定試料β-YbAlB4による入射X線吸収の影響が少ない。そのため、自然存在比32%の安定同位体174Ybを含むYbにより育成した試料を用いて、放射光メスバウアー分光法の有用性を検証することが可能な物質である。
2. 実験方法
放射光メスバウアー分光測定のビームライン構成を図1Aに示す。アンジュレータから放射されたX線を十分に分光した条件下でも、原子核共鳴散乱は電子による散乱に比べて桁違いに弱い。そこで、放射光メスバウアー分光法では、原子核励起状態の長い寿命(τ0)を利用して、分光結晶からの散乱強度を非干渉配置の検出器で時間領域測定を行って、原子核共鳴散乱成分のみを計測している(図1B)。ここでは、蓄積リングのバンチ構造が重要で、原子核励起状態の寿命よりも十分長い時間間隔のバンチ・モード下で実験は行われる。本実験の場合には、SPring-8 Aモードで行っている。図1Bの時間スペクトルは、電子バンチによるX線パルスの時刻を基準(0)としている。また、電子と原子核との間の超微細相互作用は、その名の通りエネルギーがneV領域と小さいため、分光結晶に速度を与えてそのDoppler効果によりX線のエネルギーを分光している。
図1 A:放射光メスバウアー分光測定のビームライン構成、B:分光結晶YbB12からの核共鳴散乱の時間スペクトルと計測時間領域、C:測定試料YbB12を用いた20 Kでの放射光174Ybメスバウアー・スペクトル。C中で測定スペクトルを黒丸、解析スペクトルを赤色実線で示している。
放射光174Ybメスバウアー分光の測定は、SPring-8 BL09XUとBL19LXUにて行った。実験ハッチ内の測定装置の全体像を図2に示す(核共鳴散乱実験のビームラインは、最近BL35XUに移設したため、利用者にとって有益な情報として現状の実験環境を示す)。本研究で用いた放射光174Ybメスバウアー分光法では、分光結晶にYbB12を用いている。174Ybメスバウアー共鳴エネルギー(Eγ = 76.471 keV)が高いために、例えば室温付近での無反跳共鳴吸収率は、ほとんどゼロである。無反跳共鳴吸収率を大きくするために、分光結晶YbB12を超低振動冷凍機により約25 Kに冷却している(図2右挿入写真参照)。
図2 SPring-8 BL35XUでの放射光174Ybメスバウアー分光測定の概観。左挿入写真:超伝導マグネットに搭載されるダイアモンド・アンビル・セル(DAC)、右挿入写真:パルスチューブ冷凍機先端のYbB12分光結晶。
試料にYbB12を用いて測定したときの分光結晶YbB12からの散乱強度の時間スペクトルを図1Bに示す。図には示されていないが、約6 ns以下の時間領域には、電子散乱による桁違いに強い成分が存在する。この図から分かるように、原子核共鳴散乱成分の計測は、ts = 3.1 τ0 からte = 6.2 τ0(174Yb : τ0 = 2.58 ns)の時間領域(時間ウィンドウ)で行っている。すなわち、τ0の3倍以上長い時間励起状態に留まっていた174Yb原子核からの散乱成分のみを計測している。その結果、放射光174Ybメスバウアー分光法の有効エネルギー分解能は、不確定性関係で決まる分解能を超えることができる[8][8] D. W. Hamill and G. R. Hoy: Phys. Rev. Lett. 21 (1968) 724.。
図1Cに20 Kで測定したYbB12の放射光174Ybメスバウアー・スペクトルを示す。速度0付近の吸収成分の半値幅は、1.2 mm/sと見積もられる。すなわち、原子核からの散乱成分を上記の時間ウィンドウで計測することにより、τ0 = 2.58 nsから期待されるエネルギー分解能Γ = 2.00 mm/sの約1.6倍の有効エネルギー分解能を実現している。
量子物質β-YbAlB4の低温・高圧力下放射光174Ybメスバウアー分光実験での圧力印加は、図2中左挿入写真で示したダイアモンド・アンビル・セル(DAC)を用いて2.3 GPaまで行った[9][9] H. Kobayashi et al.: J. Phys. Soc. Jpn. 80 (2011) 084719.。単結晶β-YbAlB4を用いて、斜方晶c軸と入射X線方向(k)とが平行になる条件下で、2 Kから20 Kの温度範囲で測定を行った。β-YbAlB4は、常圧力から2.5 GPaまで常磁性が基底状態である。すなわち、174Yb原子核は電気的四重極相互作用により図3Aに示す原子核エネルギー準位のように縮退が解かれる。ここで、入射X線のσ偏光とβ-YbAlB4のYbイオン・サイトの局所対称性から、174Ybメスバウアー共鳴(Ig = 0 → Ie = 2 : E2)遷移の内で、図3Aに黒矢印で示した遷移(ΔIz (= Ig – Iez ) = ±1)のみが、本測定条件では選択される[10][10] J. P. Hannon et al.: Phys. Rev. Lett. 61 (1988) 1245.。したがって、Ybイオンの価数が異なる状態に、エネルギーの異なる単一メスバウアー吸収ピークが対応することになる。すなわち、図3Bに示すように174Yb原子核励起状態寿命(τo)に対してYbイオンの価数揺動を特徴付ける時間スケール(τf)が十分遅い場合には、Ybイオンの価数が異なる状態に対応する2つの吸収ピークが観測され、十分早い場合にはその平均エネルギー位置に1つの吸収ピークが観測される。
図3 A:174Yb原子核励起状態の超微細相互作用によるエネルギー準位とE2メスバウアー遷移の選択則、B:Ybイオン価数揺動時間のメスバウアー吸収スペクトルへの影響。
放射光メスバウアー分光法でのみ実現される、1.6倍の高い有効エネルギー分解能と放射光入射X線の完全偏光と単結晶試料によるメスバウアー共鳴遷移の選択(ΔIz = ±1)性が、β-YbAlB4中でのYbイオンの超低速臨界電子電荷ゆらぎの観測に成功した最も重要な実験要素である。
3. 実験結果および解析
測定された典型的な放射光174Ybメスバウアー・スペクトルを、図4A、Bに示す。常圧力下異常金属相(図4A)では、低温(2および5 K)で2つに分裂したピーク構造をスペクトルの吸収成分として観測した。この特徴的な構造は、温度上昇とともに幅の広い一つのピークへと変化していくことが分かる。一方、高圧力下通常金属状態(図4B)ではエネルギー分解能に相当する幅の鋭い一つ吸収ピークを観測している。β-YbAlB4でのYbイオンは、一つの結晶学(4i)サイトを占めているので、この吸収ピークの変化がYbイオン価数揺動ダイナミクスの大きな変化を示唆している(図3B参照)。
図4 A:β-YbAlB4の典型的な常圧力下放射光174Ybメスバウアー・スペクトル、B:β-YbAlB4の2 K, 2.3 GPa下放射光174Ybメスバウアー・スペクトル、C:価数揺動時間(τf)の温度依存性。A、B中では、測定スペクトルを黒丸、解析スペクトルを赤色実線で示している。A中での青色破線は、Ybイオンの価数揺動が174Yb原子核励起状態寿命(τo)と比べて十分遅い場合(2 K)と十分早い場合(20 K)とに対応している。
図3Bの2つの極限条件に時間ウィンドウ効果を考慮することで期待される放射光174Ybメスバウアー・スペクトルを図4Aに青色破線で示している。図から分かるように、常圧力下2 Kと20 Kでの測定スペクトルの吸収ピーク幅が、計算されたスペクトルのそれより広い。一方、2 K, 2.3 GPa放射光174Ybメスバウアー・スペクトルは、極限(τf << τ0)条件下で解析が可能である。その解析結果を図4B中に赤色実線で示している。すなわち、常圧力下の放射光174Ybメスバウアー・スペクトルにあらわれている特徴的な構造変化が、放射光174Ybメスバウアー分光法でYbイオンの価数揺動ダイナミクスを観測していることを示している。
そこで、Ybイオン価数揺動を確率過程として取り扱ったモデルでの解析から価数揺動の特徴的な時間スケールを求めた[11][11] M. Blume: Phys. Rev. 174 (1968) 351.。この確率過程モデルでの解析結果を図4Aに赤色実線で示している。Ybイオン価数揺動の効果を取り入れることで、放射光174Ybメスバウアー・スペクトルの温度依存性が十分再現されている。その結果、Ybイオンの価数揺動ダイナミクスを特徴付ける時間スケール(τf)を実験的に求めることに成功した。解析により求めたτfの温度依存性を図4Cに示す。通常金属状態ではYbイオン価数揺動の時間スケールτfは174Ybメスバウアー分光法では測定できないほど早い時間スケールであるにもかかわらず、異常金属相ではナノ秒の異常に長い時間スケールでYbイオン価数がゆっくり揺動し、温度低下ともに発散的特徴を示していることが分かった。この価数揺動現象は、Ybイオンに局在した4f電子と伝導電子との電荷移動(ゆらぎ)である。このように、β-YbAlB4の異常金属状態における超低速臨界電荷ゆらぎを観測することに初めて成功した。
4. 考察とまとめ
超低速臨界電子電荷ゆらぎの発現機構を解明するために、174Ybメスバウアー吸収ピーク強度(無反跳共鳴吸収率)の温度・圧力変化を求めた。その結果、無反跳共鳴吸収率とτfが強く相関していることが分った[12][12] H. Kobayashi et al.: Science 379 (2023) 908.。すなわち、格子振動のソフト化によるポーラロン形成が超低速臨界電荷ゆらぎの機構であることを明らかにした。また、β-YbAlB4の4f電子と伝導電子の混成機構は高次ファン・ホーベ特異点の観点から新しいトポロジカルな相転移近傍にあることも理論的に示唆されている。このような4f電子と伝導電子の特異な混成が新しい電荷ゆらぎの起源となっている可能性がある。
今回の結果は、ナノ秒電荷ゆらぎと異常な格子振動がβ-YbAlB4に固有のものではなく、量子物質における異常金属状態の特性であること、さらに、超伝導機構に重要な寄与をしていることを示唆している。今後、放射光の特性を活かした放射光メスバウアー分光法を他の量子物質に適用することで、超低速臨界電荷ゆらぎが異常金属状態の普遍的特徴であることの検証を行っていきたい。
謝辞
SPring-8における実験は、BL09XU(課題番号:2011A1450、2012B1521、2013B1393、2015A1458、2016A1363、2019B1597、2020A1553)、BL19LXU(課題番号:20160110、20170019、20180019、20190025)において実施されました。
本研究は科研費(15H05882、15H05883、15K05182、16H02209、16H06345、19H00650、23102723)の助成を受けたものです。
最後に、本研究は多くの研究者の方々と共同で行ってきました。放射光メスバウアー分光の測定と手法の最適化では、兵庫県立大学の阪口友唯博士、北川勇人氏、大浦桃子氏、池田修悟特任准教授をはじめとして研究室の多くの学生、増田亮助教をはじめとして京都大学瀬戸誠教授のグループの皆様、茨城大学の伊賀文俊教授、高輝度光科学研究センターの依田芳卓博士、理化学研究所の玉作賢治博士、純良試料育成では、久我健太郎博士をはじめとして東京大学中辻知教授のグループの皆様、理論的考察では、Rutgers大学P. Coleman教授のグループの皆様に感謝いたします。また、その他にも多くの研究者の方々に実験結果を議論して頂きました。深く感謝いたします。
参考文献
[1] G. R. Stewart: Rev. Mod. Phys. 73 (2001) 797.
[2] M. Takano et al.: J. Phys. Colloq. 40 (1979) C2-313.
[3] S. L. Ruby: J. Phys. Colloq. 35 (1974) C6-209.
[4] M. Seto et al.: Phys. Rev. Lett. 102 (2009) 217602.
[5] R. Masuda et al.: Appl. Phys. Lett. 104 (2014) 082411.
[6] S. Nakatsuji et al.: Nat. Phys. 4 (2008) 603.
[7] Y. Matsumoto et al.: Science 331 (2011) 316.
[8] D. W. Hamill and G. R. Hoy: Phys. Rev. Lett. 21 (1968) 724.
[9] H. Kobayashi et al.: J. Phys. Soc. Jpn. 80 (2011) 084719.
[10] J. P. Hannon et al.: Phys. Rev. Lett. 61 (1988) 1245.
[11] M. Blume: Phys. Rev. 174 (1968) 351.
[12] H. Kobayashi et al.: Science 379 (2023) 908.
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