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Volume 28, No.2 Page 103

理事長室から 帰納法と演繹法-ChatGPTと新たなイドラ-
Message from President Induction and Deduction – ChatGPT and the New Idol –

雨宮 慶幸 AMEMIYA Yoshiyuki

(公財)高輝度光科学研究センター 理事長 President of JASRI

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 真理探究における帰納法の重要性を説いたのは、イギリス経験論の祖であるベーコン(1561-1626)で、彼は「知は力なり」という有名な言葉を残した。帰納法とは、観察・実験をもとにした個々のデータを集積し、その集積から法則・原理・真理を発見することができるという考え方である。一方、大陸合理論の祖であるデカルト(1596-1650)は、真理探究のおける演繹法の重要性を説き、「われ思う、故にわれあり」という有名な言葉を残し、これを哲学の第一原理とした。演繹法とは、1つの基本原理から出発して個々の事例を論証していく考え方であり、彼は方法論的懐疑によって、疑うことが可能な物事を全て虚偽のものと仮定して真理から除外していった。帰納法と演繹法は近代科学の方法論の両輪であり、近代科学の信頼性の根拠は、帰納法によって保証される実証性と演繹法によって保証される論理性であると考えている。
 近年の発展がめざましいデータサイエンスは、AIや統計学の種々の手法を駆使して、ビッグデータを解析・分析する研究分野であり、基本的には帰納法がその信頼性の根拠になっていると私は考えている。従って、ベーコンはデータサイエンスの祖であるといってもよく、また、昨今話題のChatGPTは、ビッグデータとAIを駆使したデータサイエンスの最先端の応用事例だといえる。
 ところで、ベーコンは、観察・実験を通してデータを得る重要性を説くと同時に、観察・実験の眼を歪める4つのイドラ(偏見・先入観・錯覚)を排さなければならないと説いた。1つ目は、人間が本来持っている精神や感覚の誤りである「種族のイドラ」。例えば、人間の眼は可視光という限られた波長領域のしかも3つの波長のみで自然界を観測していているので、自然を正しく観察できていない。2つ目は、洞窟に閉じ込められた囚人のように、個々人の資質や環境に応じて身につけた個人的な偏見である「洞窟のイドラ」。例えば、五感を通した観察・実験は、五感には個人差があり、個々人の受け止め方には大きなバラツキが伴う。群盲象を評す、もこれに相当する。3つ目は、人間どうしの交わりの中で言葉の不適当な使用から生じる「市場のイドラ」。事実・実験に基づいていても、言葉の定義や実験条件が曖昧であったり、情報伝達が伝言ゲームのような場合に生じる。4つ目は、権威を無批判に受容する「劇場のイドラ」。観察・実験の結果を、権威ある学説に沿って無意識のうちに解釈したり、想定してしない事実を見落とすことがこれに相当する。
 放射光科学は帰納法を軸とする実験科学に属し、イドラを排することの重要性は広く認識されていて、上記の4つのイドラは克服されていると確信している。近年、光源や計測機器の発展によって、高精度なマルチスケール計測・マルチプローブ計測・operando計測・時間空間分割計測等の計測科学が大きく進展し、これに情報科学の種々の手法が組み合わされ、放射光「計測情報科学」とよばれる計測科学×情報科学、帰納法×演繹法の融合分野が立ち上がり、放射光科学の更なるレベルアップが進展している。
 昨今話題のChatGPTは、帰納法に基づくAI技術だと理解しているが、ビッグデータの中に含まれる不正確な、または偽りのデータが新型「市場のイドラ」を作り出すリスク、真偽の検証が不可能な新たな権威を無批判に受容するという、新型「劇場のイドラ」を作り出すリスクを含んでいるのではないかと危惧している。今、ベーコンとデカルトが生きていたら、ChatGPTをどのように評するであろうか?
 近代科学の祖とよばれる2人の巨人、ベーコンとデカルトの考えを聞きたいという思いに駆られる。

 

 

Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
Online ISSN 2187-4794