ページトップへ戻る

Volume 23, No.4 Pages 331 - 334

1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH

長期利用課題報告1
スピントロニクスデバイスの外場誘起スピン秩序現象の可視化
Visualization of Voltage and Current Driven Spin Order in Spintronic Devices

小野 輝男 ONO Teruo

京都大学 化学研究所 Institute for Chemical Research, Kyoto University

Abstract
 スピントロニクス分野の最近の進展として、電流注入によるスピンホール効果や電圧印加による磁性制御などの外部誘起スピン秩序現象があげられる。これらの現象は高速低消費電力な新規スピントロニクスデバイスへの利用が期待され、世界的に盛んに研究がなされている。しかし、原子レベルでの基本的なメカニズムは多くの部分で未解明であり、高い効率でのスピンの外場制御の達成には電子状態の観点からの現象解明が不可欠である。放射光解析によって電子状態の観点から基礎的メカニズムの解明をすることで、新規スピントロニクスデバイス開発が促進されることが期待される。本研究では、外場印加条件下でのその場観察手法を開発し、外部誘起スピン秩序現象の発現機構を元素選択的な電子状態の直接観測というミクロな視点から解明することを目指した。
Download PDF (1.64 MB)
SPring-8

 

1. はじめに
 ノーベル賞受賞となった巨大磁気抵抗効果の発見以降、スピンと電荷の2つの自由度を利用するスピントロニクスが急速に発展してきた。巨大磁気抵抗効果がハードディスクの読み取りヘッドに利用され、トンネル磁気抵抗効果を利用した不揮発性磁気メモリが開発されるなど、スピントロニクスは基礎現象の発見と理解がイノベーションに直結する魅力的な研究分野である。
 スピントロニクス分野の最近の進展として、電流注入によるスピンホール効果や電圧印加による磁性制御などの外部誘起スピン秩序現象があげられる。これらの現象は高速低消費電力な新規スピントロニクスデバイスへの利用が期待され、世界的に盛んに研究がなされている。われわれのグループでも、これまで外場誘起スピン秩序現象に関して、電圧印加によるCo超薄膜の磁気転移温度の制御[1][1] D. Chiba et al.: Nature Mat. 10 (2011) 853-856.、Co超薄膜中の磁壁移動速度の電圧による変調[2][2] D. Chiba et al.: Nat. Commun. 3 (2012) 888.、Fe超薄膜の電圧磁化制御[3][3] M. Kawaguchi et al.: Appl. Phys. Express 5 (2012) 063007.、MgO/Co/Pt膜の磁気異方性の制御[4][4] K. Yamada et al.: Appl. Phys. Express 6 (2013) 073004.などの基礎現象の観測と解明を推進してきた。

 

 

2. 本課題の目的
 本長期利用課題では、次世代スピントロニクスデバイス開発において鍵となる外場誘起スピン秩序現象を、SPring-8を利用したX線磁気分光測定によって、電子状態の観点から解明することを目的とした(図1)。外場印加条件下でのその場観察手法を開発し、電流注入によるスピンホール効果や電圧による磁性制御などの発現機構を、元素選択的な電子状態の直接観測というミクロな視点から解明することを目指した。

 

図1 本長期利用課題の概要

 

 

 本研究の第一の意義は、SPring-8のナノビーム磁気分光技術を利用し、ミクロな視点からの現象解明を目指す点にある。これまでの研究では、磁化制御やその効率化にその焦点が当てられてきた。しかし、原子レベルでの基本的なメカニズムは多くの部分で未解明であり、高い効率でのスピンの外場制御の達成には、電子状態の観点からの現象解明が不可欠である。放射光解析による基礎的メカニズムの解明を通じて、新規スピントロニクスデバイス開発への貢献が期待される。
 第二の意義は、本研究で開発する外場印加状態でのナノビームその場観察手法は、磁性体やスピントロニクス材料のみならず、抵抗変化や相変化を応用した新規メモリ、誘電体デバイスなど、次世代の低消費電力不揮発メモリ材料の解析の強力なツールとなりえることである。近年SPring-8で精力的に開発が進められているX線集光ビームとのコンビネーションにより、放射光によるデバイス解析の適用範囲を飛躍的に拡大することが期待される。

 

 

3. 研究概要
 上述した研究目的を達成するために、電圧誘起現象とスピン流誘起現象について、BL25SUとBL39XUにおいてX線磁気円二色性測定を行った。以下では本研究で得られた代表的成果である、(1)Pt/CoのPtに誘起された磁性の電界効果[5][5] K. T. Yamada et al.: Phys. Rev. Lett. 120 (2018) 157203.、および(2)ジャロシンスキー・守谷相互作用の微視的理解[6][6] S. Kim et al.: Nat. Commun. 9 (2018) 1648.について述べる。

 

3-1 Pt/CoのPtに誘起された磁性の電界効果
 材料に電界を加えることによって、その電気的性質や磁気的性質を制御することが可能となる。なかでも磁気特性の電界による制御は、磁気デバイスや磁気メモリへの応用を目指して、2000年初頭から現在まで盛んに研究されてきた。しかし、磁性金属においては、電界による磁性の変化がどのような仕組みで起こるのかについては解明されていなかった。電界が誘起する現象を、物質内部の電子状態と結びつけて理解することができれば、より効率的な磁性の電界制御が可能となり、新たなデバイスの開発につながることが期待される。放射光の特色を活かした先駆け的研究としてSPring-8で行われた三輪らの研究がある[7][7] S. Miwa et al.: Appl. Phys. Lett. 107 (2015) 162402.。最近は磁気メモリで重要となる電界誘起磁気異方性変調のメカニズムが報告されている[8][8] S. Miwa et al.: Nat. Commun. 8 (2017) 15848.
 本研究では、スピントロニクス材料として用いられるコバルト(Co)と白金(Pt)の積層膜を研究対象とした。Ptは単体では磁気モーメントを持たないが、Coなどの磁性体と接合させるとその界面付近のPt原子には誘起磁気モーメントが発生する。このような強磁性状態にあるPtへの電界の効果とその背後にあるメカニズムを調べるために、BL39XUを用いて、強電界を加えた場合のPt電極のX線磁気分光測定を行った(図2)。

 

図2 (a) X線磁気分光測定の概略図。試料はPt電極・ゲート電極・イオン液体からなる電圧制御磁気デバイスである。観察対象であるPt製の電極に円偏光X線を照射し、その結果生じる蛍光X線信号を検出する。右(σ+)、左(σ-)円偏光X線の照射により得られる蛍光X線強度の差分であるXMCD信号と、平均値であるXAS信号を測定する。(b) 試料の断面図。Pt電極の材料にはPd/Co/Pt/MgO積層膜が使用されている。ゲート電極とPt電極はイオン液体に覆われており、電極間にゲート電圧VGを加えると、陽イオンおよび陰イオンが両電極表面に蓄積し電気二重層が形成される。電気二重層はナノメートルという非常に狭い極板間隔のコンデンサに相当するため、イオン液体を利用することで比較的低いゲート電圧で巨大な電界をPt電極に加えることができる。

 

 

 図3に実験結果を示す。強電界を加えたことによって誘起されたPtの電子構造と磁性に生じた変化を、X線吸収分光法(XAS)およびX線磁気円二色性(XMCD)を用いてそれぞれ捉えることに成功した。実験で得られたスペクトルの変化(図3)を解析することによって、電界によるPtの電子構造と磁性の変化が、フェルミ準位の変位および軌道混成の変化というPt内部の電子状態の変化を引き起こすミクロなメカニズムから生じていることが明らかとなった。この実験結果は第一原理計算ともよく一致し、推定されるメカニズムが妥当であることを立証した。本成果は、材料に電界を加えた条件であっても、目的の元素の磁性や電子状態を高精度に観測できるという、放射光の特色を活用したユニークなものである。
 本研究で明らかにされた電界効果のミクロな機構はPt以外のより一般的な磁性金属に電界を加えた時の現象の理解にもつながるため、消費電力の低い磁気メモリ素子や、スピンの流れを利用したスピントロニクス素子開発への貢献が期待される。

 

図3 電界を加えた条件下で得られたPtのXMCD(上図)およびXASスペクトル(下図)。差分強度はゲート電圧VG = +6 Vを加えた時の信号からVG = -4 Vを加えた時の信号を差し引いたものに相当する。VGを加えたことによってXMCDスペクトル(磁性)およびXASスペクトル(電子状態)に有意な変化が観測された。この結果を解析し、第一原理計算とも照合することで、差分XASの赤矢印部分がフェルミ準位の変位によって、青矢印部分が主に軌道混成の変化によって、生じていることが明らかになった。

 

 

3-2 ジャロシンスキー・守谷相互作用の微視的理解
 磁壁やスキルミオンといった特異なスピン構造を記録に利用する高密度で省電力な磁気ストレージデバイスが提案されている。これらの特異なスピン構造はジャロシンスキー・守谷相互作用(DMI)によって安定化されるため、DMIの微視的理解は基礎科学のみならず応用上からも重要である。
 本研究では、図4(a)に示すように、まず、Co/Pt薄膜におけるDMIによる有効磁場(DMI磁場)およびDMIのエネルギー(DMIエネルギー)が大きな温度依存性を示すことを見出した。このDMIの大きな温度依存性の微視的起源を理解するために、Co(0.6 nm)/Pt(2.0 nm)薄膜のX線磁気円二色性(XMCD)測定をBL25SUとBL39XUにて行った。図4(b)と図4(c)に示すように、磁気双極子モーメントとCo/Pt薄膜面に垂直な方向の軌道磁気モーメントにDMI同様の大きな温度依存性が観測された。このことは、DMIと非等方な電子分布に相関関係があることを意味する。このような非等方な電子分布はCoとPtの軌道混成効果によって生じることが理論的に明らかとなった。
 このように微視的な手法によってしか明らかにできない電子分布とDMIの関係について示した研究は、本研究が初めてとなる。これまで幾つかの理論的な予測はあったが、今回の実験的な研究は、こうした理論研究を補うものであり、応用上重要となる大きなDMIを持つ物質の探索などに貢献すると期待される。

 

図4 (a) DMI、(b) Coのスピン磁気モーメント、磁気双極子モーメント、(c) 軌道磁気モーメントの各温度依存性。

 

 

4. おわりに
 本長期利用課題によって電流や電圧を印加した状態で温度依存性を含めたXMCD測定が可能となった。元素選択的な電子状態の直接観測というミクロな視点からアプローチするこれらの測定手法技術は、今後様々な次世代スピントロニクスデバイス開発において活用されると期待される。新規デバイスのナノビーム観察については開発の途上であるが、今後も施設スタッフとの共同研究を通じて、ナノビームによるX線磁気分光測定の開発を継続し、スピントロニクス現象の探求を行っていきたい。

 

 

謝辞
 本長期利用課題(2015A0117~2017B0117、2015A0125~2017B0125)を利用した研究において多大なご協力を頂いたJASRIの中村哲也氏、鈴木基寛氏、小谷佳範氏に心から感謝致します。本研究の一部は、科研費(15H05702)、内閣府革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)の助成を受けて行われました。

 

 

 

参考文献
[1] D. Chiba et al.: Nature Mat. 10 (2011) 853-856.
[2] D. Chiba et al.: Nat. Commun. 3 (2012) 888.
[3] M. Kawaguchi et al.: Appl. Phys. Express 5 (2012) 063007.
[4] K. Yamada et al.: Appl. Phys. Express 6 (2013) 073004.
[5] K. T. Yamada et al.: Phys. Rev. Lett. 120 (2018) 157203.
[6] S. Kim et al.: Nat. Commun. 9 (2018) 1648.
[7] S. Miwa et al.: Appl. Phys. Lett. 107 (2015) 162402.
[8] S. Miwa et al.: Nat. Commun. 8 (2017) 15848.

 

 

 

小野 輝男 ONO Teruo
京都大学 化学研究所
〒611-0011 京都府宇治市五ヶ庄
TEL : 0774-38-3103
e-mail : ono@scl.kyoto-u.ac.jp

 

 

Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
Online ISSN 2187-4794