Volume 19, No.2 Pages 106 - 109
3. SACLA通信/SACLA COMMUNICATIONS
SACLAでのX線非線形光学実験
Report on X-ray Nonlinear Optics Experiments at SACLA
(独)理化学研究所 放射光科学総合研究センター ビームライン基盤研究部 Beamline Infrastructure Group, RIKEN SPring-8 Center
- Abstract
- X線非線形光学の研究の一環として、SACLAにてクリプトンの内殻2重イオン化とゲルマニウムでの2光子吸収の観測に成功した。これらの研究で得た経験と実際にSACLAを利用した体験について報告する。特に、集光システムを使った実験と光子計数のやり方について詳しく述べる。
1. はじめに
これまで、我々はSPring-8を使って、X線領域での非線形光学を研究してきた[1-3][1] K. Tamasaku and T. Ishikawa: Phys. Rev. Lett. 98 (2007) 244801.
[2] K. Tamasaku, K. Sawada and T. Ishikawa: Phys. Rev. Lett. 103 (2009) 254801.
[3] K. Tamasaku et al.: Nat. Phys. 7 (2011) 705-708.。2012年に世界で2番目となるX線自由電子レーザー(XFEL)のSACLA[4][4] T. Ishikawa et al.: Nat. Photon. 6 (2012) 540-544.が供用開始され、X線非線形光学の研究環境が劇的に変わった。現在では、LCLS[5][5] P. Emma et al.: Nat. Photon. 4 (2010) 641-647.とSACLAで複数のグループがX線非線形光学の研究を競い合っており、従来の蓄積リング型光源では実現不可能な現象を次々と報告している[6-9][6] T. E. Glover et al.: Nature 488 (2012) 603-608.
[7] H. Fukuzawa et al.: Phys. Rev. Lett. 110 (2013) 173005.
[8] N. Rohringer et al.: Nature 481 (2012) 488-491.
[9] L. Young et al.: Nature 466 (2010) 56-61.。このような流れの中で、最近、我々はクリプトンの内殻2重イオン化[10][10] K. Tamasaku et al.: Phys. Rev. Lett. 111 (2013) 043001.とゲルマニウムのX線2光子吸収[11][11] K. Tamasaku et al.: Nat. Photon. 8 (2014) 313-316.の観測に成功した。利用者情報誌ということなので、本稿ではSACLA実験の実際を報告したい。我々の研究の詳細については原著論文を参照されたい。
2. X線非線形光学実験のデザインについて
現在のSACLAはいわゆるSASE方式で運転されており、X線のバンド幅は10 keVで50 eV程度である。蓄積リングでの実験をベースにすると、このバンド幅は広いので、2結晶分光器で2 eV程度に分光することを考える。しかし、非線形光学現象は高いピーク強度が必要なので、分光せずにそのまま使いたい。こういう理由で、これまでSPring-8で行ってきたX線パラメトリック下方変換のような結晶の回折を利用する非線形過程[1-3][1] K. Tamasaku and T. Ishikawa: Phys. Rev. Lett. 98 (2007) 244801.
[2] K. Tamasaku, K. Sawada and T. Ishikawa: Phys. Rev. Lett. 103 (2009) 254801.
[3] K. Tamasaku et al.: Nat. Phys. 7 (2011) 705-708.は、SASE方式との相性が悪い。他にも2次高調波発生、和・差周波発生が同様である。
一方で、多光子吸収では原子間の協調が不要なので、回折を使った位相整合の必要はない。この方がSASE光源での実験に適している。そこで、SACLAでの最初のX線非線形光学実験として、2光子の逐次的な吸収による内殻2重イオン化の観測を選んだ。
3. 内殻2重イオン化の観測
我々が観測したクリプトンの内殻2重イオン化は、2つのX線光子が順番にK殻(1s軌道)にある2つの電子を光イオン化することで起こる。この過程は計算が容易で実験の可否が判断しやすい。内殻2重イオン化の散乱断面積を概算すると、1ミクロン集光装置[12][12] H. Yumoto et al.: Nat. Photon. 7 (2013) 43-47.で観測可能と見積もられた。SACLAのビームタイムは極めて貴重なので無謀な実験はできないが、だからと言ってSPring-8で測れるものでは意味がない。どこまで踏み込むか見極めが難しい。
最初のビームタイムは供用開始直後の2012年4月にあった。実際にSACLAを使ってみると、SPring-8とは全く勝手が違って実験が非常に難しく感じた。例えば、自前の装置を入れた実験ハッチ3と光源の間に施設側の様々な機器が入っている。それらのどれをモニタするべきか?また、互いの前後関係はどうなっているのか?が把握しづらい。
まず、前日に施設側のスタッフにより上流から順に調整が行われた。我々の装置では集光サイズを測れないため、専用の装置を設置して集光調整を行った。そうして迎えた初日は、アライメント用のHe-Neレーザーを使って我々の装置を集光点に設置し、夕方になってビームを使った調整を始められた。結論から言えば、このような2段階の調整手順は、以下の失敗が入り込む余地を広げてしまった。
初めて使う装置なので試行錯誤で調整を続けたが、朝になって、試料位置でのビーム強度が上流より1桁以上小さいことに気付いた。SPring-8では要所要所に自分でイオンチェンバを設置して、常時強度をモニタする。しかし、SACLAではビームラインに常設されたPINフォトダイオードを順次挿入してビームロスをチェックしなければならない。長く煩雑な調整を複数の人間で行ううちに、この確認が抜けていたのである。結局、集光ミラーがビームを取りこぼしていたことが判明し、調整をやり直すこととなった。こうして初回のビームタイムは決定的なデータを取得できず、SACLAの実験が従来とは全く違うことを学んだ。
幸い、1ヶ月後の2012年5月に2度目のビームタイムがあったので、対策して臨むことが出来た。特に、我々の装置で集光径が測れるようにして、調整手順を簡略化した。また、前回の反省を元に、ビーム強度に異常なロスがないか調整の各段階でその都度確認した。
ところが、集光調整に入ると数ミクロンまでしか絞れない。何時間もかけてようやく次の2つの原因が分かった。一つは、集光強度が高すぎて、集光径を測定していた金のワイヤーが徐々に削れていたのであった。この実験で使った15 keVでの集光調整は経験不足であった。もう一つは、ハッチ上部のファンからの振動であった。今ではこのような初歩的なミスはないと思うが、ユーザーもスタッフも供用開始当初は手探りであった。
これも予想していなかったが、データ処理も大変であった。我々の実験ではクリプトンからの微弱な蛍光X線を測定するので、光子計数が必要である。繰返しが高い蓄積リングの場合、X線光子が検出器の時定数内に1つ入るかどうかなので、シンチレーションカウンタで間に合う。しかし、SACLAでは数千個のX線光子がフェムト秒間に一度に検出器に入る。これでは光子計数はできず、しかも、PINフォトダイオードには弱すぎる。そこで我々はSACLA用に開発されたMPCCDを積算型の検出器として使うことにした[13][13] T. Kameshima et al.: Rev. Sci. Intrum. 85 (2014) 033110.。MPCCDでは図1に示すように複数個の光子が同一ピクセルに入っても、その光量を計測できる上、数個までなら光子数を数えられる。
図1 MPCCDを使った光子計数の例。各ピクセルの読み出し値のヒストグラムを示している。原点から順に0,1,2と光子数が増えていき、5光子/ピクセルまで識別できる。
さて、MPCCDからはショット毎に2 MBの画像データがはき出される。蛍光X線の強さを求めるには、画像データを専用ストレージから読み出し、バックグランド補正して、ある領域で積分する。実は最初の実験で、MPCCDのバックグランドがドリフトすることに気付いていたため、加速器を10 Hzで運転する一方で、MPCCDを20 Hzで動かして、ビームがない時の画像をバックグランドとした(現在は、ドリフトは補正されているので問題ない)。このため画像データの量は2倍の秒間40 MBに達した。
初期の頃は、ストレージからデータを読み出すのに測定時間以上の時間がかかったので、光学系の調整にも苦労した(現在は読み出しスピードが向上している)。例えば、光学素子の位置調整にも、ショット毎の画像を解析して蛍光X線強度の位置依存性をプロットする必要がある。MPCCDをこのような使い方にする場合、事前にデータ処理ソフトを作っておくとスムーズに進められる。
このように最初の実験なので色々と苦労したが、最終的に硬X線2光子による内殻2重イオン化が初めて観測できた。最も重要な蛍光X線のスペクトルは僅か200点弱のデータであるが、解析した画像は数TBに及んだ。SACLAではビームラインの様々な情報(例えば、パルスモータの位置やビーム強度)も全てデータベースに残っている。この膨大なデータはいつでも取り出せるので非常に便利である。
4. X線2光子吸収の観測
内殻2重イオン化の解析結果から、3次の非線形光学過程である2光子吸収の見積もりができ、その頃使えるようになった50 nm集光装置[14][14] H. Mimura et al.: Nat. Commun. In press.で観測可能なことが分かった。こうして、次のテーマとしてゲルマニウムでのX線2光子吸収の初観測を据えた。ダメージを考えると固体はガスに比べて使いづらい。しかし、集光サイズが小さいので、固体にして密度を上げないと測定できない。
2光子吸収の観測で一番の障害となるのは、高次高調波の1光子吸収である。この影響の評価のために、結晶分光器で基本波と2次高調波を測定した。3次以上は計6枚のミラーを使うので無視できる。図2のスペクトルから2次光の光子数(パルスエネルギーではない)は基本波に対して、8.1 × 10-5であることが分かり、ミラーで十分弱く出来ることが分かった。
図2 基本波と2次高調波のスペクトル。2結晶分光器で測定された。
SACLAの実験ハッチ5に設置された50 nm集光装置は、集光径を測定する装置が試料チェンバを兼ねている。そこで、我々の分光器とMPCCDをチェンバに取付けられるように改造した。しかし、これが問題となってしまった。集光径を測定する装置は巨大な御影石定盤(約5 t)に設置されているので、2つを載せても問題ないと考えた。しかし、MPCCDの空冷ファンの振動で集光調整できなかった。結論から言えばこうだが、ビームタイム中は何故集光調整ができないか分からず苦労した。50 nm集光の調整は手順が長く難しいので、何処に問題があるのかが直ぐには分からないのである。また、MPCCDの電源はスタッフに依頼して切れるまで30分程かかるので、チェックが後回しになってしまった。
50 nm集光の実験の難しさは、集光調整だけではない。一旦調整しても、数時間で集光が崩れてしまうらしい。また、試料は1ショットで穴が開いてしまうので、その都度移動させる。試料もみるみる消費していくので、手際よく測定しなければならない。
ところが、試料を焦点位置に合わせようとして、また問題が起きた。集光調整チェンバの側面に分光器とMPCCDを付けたため、集光点を見る備え付けの望遠カメラが使えなくなっていた。当てにしていたもう一方でもはっきりと見えなかった。試料厚等から計算して位置を合わせられるが、集光点の長さ(レーリー長)は50 µmと短いので、確信を持てない。データを定量的に解析するので、焦点から外れていると致命的である。
そこで試料の位置合わせに、以下の様な方法を試してみた。まず、焦点付近ではピーク強度が高いので、可視の発光が見えると考えた。しかし、望遠カメラで覗いていても何も光らなかった(これは望遠カメラが覗く角度の問題と思われる)。次に、アッテネーターでビームを弱めて、試料を貫通するのに必要なショット数を数えることにした。こちらは試料の位置依存性にそれらしい極小が見つかった。
こうして、ようやく2光子吸収の測定に入ったが、全く信号があるように見えなかった。やはり試料位置の問題だろうと思い、位置を変えながらデータを取り続けて、失意の内に実験を終了した。しかし、後日、画像データを詳細に解析してみると、14万枚の画像の中に201個のイベントが見つかった(図3)。また、ある試料位置でイベントが多かった。残念ながら穴開けで合わせた位置から15 µmずれており、計算した位置からも45 µmずれていた。
図3 MPCCDの各ピクセルからの読み出し値のヒストグラム(丸)。実線はノイズスペクトル。縦棒は生のスペクトルからノイズを分離したスペクトル。5 keVのピークは散乱された励起X線。10 keVのピークは2光子吸収によるゲルマニウムの蛍光X線。
実験中に信号が見えなかったのは、内殻2重イオン化実験用に作った、図1のような信号を処理するプログラムでは信号が埋もれてしまうためであった。図3のように信号が非常に微弱という前提で、画像解析しなければいけなかったのである。さらに、取り出してみた試料は全面に穴が空いているはずなのに、全く残っていなかった。集光サイズが100 nm程度なので、ショット毎に10 µmもずらせば良いと考えたが不十分だった。このため観測された信号強度に自信が持てなくなってしまった。
2013年6月の2度目のビームタイムまでは4ヶ月近くあったので、分光器とMPCCD用の定盤を集光システムから切離し、解析プログラムを作り直せた。さらに、施設側の努力でX線強度が強くなり、集光効率も改善されて、集光点のX線強度が3倍に増した。前回の実験で、2光子吸収が見えることが分かっていたので、その信号を見ながら試料の位置を正確に合わせた。また、穴が重ならないように、ショット毎に50 µm移動させた。こうして、ほぼ予定通りに測定を進めて、十分なイベントを観測できた。トラブルといえば、集光径を測るピエゾの1台に問題があった程度である。もっとも、原因が分かるまで何時間もかかったのはいつもの通りである。
5. おわりに
SACLAが供用を開始してから2年が過ぎた。施設側の努力により使うたびに光源の性能が上がり、ビームラインの光学機器の安定性も向上している。また、光学調整全般も速くなっている。さらに、本稿で述べたようなトラブルの多くは解決されている。一方で、これまで誰もやっていない実験では、予期せぬ問題が起こることは避けられない。これを短いビームタイム内に解消するのは難しい。しかし、運良く解決の糸口となるデータが取れて次につながることが多かった。SACLAでの実験の難易度は格別であるが、それだけに非常にやりがいがある。本稿がSACLAの利用を考えている読者のお役に立てれば幸いである。
本稿で紹介した一連の研究は、自然科学研究機構分子科学研究所の繁政英治准教授と岩山洋士助教および高輝度光科学研究センターの犬伏雄一研究員と共同で行われた。また、MPCCDやデータの取り扱いでは理化学研究所の初井宇記チームリーダーに助言をいただいた。本研究は科研費基盤研究B(23360038)の助成により実施された。
参考文献
[1] K. Tamasaku and T. Ishikawa: Phys. Rev. Lett. 98 (2007) 244801.
[2] K. Tamasaku, K. Sawada and T. Ishikawa: Phys. Rev. Lett. 103 (2009) 254801.
[3] K. Tamasaku et al.: Nat. Phys. 7 (2011) 705-708.
[4] T. Ishikawa et al.: Nat. Photon. 6 (2012) 540-544.
[5] P. Emma et al.: Nat. Photon. 4 (2010) 641-647.
[6] T. E. Glover et al.: Nature 488 (2012) 603-608.
[7] H. Fukuzawa et al.: Phys. Rev. Lett. 110 (2013) 173005.
[8] N. Rohringer et al.: Nature 481 (2012) 488-491.
[9] L. Young et al.: Nature 466 (2010) 56-61.
[10] K. Tamasaku et al.: Phys. Rev. Lett. 111 (2013) 043001.
[11] K. Tamasaku et al.: Nat. Photon. 8 (2014) 313-316.
[12] H. Yumoto et al.: Nat. Photon. 7 (2013) 43-47.
[13] T. Kameshima et al.: Rev. Sci. Intrum. 85 (2014) 033110.
[14] H. Mimura et al.: Nat. Commun. In press.
(独)理化学研究所 放射光科学総合研究センター
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