Volume 14, No.1 Pages 44 - 48
2. ビームライン/BEAMLINES
BL32XU 理研ターゲットタンパクビームラインの概要
A New Beamline to Achieve Protein Micro Crystallograpy
1. タンパク質微小結晶構造解析を可能にするビームライン
生命の基本単位である細胞はタンパク質、核酸、脂質や糖等の様々な化学物質で構成されています。中でも主要な構成成分であるタンパク質は固有のアミノ酸配列を持ち、それが巧妙に折りたたまれた立体構造をとっています。タンパク質が有する立体構造は個々の複雑な機能と密接な関係を有しているため、それを可視化して実感的に捉えることは生命現象を科学的に理解するために必要不可欠なステップであるといえます。
タンパク質の結晶構造解析では、タンパク質の結晶にX線を照射して得られる回折強度をもとに結晶を構成する個々のタンパク質分子の立体構造を原子レベルで決定します。回折強度の精度は結晶のサイズ、モザイク性、結晶に照射するX線の平行度、強度、サイズなど様々なパラメータによって決まります。実験室で利用するX線発生装置と比較して放射光施設で利用できるX線は平行度が高く(高平行度)、単位時間・単位面積当たりに含まれる光子が多い(高輝度)ため、「より小さなサイズの結晶」から「より解像度の高い回折強度」を「より短時間で収集可能」にします。さらに放射光施設では測定に使用するX線波長も容易に選択できるため、結晶に含まれる重原子からの異常分散効果を利用する実験、超高分解能回折実験なども盛んに行われており、タンパク質の結晶構造解析にはいまや放射光ビームラインは必須であると考えてもよいでしょう。
放射光を利用することに加えて、計算機科学、遺伝子工学の進歩によって近年タンパク質結晶構造解析は急速な広がりを見せており、構造研究の対象になる物質も、タンパク質だけでなくタンパク質や核酸等が数多く集まった生体超分子複合体にまで広がっています。しかし一方で、特に重要な生命現象や疾病、障害に関わるタンパク質や生体超分子複合体では、その結晶化に困難を伴う場合が多く、例えば、10ミクロン以下の微小結晶しか得られない場合、結晶が不均一な場合、結晶がクラスタ状である場合など、良質な結晶が得られないことがしばしばあります。このような場合、タンパク質の構造解析に必須である「位相情報」を得るための重原子を含んだ結晶(重原子誘導体結晶)を得る事も困難です。
そこで2007年に始動した文部科学省ターゲットタンパク研究プログラムでは(1)現在の放射光ビームラインでは解析不可能なミクロンオーダーの微小結晶に最適化した高輝度マイクロビームビームラインを開発するとともに、(2)重原子誘導体を用いずにイオウなど天然型タンパク質に含まれる軽原子を利用する構造決定(低エネルギー単波長異常分散)法に最適化したマイクロビームビームラインの開発も行い、高難度タンパク質の構造解析を可能にする新規X線解析技術の基盤整備を目的として掲げています。さらに、(3)これらのビームラインと組み合わせて使用する微小結晶や低品質結晶の操作技術や解析の効率化技術の開発を進め、(4)ターゲットタンパク研究の高難度タンパク質構造解析に貢献することを目指しています。このため、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所、国立大学法人北海道大学、国立大学法人京都大学、国立大学法人大阪大学蛋白質研究所と共同で業務を分担し、独立行政法人理化学研究所播磨研究所は、大型放射光施設SPring-8における上記(1)高輝度マイクロビームビームラインの建設及び研究開発を担っています。
2. ビームラインとタンパク質微小結晶構造解析技術の開発
単結晶からの回折強度は回折に関与する結晶の体積に比例するため、結晶が小さいほど回折強度は微弱になります。微小結晶からの微弱な回折強度を最大化するために、入射X線を強くしてシグナルを増強、あるいは、結晶以外からの不要ノイズ(散乱X線)の最小化が必要となります。これら二つの要求を満たすためには、試料となる微小結晶と同等のサイズ、かつ、高輝度なX線ビームを回折実験に利用する必要があります。現在、国内で最も高輝度で微小なX線ビームを利用できるタンパク質結晶構造解析用ビームラインはSPring-8標準アンジュレータビームラインBL41XUで、最小ビームサイズは30ミクロン角、光子数は5 × 1011 photons/secです。このビームラインを用いても定常的に解析が可能な最小結晶サイズは20ミクロン程度です。理研ターゲットタンパクビームラインBL32XUで解析目標とする微小結晶試料のサイズは数ミクロン〜数十ミクロンですから、それと同等の数ミクロン〜数十ミクロンのビームサイズを利用可能にしなければいけません(図1)。このような高輝度微小ビームを作り出すために必要なビームライン設計コンセプトを以下に簡単にまとめました。
図1 本ビームラインで解析可能にするタンパク質結晶サイズ
図2は建設中の理研ターゲットタンパクビームラインBL32XUの機器配置を示しています。光源にはSPring-8標準アンジュレータと比較してより高輝度な光源である真空封止ハイブリッドアンジュレータを採用しました。このアンジュレータは本ビームラインにおいてエネルギー領域8〜25 keVの範囲で高輝度光源として機能し、12.4 keVでの光源輝度は標準アンジュレータのおよそ2倍となります。
図2 理研ターゲットタンパクビームラインの機器配置図 ※数値は挿入光源からの距離を示す
白色X線から実験に使用するX線のエネルギーを切り出すための装置、液体窒素冷却型二結晶分光器(光源から約43メートル)はSPring-8従来のものに改良を加えて利用します。例えば、分光結晶駆動軸の数を必要最低限にすることによって機械としての剛性を高め、液体窒素などからの振動を伝播しにくいよう工夫されています。これによって出射されるX線強度・位置の安定度が向上することが期待されています。
このビームラインの最も重要な特徴は「10ミクロン以下の高輝度ビームを利用可能にする」ことです。我々はX線集光素子として集光ミラーを選択し、集光によってこの目標ビームサイズを達成する設計を行いました。X線集光ミラーは、SiやSiO2などの母材に金属(PtやRhなど)を表面コーティングしたもので、入射したX線を全反射させるための光学素子です。この光学素子の表面を楕円面や方物面に加工することにより、入射したX線をミラー下流で集光することが可能です。本ビームラインではより良い集光を達成するために収差の少ないKirkpatrick-Baez(KB)ミラーと呼ばれるX線の縦・横方向を独立に集光する系を採用しました。各集光ミラーは全長400 mmの楕円筒面型SiO2に白金をコートしたものを利用します。ミラーによる反射・集光時にX線光子の損失をなるべく防ぐためにスロープエラー(ミラー表面の傾斜角のずれ)が最小となるようElastic Emission Machiningという大阪大学で開発された原子レベルの表面研磨技術で研磨を行う予定です。ビームの集光サイズを決める縮小倍率(集光前と集光後のビームサイズの比)は光源から集光素子までの距離、集光素子から集光点までの距離の比によって決まりますが、本ビームラインでは、縮小倍率を可能な限り大きくするため、仮想的な光源となるTCスリットからおよそ40メートル下流に集光ミラー(光源−集光素子までの距離)を、また、集光ミラーからわずか1メートル足らず(集光素子−集光点までの距離)の位置に集光点(サンプル位置)を置く設計としました。この設計により縦・横方向の縮小倍率はそれぞれ約26、約40となっています。光線追跡試算によるとこのビームライン設計で得られるサンプル位置での最小ビームサイズは1ミクロン角、そのときの光子数(12.4 keV)は6 × 1010 photons/secとなります。このビームサイズ、光子数はタンパク質結晶構造解析用のビームラインでは現在、世界最高性能と位置づけられるものです。またサンプル位置で得られるビームサイズは仮想光源の大きさを制御することによって1〜20ミクロン角の範囲で可変となる予定です。
本ビームラインではミクロンサイズのビームをミクロンサイズの結晶に照射するため、ビーム及び結晶の位置を安定に制御することは非常に重要です。特にX線と直接相互作用する光学素子、例えば前述したX線集光ミラーや二結晶分光器などの機器の振動は、サンプル位置(集光位置)で得られるX線の強度・位置に大きな影響を及ぼします。微小結晶から得られる元来微弱な回折強度はX線の強度・位置の不安定さをそのまま反映し著しく劣化してしまいます。これを避けるため可能な限り光学素子を少なくして、サンプル位置で得られるビーム強度及び位置の安定化を重視した設計となっています。さらにミクロンサイズのビームの出射位置を安定に制御するため、ビーム位置モニターと、それと連動した二結晶分光器のフィードバック制御法の開発も進めていく予定です(図3)。
図3 微小高輝度ビーム利用のために必要な要素技術開発
ここまで、ビームライン全体の設計を説明してきましたが、それと並行してタンパク質微小結晶用高精度回折計の開発も必須です。現在、結晶をサブミクロンオーダーの偏心誤差で回転させる超高精度ゴニオメータヘッド、ミクロンオーダーの微小結晶を可視化する超高倍率顕微鏡、結晶からの回折X線の空気による吸収・散乱を低減するためのヘリウムパス装置の開発などを進めています。
今後、特に重要となるのは、X線照射による結晶の放射線損傷を、可能な限り低減するための技術・装置の開発だと考えられます。例えば、放射線損傷を引き起こす化学反応は、結晶の温度が高いほど促進されるため、X線露光による結晶の局所的な温度上昇を防ぐ極低温(40 K以下)実験が有効であると考えられます。このため、結晶を極低温に保つためのヘリウム吹き付け装置の利用、また、極低温実験における放射線損傷の定量的評価は必須です。さらに、高感度X線CCD検出器の高度化やヘリウムパス装置の開発など、X線照射によって結晶から出る回折強度を100%に近い効率で収集することを目指した研究開発も重要です。既に我々は高感度X線CCD検出器の研究開発を開始しており、これまで観測できなかった微弱な回折強度を取得することに成功しています。
これらに加え、我々は実験者の目的に準じて、放射線損傷を制御した回折強度測定を半自動/全自動で行う実験者支援ツールの開発も進めています。放射線損傷が重篤なサンプル結晶では、複数の結晶を利用して回折強度収集を行う必要があり、この場合、実験者が限られたマシンタイムの中で最適な測定条件を決めることが非常に困難になるためです。この支援ツールが完成すれば放射光実験に不慣れな実験者でも効率よく微小結晶からの回折強度測定を進めることができるようになります。
3. 期待される成果と展望
本ビームラインは平成22年度からターゲットタンパク研究プログラム課題を持つユーザに対して共用運転を開始する予定です。国内外含めて最も微小で高輝度なX線が利用できるタンパク質結晶用ビームラインは、これまで不可能であったタンパク質結晶構造解析の新しい世界を切り拓くことが期待されます。微小結晶からのタンパク質結晶構造解析を可能にすることは、より高難度で生命現象に重要であるタンパク質の立体構造決定を迅速にするだけでなく、生物の体内に微小結晶の形態で貯蔵されているタンパク質の構造解析にも役立つと考えられます。
また、微小ビームは試料結晶へのX線照射位置がより自由に選択できるという別の利点もあります。例えば、50ミクロン角の結晶に10ミクロンのビームを照射するのと、1ミクロンのビームを照射するのとではX線を照射する位置の選択は後者がより簡単なことは明らかです。このように微小ビームによってもたらされる照射位置の自由度は、クラスタ状結晶と呼ばれる単結晶が連続的に重なって析出してしまった結晶や不均一結晶と呼ばれる結晶性のまちまちな結晶が混合して構成されている結晶などから回折強度収集する場合に非常に有利です(図4)。クラスタ結晶では単結晶部分を狙ってX線を照射し回折強度を収集することが可能ですし、不均一結晶では微小X線ビームをプローブとして良質な結晶部分を探索することが可能になるでしょう。
図4 微小ビームが可能にする低品質結晶を用いた結晶構造解析
前述してきたような微小ビーム利用の利点はいずれもこれまで困難であった低品質なタンパク質結晶からの回折強度収集を可能にするためのものです。即ち、これまで解析に値しない、と判断されてきたような結晶もタンパク質の構造解析に利用できるようになることを意味します。一般的にタンパク質の結晶化条件の最適化は、精製が困難な高難度タンパク質や入手が困難な希少生物から得られるタンパク質などでは、より困難で多くの時間を費やすため、本ビームラインの利用により構造研究に費やされる時間を大幅に短縮することが可能です。
タンパク質結晶構造解析の原理から考えると良質で大きい結晶を用いて構造解析を行うことが立体構造決定への最良の方策です。本ビームラインは、結晶の良質化がどうしても困難な場合に利用するSPring-8構造生物学ビームラインでの新しい選択肢の一つとして位置づけられます。利用者はビーム性能や実験ステーションの仕様が異なる相補的な役割を持つ複数のSPring-8構造生物学ビームラインを、目的に準じて選択することが可能です。比較的分子量の小さいタンパク質の数百ミクロンサイズの結晶が得られた場合には偏向電磁石ビームラインを用いた迅速な構造解析が可能です。分子量が10万を超え、結晶サイズが30〜50ミクロン角程度と小さめの結晶が得られた場合は既設のアンジュレータビームラインを利用できます。結晶サイズがさらに小さく数ミクロン〜20ミクロン程度でしか得られない、また、クラスタ結晶・不均一結晶などの高難度タンパク質結晶を利用した構造解析を行う場合、本ビームラインが回折強度収集を可能にしてくれると期待されます。本ビームラインの完成により、利用実験者はより広範なタンパク質結晶構造解析を行うことが出来るようになると考えられます。
4. 謝辞
本ビームラインは以下の方々の協力を得て建設・研究開発を推進しています。
二澤宏司1、上野剛1、河野能顕1、引間孝明1、清水伸隆1,2、熊坂崇1,2、田中隆次1、高橋直1,2、竹下邦和1,2、湯本博勝2、大橋治彦1,2、後藤俊治1,2
※ 1独立行政法人理化学研究所 播磨研究所基盤研究部
※ 2財団法人高輝度光科学研究センター
平田 邦生 HIRATA Kunio
(独)理化学研究所 播磨研究所 放射光科学総合研究センター基盤研究部
〒679-5148 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
TEL : 0791-58-2839 FAX : 0791-58-2834
e-mail : hirata@spring8.or.jp
山本 雅貴 YAMAMOTO Masaki
(独)理化学研究所 播磨研究所 放射光科学総合研究センター基盤研究部
〒679-5148 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
TEL : 0791-58-2839 FAX : 0791-58-2834
e-mail : yamamoto@spring8.or.jp