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Volume 13, No.2 Pages 122 - 127

3. 利用者懇談会研究会報告/RESEARCH GROUP REPORT (SPring-8 USERS SOCIETY)

マイクロ・ナノイメージングと生体機能研究会報告
Activities of “Biomedical Micro / Nano Imaging” Group

伊藤 敦 ITO Atsushi[1]、百生 敦 MOMOSE Atsushi[2]、篠原 正和 SHINOHARA Masakazu[3]、水谷 治央    MIZUTANI Haruo[4]

[1]東海大学 工学部 School of Engineering, Tokai University、[2]東京大学大学院 新領域創成科学研究科 Graduate School of Frontier Sciences, The University of Tokyo、[3]神戸大学大学院 医学系研究科 Kobe University Graduate School of Medicine、[4]東京大学 総括プロジェクト機構 Organization for Interdisciplinary Research Projects, The University of Tokyo

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1. 設立趣旨と活動方針

 本研究会は、生体試料の形態と機能をX線イメージングからアプローチすることに興味を持つメンバーによって設立されました。生体試料といっても、対象が細胞などのミクロンレベルからセンチメートルレベルのがんなどの組織にわたり、要求される空間分解能、視野などが大きく違いますが、軽元素のイメージングが主体となるという点で共通しています。

 従来は、軽元素を可視化するためには、吸収コントラストが用いられてきました。例えば、細胞内構造やその機能を観察するためには、軽元素の吸収端が存在する軟X線顕微鏡によって数十nmの高分解能観察が、また、組織レベルでは吸収コントラストにトモグラフィ(CT)を適用して3次元観察が行われてきました。しかしながら、SPring-8、ESRF、APSなどの第三世代の放射光光源の出現によって、高輝度硬X線の利用が可能となり、硬X線領域において軽元素のコントラストが吸収よりはるかに高い位相コントラスト利用の重要性が強く認識されるようになってきました。厚い組織試料ではいうまでもなく、軟X線顕微鏡が対象としていた試料においても、放射線損傷が小さい、水溶液中での観察が容易などから硬X線での位相コントラストイメージングのポテンシャルが期待されています。さらに、これらの位相コントラストイメージングに加えて、蛍光X線マッピング、CT技術によって、生体機能に重要な役割を果たす分子や元素の3次元分布観察も可能となります。現在では、硬X線光学素子の進歩によるX線顕微鏡技術との融合により、分解能の向上が著しく、これらのイメージング技術がマイクロ・ナノスペースで発展される機運も増してきています。

 本研究会は、マイクロ・ナノイメージング、位相コントラストをキーワードに、主に生体の高次機能の解明のための構造観察技術の開発、整備、活用を目的としていますが、その目的達成のためには、材料科学、高分子化学、環境科学などの広い分野において同様の手法の活用を目的とする研究者との横断的情報交換による総合的な検討が重要と認識しています。具体的な活動方針として、以下の項目を掲げています。

 

・利用研究のための組織づくり

 海外でのX線イメージング研究の現状は、開発から利用のフェーズへと移行しつつある。定期的なワークショップなどを通して、国内外で行われている研究を紹介し、ポテンシャルユーザーに情報を提供する。こうして、生物学、医学、材料科学、高分子化学、環境科学などの広い分野から、適用試料、観察方法のアイディアを汲み上げ、より先端的な課題が生まれるよう、利用グループの組織づくりを目指す。

 

・発展的利用のためのビームライン整備の提案

 イメージング技術の利用を推進するビームライン整備は、多くのユーザーにとって使いやすいことが重要であり、さまざまな生体試料観察の精力的推進を支えるものであるべきである。この観点において、既存の実験ステーションの活用とグレードアップについての検討と提案を行う。

 

・放射光の特徴を生かしたイメージング技術の開発、整備、活用の将来像の推敲

 エンドユーザーとしての医学・生物学分野の研究者とX線光学の研究者との交流により、重要課題の抽出、共同研究の展開を図る。ここでは、放射光全般の活用を目的とし、軟X線顕微鏡を含む、高輝度光源を生かした観察手法(回折顕微鏡、硬X線ホログラフィなど)の提案とその整備の重要性についても議論する。

 

 現在、会員の専門分野の構成は、X線光学(位相計測、軟X線光学)など装置開発の方と、生物試料、医学試料、有機高分子材料試料観察の方がほぼ半々となっています。X線光学のメンバーも全員生体試料に関心を持ち、実際に医学・生物学研究者と協力して生体試料イメージングを行っています。

 

 

2. 研究会活動

 これまで研究会会合を3回開催し、メンバーの研究発表と情報交換、講師をお呼びして新技術の紹介を行いました。

 2007年1月は、「位相コントラスト法による生体構造解析」と題するワークショップをJASRIと共同で開催しました。位相コントラスト法の利用の実績と紹介を、本手法になじみのない医学・生物学研究者を主な対象として行ったものです。位相コントラスト生成の原理、位相を利用した顕微鏡、コヒーレントX線を利用した回折顕微鏡などの話題とともに、イメージングビームラインの紹介も行われました。このワークショップは、研究会の活動目的の一つであるエンドユーザーの拡大を目指したもので、SPring-8を利用してはいないが、位相コントラスト法に関心をもつポテンシャルユーザーの会員にとっては、情報収集と関心を高めるよい機会であったと思われます。なお、研究会メンバーのうち、位相コントラスト法に深い経験をもつものは、スピーカーとして参加しました。同日、第2部として、メンバーのみによる会合を開催し、「生体構造・機能研究におけるX線イメージングとSPring-8への期待」というテーマのもとに、SPring-8をまだ利用されていない生物・医学研究者から自らの研究対象にX線位相コントラストイメージングがどのように活用できるのかについて、ワークショップでの情報をふまえて話題をご提供いただきました。特にX線イメージングに適した試料調製の重要性が議論されました。JASRIのX線光学の方もお呼びして、生物・医学研究者の要望を聞いていただくよい機会であったと思います。

 2007年10月の第2回会合では、位相コントラスト及び回折顕微鏡で得られている医学、生物学画像の現状にテーマをしぼりました。そこから今後どのような対象がX線イメージングとして適しているのかについて議論がなされました。2008年1月の第3回会合では、今後の活動予定と第2期申請について議論しました。これら会合開催の他に、関連学会、集会の案内などの情報を随時メールで配信しています。

 最後に、これまでの研究会活動を活動方針にそってまとめてみます。

 

1)利用研究のための組織作りと研究紹介

 これまでSPring-8を利用した経験のない医学・生物学研究者(ポテンシャルユーザー)に多数加わっていただき、X線イメージングの手法、ビームラインの紹介など情報提供を行っています。逆に、ポテンシャルユーザーの要望を装置側の研究者に伝えることによって、利用者と開発者の組織作りを図っています。メンバーの研究、ポテンシャルユーザーの提案をもとに、先端的重要課題の抽出についても試みています。例を挙げれば、脳神経ネットワーク観察(一部を後述します)、骨形成に関わる細胞間ネットワーク形成観察、染色体構造の解明、など将来大きな成果が期待できるテーマをサポートすることがこの分野の発展に必要との議論がなされています。

 

2)放射光の特徴を生かしたイメージング技術について

 位相イメージング、回折顕微鏡、ホログラフィなどの紹介に重点を置いています。これらは主にJASRIのX線光学研究者を招いて解説をお願いしています。

 

3)実験ステーションアップグレードのための提案

 利用しているビームラインはBL20XU、20B2、47XUなどです。医学試料の観察実績から、ヒト試料に対応できるような結晶干渉計の大視野化の提案(後述)、BL20XUの上流の使い方について、上流では下流より光強度が一桁高いので顕微鏡の常設などの提案がなされています。利用形態、光学系などさらに煮詰めて提案書としてまとめることを目指しています。

 

 

3. 研究活動例

3-1. X線位相イメージングの手法開発

 SPring-8では被写体と検出器の間に適当な距離を設けることにより被写体表面や構造境界を縁取る輪郭強調コントラストが発生します。国内では屈折コントラストと呼ばれ(物理的には正確ではなく、外国でrefraction contrastとはあまり呼ばれないので、混乱・誤解の注意が必要です)、弱吸収物体の簡便な可視化に大変有効です。一方、より定量的な観察を可能とする位相イメージング法も各種開発が進んでおり、本研究会においても利用されています。下記に2つの方法について簡単に紹介します。

 

①結晶製X線干渉計

 初期のX線位相イメージングは、結晶製X線干渉計を利用することによって実現されました。被写体を透過したX線に、コヒーレントなX線(参照波)を重ね合わせることにより干渉縞を生成させるものです。参照波X線を得るために結晶製X線干渉計を使うのですが、極めて波長の短いX線で機能させるためにシリコン単結晶から一体で削りだされたものとなっています。これを用いることにより、吸収法に比べて約千倍の感度向上が弱吸収物体に対して実現でき、生体軟組織や高分子材料を無造影で観察できます。最も早くに開発された手法ですが、その後に開発された他の位相コントラスト法も含めても、未だにいちばん感度の高い方法です。

 結晶製X線干渉計を用いるX線位相イメージング/トモグラフィ(断層撮影)装置(図1参照)は、現在BL20XUの医学利用実験施設内に常設されています[1][1] A. Momose, I. Koyama, Y. Hamaishi, H. Yoshikawa, T. Takeda, J. Wu, Y. Itai, K. Takai, K. Uesugi and Y. Suzuki: J. Phys. IV 104 (2003) 599-602.。アンジュレーター光のビームサイズによって視野が制限されますが、直径3 mm程度の試料が位相トモグラフィで観察できます。空間分解能はおよそ10 µmです。非常に感度が高いために試料を空気中で観察することが難しく、外形によるコントラストを適度に抑制するために水中で試料を観察することになっています。最新の観察例が本節の3-2.で紹介されています。

 

 

図1 結晶製X線干渉計による位相トモグラフィ装置。(a) シリコン結晶製X線干渉計、(b) 位相トモグラフィ装置の光学配置。

 

 

 より大きい試料の観察をSPring-8で可能とするために、当研究会からの声を受け、BL20B2において同様な装置を立ち上げる準備がJASRIにおいて始まりました。これまでより大きい結晶製X線干渉計を準備し、直径20 mm程度の試料の観察を可能とする予定です。2008B期には多くのユーザーが利用できることを期待しております。

 

②X線Talbot干渉計

 2枚の透過X線格子を用いるX線Talbot干渉計(図2)が、比較的新しいX線位相イメージング法として注目されています[2][2] A. Momose, W. Yashiro, Y. Takeda, Y. Suzuki and T. Hattori: Jpn. J. Appl. Phys. 45(2006)5254-5262.。構成が簡便であるため、フレキシブルな位相イメージングおよび位相トモグラフィの実験に適しています。被写体によってX線が屈折されて曲げられる角度を表す画像が得られます。ただし、簡便である反面、前述の結晶製X線干渉計を用いる場合よりも感度は劣ります。空間分解能は15 µmですが、X線結像顕微鏡と組み合わせることにより空間分解能を1 µm以下にすることもできています[3][3] A.Momose,W.Yashiro,M.Moritake,Y. Takeda,K.Uesugi,A.Takeuchi,Y.Suzuki,M.Tanaka and T.Hattori: SPIE Proc. 6318 (2006) 63180T.。撮像装置は常設されていませんが、ビームライン担当者や本研究会に問い合わせていただければ対応させていただきます。

 

 

図2 X線Talbot干渉計による位相イメージングの構成

 

 

3-2. 位相コントラストX線CTを用いた動脈硬化プラーク組成の評価

 日本人の生活の西欧化と長寿命に伴い、動脈硬化に起因する血管疾患は増加傾向(現在日本人の死因の第2位である)にあり、循環器領域においては冠動脈疾患が増加しています。なかでも急性心筋梗塞は急性冠症候群と呼ばれ、心臓突然死に結びつく致死率の高い疾患です。

 冠動脈の動脈硬化プラークには内部構造の異なる2種類のプラークがあります。1つは安定プラークと呼ばれるもので、内部は膠原繊維・平滑筋細胞にとみ、脂質の沈着は少なく、もう1つは不安定プラークと呼ばれる病態で、内部に多くの脂質沈着を認め、その表面を薄い繊維性皮膜が覆っているプラークです。不安定プラーク病変を基盤とし、血管局所の炎症反応の増悪などに伴い表面の繊維性皮膜が破れ、その結果血栓が急速に形成されて血流が途絶することで急性冠症候群が発症します。

 現在、急性冠症候群の発症の予知を目的として、不安定プラークを検出する試みがなされています。侵襲的ではあるものの、心臓カテーテル検査を応用した各種検査手技が実用化されてきています。また非侵襲的な検査としてCT・MRIを用いた評価が進められています。近年のMultidetector CT技術の進歩は著しく、冠動脈造影CT検査を用いることで、冠動脈の狭窄度に関してはほぼ正確に診断できるようになっています。またプラーク組成に対する評価も研究が進められていますが、吸収コントラストX線イメージングの軟部組織に対する感度の低さが大きな足枷となっているのが現状です。

 今回我々は位相コントラストX線CTを用いて、動脈硬化プラーク組成の評価を試みました[4][4] M. Shinohara, T. Yamashita, H. Tawa, M. Takeda, N. Sasaki, T. Takaya, R. Toh, A. Takeuchi, T. Ohigashi, K. Shinohara, S. Kawashima, M. Yokoyama, K. Hirata and A. Momose: Amer. J. Physiol., Heart and Circulatory Physiol. (in press).

 実験は、動脈硬化モデルとしてApoEノックアウトマウスの大動脈を用いました。このマウスに生後4週齡から高コレステロール食を負荷して飼育した群と、通常食にて飼育した群を作成しました。前者では脂肪沈着に富む動脈硬化プラークが形成され、後者では膠原繊維・平滑筋細胞に富む動脈硬化プラークが形成されることが予想されます。Ex vivoに取りだした血管を中性緩衝ホルマリンにて固定し、BL20XUにおいて結晶製X線干渉計を用いて位相コントラストX線CTの撮影を行いました(X線エネルギー 12.4 keV 視野角5 mm ピクセルサイズ3.14 µm CT撮影のため180°あたり400投影)。

 結果を図3に示します。高コレステロール食負荷にて飼育したマウスの動脈硬化プラークは脂肪沈着(Sudan-III染色)に富む病変となり、膠原繊維(Masson,s染色)平滑筋細胞(1A4免疫染色)は少ないことがわかります。対応する位相コントラストX線CT画像では屈折率の低い、物質密度の低い動脈硬化プラークが描出されました。また脂肪沈着領域の前面に、薄い(15〜20 µm)の繊維性皮膜も描出されています。

 

 

図3 動脈硬化モデルマウスのX線位相CT画像。比較のために脂肪沈着領域、膠原繊維領域、平滑筋領域の染色像を示した。

 

 

 組織学的評価と対応させながら、動脈硬化プラークの平滑筋領域・脂肪沈着領域・膠原繊維領域の屈折率/物質密度を定量評価した結果を図4に示します。脂肪沈着領域は低い屈折率(0.79 ± 0.13 × 10-8)ならびに低い物質密度(1.011 ± 0.001766 g/ml)となりました。平滑筋領域・膠原繊維領域はより高い屈折率(4.18 ± 0.10 × 10-8 and 5.93 ± 0.13 × 10-8)ならびにより高い物質密度(1.057 ± 0.001407 g/ml and 1.08 ± 0.001794 g/ml)を示しました。

 

 

図4 動脈硬化プラークの平滑筋領域・脂肪沈着領域・膠原繊維領域の屈折率と密度

 

 

 以上、今回の実験はマウスの動脈硬化プラークをex vivoで観察したものですが、動脈硬化プラークの軟部組織を感度高く評価することが可能であり、屈折率/物質密度というパラメーターがプラーク内組成を評価する新しい定量的な指標に成り得ることを明らかにしました。今後ヒト動脈硬化プラークの観察を行い、組織学的評価と屈折率/物質密度を対応させることで、ヒト動脈硬化プラークにおいて脂肪沈着領域を判定する適切な屈折率/物質密度の検討を行う予定です。

 

3-3. 脳神経ネットワークイメージングの試み

 人間の脳には、神経細胞が一千億個以上存在し、それらがお互いに情報をやりとりすることで、脳の高次機能が保たれています。これまで、電気生理学や分子生物学の発展により、単一ニューロンの性質は詳細に研究されてきました。しかし、単一ニューロンの性質だけで、我々の認知機能などを説明することは困難です。それは複数のニューロンが至るところで結合し、その情報をやり取りする過程で、新たな機能が生み出されているからです。脳の高次機能は、脳内の神経回路ネットワークがある条件を満たすことで創出されると考えられます。その条件を明らかにすることで、脳高次機能の理解はよりいっそう進み、人間がいかにして記憶や言語などを巧みに操るのかを解明する道筋ができます。

 脳内の神経回路ネットワークがどのような配線構造をとっているのか、その解答を提出するのは容易なことではありません。しかし、神経回路の配線図をいかにして再構築するべきかという議論は、世界的にまき起こっています。その一例として代表的なのは、“Human Connectome Project(ヒトコネクトーム計画)”です。Spornsらが2005年にこの“Connectome”というコンセプトを打ち出してから、脳の神経配線構造の詳細を明らかにしようという動きが活発化しています。彼らはMRIの拡散テンソル画像(DTI)を用いて、ヒトの神経配線構造をラフな形で提示し、そのネットワーク構造を分析しています。しかし、DTIの空間分解能はmmの単位であり、1 voxel当たりに含まれる神経細胞の数は5〜7000個相当に及びます。従ってこの手法では、ニューロンが実際にどのような配線構造を持っているのかを明らかにすることはできません。

 ニューロンを精細に観察するためには、顕微鏡技術が必須です。別の研究グループでは、空間分解能が高い電子顕微鏡を用いて、神経回路の配線図を再構築しようと考えていますが、ニューロンの配線図を同定するためには、大規模な観察視野が必要となります。そのため、電子顕微鏡で作成しなければならないスライス切片数は、ヒトの場合、数兆枚にも及び、研究者が手動で処理できる能力を大幅に超えているため、ある程度自動化された手法の開発が試みられています。電子顕微鏡による観察では、シナプス部位を同定することができるため、ニューロンの結合を精確に記述することができます。しかし、電子顕微鏡の観察が全自動化されたとしても、神経配線図の全貌を明らかにするためには、マウスでも約6千万枚のスライス切片が必要となり、現実的な数字ではありません。我々ヒトを含めた詳細な“Connectome”を解読するには、MRIレベルの大視野をもちながら、電子顕微鏡レベルの高分解能観察が必要となります。

 これまで神経科学の領域で使われてきた観察技術を用いて、“Connectome Project”を完了することは哺乳類において、ほぼ絶望的です。これを乗り越えるためには、革新的な技術が必要となります。水谷はその候補の一つとして、高輝度X線を用いたイメージング法を提案しています。X線は物質透過性が高いため、大きな物体の内部構造を非破壊的に観察することができます。また、CTを併用すれば、3次元構造も測定でき、MRIと同様な断層撮影を可能とします。同時に、X線を光源として顕微鏡を構築すれば、高分解能のX線顕微鏡を組み上げることができます。そこで、X線顕微鏡にCTを組み合わせることで、哺乳類神経回路網の3次元立体構造および結合様式を計測することが可能なのかを検証しています。

 これまでの実験において、次のような結果を得ています。X線吸収投影像の観察により、0.6 × 0.6 × 2.5 mm(0.9 mm3)のブロックサイズに含まれるマウスニューロン(ゴルジ染色)の観察が可能となりました(図5)。分解能と感度を向上させるために、タルボ型の位相X線顕微鏡を構築し、CTを用いてニューロンの3次元再構築を行いました(図6)。本顕微鏡により空間分解能は500 nmにまで上昇しましたが、目標となる理論分解能には届きませんでした。将来的には空間分解能10 nmを達成することが目標です。シナプスの可視化に必要な分解能は10 nm、神経機能ユニットとして考えられている皮質カラム構造の直径は約1 mmです。つまり、試料の厚さや視野が1 mm近くのものを分解能10 nmの顕微鏡で観察しなければなりません。高分解能かつ大視野観察が可能なX線顕微鏡を用いることで、電子顕微鏡やMRIでは達成できない哺乳類の“Connectome Project”を推進すれば、将来的に“Connectomics”という新しい学問を生み出すことが期待されます。“Connectomics”とは、「コンピューターを用いた高速な高分解能神経画像の取得、神経回路セットまたは中枢神経系全配線図の解析、その結果として得られる配線結合状態のデータベース化、及び、そのデータを利用した神経科学的研究」です。現在、Connectomeの解析は実現していませんが、神経回路ネットワークが一部でも定量化されれば、配線データを用いた解析により、神経ネットワークの機能を裏付けることができるようになります。本研究は“Connectomics”創成のための萌芽研究的意味合いが強く、目標達成には多くの時間を要しますが、神経回路を基本とした脳機能や、回路損傷によって起こる脳機能障害を考察する上では不可欠なものです。

 

 

図5 マウス海馬領域における神経細胞の投影吸収画像。水銀を用いたゴルジ法により、一部の神経細胞を染色している。

 

 

 

図6 マウス大脳皮質2/3層に存在する錐体型神経細胞。タルボ型位相X線顕微鏡CTを用いて、神経細胞の3次元再構築像を得た。

 

 

 

参考文献

[1] A. Momose, I. Koyama, Y. Hamaishi, H. Yoshikawa, T. Takeda, J. Wu, Y. Itai, K. Takai, K. Uesugi and Y. Suzuki: J. Phys. IV 104 (2003) 599-602.

[2] A. Momose, W. Yashiro, Y. Takeda, Y. Suzuki and T. Hattori: Jpn. J. Appl. Phys. 45(2006)5254-5262.

[3] A.Momose,W.Yashiro,M.Moritake,Y. Takeda,K.Uesugi,A.Takeuchi,Y.Suzuki,M.Tanaka and T.Hattori: SPIE Proc. 6318 (2006) 63180T.

[4] M. Shinohara, T. Yamashita, H. Tawa, M. Takeda, N. Sasaki, T. Takaya, R. Toh, A. Takeuchi, T. Ohigashi, K. Shinohara, S. Kawashima, M. Yokoyama, K. Hirata and A. Momose: Amer. J. Physiol., Heart and Circulatory Physiol. (in press).

 

 

 

伊藤 敦 ITO Atsushi

東海大学 工学部 エネルギー工学科

TEL:0463-58-1211 ext.148 FAX:0463-50-2017

e-mail : aeito@keyaki.cc.u-tokai.ac.jp

 

百生 敦 MOMOSE Atsushi

東京大学大学院 新領域創成科学研究科 物質系専攻

TEL:04-7136-5470 FAX:04-7136-4058

e-mail : momose@exp.t.u-tokyo.ac.jp

 

篠原 正和 SHINOHARA Masakazu

神戸大学大学院 医学系研究科 循環器内科学講座

TEL:078-382-5846 ext.5846 FAX:078-382-5859

e-mail : shinodoc@med.kobe-u.ac.jp

 

水谷 治央 MIZUTANI Haruo

東京大学 総括プロジェクト機構 学術統合化プロジェクト

TEL:04-7136-3973 FAX:04-7136-4100

e-mail : mizutani@cb.k.u-tokyo.ac.jp

 

 

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