Volume 10, No.2 Pages 131 - 135
5. 談話室・ユーザー便り/OPEN HOUSE・A LETTERS FROM SPring-8 USERS
SPring-8産業利用についての私見
SPring-8利用推進協議会 研究開発委員会 Research and Development Committee, Industrial Users Society of SPring-8
1.はじめに
筆者は、SPring-8放射光の産業利用を促進するユーザー企業の団体であるSPring-8利用推進協議会の研究開発委員長として、SPring-8産業利用の促進に関わってきた。その経験を踏まえ、SPring-8産業利用の効能を明らかにし、その積極的活用のための私見を述べる。
SPring-8の建設は我が国の先駆的技術基盤のポテンシャルアップを狙った国家施策として多大の投資を国自らが行ったものである。こうした投資に基づく技術を将来の産業振興及び地域開発に生かすべきであるが、一般的な産業界の直観的な通念からは難解とも思われるので、この先駆的技術の活用のためには、解決すべき課題と、その解決のための具体的方策を明確にすることが肝要であろう。
SPring-8に関連する技術の先端性と共に付随する複雑な多様性に根差す多くの課題をシステムとして効率よく解明するためには、国、地元、あるいは学会や産業界の多面的な連携が不可欠と考える。この連携を支援し、これを更に全国規模に展開するためにも、今後、SPring-8の産業利用企業の団体であるSPring-8利用推進協議会が果すべき役割も大きくなると思われる。
SPring-8の供用開始以来、コーディネーターを中心とする財団関係者、あるいは兵庫県立大学等の関係者の努力によって基盤的機能の充実と、いくつかの分野展開の拡充に実績をあげており、その状況は各資料で報告されてきたが、国の総合科学技術会議の流れを見ても、SPring-8産業利用をより積極的に促進していくべき段階に来ているかと思う。
2.産業界にとってのSPring-8の意義
放射光施設は、高額投資を要する施設であるにも関わらず、世界でもすでに多くの施設が設置されており、計画中の施設も含め我が国も例外ではない。それはとりもなおさず放射光施設がそれまでのX線源をはるかに凌駕する性能を有し、その能力が故に学術面においても産業利用面においても、技術の革新を促し飛躍的な発展を期待させるものであることを示唆している。
中でも、SPring-8は米国のAPS、欧州のESRFとともに先進3極を形成し、世界最高性能を誇る放射光施設である。SPring-8は供用開始後すでに8年近くを経過しているが、その有益性は年と共に研かれ、中・長期にわたって優れた機能を発揮しつつある。特に学術面においては、すでに多くの成果が得られ世界に発信されており、SPring-8の高性能が世界的にも認められ、学術領域の拡大とその深化に国際的にも貢献していることは衆人の認めるところである。国がその建設当初の多大の投資に加えて年間100億円を超える運転資金の負担を継続していることは、その有益性を国としても認承していることを物語っており、この施設の活用においては、産業界もその負託に応える一翼を担わねばならない。
(1)産業利用の成果
SPring-8は学術研究に極めて強力なツールであることは論を俟たないが、産業利用にも有用なツールであることが、トライアルユースやその他の産業利用研究において証明されつつある。特に微小領域分析のツールとしてそのカバーする分野は多岐にわたり、例えば、エレクトロニクスはもとより、ナノ材料、蛋白質構造解析、創薬関連構造解析、電池材料、高耐久性材料(耐熱、耐食、耐疲労など)、触媒、高分子化学、複合材料、環境関連材料など枚挙に暇がない。特に物質のナノ領域における構造解析は放射光の高性能を際立たせた分野として注目に値するものである。
近年、DNAや蛋白質等の研究分野での結晶構造解析の重要性が認識され、この分野に飛躍的な発展をもたらしつつある。一方、鉄鋼材料のような構造を主体とした利用分野では、元来、亀裂伝播特性を捉えて破壊を類推する世界であったが、現在では、鋼材の超高強度化および高温、腐食、多重サイクルなど耐環境性の一層の向上の要求から、微小構造の亀裂発生形態・因子解明の必要性に対する認識が高まっている。微小変位、微小部の応力評価や格子構造の態様を把握するために放射光が有効なツールとなりつつある。
こうしたことは、薄膜、スーパーハイテン、スーパーセラミックス、複合材等多様な材料のR&Dにも適用され、それが新しい材料開発に繋がっていくことが期待される。これ以外にもリチウム系二次電池や触媒・環境問題の解決に構造解析技術の有用性が発揮されつつあることは注目に値しよう。先般問題となったBWR(沸騰水型発電炉)でのSCC(応力腐食割れ)防止の懸案についても、こうしたナノレベルの機構解明と防止のメカニズム解明が対象案件として潜在しているのである。
解析で得たミクロの構造がどのような機能と応用に結びつくかを論理的に示すことは多くの場合困難である。産業界にミクロ構造解析への理解を促すためには、直感的にものになりそうであることを信じる研究者や彼らを果敢にサポートする指導者が存在することなど、“新しいDOGMA”の創成が求められていると言えるのではなかろうか。
(2)製品開発プロセスの革新
こうした構造解析技術の進歩は将来製品の開発プロセスにも革新をもたらすものであることを予感させる。
従来、製品の開発プロセスは、まず対象となる物質材料があり、それが発現する機能を知って、その利用法を考案し、結果として製品として結実するものであった。この際、その物質材料がなぜそのような機能を発現できるのかは必ずしも知る必要がないし、現実問題として知る術がないということが多かった。ところが製品を市場に供すると、想定外の問題が発生し、場合によってはそれがその製品の致命的欠陥に発展することがある。そこで初めて物質材料の機能発現のメカニズムを調べる必要性が認知されるのであるが、それには多大の費用と時間を要し、こうした製品開発は全体として捉えるとき効率的とは言い難い。
放射光の出現により、物質の構造が従来より飛躍的に詳細に調べられるようになったが、これは研究のみならず 将来の製品開発プロセスに変革をもたらすことを予感させる。すなわち開発プロセスの中に材料の構造解析を組込むことにより、製品開発の新領域創出、あるいは目標限界の確立、開発後のトラブルの未然防止に合理性を発揮出来る製品開発プロセスである。
製品にもよるが、将来的には製品の品質保証のさらなる向上を求めて、このような開発プロセスが普及していくのではないかと思われる。SPring-8はその変革に大きな役割を果すことができるのである。
(3)産業の活性化
このように放射光は多岐にわたる領域において産業界の基盤技術底上げに貢献でき、産業の活性化を促すものと思われる。産業界の新たな技術は企業の業績向上を促し、それによる雇用の拡大、場合によってはSPring-8を活用したベンチャーの育成や人材育成事業におよぶなど、副次的な成果も期待できる。
特に、これまでSPring-8の立地県となった兵庫県は、国の投資に応える形で様々な投資をSPring-8兵庫県ビームラインやニュースバルの建設、および播磨科学公園都市におけるインフラ整備という形で行い、産業を支援し、さらに新産業創造基盤の確立に寄与してきた。このような産業活性化は一地域に留まることなく、地域を発信源として全国展開することも予想できる。兵庫県には、科学立県の名の下に、産業界における先端技術の全国展開への発信拠点としての役割を期待したい。
3.産業利用拡大のための課題と施策
産業界がSPring-8を活用して、その技術向上を効率的に実施する上で、解決すべき課題をいくつか挙げることができる。
(1)専門的人材の育成
SPring-8利用には専門的知識を有した技術者が不可欠である。現在SPring-8を利用している企業の中で、成果専有型で自主開発を進める企業は自己充足で人材確保が可能と思われるが、今後、多くの企業参加と成果の拡大を図れば、多分野のスペシャリストに依託出来る体制をSPring-8の中に整備することが求められる。
(2)目的意識と具体的事業達成の目論見の作成
産業界がその発展のために何を求めているのか、その目的達成のためにどのような技術開発が求められているのかを明らかにする必要がある。そうでなければ、研究はただ研究のための研究に終わってしまう。学術的見地からはそれでもよいかもしれないが、産業利用を指向するとき、目的意識と具体的事業達成の目論見をもって研究を進めることが必要である。目的開発の効率的実施には、各社の中の主体的研究開発と解析技術とのコンカレントな連携が不可欠である。SPring-8放射光という新しいかつ強力なツールにより新しく出現した解析技術を開発にどのように生かしていくのか、従来とは異なる視点での創意工夫が必要とされている。
(3)企業横断的編成による共通部門の協調
SPring-8放射光は様々な分野での利用が可能である。したがって今まで特定分野でのみ培われてきた横断的技術あるいはツールとしての解析技術が、放射光利用のステージでは、縦割り的な利用分野間の壁を越えて波及効果を発揮して普及していくと思われる。また学術型R&Dにはない産業型R&Dの新しい切口、あるいは大手企業は勿論、有能なベンチャーをも対象としたR&D形式の具体化が必要となろう。
4.課題解決のために
上記のようないくつかの課題を解決し、SPring-8の産業利用を効率的に推進していくためには、そのための枠組みを構築し、具体的に実行可能ならしめるための環境整備が必要である。このために実施すべき施策として、次のようなものが考えられる。
(1)産・学・官の各関係機関の一層の協調と一体運営化の推進
SPring-8の産業利用は、国や県の施設を使用した先端的かつ基盤的研究であり、技術的課題とともに政治的課題をも包括的に含んでおり、その効率的推進には、産・学・官の協調が必要である。具体的には、国(JASRI)、地域(兵庫県等)、大学(兵庫県立大学等)、および産業界(SPring-8利用推進協議会等)の連携を強化し、産学官一体となったSPring-8産業利用運営を行わねばならない。そのために、各機関の代表者が集まり、定期的な会合を開き、互いの継続した意思疎通を図るようなことを考えてみるべきである。
(2)トライアルユースの継続とその発展的実施
試験的に開始されたトライアルユースは、SPring-8産業利用の裾野を広げるためには極めて有効な手法であることが確認されて制度化されたが、それが産業利用の新分野ならびに新規参入企業の開拓に果たした役割は大きい。その有用性は今後共持続すると思われるので、そのフォローならびに産業利用としての目標達成迄の新展開について十分に検討がなされ、本制度の将来にわたる実施とその発展的展開がなされるよう求めたい。またこれから発生した有望なテーマについては、さらに深化させるため、トライアルユースの枠組を離れ、個別の重点課題テーマとして実施できるような新たな枠組の構築が必要であると思われる。
(3)サービス機能の開拓
SPring-8における受託分析、実験支援等のサービス機能の充実は産業利用に関して便宜性と機能充実上重要な課題である。これについてはJASRIにも努力していただいているが、産業界としても努力を惜しむべきではない。海外施設の現状等を参考にして、それぞれの制度の違いを踏まえた上で、必要な専門分野を開拓し、我が国独自のシステムを構築していくよう努力すべきである。
(4)知的所有権、データベース等の充実
知的所有権は企業活動として実施する研究開発の成果の一つであり、この成果の帰属等をめぐって企業の研究意欲がそがれることがあってはならない。その一方でデータベースの構築は、企業情報の開示という痛みを伴うものであるが、SPring-8のような多分野での利用が可能な施設にあっては、先端技術要素開発に関連して、その普及と研究開発の効率的促進という観点から極めて有用である。これらを適正に組合わせ、企業の研究意欲をそぐことなく利用推進を効率的に進めるような枠組構築のために産業界の知恵を結集することが望ましい。
(5)実験プロセスの効率化
企業活動の一環としてなされる研究開発においては、研究開発そのものにも生産性が要求される。SPring-8を利用した研究においてもそれは変わらない。実験のコストを半減は勿論、桁外れに低減し、情報処理システムの高度化や多分野・多角的な専門分野に要する付帯設備を積極的に導入して実験プロセスの高度化と効率化を図ることは、持続的なSPring-8産業利用に不可欠である。
現有の共用ビームラインでは、実験プロセスの自動化の点でまだ解決すべき点があると思われる。様々なニーズに対応しなければならない共用ビームラインの性格を考慮すれば、一律の自動化は困難な点もあるが、産業界で培ってきた製造プロセス自動化技術を参考に、実験プロセス効率化に向けた検討ができれば理想的である。
(6)産業用ビームラインの整備
現在産業界が運営する専用ビームラインとして、サンビーム2本および創薬産業ビームライン1本があるが、これらはそれぞれの共同体のメンバー企業のみが使用可能である。また、兵庫県の専用ビームライン1本があり、兵庫県はさらにもう1本の専用ビームラインを建設中である。しかし一般ユーザーが共用使用できるビームラインとしては、産業利用ビームライン(BL19B2)しかなく、トライアルユースなどで、様々なユーザーニーズに対応するため他の共用ビームラインも使用しているが、今後とも増加していくと予想されるユーザーニーズに対応するためにはビームラインの不足は否めず、特に輝度の高い挿入光源ビームラインの新たな設置が必要であろうと思われる。
いずれにしても、産業用ビームライン増設は産業利用の多様化に対応しようとするものであり、従来のような学術的な予算に頼ることは難しい。他の関係機関からの資金導入を図るような方策も講じていくべきであろう。
(7)人材育成と資格規定の創出
産業界の積極的R&D取組みを促すためには、それに要する専門的人材の充足と活用の高度化が不可欠である。この目的のために、特に兵庫県立大学には、その役割の強化策としてこれ迄力を発揮されて来た放射光利用機能(ソフト中心)の役割に加えて、放射光運用機能(ハード、オペレーションソフト、メンテナンスなど)に対する専門的人材育成の役割を担った特別教科の新興を求め、この人材育成と共に、デファクトスタンダードを狙った技術者資格規定の創出などが必要である。
(8)広域ネットワークの構築
放射光利用技術の多面的多機能性を考慮すれば、この先端技術要素開発の情報の核(CLUSTER & COE)として、広域ネットワークを国内・外に構築しその育成を図っていくことにより、新しい基盤技術の開拓に大きく貢献することができよう。'03年度からスタートしている兵庫県地域結集型研究開発事業などはこのネットワーク構築の兵庫県における出発点ともなり得る事業かと思われる。
(9)利用可能手法と信頼性の明示
SPring-8は極めて強力な解析ツールではあるが、勿論万能ではない。ではどのような場合に有用であり、その優れた性能を享受できるのかを明らかにしておく必要がある。やってみなければわからないのでは、企業活動としての研究には不向きである。一般のユーザが参照できるような形で利用可能な手法とその信頼性を標準OSの整備等で明示しておくことが必要である。
(10)公的機関、産業界等への事業性のPR
SPring-8は先端的なツールであり有用なものであるが、産業界におけるその位置付けは、一部の先端的分野を除いて、まだ確立されたものとは言いがたい。産業利用の底辺を拡大し、その向上を促すためには企業トップの意識改革が不可欠である。そこでSPring-8利用の事業性との関連を、サクセスストーリーを含め、公的機関や産業界への積極的なPR活動を行うべきである。企業トップ向けシンポジウムを開催するなどPRの場を設ける他、メディア・シンクタンク等をうまく活用するなどの工夫をこらして進めることが望ましい。さらに経済的効果の試算等、業界の注目を喚起し、また適当なメディアや記者との交流も大切なことである。
(11)総合的体系的枠組としての進化
以上の諸項を包括して、体系的な枠組み、あるいは機能構成のあり方を明確にすることが必要である。黎明期には、端緒開拓型で適宜推進し得たが、この大型複合システムとしての特質から、システム開拓のプロセス技術を適用すべき時期に来ていると考える。すなわち、例えばTRITZ相当の項目リストを抽出し、これをマトリックス化し、シーズ・ニーズの適合性、将来予測、基本OSのトレンド、極点予測等基幹領域の体系整備をして、これ迄の成果の評価及び位置付けを描画、脚色することが求められる。さらに、利用系の産業利用の業界ニーズについても、材料、部品、構成機器、製品等に組込まれるべき、技術ニーズのミクロ領域の構成要素の構造特性の開発方策を整理し、これに対する解析技術の影響因子を抽出することによって、技術進展方向の予測に有効な概念を具体化することが出来るであろう。
こうした体系化による一般への情報提供は、SPring-8を核とする技術領域の社会的ステータスを向上させるものと確信する。
5.SPring-8利用推進協議会の充実
上記諸施策を展開し、実効あるものにしていくためには、前にも述べた、国、原研、理研、地域、大学、産業界の意志疎通と連携が不可欠である。産業界に関して言えば、現状の協議会では明らかに力不足の感は否めない。そこで、今後は、協議会の一層の充実を図り、その存在意義を明確にしていく必要がある。
まず、有力企業には継続的活動をお願いし、それとともに新参入企業(例えばトライアルユースへの取組みにより新規にSPring-8利用者となった企業)の協議会への呼込みによる会員の増加を図るべきである。また、それとともに学・コーディネーター・シンクタンク等支援団の組込みと協調を図り、そのネット・クラスターの創出・活用・強化により協議会の枠組みを拡大する必要がある。
また、これ迄も数年に亙る研究会の漸増は利用者開拓に大きく貢献して来たが、更なる研究会等分科会の強化ならびに新分科会の創出を積極的に行い、ネット・クラスターの充実とデータベースや知的所有権の領域毎の強化を図る。こうして産業界における協議会の位置付けをより強固なものにしていき、各企業担当者の活動基盤を明確にし、継続的活動を促したい。
なお、協議会の活動を多面的にかつ円滑に進めるため、受益者負担に応じた会費のウェイト付けなど、現在の会費制度を見直し、協議会の経済的基盤をより強固にするような方策を検討するのも一案である。そのためには、前項に述べたように、放射光利用に対する企業トップの理解を得るなど、産業界からの資金調達のための具体策を策定する必要がある。
こうした新しい試みを実現させるために、これ迄の年度計画に加えるに、体系的枠組を表現する長期的ビジョンの明示と、個別トレンドを具体化する中期的企画が有効と考える。
6.むすび
以上、SPring-8産業利用について思うところを述べた。放射光産業利用の成果は次第に上がってきており、新しい開発領域が生まれつつある。今後も更に成果が積み重ねられ、放射光活用領域が益々深化かつ拡大していくことを期待する。このような事例からの類似・汎用化を図り、周知せしめることにより、日本の放射光利用機能が世界に冠たるものになるべく指向したいものである。
なお本稿は、産業利用推進に関するやや抽象的概念に近い課題の抽出羅列に終始したために判り難い面が多いと思う。今後、特色のある個別事項毎に、関係者と共に具体的内容を展開し、有効な手段を開拓すべきと考える。
以上
須清 修造 SUSEI Shuzo
川崎重工業㈱ 顧問
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