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Volume 09, No.2 Pages 145 - 148

5. 談話室・ユーザー便り/OPEN HOUSE・A LETTERS FROM SPring-8 USERS

あはれなる野磨駅家を訪ねて〜上郡町・落地飯坂遺跡〜
Orochi-iizaka Ruins in Kamigori

船曳 篤子 FUNABIKI Atsuko

(財)高輝度光科学研究センター 利用業務部 User Administration Division, JASRI

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 私の母の実家は、上郡町の西の端、岡山県との県境も近い上郡町梨ヶ原(なしがはら)、落地(おろち)という田舎の集落である。緑豊かな上郡の中でも、ひときわ自然が多く、私も幼いころ、近くの山や川、雑木林でよく遊んだものだ。その雑木林の土地は、古くから地元の人に源氏屋敷と呼ばれていた。なぜそう呼ばれているのかはっきりしないことから、私は、ひょっとしてこれは由緒正しい場所ではないか、昔のお金持ちの屋敷跡で、お宝でも埋まっているのじゃないかしら、などとよく考えたものである。実際に、昔から掘ったら瓦がたくさん出てきたとか、井戸があったらしいという話も叔父や叔母から聞いたことがある。奈良時代の寺院跡と想定されたこともあるらしいが、私にとっては寺院跡よりお金持ちの屋敷跡の方が魅力的に感じられた。


 そんな私の淡い期待もむなしく、平成14年度からその地の本格的な調査が始まり、平成15年7月に調査を担当した上郡町教育委員会より、その遺跡は古代山陽道の野磨駅家(やまのうまや)の中心施設跡であると発表された。


駅家(うまや)

 駅家(うまや)というのは、奈良時代、中央集権体制による地方の支配を円滑に行うため、全国に整備された駅路(えきろ)と呼ばれる道路沿いに設置された施設で、その目的は、駅路(えきろ)を往来する役人らに対しての馬の乗り継ぎや食料の支給、宿泊所の提供などである。通常は、16kmごとに設置されたが、山陽道は、大宰府と都とをつなぐ道として最重視されていたために約8kmごとに設置されていた。大宰府と都を往来する外国の使節が利用するため、瓦葺で白壁の建物として整備されたことが判っている。

 8kmごとにあるのなら、全国どこにでも在りそうだと思われがちである。実際全国に400ヶ所以上存在していたとされているが、当時の街道は現在も主要道として使われていることが多いことから、そのほとんどが後世の開発により失われていたり、分からなくなっていたりして、現在駅家(うまや)と確定している遺跡は「布勢駅家(ふせのうまや)」である龍野市の小犬丸遺跡だけであるそうだ。気にもとめず、ただ通り過ぎていただけの小犬丸遺跡も、そう考えるとすごかったのだと改めて認識した。今回発見された遺跡は、奇跡的に開発から逃れ、保存状態が非常に良いため、今後駅家(うまや)の構造や機能の解明に役立つことが期待されているらしい。




播磨の古代山陽道と駅家(うまや)

出典(龍野市教育委員会『布勢駅家』)



今昔物語集と枕草子

 遺跡に興味をお持ちの方は、これだけでも落地飯坂(おろちいいざか)遺跡が貴重であることがお分かりいただけるかと思うが、もうひとつ、興味深い話がある。なんとこの野磨駅家(やまのうまや)は、一千年前の説話の舞台だったというのだ。今昔物語集第14巻に登場する大蛇(おろち)伝説がそれである。そして、落地(おろち)という珍しい地名は、まさにその伝説からきているのだそうだ。


 金峯山の僧転乗(てんじょう)は、幼いころから法華経を習い、全8巻のうち6巻までを覚えることができた。しかし残りの7、8巻がどうしても覚えられず悩んでいたところ、夢枕に夜叉の姿をした人が現れ、「7、8巻が覚えられないのは、汝の前世が毒蛇(おろち)であったころの宿縁によるものだ」と語った。それは、転乗の前世は、播磨国赤穂郡の山駅(野磨駅)(はりまのくにあこうのこおりやまのうまや)を巣にしていた長さ3尋半(約6.3m)もある毒蛇(おろち)で、ある夜、駅に泊まった聖人を食べようとしたところ、毒蛇(おろち)のことに気づかない聖人が法華経の読経を始めた。法華経を聞いた毒蛇(おろち)は、聖人を食べるのをやめ、目を閉じ、一心に聞いていたのだが、6巻を読み終えたところで夜が明け、聖人は7、8巻を読まずに駅を出発してしまった。人を食べることをやめ、法華経を聞いたおかげで、毒蛇(おろち)は人に生まれ変わることができ、法華経を読経する僧侶となったのだが、前世で7、8巻を聞いていないため覚えることができないのだ。一心に精進して法華経を読誦すれば、今生では願うことがみなかない、後生では生死の苦を離れることができよう。という内容であった。そこで転乗は深く道心を起こし、一層熱心に法華経を読誦するようになった。


 この毒蛇(おろち)の話を伝え聞いたのか、清少納言は、枕草子の中で、次のように記した。


 駅は梨原、望月の駅。山のうまやは、あはれなりしことを聞きをきたりしに、又もあはれなることのありしかば、なほとりあつめてあはれなり。(225段)


 なんと野磨駅家は、あはれなる駅の代表として枕草子にも登場していたのである。

 (中学時代、枕草子の冒頭部分を暗記させられた記憶はあるが、あの冒頭部分よりも地元に関係のあるこの部分を暗記させるべきだと、私はこの話を聞いて思った。)


 今昔物語集 巻第一四


   金峰山僧転乗、持法花知前世語第一七

 今昔、金峰山僧有ケリ。名ヲ転乗トゾ云ケル。大和国ノ人也ケリ。心極テ猛クシテ、常ニ嗔恚ヲ発シケリ。幼ノ時ヨリ法花経ヲ受ケ習テ日夜ニ読誦シテ、暗ニ思エ奉ラムト思フ志有テ年来誦スルニ、既ニ六巻ヲバ思エヌ。其レニ、七・八ノ二巻ヲバ思エ奉ラムト為ル心無シ。而ルニ、「尚、七・八ノ二巻ヲ思エム」ト思テ誦シ浮ブルニ、年月ヲ経ト云ヘドモ更ニ思ユル事無シ。転乗然リトモト思テ、強ニ七・八ノ巻ノ一々ノ句ヲ二三反ヅヽ誦スルニ、更ニ、不思エズ。然レバ、転乗蔵王ノ御前ニ参テ、一夏九十日ノ間籠テ、六時ニ閼伽・香炉・灯ヲ供ジテ、毎夜ニ三千反ノ礼拝ヲ奉リテ、此ノ二巻ノ経ヲ思エム事ヲ祈請フ。

 安居ノ畢ノ比ニ成テ、転乗、夢ニ、竜ノ冠シタル夜叉形人也、天衣・瓔珞ヲ以テ身ヲ荘テ、手ニ金剛ヲ取リ、足ニ花蕊ヲ踏テ、眷属ニ被囲遶レテ来テ、転乗ニ告テ云ク、「汝ヂ縁無ニ依テ此ノ七・八ノ二巻ヲ暗ニ不思エズ。汝ヂ前世ニ毒蛇ノ身ヲ受タリキ。其ノ形チ長ク大ニシテ三尋半也。幡磨ノ国、赤穂ノ郡ノ山駅ニ住シキ。其ノ時ニ、一人ノ聖人有テ其ノ駅ノ中ニ宿ス。毒蛇棟ノ上ニ有テ思ハク、「我レ飢渇ニ会テ久ク不食ズ。而ルニ、希ニ此ノ人此ノ駅ニ来宿セリ。今此ノ人ヲ我レ可食シ」ト。爰ニ、聖人蛇ニ被食ナムト為ル事ヲ知テ、手ヲ洗ヒ口ヲ濯ギ、法花経ヲ誦ス。毒蛇経ヲ聞テ、忽ニ毒害ノ心ヲ止メテ、目ヲ閉テ一心ニ経ヲ聞ク。第六ノ巻ニ至ル時、夜曙ヌレバ、七・八ノ二巻ヲ不誦ズシテ、聖人其ノ所ヲ出デ、去ヌ。

 其ノ毒蛇ト云フハ、今ノ汝ガ身也。害ノ心ヲ止メテ法花ヲ聞シニ依テ、多劫ヲ転ジテ人身ヲ得テ、僧ト成テ法花ノ持者ト有リ。但シ、七・八ノ二巻ヲ不聞ザリキ。故ニ今生ニ暗誦スル事ヲ不得ズ。亦、汝ヂ心猛クシテ常ニ嗔恚ヲ発フ事ハ、毒蛇ノ習気ノ也。汝ヂ一心ニ精進シテ法花経ヲ可読誦シ。今生ニハ求メム所ヲ皆得テ、後生ニハ生死ヲ離レム」ト云フ、ト見テ夢メ覚ヌ。

 転乗深ク道心ヲ発シテ、弥ヨ法花ヲ誦ス。遂ニ転乗、嘉祥二年ト云フ年、貴クシテ失ニケリトナム語リ伝ヘタルトヤ。


      『新日本古典文学大系』三五


 一千年前の説話の舞台が、まさにその説話にちなんだ地、梨ヶ原落地で、遺跡として発見され、自分がその地に立っているのだと思うと、なんとも言えず感慨深いものがある。


発掘状況

 上郡教育委員会が発表した遺跡の発掘調査状況と結果を簡単に紹介しよう。

 遺跡発掘調査は、平成14年度から16年度にかけての3ヵ年計画で行われている。14年度は地形測量やレーダー探査、電気探査などを行い、平成15年度は、前年度の調査結果を踏まえて発掘調査を行い、駅家(うまや)の中枢施設である正殿跡と西門跡、西側と北側の築地塀跡などを発見した。


 正殿跡は、遺跡の北側にある山の南斜面に接する一番奥まった部分の中央に位置していて、間口15m、奥行8.4mの東西に長く、礎石建ち、瓦葺、切妻造の非常に立派な建物であることが分かった。また、建物の北側に掘られた排水用の溝から出土した瓦の中には、一部赤い塗料が付着したものがあり、柱を赤く塗っていたことが証明された。出土した土器などの年代から、この建物は11世紀ごろまで機能していたと考えられる。

 西門跡は、間口8.4m、奥行4.2mの南北に長い建物で、礎石建ち、瓦葺の切妻造で、格式の高い八脚門といわれる形式の門であった。礎石がすべてもとの位置のまま発見されたが、中でも門扉を据える礎石には、扉の軸を受ける穴などがあけられた唐居敷と呼ばれる設備が造作されており、当時の門の構造までが復元できる貴重な発見となった。


 築地塀跡は、土を突き固めながら積み上げて上部に屋根を設けた構造の土塀で、地方の役所では非常に珍しく、国庁や城柵など一部の施設に限られており、山陽道の駅家(うまや)が重要視されていたことを示すものと考えられる。


 推定される駅家(うまや)の範囲は、南北100m、東西70mという大規模なものであり、今回発掘されたのは、中心施設跡の約300m2であるが、レーダー探査では、全体がほぼ完全な形で残っていることが分かっている。

 今後は、まだ確認されていない東と南の築地塀や、正殿以外の建物とその配置、山陽道と駅家の位置関係などを調査し、駅家としての全国初の国史跡の指定を目指す予定であるそうだ。




正 殿 跡




正殿北側溝から出土した瓦




西 門 跡




出土した播磨国府系瓦(一部)




落地飯坂(おろちいいざか)遺跡(上空から)



おわりに

 “源氏屋敷”には、幼いころの夢であった金銀財宝は埋まってはいなかったようだが、別の意味での貴重なお宝がまだまだたくさん埋もれているようだ。今後、その駅家(うまや)で働いていた人々の暮らしぶりなどもわかってくると、なおその遺跡が身近に感じられるようになるだろう。

 未来の光を創りつづけている皆様も、少しだけ息抜きをして、一千年前の伝説の舞台に立ってみませんか?その時代に生きていた人の息遣いが聞こえてくるかもしれません。ただし、今はまだ発掘途中なので、現場には何もありませんが。


謝 辞

 今回、この文章を書くにあたり上郡町教育委員会には資料の貸与・転載を許可していただき感謝いたします。


参考文献

[1]上郡町教育委員会『落地飯坂遺跡(野磨駅家跡)現地説明会資料』

[2]上郡町役場『広報かみごおり』8月~11月号(2003)

[3]龍野市教育委員会『布勢駅家』

[4]池上洵一著『新日本古典文学大系35 今昔物語集』岩波書店

[5]萩谷朴著『新潮日本古典集成 枕草子 下』新潮社



船曳 篤子 FUNABIKI Atsuko

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[ - Vol.15 No.4(2010)]
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