Volume 05, No.5 Pages 357 - 358
7. 談話室・ユーザー便り/OPEN HOUSE・A LETTER FROM SPring-8 USERS
醤油の里
Hometown of Soy Sauce
見知らぬ町が、慕わしい町になる予感があるとすれば、そのひとつは「香り」かもしれない。香りの出迎えをうける町などそう多くはないと思うけれど、龍野はその数少ない町のひとつだ。
JR本竜野駅
3年間、この町の高校に通ったことがあるのだが、今では近くて遠い町になってしまっていたので、今回の寄稿にあたり、ぶらり気ままに龍野の町中を探訪することにした。
龍野橋をわたり川沿いの道から狭い路地裏に入ると、醤油倉が軒を並べたという町筋になっている。どこからともなく漂ってくるこうじの匂い。
龍野橋
黒々とした焼板を高く巡らした白壁の倉が続く一角に、赤煉瓦の「うすくち龍野醤油資料館」がある。入館料10円というのに大いに惹かれ見学することに。
実際に工場として使われていた建物をそのまま資料館にしたというだけに、館内は今も醤油の匂いがこもっていて、江戸、明治期の道具類が、当時の作業場を再現し展示されており、同時に醤油の製造工程がよく分かる仕組みになっている。
うすくち龍野醤油資料館
案内役の方に醤油の歴史を説明していただき、工場内では時には道具を手に作業の仕草をまじえての案内に、醤油工場の雰囲気が現実感をともなって伝わってくる。
こんなにも身近にあり、大好きなお寿司にはかかせないものだというのに、なんの知識も持ち合わせていなかったようだ。お話を伺っているうちに、醤油の奥深さにすっかり惹きこまれていった。
中国山脈の水が集まって南下する揖保川が、次第に流れをゆるめるあたり、風土紀の昔には日下部(くさかべ)の里とよばれたこの龍野で、醤油作りがどう発展していったのか。
道具類
醤油の起源は古代にまでさかのぼり、営業として現在の主産地、龍野・野田・銚子・小豆島などに成立したのは今から約400年前の江戸時代なんだそう。
醤油は大豆と小麦、食塩を原料として、麹菌(こうじきん)の働きで発酵・熟成させてつくる。このように食べ物を微生物の働きで発酵させる利用方法は、いつからか人類が身につけた生活の知恵で、醤油のルーツをたどると大昔の『醤(ひしお)』に行きつく。醤は、魚介・鳥獣の肉や内臓、野菜などを塩漬けにして熟成させたもので、日本でも縄文時代にはすでに利用されていたようだが、本格的につくられるようになったのは、大和朝廷が誕生してから。アジアで発達した醤には、穀物を原料にした「穀醤(こくしょう)」と魚を原料にした「魚醤(ぎょしょう)」があるが、日本では「穀醤」が好まれ、独自の発達をとげて現在の醤油のルーツになった。現在の醤油に近いものがつくられるようになったのは戦国時代で、その頃からは庶民の間にも広がっていったということだ。
揖保川
山間部に産した質の良い大豆、播磨平野の豊かな小麦、そして手近な赤穂の塩は、清らかな水と穏やかな気候にめぐまれて生まれた。
さらに龍野を流れる揖保川の水は、全国まれにみる鉄分の少ない軟水で、その良質の水が、色の淡い、味の良い、しかも香りの高い淡口醤油をつくるのに最適だということ。京都の精進料理の味を支えたのは、正に龍野の淡口醤油なのだ。ちなみに、淡口醤油は、濃口醤油の塩分を2%ほど高くして(濃口は約16%)、醸造期間を少し短く、また火入れをさっとしてあるため、色、香りとも薄い醤油である。
仕込蔵(30石)
醤油の香りを分析すると、更に面白いことが。中でも多く含まれている「バニリン」はお菓子に使うバニラエッセンスの香りの主成分。だから、アイスクリームに少し醤油を落としたり、和菓子の餡子に少量醤油を加えると、驚いたことに大変おいしく食べられるというのだ。
早速、バニラアイスに醤油をかけて試食してみる。んんん? まずくはないけれど、市販のものだと、甘味や香りが強くて醤油の風味が完全に消されてしまう。更に醤油を加えてみると、決して美味しいとはいえない代物になってしまった。
今度は、甘味・香りを抑えた手作りのアイスに醤油をかけて再度、試食。美味と言わないまでも、そう悪くはない。となると、龍野名産の醤油まんじゅうが美味しいのは、実に納得のいくことなのだ。
今や、日本の食卓に欠かせないだけでなく、じつに多くの国で広く親しまれ、食文化の国際交流の担い手とさえなっている醤油。各国の代表的な料理や意外な食材に醤油を合わせることで、新しい味を発見できるかも。“美食の秋”を口実に、なんだか食欲が増進しそうな予感…。