Volume 05, No.4 Pages 266 - 270
3. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
レーザー電子光(逆コンプトンガンマ線)ビームの発生に成功
On the First Generation of Laser Electron Photons (Compton Backscattered γ-rays) at SPring-8
大阪大学 核物理研究センター、日本原子力研究所 先端基礎研究センター Research Center for Nuclear Physics, Osaka University
1.はじめに
光は波と粒子の二重性を持つ。このことは、プランクの熱放射式[1][1]M.Plank:Annalen der Physik 1(1900)719.や光電効果[2][2]A.Einstein:Annalen der Physik 17(1905)144.を習う時に教えられる。アメリカのコンプトンはケンブリッジ大学を卒業し、セントルイスのWashington大学で極めて巧妙なX線検出器を開発し、X線の結晶による散乱の精密測定を行なった。この測定結果は散乱X線がもとより長い波長を含みかつ、電子の反跳によってX線のエネルギーが散乱角度によって変化する実験事実を示していた[3][3]A.H.Compton:Phys.Rev.22(1923)409.。これが光の粒子性を実証したとされる、コンプトン効果である。コンプトンは光の粒子性の証明によって1927年のノーベル賞を得た。この後、1928年に電子に対する相対論的Dirac方程式を用いて、Klein-Nishinaが自由電子に対するコンプトン散乱の断面積を求めたことは良く知られている[4][4]V.O.Klein and Y.Nishina:Z.Phys.52(1929)853.。
さて、逆の場合、光速に近い電子と光との衝突はどうなるのであろうか? この場合は、走っている電子が、丁度、鏡のように光を跳ね返し、反射された光にエネルギーを与える。正面衝突で反跳された光、すなわち逆コンプトン光は、相対論的な空間の圧縮効果(ローレンツ効果)により、波長が圧縮される。電子エネルギーが大きくなればなるほど、すさまじい圧縮効果を得る。散乱光のエネルギーEγは
(1)
と書ける。ここで、Ee、ω0、θはそれぞれ電子エネルギー、光のエネルギー、正面衝突後に散乱された角度である。ローレンツ因子γ=Ee /mc2は上式を考える上でもっとも重要である。すなわち、逆コンプトン光のエネルギーは正面衝突の時、
となる。例えば、8GeV電子と351nmの波長を持つアルゴンレーザー光(ω0=2πhc/λ=3.5eV)の場合、そのエネルギーは2.4GeVに達する。照射したレーザー光のエネルギーを約7億倍増幅できるのである。
また、式1の は逆コンプトン光の特性を決定する。すなわち、逆コンプトン光(ガンマ線)は電子と同じ方向で非常に狭い角度(1/γ程度)にやって来る。8GeVの場合、 γ=16,000である。電子と光の衝突場所から100メートル離れた場所でも、逆コンプトン光は半値巾で±0.62cmの空間的広がりしかないことにな る。
これらの式の意味するところは重要である。すなわち、逆コンプトンガンマ線のエネルギーは電子ビームのエネルギーの2乗、エミッタンスは、ほぼ、電子ビームのエミッタンスで決定される。SPring-8は第3世代の放射光施設でも特に優れた、蓄積電子のエミッタンスを誇る世界最高の放射光施設である。このSPring-8の蓄積電子ビームの世界最高エネルギー(8GeV)及び極めて良いエミッタンスとレーザー光を組み合わせれば世界最高の優れたガンマ線ビームが期待できる[5, 6, 7][5]藤原 守、木梨 徹、堀田智明:日本放射光学会誌 10(1997)23.
[6]M.Fujiwara,T.Hotta,T.Kinashi,K.Takanashi,T.Nakano,Y.Ohashi,S.Daté,H.Ohkuma,and N.Kumagai:Acta Physica polonica B 29(1998)141.
[7]広瀬立成:日本物理学会誌 54(1999)862.。
われわれの研究グループは、大阪大学核物理研究センター、名古屋大学、甲南大学、京都大学、高輝度光科学研究センター、日本原子力研究所先端基礎研究センターなどと協力し、大型放射光SPring-8施設の専用ビームライン(BL33LEP)で、つい最近、世界最高の逆コンプトンガンマ線ビームの発生に成功した。その強度は毎秒106個以上に達しており、今後、容易に毎秒107に強度増強が出来ることを確認した。本稿ではそれまでに至る過程を紹介し、また、電子ビーム偏極に関する、最近の面白い測定結果も誌面を借りて紹介する。
2.レーザー電子光(逆コンプトンガンマ線)の発生と観測
この計画立案は平成6年から本格的に開始された。計画立案当初は、研究者仲間でも本当に施設を作り、実験に持って行けるのだろうかとの疑問の声が当然あった。平成6年から定期的にSPring-8、および核物理研究センターで計画実現のための技術検討会を開催し、SPring-8側からは熊谷、大熊、伊達、大橋さんらが計画の検討に常時参加し、核物理研究センターからは藤原や当時の博士研究員であった木梨、堀田さん、後に中野さんらが計画検討に加わった。逆コンプトン光発生に向けてのビームラインも当初の計画には無かったが、世界できわめてユニークな実験が可能になるとの信念に燃えて、計画が練られて今回の成功にいたったものである。SPring-8の上坪所長や、当時、大阪大学核物理研究センター長であった江尻センター長や原研先端基礎研究センター伊達センター長の積極的な応援や、全国の核物理研究者、文部省、科学技術庁、両事務サイドの支援を受け、平成9年度頃から実際の建設が始まった。
平成9年度には蓄積リングの一部の改造を終了し、10年度には、レーザーハッチ、実験室が完成した。完成した実験室と逆コンプトン発生の摸式図を図1に示す。レーザーハッチには25ワットのアルゴンレーザーが用意された。レンズと鏡を組み合わせ、約40メートル離れた衝突点でレーザー光の焦点が結ばれた。これらの装置は、平成11年6月初めにうまく用意ができた。平成11年7月の実験で、光と電子がうまく正面衝突すれば、逆コンプトン散乱による高エネルギーガンマ線は、鏡や真空窓に邪魔されることなく、大部分がレーザーハッチ内で観測できると研究者の期待は高まった。
図1 SPring-8での逆コンプトンガンマ線の発生に関する実験装置
a)SPring-8の8GeV電子蓄積リング内の電子・レーザー光の衝突点、b)レーザーを蓄積リングの電子ビームと衝突させるためのレーザー入射室(Laser hutch)、c)光核反応による核反応生成物(φ中間子など)を測定する実験室および測定装置。反跳電子エネルギーを測定するための電子タギング、レーザー光、逆コンプトンガンマ線が発生する様子がイラストとして挿入されている。d)PWO(PbWO4)検出器による高エネルギーガンマ線の測定原理。全体の検出器は9個のPWOシンチレータから構成される。ガンマ線からの電子・陽電子対創生、ガンマ線の多重発生によるシャワー事象を捕まえる。e)アルゴンレーザーと8 GeV電子ビームにより測定された逆コンプトン光エネルギー・スペクトル。
高エネルギーガンマ線ビームの強度を測定するためには、新しい測定装置が必要である。このため山形大学で最近開発したPWOと呼ばれる新型検出器を高エネルギーガンマ線観測に使用した[8][8]H. Shimizu et al.:Nucl. Instruments and Method in Physics Research A 出版予定.。PWO結晶は鉛タングステンの酸化化合物結晶である。密度が8.2g/cm3と大きく、NaIシンチレータ(3.67g/cm3)などと較べて、発光量1/10程度と少ないながら、高エネルギーガンマ線を測定するには最適である。
PWO測定器による高エネルギーガンマ線が入ってきた時のガンマ線シャワーの様子は図1d)に示されている。1GeVを越す高エネルギーガンマ線が物質にあたるとそのほとんどが電子・陽子対創生によって消滅する。また、出来た陽子・陽電子は高エネルギーなので、「なだれ」のようにさらに陽子・陽電子をつくる。この現象を利用して測定しようというものだ。PWOは9個に分割され、9個のシンチレーターの発光の様子を精密分析することにより、さらに1mm以下の空間分解能がでる。
実験で測定された逆コンプトン光のエネルギースペクトルが図1e)に示されている。得られたスペクトルはまさに、逆コンプトン散乱から予想されるようにエネルギーEの関数として平坦になっている。比較のために、制動輻射からのガンマ線スペクトルも同時に示しているが、これは最大エネルギーが8GeVの1/Eのほぼ双曲線のような形をしている。逆コンプトン光強度も毎秒106個以上となっていることが分かった。また、ガンマ線のエミッタンスも極めて良く、衝突点から40メートル離れた地点での広がりは水平方向で3mm、垂直方向で2mm以下となっている。これらの広がりはローレンツ因子から予想されるものとほぼ等しく、SPring-8での蓄積リング内で周回している8GeV電子ビームの指向性(エミッタンス)が極めて良いことも実証された(図2)。
図2 PWO検出器で測定した逆コンプトン光の広がり
左図:水平方向の広がり、右図:垂直方向の広がり
3.8GeV蓄積電子は偏極しているのか?
図1で示したように、実験装置建設の第一段階はほぼそのピークを終えた。現在、研究者の大きな努力によって、実験装置、作られた放射線検出装置[9][9]T.Nakano,H.Ejiri,M.Fujiwara,T.Hotta,K.Takanashi,H.Toki,S.Hasegawa,T.Iwata,K.Okamoto,T.Murakami,J.Tamii,K.Imai,K.Maeda,K.Maruyama,S.Date´,M.M.Obuti,Y.Ohashi,and H.Ohkuma:Nucl.Phys.A 629(1998)559c.の詳細なチェックが開始されている。8GeV電子が周回している蓄積リングの真空度は極めて良いとは言え、残留ガスはゼロではない。このガスに電子が衝突することによって出てくる制動輻射による8GeVに達するガンマ線が実験室にやってきている(図1参照)。これがPWO検出器では容易に測定出来る。
このガンマ線を用いた最近の面白い測定結果を一つ紹介しよう。蓄積リングの中で周回している8 GeV蓄積電子は偏極しているのか?というのが素朴な疑問である。ご存じのように蓄積リング中の電子は放射光を出しながら周回している。二重極電磁石で方向を少し変えるたびに少しずつ電子のまわりにある電場の雲が剥ぎとられてこれが放射光となって電子の進行方向に放射されるのが放射光の発生機構である。もし、そうであれば、電子はリングを周回中に連続的に一方向にキックされている筈である。電子はスピンを持つ、コマのようなものであるから、ある方向に絶え間なくキックを受ければそのスピンはやがて上の方向を向き電子は偏極する。丁度、コマが片方から連続的にキックを受ければ回転を続けるのと似たような機構である。
さて、問題は電子ビーム偏極の程度である。これは蓄積リングのパラメーターで決定されSPring-8の場合は約67%と推定された。どのようにして測定するか? 過去には、レーザーと偏極電子との逆コンプトン散乱でのTouschek効果を測定した例があった[10, 11, 12][10]D.B.Gustavson,J.J.Murry,T.J.Phllips,R.F.Schwitters,C.K.Sinclair,J.R.Johanson,R.Prepost and D.E.Wiser:Nucl.Instr.and Meth.165(1979)177.
[11]D.P.Barber et al.:Nucl.Instr.and Meth.A329(1993)79.
[12]K.Nakajima et al.:Phys.Rev.Lett.66(1991)1697.。
なんとか新しい方法でかつ、物理的にも重要な実験が出来ないかと知恵を絞り、偏極電子が残留ガスと散乱して制動輻射を出す時に偏極効果によって発生ガンマ線に空間的な非対称が現れることを考え出した。これは、カナダ・サスカチュワン大学Rangacharyulu、韓国ソウル国立大学大学院学生Kim氏などとの議論で、制動輻射の高エネルギー側のガンマ線に顕著な空間非対称が期待できることが、明らかになったことがきっかけである。実際にPWOを用いれば、0.1mm程度の空間非対称が測定可能である[13][13]松村 徹:山形大学大学院修士論文(2000).。我々の測定結果はSPring-8での電子偏極は60%以上(最大67%が理論の予想)であった。図3に示したのは測定結果である。詳細は誌面の都合で省かせていただくが、確かに空間非対称が観測された。この結果の意味は世界で初めて電子の偏極効果によって制動輻射ガンマ線に空間的な非対称が現れる事、また比較的、簡単かつユニークな方法で電子ビームの偏極度を測定する新しい手法が可能となることを実証したことである[14][14]C.Rangacharyulu,Z.Y.Kim,M.Fujiwara et al.:to be submitted.。
図3 偏極電子が蓄積リングの残留ガスと衝突して発生した6GeVと7GeV制動輻射ガンマ線の偏極効果による空間的非対称。ガンマ線の空間的非対称(縦軸)を20µradian以下の高精度測定を行い偏極効果が観測された。非対称はガンマ線エネルギー依存性を持つ。実線は60%の電子偏極を仮定した時に期待される空間的非対称(Z.Y. Kim氏提供)
4.おわりに
我々の研究グループは逆コンプトンガンマ線を創り出し、1.5〜3.5 GeV光の照射によって生成されるφ中間子(1.04 GeV)を観測することによって、核子中のクォーク構造を探ろうとしている。ガンマ線ビームは予想どおりになっていることが確かめられた。また、ガンマ線の強度の向上を狙うための装置の改良も行ないつつある。しかしながら、研究全体で見ると、一里塚をようやく越えた段階であろう。
次のステップは実際に水素ターゲットに高エネルギー・ガンマ線をあて、φ中間子を観測することである。現在、平成12年5月17日から本格的な実験が継続され、すでにφ中間子がK++K−に崩壊している事象が観測された。
その次のステップとして、偏極水素ターゲットを持ち込み、偏極ガンマ線と偏極ターゲットによるφ中間子発生の偏極量を観測する計画がアメリカ、フランス、日本の国際協力で進みつつある。これは、クォークとグルーオンの渦巻く核子の世界を覗ける観測となる。
現在、いろいろな実験・研究能力をもつ科学者グループが努力を傾注し、偏極ガンマによる測定を進めている。また、世界の研究者からの暖かい声援も得て、新しい実験として例えば、円偏極したガンマ線を作れるのは逆コンプトンガンマ線以外にはあり得ない特徴であるから、このことを利用したパリティの破れの実験なども検討されはじめている。
参考文献
[1]M.Plank:Annalen der Physik 1(1900)719.
[2]A.Einstein:Annalen der Physik 17(1905)144.
[3]A.H.Compton:Phys.Rev.22(1923)409.
[4]V.O.Klein and Y.Nishina:Z.Phys.52(1929)853.
[5]藤原 守、木梨 徹、堀田智明:日本放射光学会誌 10(1997)23.
[6]M.Fujiwara,T.Hotta,T.Kinashi,K.Takanashi,T.Nakano,Y.Ohashi,S.Daté,H.Ohkuma,and N.Kumagai:Acta Physica polonica B 29(1998)141.
[7]広瀬立成:日本物理学会誌 54(1999)862.
[8]H.Shimizu et al.:Nucl.Instruments and Method in Physics Research A 出版予定.
[9]T.Nakano,H.Ejiri,M.Fujiwara,T.Hotta,K.Takanashi,H.Toki, S.Hasegawa,T.Iwata,K.Okamoto,T.Murakami,J.Tamii,K.Imai,K.Maeda,K.Maruyama,S.Date´,M.M.Obuti,Y.Ohashi,and H.Ohkuma:Nucl.Phys.A 629(1998)559c.
[10]D.B.Gustavson,J.J.Murry,T.J.Phllips,R.F.Schwitters,C.K.Sinclair,J.R.Johanson,R.Prepost and D.E.Wiser:Nucl.Instr.and Meth.165(1979)177.
[11]D.P.Barber et al.:Nucl.Instr.and Meth.A329(1993)79.
[12]K.Nakajima et al.:Phys.Rev.Lett.66(1991)1697.
[13]松村 徹:山形大学大学院修士論文(2000).
[14]C.Rangacharyulu,Z.Y.Kim,M.Fujiwara et al.:to be submitted.
藤原 守 FUJIWARA Mamoru
大阪大学 核物理研究センター
〒567ー0047 茨木市美穂が丘10ー1
TEL:06ー6879ー8914 FAX:06ー6879ー8899
日本原子力研究所 先端基礎研究センター
〒319ー1195 茨城県那珂郡東海村白方白根2ー4
TEL:029ー282ー5448 FAX:029ー282ー5927