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Volume 05, No.3 Pages 199 - 202

4. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH

高分解能軟X線光電子分光による固体の真のバルク電子状態の解明
High Resolution Soft X-ray Photoemission Spectroscopy of Genuine Bulk Electronic Structures of Correlated Electron Systems : Ce Cases

菅 滋正 SUGA Shigemasa、関山 明 SEKIYAMA Akira

大阪大学大学院 基礎工学研究科 物性物理科学分野 Department of Material Physics, Graduate School of Engineering Science, Osaka University

Abstract
We have constructed a high resolution and high flux soft X-ray beamline BL25SU connected to the twin-helical undulator of SPring-8. Three experimental stations are installed in a tandem configuration. In the first station, an SES200 photoelectron analyzer and a closed cycle He cryostat are installed. Near 1keV, high resolution photoemission with a total resolution better than 100meV is conventionally performed. Bulk electronic states of correlated electron systems are studied with high accuracy. Genuine bulk electronic states of a Kondo system CeRu2Si2 and a valence fluctuation system CeRu2 are clarified for the first time.
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1.はじめに
 SPring-8は多くのX線研究者の要望でようやく実現された高性能の高輝度X線放射光源である。当初軟X線の利用は熱負荷の点でかなりの困難が予想されたが、ヘリカルアンジュレータを用いる事で、熱負荷のレベルが対処可能なことが、理研の北村(以下敬称略)等によって示され、菅を中心に全国的な組織として、SPring-8利用者懇談会に固体電子物性SGを結成した。物理学会、放射光学会のたびに公開での議論を重ね、原研の斎藤、物性研の藤沢、当時KEKの宮原を中心に分光器の設計を、阪大菅、今田、大門(現奈良先端大)、松下(現JASRI)、広島大谷口、名古屋大曽田等を中心に測定装置の設計を行った。5年近い歳月を経て1998年春に一応の完成を見た時には、すでに建設優先ビームタイムの半年は終わった後であった。すぐに共同利用に突入したこのビームラインの立ち上げには阪大から上田、原田の2名を1年ずつ常駐に近い形で因果を含めて参加させた。原研斎藤、ならびにこの2名の情熱無くしてこのビームラインの成功はなかったものと思われる。心より感謝したい。装置については、高分解能光電子については後から参加した関山の手で急ピッチで整備が進んだ。内殻吸収のMCDについては阪大今田、上田、室の手で整備された。2次元光電子分光装置は阪大小嗣、大門の手で整備が進められた。計測ソフトについては中谷、松下の寄与が大きい。もちろん私自身は全体の折衝や調整にあたったが、設計、立ち上げに額に汗したことも数え切れない。この何年間が建設参加者全員にとって何物にも代え難い貴重な体験として将来に生きる事を信じている。本稿では現在の世界の放射光施設の軟X線ビームラインの頂点にある分光系[1、2]を用いて行われた、1keVに近い高エネルギーでの、100meVの高分解能の光電子分光によって初めて詳細が明らかにされた強相関電子系のバルク電子状態の研究成果について報告する。

2.実験装置等
 分光器についての詳細は文献[1、2]を参照されたい。1keV付近で中心部で600本/mmならびに1,000本/mmの刻線密度の非等間隔刻線回折格子で16,000から20,000を超える分解能が実現している。熱負荷の小さいヘリカルアンジュレータを用いたために、光学系が極めて安定である事、軸上の光を用いているため高次光が極めて弱い事(10−2以下)、220〜2,000eVまで実用であるが、特に500〜1,800eVでは5,000の分解能においても毎秒1011光子以上が試料上で得られる事などが特徴である。光軸上には実験装置がタンデムに配置されており、試料を光軸からはずすことによりどの実験装置でも実験できる。これらは筆者等の物性研SOR施設、フォトンファクトリーでの20年間の経験の上に設計されたものであり、ユーザーフレンドリーとなっている。光電子分光装置は初段に置かれておりガンマデーターシエンタ社製のSES200分析器と、循環型のHe冷凍器からなっている。試料は同時に5個がentry airlockから導入可能であり、約30分後にはそのうちの1つについて超高真空下での測定が可能である。試料表面はヘキカイ、またはダイヤモンドやすりがけによる清浄化を行う。やすりが汚れた場合は、やすりがけチェンバーをリークして交換ベークするが、この時でも次段以降の装置で測定を継続するには何の支障も無い。同じ事だが、光電子分光測定中でも2段目以降の装置で試料調整が進められる。しかし初段の光電子装置の分析室で真空をリークする必要が生じた場合は、ビームライン全体がシャットダウンされる訳で、共同利用者には十二分な注意をお願いしたい。何かことあれば阪大グループが中心になってビームライン担当者に協力して修理や保守作業をせざるをえないのである。

3.実験の背景
 近年強相関系の電子状態を知るのに高分解能の光電子分光が威力を発揮してきた。実験室においてHeⅠ、HeⅡ光源を用いた研究では数年来20meVを切る実験がなされ、電子状態について貴重な議論を呼び起こしてきた。また同程度の分解能での放射光を用いた角度分解光電子分光も超伝導ギャップの対称性や擬ギャップの測定などに威力を発揮してきた。現在ではガンマデーターシェンタ社のSES2002光電子測定装置を購入するだけで実験の腕が良ければHeⅠ、HeⅡ光源を用いて1.5meVの分解能での角度分解光電子分光が誰にでも出来る時代となってきたことは誠に喜ばしい。
 しかし希土類4f電子系ではこの21.2とか40.8eVの励起ではイオン化断面積が小さく光電子測定は困難である。そこで放射光を用いて100eV付近で数十meVの高分解能で4d-4f共鳴光電子分光を行う事で4f電子状態を研究するのが常であった。しかしながらこのようにHeⅡや4d-4f共鳴光電子分光で得られた高分解能光電子スペクトルを解析すると他のバルク物性と矛盾する結果が続々と報告されてきた。専門家には良く知られているのであるが、光電子の平均自由行程は光電子運動エネルギーが100eV付近に3A程度の極小を持ち、数百eVより高いエネルギーと15eVくらいからより低いエネルギーでふたたび10〜15Aを超える振る舞いが知られている。それゆえこれまで報告されてきた高分解4f光電子スペクトルの多くが表面電子状態を見ていると想像する事は難くない。
 Yb系のように、表面とバルク電子状態が顕著にエネルギーシフトしている場合は人為的なdeconvolutionによってある程度バルク電子状態を浮き彫りに出来るが[3]、Ce系のように表面とバルク電子状態がエネルギー的に重なっている時は、deconvolutionすら困難の極みであった。また多元系についてHeⅡとHeⅠスペクトルの差分から4f電子状態を議論する事はさらに危険極まりないことはお分かりいただけると思う。最近では3d遷移金属系特に高温超伝導体系でも、20eV付近での測定において励起エネルギーに依存して異なる結果が各所で報告されており、HeⅠのような低エネルギーではバルクを見ているという神話にも疑問が持たれるようになった。
 それゆえバルクの電子状態を直接光電子分光で見る事が要請される訳である。従来もXPSといわれるX線管を用いた光電子分光は各所で経常的に行われてきた。しかしながら分解能が1.0〜0.7eVと悪く結晶分光器を用いて単色化しても0.3〜0.4eVしか得られずかつ暗いという重大な欠陥があった。さらに光エネルギーを連続的に変えられないという本質的な制約があった。これでは強相関系のフェルミ準位付近の電子状態を詳しく知ることは絶望的である。
 つまり1keV付近あるいはそれより高いエネルギーで連続エネルギー可変で、全分解能100meVあるいはそれよりすぐれた高分解能での光電子測定が必要とされるのである。この様な状況を予見して我々は1993年に最初の計画を立案し、公開での議論を重ね計画をシェイプアップし、記憶によれば1994年度に建設に着手した。1998年5月には全分解能220meVが実現され一応の成功と思われたが、私(S.S.)自身は不満足であった。関係者に100meVを切るようにとの目標を提示し(ray tracingからはそれが不可能とは思えなかった)さらに性能向上に挑戦した。斎藤らの超人的努力により1999〜2000年にかけて、1keV付近で分光器分解能40meV、光電子全分解能70meVが実現し、ビームラインの厳しく設定した目標を完全にクリアした。本ビームラインを用いた研究は24時間無駄な時間無しに続いておりインパクトのあるデーターが続々と得られている。ここではそのうち、すでにNature[4]に発表した論文を紹介する。 
 
4.近藤系CeRu2Si2および価数揺動系CeRu2のバルク光電子分光
 CeRu2Si2は典型的な重いフェルミ粒子系の物質であり、一方CeRu2は価数揺動系物質として知られる。近藤温度はそれぞれ20Kおよび103K程度と推定される。従ってCe4f電子と伝導電子との混成は後者で極めて顕著であると考えられる。Ce系では混成が極端に小さい場合には基底状態でCeはほぼ3価でありf1状態が主である。この場合には4fの局在した性質が3d内殻吸収や3d-4f共鳴光電子スペクトルに現れると期待される。少し混成している場合には4f電子は伝導電子といわゆる近藤一重項を作り、低温で重いフェルミ粒子的に振る舞う。さらに混成が強い系では基底状態でCe3+(f1)とCe4+(f0)状態とが価数揺動している。つまり4f電子は遍歴的になっていると考えられる。この場合には遍歴的な4fバンドが観測できるという予測がある。
 我々はじめ、多くの研究者がCe系の4f電子状態を4d-4f共鳴光電子分光の手法で研究してきた。しかしながら、得られる4fスペクトルには近藤温度の違いほどには顕著な差は観測されて来なかった。遍歴的と思われる物質でもバンド計算による4fバンドとは著しく異なる形状の光電子スペクトルが観測されることがほとんどで、どちらかというと局在的な性質が見られた(hν〜120eVのデーター:Fig.1の下図ならびにFig.2の上下の図の○スペクトルを参照)。Fig.1における-2.5eV付近のこぶはf0光電子終状態を示し、フェルミ準位直下がf1終状態を示している。f0光電子強度がこれほど強い事は4f電子系がかなり局在している事を示している。Fig.2の○のスペクトル形状を説明するために不純物アンダーソンモデルでの解析が行われ、ある程度スペクトルを再現する事が出来る。しかしながら得られるパラメーターから計算で得られる近藤温度は極めて小さくなり(数K)、他の測定で知られている近藤温度と明らかに矛盾している。これは光電子分光における積年の未解決の課題であったが、我々は3d-4f共鳴光電子分光を用いてCe4fスペクトルの詳細を測定しこの矛盾を解決するのに世界で初めて成功した。それがFig.1の上図とFig.2の上下図の●のスペクトルである。 
 
 
 
Fig.1 
 
 
 
Fig.2 
 
 まず3d-4f共鳴では測定している4f電子の運動エネルギーが875eV以上であることに注意しよう。つまり3d-4f共鳴光電子分光では相当にバルク敏感となっている事が分かる。ちなみに表面とバルク電子状態が簡単に見分けられるYb系についての同じエネルギーでの測定では、表面成分は100eV付近での励起に比べて1/10程度に減少している。3d-4f共鳴光電子分光で得られたバルクの4fスペクトルを2つのCe化合物物質で比べると、広いエネルギー範囲でも、フェルミ準位近傍の狭いエネルギー範囲でも共に全く異なっている事が判明した。つまり局在性の特徴であるf0強度が4d-4f共鳴光電子分光の4fスペクトルに比べて激減している。この領域ではCeRu2Si2の場合には依然としてかなり顕著なテイルが-1〜-4eVにかけて見られるが、CeRu2ではこのテイルはかなり弱くなっている。
 また3d-4f共鳴の4fスペクトルのフェルミ準位近傍では、CeRu2Si2の場合にはフェルミ準位直下に分解能で形状が決まっている鋭いピークが観測され、-250meV付近にこぶが見られる。前者はフェルミ準位直上にある近藤ピークの裾(f5/2)がフェルミ準位以下に観測されたものであり、後者はそのスピン−軌道パートナー(f7/2)である。また近藤ピークの裾(f5/2)の形状はいわゆる結晶場分裂の大きさに依存して変わる事も分かる。このCeRu2Si2のスペクトルは不純物アンダーソンモデルで良く説明でき、また得られた近藤温度も妥当な値である事が分かる。
 一方、CeRu2の場合にはフェルミ準位直下に顕著な鋭いピークは存在しない。近藤温度が高い系に不純物アンダーソンモデルを適用するとさらに鋭いピークが期待されていただけに、これは同モデルの適用限界を示していると考えられる。スペクトル形状はむしろバンド的な形状として理解できる。こうしてCe系の光電子分光としては世界で初めて詳細なバルク電子状態を観測する事に成功した。この結果は他の実験で得られたバルク電子物性と全く矛盾しない事も分かった。これまでCe系で報告されてきた高分解能のスペクトルは全て表面電子状態を観測していたのである。
 Yb系の近藤物質では近藤ピークがフェルミ準位直下に光電子分光で直接観測されると期待されるが、すでにdeconvolutionに頼らなくても直接近藤ピークのスペクトル形状を観測するのにも成功している。また遷移金属化合物でも低エネルギーでは表面電子状態を観測していた事を示す証拠も見付かっており、今後数多くの強相関系物質についてバルク敏感高分解能光電子分光を行う必要性が高い。ここに紹介した研究はそのほんの第一歩にすぎない。たとえば光エネルギー1keVで10meVの分解能での光電子分光を実現する事も緊急に重要な課題である。今後より多くの軟X線ビームラインがSPring-8に建設され、活発な研究が展開される事を期待したい。
 なお諸外国の昨年までの状況については、文献[5、6]に調査結果を報告してあるのでご参照頂きたい。昨年当時ではまだ他の施設ではこの種の研究に対する計画も投資も全く考えられていなかったといっても過言ではないが、今となっては同様な研究への投資が世界的に集中的に行われると予想される。我が国でもさらなる研究の展開を目指したい。
 本研究が可能になったのはひとえにSPring-8当局のご理解の賜物であり、関係各位に深く感謝の意を表したい。


参考文献
[1]Y.Saitoh,T.Nakatani,T.Matsushita,T.Miyahara,M.Fujisawa,K.Soda,T.Muro,S.Ueda,H.Harada,A.Sekiyama,S.Imada,H.Daimon and S.Suga:J.Synchrotron Rad.5(1998)542.
[2]斎藤祐児:SPring-8利用者情報、Vol.3,No.4(1998)15.
[3]日本物理学会、物理学論文選集XII、強相関f電子系の分光(2000).
[4]A.Sekiyama,T.Iwasaki,K.Matsuda,Y.Saitoh,Y.Onuki and S.Suga:Nature,403(2000)396.
[5]菅 滋正、今田 真:放射光11(1998)378.
[6]菅 滋正、関山 明:放射光13(2000)182.

 

 


菅 滋正 SUGA  Shigemasa
大阪大学大学院 基礎工学研究科
物性物理科学分野
〒560-8531 豊中市待兼山町1-3
TEL:06-6850-6420 
FAX:06-6850-2845
e-mail:suga@mp.es.osaka-u.ac.jp
略歴:1968年 東京大学 工学部物理工学科卒
1973年 東京大学大学院 工学系研究科博士課程修了 工学博士
1973年 マックスプランク固体研究所研究員
1976年 東京大学助教授 物性研究所
1989年 大阪大学教授基礎工学研究科現在にいたる
1990年〜1996年 文部省高エネルギー物理学研究所教授併任
最近の研究:強相関系の電子状態の研究、放射光 

 

 

関山 明 SEKIYAMA  Akira
大阪大学大学院 基礎工学研究科 
物性物理科学分野
〒560-8531 豊中市待兼山町1-3
TEL:06-6850-6422 
FAX:06-6850-4632
e-mail:sekiyama@mp.es.osaka-u.ac.jp
略歴:1992年 東京大学 理学部物理学科卒
1997年 東京大学大学院 理学系研究科博士課程修了 理学博士
1997年 大阪大学助手基礎工学研究科現在にいたる
最近の研究:高エネルギー高分解能光電子分光による強相関系物質のバルク電子状態の研究



Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
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