ページトップへ戻る

Volume 03, No.3 Pages 40 - 43

6. 談話室/OPEN HOUSE

特別企画;架空匿名座談会「SPring-8共同チーム解散にあたって」
Special Program! Fictitious Anon.Talk in the Disbandment of the JAERI-RIKEN SPring-8 Project Team

元日本原子力研究所・理化学研究所 大型放射光施設計画推進共同チーム員 JAERI-RIKEN SPring-8 Project Team Member

pdfDownload PDF (122 KB)


司会:大型放射光施設、SPring-8の建設を担当した理化学研究所と日本原子力研究所の共同チームは、平成10年3月末をもって解散しました。
 そこで本日はこの共同チームについての思い出を語って頂こうと思い、関係者の皆さんにお集まりいただきました。長年にわたるプロジェクトで、しかも大変に多くの方々が関係されたことですので、いろいろとお話づらいことなどもあるかとは思いますが、今日はひとつざっくばらんにお話しいただこうと思い、架空匿名座談会にさせていただきます。
 お集まりいただいたのは、まず理化学研究所のRさん、日本原子力研究所のJさん、そして科学技術庁のSさんです。司会は高輝度光科学研究センターの私が勤めさせていただきます。
 ではまずSさん、科学技術庁としてこの大型放射光施設建設を理研と原研の共同で進めて行こうと考えられたのはなぜですか。 

S:そうですね、あれは昭和61年7月だったと思いますが、科学技術庁の肝入りで理研と原研が大型放射光施設計画について懇談しました。ここからSPring-8は始まったと言ってもいいのですが、科技庁としてはなんとか理研と原研が対等な立場で参加してもらいたいと思っていましたので、いろいろと苦労しましたよ。
 その頃の詳しい話、SPring-8建設計画の初期の段階のいろいろなお話については、高輝度光科学研究センターがかつて発行していた、「SR科学技術情報」Vol.5 No.10(1995)~Vol.6 No.3(1996)に、原雅弘さんが連載した「SPring-8プロジェクトの立ち上げの経緯について」に詳しく記載されていますよ。 

司会:ではその頃のことはそちらをお読みいただくとして、ここでは共同チームの発足からSPring-8完成までを中心に話を進めていきたいと思います。
 ところでオリンピックの開会式も、最初はつまらないご挨拶で始まり、徐々に選手団や聖火の入場、アトラクションへと盛り上がっておもしろくなってくるものですが、原研・理研のSPring-8共同チームの解散に伴い、振り返って昔の話をするにあたっては、やはり最初はつまらない話からさせて頂くのをご容赦願いたいと思います。段々とおもしろくなってくるはずなので、是非最後までご一緒いただければ幸いです。ではまず、おもしろくない話から。Rさんお願いできますか。 

R:先日解散した「日本原子力研究所・理化学研究所 大型放射光施設計画推進共同チーム」という、恐ろしく長い名前の組織は、発足当初は「日本原子力研究所・理化学研究所 大型放射光研究開発推進共同チーム」でした。これは理研と原研の研究協力協定に基づき、昭和63年10月11日に発足したもので、本部は駒込の理研の建物内におきました。ここは理研発祥の地であり、建物も理研の古い年代物でしたが、隣は原研のRI研修所(当時の名称)で何かと原研にも関係ある場所だし、丁度良いのではないかということでした。
 その後平成3年に建設が本格化することになり、「研究開発」が「施設計画」に格上げになったとでも言うようなところでしょうか、解散まで「日本原子力研究所・理化学研究所 大型放射光施設計画推進共同チーム」という名前で過ごしました。この「日本原子力研究所・理化学研究所 大型放射光施設計画推進共同チーム」、すみません、なんだか落語の「寿限無」をやっているようなので、以下「共同チーム」と呼ばせていただいてよろしいでしょうか?(異議なしと叫ぶ者あり)有り難うございます。この共同チームは発足にあたり、法人格を持たせるべきかとか、建設業者(ゼネコン)が大規模建築物でよく組織するJV(ジョイント・ベンチャー)形式ではどうかなど、組織のあり方が議論されました。

J:そうでしたね。結構議論しましたね。もとよりSPring-8プロジェクトは原研、理研がそれぞれ予算を計上し、それぞれのライン組織で業務を遂行するべきものであるとのことから、結局共同チームは原研・理研相互の「調整の場」として存在させようではないかということに落ち着いたんでしたよね。

S:確かにそうでした。しかし理研と原研を仲良くさせて、一緒の仕事をしてもらおうと思っていたわけで、どうすればうまくいくかを考えていた。例は悪いかもしれませんが、あまり仲の良くない男女でも一緒の部屋に住ませれば自然と仲良くなってくることがあるんじゃないかと思って、是非一緒の建物で顔をつきあわせて仕事をして欲しいとお願いしたのです。

司会:さて、ではこの辺でそろそろ選手団の入場というか、盛り上げていただきましょうか。発足の際の何かおもしろいエピソードはありましたか?

 
J:
是非私に言わせて下さい。共同チーム発足にあたり最も議論されたこと、それはひょっとしたら共同チームの名前の原研と理研の順番はどうするか、ということではなかったかと思います。大議論の末、日本語では50音順、英語表記はアルファベット順という、万人が納得できる理由(?)で、いずれも原研(JAERI)が理研(RIKEN)より先になる、ということで決着しました。
 本誌の読者である研究者の方の中には「名前の順番などどうでも良いではないか」とおっしゃる向きがおられるかもしれませんが、決してそうではないのです! 世の中にはこの名前の順番のような事に、それこそ命を賭けてこだわるような人もいるわけで、ある意味では、スタートからこの共同チームの先行きを典型的に示すような事象であったとも言えるのではないでしょうか。「名は体を表す」という、日本古来の言霊信仰にも似た…

司会:Jさん、少し興奮気味ですよ。落ち着いて下さい。その辺についてはもう一方の当事者であるRさんいかがですか。

R:理研は昭和61年頃から放射光関係、特に当時関西6GeV計画と言われていた大型放射光施設計画と協力した研究を進めており、61年10月には和光に「大型放射光施設準備室」が設置されました。62年度からは正式に大型放射光施設に関する予算も認可され、本格的な検討もすでに開始されていたのです。ですからある意味ではいろいろな点で原研より先んじていたわけで、まあ、ゆとりといったところですかね。

J:原研だって理研と同様に昭和62年度の予算は要求したんですよ。でも大蔵省でゼロ査定となり、スタートも1年遅れることになってしまったんだ。それでも昭和62年秋には大型放射光施設に関する特別チームをスタートさせ、研究を開始しました。

S:そうでしたね。でもこの間の両者のギャップは大きく、原研は小型放射光装置JSRを東海研究所に建設するなど、一生懸命、放射光に関する知見を高める努力を行ったのですけれど、ただ、この小型放射光装置の建設ですら「原研は金に物を言わせてメーカーに作らせるだけで、自分たちの知識の向上を図っていない」などと言われ、必死で努力していた関係者はずいぶんつらい思いをしたと聞いています。

司会:おや、Jさん、涙目になってきましたね。まあ明るく話を進めていこうではありませんか。共同チームの組織はどうなっていたのですか。

R:共同チームには技術グループと事務グループがあり、理研・原研でたすき掛けで、それぞれのグループのリーダー・サブリーダーになってバランスを取るなど、結構細かい点にも配慮していました。でも最初はプロジェクトを進めて行くにあたって、いろいろと苦労がありました。

S:確かに、生まれも育ちも違う2つの法人が、一つのプロジェクトを進めていくというのは、生やさしいことではなかったと思います。それぞれ仕事のやり方は違うし、組織も当然違う。両法人の中でのSPring-8の位置づけと扱い、予算要求の仕方から途 中での査定のされ方、そして科学技術庁の中でも原研は原子力局、理研は科学技術振興局とそれぞれ担当が異なっているのです。
 関係者の苦労は大変なものだったと思いますが、2つの異なる組織が一つの施設を共同で建設するというのは日本でも多分初めてのケースではなかったでしょうか。これからの大規模プロジェクトを進めるにあたり、このSPring-8はひとつのテストケースでもあった訳です。

J:もとより、原研はそれなりに核融合研究装置であるJT-60や研究用原子炉などでの大規模施設建設の経験があり、それらを生かし、プロジェクトとしてこのSPring-8建設を進めていこうと考えていたのです。一方理研さんは、SPring-8は規模は大きいが所詮研究施設であり、これまでのリングサイクロトロンのような研究施設建設の延長上にあり、研究室体制で進めていけるものと考えていたのではないでしょうか。
 例えばスケジュール管理ひとつにしても、原研は当初から性能と期限と予算といった目標を明確に定め、それに向かって進んでいくものがプロジェクトであるから、プロジェクトがスタートしてからは、出来る出来ないを議論するのではなく、「どうしたら出来るか」だけを議論するものと考えています。
 これに対し理研さんは、あくまで研究計画なのだから、その都度チェック&レビューを行い、その時点での最適な目標を定める。従って、プロジェクトの進展とともに目標が次々と変わっていき、最終的には完成時点で最高のものができあがるべきだと考えていたようですね。

R:最初の頃はまるで、アメリカとかつてのソビエトが共同で一つのプロジェクトを進めているような状況ではなかったですか。ちょっと言い過ぎかな…。しかし、やがて時がたち、ソビエトが変化していき今やロシアはアメリカの友好国になったように、原研・理研も、この共同チームの中で次第に融合していったことは事実です。

S:まあ、原研、理研のどちらがアメリカでどちらがロシアかということは考えないことにして、とにかく、ひとつ屋根の下で一緒に仕事をすることによって、両者がだんだん仲良くなり、プロジェクトもうまくいった。当初の思惑通りかな?

司会:両者が仲良くなっていった過程で、なにかエピソードはありませんでしたか。

S:駒込の共同チーム本部では、毎月第二水曜日に「二水会」と称し、腕自慢のものが料理を作り、みんなで和気藹々と食べ、飲み、語り合うという、親睦の場がもたれていました。「二水」は「煮酔」もかけてあり、料理のメニューもなんだか解らない鍋物から、だんだん本格化していき、フランス料理もどきのものまで登場しました。料理の腕が自慢の者よりは、胃袋の丈夫さが自慢の者の方が積極的にこの会を運営していたようです。ひょっとしたら、テレビの人気番組「ビストロSMAP」はこの二水会をヒントに始まったのではないでしょうかね? そんな訳ないか…。

J:そういえば親睦旅行にもよく行きましたね。日光や湯河原の温泉、最後は確か海外にまで行きましたよ。

司会:え~? 海外まで! ワイハですか?

J:いいえ、韓国です。私はあまり辛いものが得意ではないので、他の皆さんに比べてキムチとかは控えめにしていたのですが、帰国してからしばらくは奥さんにニンニク臭いと言われ遠ざけられてしまいました。この親睦旅行には宴会が付き物ですが、共同チームの皆さんは普段から結構きつい仕事をされている上に、酒飲みが多いと来ている。特に湯河原温泉での親睦会は伝説の宴会と言われ、ストレスの発散と鯨飲、放歌高吟、それはもう筆舌に尽くしがたい状況でした。

R:そう、そしてその状況を翌朝は誰も覚えていない!

司会:何かその時の様子が目に浮かぶようです…。

R:もうひとつ、ただ仲良くなればいいってもんじゃないと始めたのが、ボーリング大会。基本的に理研対原研でチーム対抗戦でしたね。

J:そうそう、理研の皆さんはとにかくボーリングが上手で、何度やっても原研は歯が立ちませんでした。ボーリング終了後のカラオケでも理研さんは歌がうまくて、理研に入るためにはボーリングとカラオケの試験をパスしなければならないんじゃないかと思っていましたよ。

司会:なるほど、いろいろなことがあったようですね。でも本当にSPring-8の建設プロジェクトは順調に進みましたが、理研と原研が仲良くなったことの他に、何か考えられますか。

S:SPring-8建設計画は、いわばバブル景気の一番最後にスタートしたプロジェクトだったのです。その後バブルがはじけて景気が一気に落ち込んだ。普通だったらここで予算が削減されたり、先送りされたりして苦しくなるものなのです。しかしSPring-8には、景気対策のための補正予算が数度にわたって行われるという、いわば神風が吹いたようなラッキーなことがあり、当初目標としていた供用開始期日を約1年も前倒しして完成できたのです。原研と理研が上手くスクラムを組んでプロジェクトを進められたことの背景には、この予算の付き方も大きく関わっているのではないでしょうか。

 
J:
その通りだと思います。こんなに大規模なプロジェクトを当初予定よりも早く完成させた上に、所定の予算内に収めたということは、希有の例なのです。プロジェクトの予算は足りなくなるものだし、完成時期は必ず遅れるものなのです。他のプロジェクト担当者からすれば、SPring-8はとんでもない悪例を残してくれた!とでも言えるほどすごいことなのです。

R:
完成後のSPring-8はとても順調に稼働していますし、共同チームから高輝度光科学研究センターへの施設運営委託もとてもスムーズにいきました。SPring-8では、これから次々とすばらしい研究成果が生み出されるものと確信しています。

司会:そうですね、高輝度光科学研究センターの職員も理研、原研をはじめ、いろいろな組織から協力していただいている方々が大勢いらっしゃいます。今までお話を伺った共同チームでの協力が今後の参考になることと思います。

S:共同チームは3月末に解散しましたが、実質は昨年10月の供用開始時点から高輝度光科学研究センターがSPring-8の管理運営を行っているわけで、半年の試行期間を終えて、今後本格的な活動をしっかり行っていって欲しいと思います。

J:
昨年10月の供用開始記念式典では、フルートの生演奏によるモーツアルトの音楽が、会場となった蓄積リング棟実験ホールに流れていましたが、音楽に合わせて今までの共同チームの思い出が、走馬燈のように頭の中を巡りました。

 
R:
あっ、それは私もまったく同じ思いでしたよ。
 
司会:
最後まで共同チームとして息が合っていたことの証でしょうか。そういうことで本日の架空匿名座談会を終了させていただきます。皆さん有り難うございました。

※本座談会は架空の座談会(フィクション)であり、実在の団体、職員等とは一切関係がありません。従って内容についても多少誇張してあることをお許し下さい。 
 
 
 
蓄積リング棟前で行われたSPring-8共同チーム解散式典 平成10年4月2日(上坪共同チームリーダーの挨拶) 
 
 
 
記念植樹(樹木は「あすなろ」)



Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
Online ISSN 2187-4794