Volume 06, No.2 Pages 116 - 120
4. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
新しいフラーレン分子Sc2@C66の構造を決定
Structure Determination of Unconventional Fullerene Sc2@C66
[1]名古屋大学大学院 工学研究科 Department of Applied Physics, Nagoya University、[2]名古屋大学大学院 理学研究科 Department of Chemistry, Nagoya University
- Abstract
- The geometry of carbon cages(fullerenes) is governed by the isolated pentagon rule(IPR), which states that the most stable fullerenes are those in which all pentagons are surrounded by five hexagons. Although this rule has been verified experimentally, it is impossible for fullerenes in the range C60 to C70 to obey it. Here we describe the structure determination of the IPR-violating metallofullerene, Sc2@C66, a C66 fullerene encaging a scandium dimmer, by the synchrotron radiation powder method using Large Debye-Scherrer Camera at BL02B2 in SPring-8. The results indicate that encapsulation of the metal dimmer significantly stabilizes this extremely unstable C66 fullerene.
1.はじめに
サッカーボール型炭素分子C60は、その発見者のR.E.Smalley,H.W.Kroto,R.F.Curlらが1996年にノーベル化学賞を受賞したことで良く知られている炭素の新物質である。この炭素原子が形作る六角形(6員環)と五角形(5員環)が組み合わせられてできるボール状の分子は、新奇機能性材料の可能性を秘め、また、その形の面白さから、その後、様々な種類や大きさのものが発見され、それらはフラーレンと総称されている。これらのフラーレン分子での炭素原子の配列は、2つ以上の五員環が隣り合わせになる事はないという、「孤立五員環則(Isolated Pentagon Rule:IPR)」というフラーレンの幾何学を考える上で最も基本的な法則に従うとされてきた[1,2]。この規則による制限によって、フラーレンを形成する炭素原子のダングリングボンドの数はゼロとなり系が安定する。逆にIPRが破られ、5員環と5員環が隣り合わせとなるとその部分の曲率が大きくなり、歪を生じ不安定になる。実際に、現在までに生成、単離されている数多くのフラーレンは例外なくこの経験則を満足していた。従って、この規則がフラーレン分子の構造を決定付ける重要なものであると、これまで考えられてきた。
IPRを満たす最小のサイズのフラーレンはサッカーボール型のC60である。Fig.1(a)に示したC60分子のモデルやサッカーボールそのものを見てみると、必ず5角形は6角形に囲まれていて5角形が隣り合わせで並んでいないのがよくわかる。C60には、5員環と6員環からなるケージ構造として、1790種にも上る異性体がありうる(光学活性体は区別して)。しかし、IPRの制限によって、C60はサッカーボール型構造唯一つになってしまう。実際に、理論的にもこの構造が抜きん出たπ電子的な安定性を持つことが示されている。このIPRを満たす2番目に小さなフラーレンはラグビーボール型のC70である。Fig.1(b)にC70分子の構造図を示した。よって、この間の数の炭素原子からなるC62, C64, C66, C68などは、IPRの基では存在しえないと考えられ、実際にこれらのフラーレンはこれまで生成することができなかった。一方、IPRを破るフラーレンを合成する努力も続けられてきた。金属をフラーレン分子に内包させることで、この法則を打ち破る新しいタイプの構造を持つフラーレン分子を創り出せるのではないかと考え、これまで研究を進めてきた。その結果、Sc(スカンジウム)原子を2個内包させることによりSc2@C66という形で、通常存在し得ない炭素66個からなるC66というフラーレン分子を創り出すことに成功した[3]。しかし、実際にIPRを破ったケージ構造になっているのかどうか、また、どのようなケージ構造になっているのかの決定的証拠として、Nature誌のレフェリー及びエディターからX線結晶構造解析による構造決定が求められた。そこで、SPring-8の共用ビームラインBL02B2の粉末X線回折装置大型デバイシェラ‐カメラを用いて、新しいフラーレンSc2@C66(@はフラレーン分子の中に内包するの意)の炭素原子配列を決定し、実際にIPRが破られて5角形が2枚つながった部分を持つこれまでの常識を破る構造であることを世界で初めて示した[3]。本研究の成功は、SPring-8の放射光を利用することにより、微量試料より高精度のX線回折データを得たことと、我々が開発したMEM(Maximum Entropy Method)/Rietveld法という新しい解析法[4,5]によるところが大きい。本稿では、その研究の一端を紹介する。
Fig.1 The structure of (a) C60 and (b) C70.
2.実験方法
試料は、Scを適量ドープした混合ロッドを用いた直流アーク放電法により、金属内包フラーレンScnC2mや他のフラーレンを含む煤を生成し溶媒抽出を行った。その溶媒抽出物からSc2@C66を、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)法により分離・精製した。展開溶媒には、トルエンを用いた。得られた試料の純度は99.9%で、量は1mg強であった。また、従来の金属内包フラーレンに比べて、空気中で比較的安定であった。
この様な微量の粉末試料から、高い角度分解能と高い統計精度のX線回折データを得るためには、SPring-8のBL02B2のイメージングプレートを用いた大型デバイシェラ‐カメラが最も有効である(Fig.2)[6,7]。回折実験に用いる粉末結晶は、トルエン溶媒を蒸発することにより得た。得られた粉末試料は内径0.3mmのガラスキャピラリーに長さ1mm程度封入し実験を行った。入射X線の波長は0.75Åで、露出時間はデータの統計性を出来るかぎり上げるため、イメージングプレートのダイナミックレンジをフルに活用できる2時間という放射光実験としては長時間露出に設定した。解析に用いた粉末データの角度範囲は2θで0〜20.3°(d>2.0Å)で0.02°ステップの間隔で強度データを得た。
Fig.2 The Large Debye-Scherrer Camera at BL02B2 in SPring-8
3.MEM/Rietveld解析
MEM(Maximum Entropy Method)は測定されたX線回折データに合うように物質の結合電子の情報を含む詳細な電子密度分布を求めることができるモデルフリーな解析方法である[8]。このことから、我々はMEMによる電子密度解析を「回折データのイメージング」として位置付けている[9]。このMEMによるイメージングには、簡単な構造モデルを基に、詳細な結晶構造を予測できる、「構造予測性」という特性がある。この点に着眼して開発したのが、MEM/Rietveld法である。この方法は、複雑な構造を持ちフラーレンの原子配列モデルを予測するのが非常に困難な金属内包フラーレンの構造解析にとってブレークスルーとなり、これまで、Y@C82[4], La@C82[10], Sc@C82[11], Sc2@C84[12], Sc3@C82[13]の金属内包フラーレンの構造を次々と明らかにしてきた[13,14,15,16]。
金属内包フラーレンの解析は、フラーレン分子の構造について均一な球殻の電子密度としたモデルに基づく予備的なリートベルト解析の結果を参考にして、粉末回折データから観測構造因子を見積もる。その結果を基に、MEMにより電子密度をイメージングすると、フラーレン分子のケージ構造の描象を得ることができる。その電子密度を基に構造モデルを再構築し、リートベルト解析をやり直し、最終的な電子密度をMEMによりイメージングするというのが、大まかな解析の流れである。この新しい方法についての詳細な解説は他の解説[4,5]を参考にしていただきたい。
リートベルト解析により、空間群はPmn21(No.31)で、格子定数はa=10.552(2)Å, b=14.198(2)Å, c=10.553(1)Åであると決定された。Fig. 3に最終的なリートベルト解析の結果を示してある。信頼度因子はRwp=2.4%. and RI=13.1%であった。このリートベルト解析の後に行われたMEM電子密度解析による電子密度の信頼度因子はRF=5.4%で、これが構造解析の最終結果の信頼度因子となる。
Fig.3 The preliminary Rietveld fitting result of Sc2@C66 crystal.
4.IPRを破ったSc2@C66の構造
Fig.4に最終的に得られた3次元的なSc2@C66分子の電子分布を等電子密度面として示した。正面図と側面図の両方を示してある。分子のケージの隙間から、赤色で示した内包されたSc金属2個が形成するSc2分子が見えている。Sc-Scの原子間距離は2.87(9)Åで、2個のSc原子がSc2ダイマーの形でフラーレンケージの中に内包されていることが、明らかになった。図の電子分布上に6員環と5員環が書き示してあり、このSc金属分子に近い部分で炭素の5員環が隣り合って並んでいるのが正面図でわかる。わかり易くするため、この実験結果を基に作った分子構造を並べて書いた。側面図から、この構造が、C60に6個の原子が加わったことによる大きく歪んだ突起ができたものになっており、その部分にScダイマーが内包された形になっているのが良く分かる。このケージ構造の対称性はC2vで、13C-NMRによるスペクトルの結果と完全に一致した[3]。以上の様に、放射光粉末回折データをMEM/Rietveld法により解析することにより、Sc2@C66がSc2ダイマーを内包し、隣接した5員環のペアーがC2vのケージの2回軸上に存在する、IPRを破った世界で初めてのフラーレン分子であることが決定された[3]。
Fig.4 (a) The X-ray structure of the IPR-violating Sc2@C66 fullerene with top view along the C2 axis and side view. The equi-contour (1.4 e Å-3) surface of the final MEM electron charge density. The Sc2 dimer is colored in red. The two pairs of fused-pentagons are clearly seen. (b)The Sc2@C66 structure models.
66個の原子からなる5員環、6員環で形成されるケージ構造はIPRの制限がなければ、4478種類(D3:2種類、C3v:1種類、C2v:18種類、Cs:112種類、C2:211種類、C1:4134種類)の異性体が考えられうる。13C-NMRのスペクトルを満足する構造モデルとして、18種類のC2v異性体から8種類の異性体まで構造モデルは絞り込めたが、最終的な構造は決定できなかった。しかし、MEM/Rietveld解析では、ケージ構造並びに内包構造モデルについては、モデルフリーに一義的に決定することができた。そして、決定されたケージ構造は、13C-NMRのパターンを満足するものであった。しかも、その結果は、予測されていた8種類の異性体の中で、隣接した5員環の数が最も少ない構造で、理論的にも最も安定な構造であるという、分かってみれば非常に妥当な結果であった。
Sc2ダイマーの電子数をMEM電子密度から見積もったところ、40.0(2)eであった。このことからSc2ダイマーはフラーレンケージ中で(Sc2)2+の状態で、Sc2ダイマーからC66ケージへ2個の電荷 移動することにより電子構造は(Sc2)2+@C662−となっていることも明らかになった。この内包された金属からカーボンケージへの電荷移動は金属を内包することがフラーレンの構造安定性について最も重要な要素であることは、これまでの金属内包フラーレンの構造解析の結果[4, 10〜13]や、理論計算の結果[14]からも裏付けられている。IPRを破るSc2@C66分子が安定構造となり得たのも、Sc2ダイマーからC66ケージへの2個の電子の移動により、ケージの歪みエネルギーが緩和されたためと考えられる。
5.おわりに
本研究により、IPRを破る初めてのフラーレンSc2@C66の構造が決定され、IPRはもはや金属内包フラーレンの分子構造安定性の指標にはなり得ない事が明らかになった。言いかえれば、金属を内包させることで、IPRを破っても安定な新奇なフラーレンを創成することが可能になったということである。それは、金属を内包させIPRを破ることで5員環の数がより多いC60よりも小さなフラーレンを安定に創り出すことことができる可能性も秘めている。一方、フラーレン分子を、ナノチューブに詰めこんだ、“Peapod”と呼ばれる全く新しい概念の複合物質が生み出されている。篠原、飯島らの研究グループは、金属内包フラーレンをナノチューブに数珠繋ぎに内包したカーボンナノチューブも創り出すことに成功している[15]。この様に、IPRを破るフラーレンはナノチューブに内包するフラーレンのバラエティーを拡げ、様々な物性を示す機能性物質をナノスケールでデザインする可能性を広げ、将来ナノテクノロジーの基幹技術の一端を担うものと期待される。
謝 辞
本研究は名古屋大学大学院理学研究科の王 春儒博士、甲斐 力博士、冨山徹夫博士との共同研究である。MEM解析のプログラムについては島根大学総合理工学部の田中宏志助教授にご協力頂いた。また、BL02B2大型デバイシェラーカメラの周辺部品の実験装置工作については、名古屋大学工学部応用物理学科工作室の涌井義一氏、熊沢克芳氏、鷲見高雄氏、小塚基樹氏に協力して頂いた。
本研究は、文部省科学研究費補助金、未来開拓学術研究費、住友財団、村田学術振興財団、豊田理化学研究所の援助のもとに行われた。
参考文献
[1]H.Kroto : Nature 329(1987)529.
[2]T.G.Schmalz, W.A.Seitz,D.J.Klein and G.E.Hite : J.Am.Chem.Soc.,110(1988)1113.
[3]C.R.Wang,T.Kai,T.Tomiyama,T.Yoshida,Y.Kobayashi,E.Nishibori,M.Takata,M.Sakata and H.Shinohara : Nature 408(2000)426.
[4]M.Takata,B.Umeda,E.Nishibori,M.Sakata,Y.Saito,M.Ohno and H.Shinohara : Nature 377(1995)46.
[5]高田昌樹、西堀英治、坂田 誠:放射光13(2000)20.M.Takata,E.Nishibori and M.Sakata : Z.Kristallogr.216(2001)71.
[6]高田昌樹、山片正明:SPring-8利用者情報Vol.5,No.3(2000)88.
[7]坂田誠、高田昌樹、西堀英治:SPring-8利用者情報(2000)194
[8]M.Sakata and M.Sato : Acta Cryst.A46(1990)263.
[9]M.Sakata and M.Takata. : High Pressure Research, 14(1996)327.
[10]E.Nishibori,M.Takata,M.Sakata,H.Tanaka,M.Hasegawa and H.Shinohara : Chem.Phys.Lett.330(2000)497.
[11]E.Nishibori,M.Takata,M.Sakata,M.Inakuma and H.Shinohara : Chem.Phys.Lett.298(1998)79.
[12]M.Takata,E.Nishibori,B.Umeda,M.Sakata,E.Yamamoto and H.Shinohara : Phys.Rev.Lett.78(1997)3330.
[13]M.Takata,E.Nishibori,M.Sakata,M.Inakuma,E.Yamamoto and H.Shinohara : Phys.Rev.Lett.83(1999)2214.
[14]K.Kobayashi : Dissertation for a Degree of Doctor of Science,Tokyo Metropolitan University(1997);S.Nagase,K.Kobayashi,T.Akasaka : J.Comput.Chem.17(1997),232.
[15]K.Hirahara,K.Suenaga,S.Bandow,H.Kato,T.Okazaki,H.Shinohara and S.Iijima : Phys.Rev.Lett.,85(2000)5384.
高田 昌樹 TAKATA Masaki
名古屋大学大学院 工学研究科 応用物理学専攻
〒464-8603 名古屋市千種区不老町
TEL・FAX:052-789-4455
e-mail:takata@nuap.nagoya-u.ac.jp
略歴:
1987年 広島大学大学院 理学研究科博士課程後期修了
1987年 名古屋大学 工学部助手
1997年 島根大学 総合理工学部助教授
1999年 名古屋大学大学院 工学研究科助教授
西堀 英治 NISHIBORI Eiji
名古屋大学大学院 工学研究科 応用物理学専攻
〒464-8603 名古屋市千種区不老町
TEL:052-789-3702 FAX:052-789-4455
e-mail:eiji@mcr.nuap.nagoya-u.ac.jp
略歴:
1997年 名古屋大学大学院 工学研究科博士課程前期修了
1997年 名古屋大学大学院 工学研究科助手
坂田 誠 SAKATA Makoto
名古屋大学大学院 工学研究科 応用物理学専攻
〒464-8603 名古屋市千種区不老町
TEL:052-789-4453 FAX:052-789-4455
e-mail:a40366a@nucc.cc.nagoyau.ac.jp
略歴:
1974年 東京教育大学大学院 理学研究科博士過程修了
1975年 名古屋大学 工学部助手
1979年 英国シェフィールド大学助手
1980年 名古屋大学 工学部助教授
1995年 名古屋大学大学院 工学研究科教授
篠原 久典 SHINOHARA Hisanori
名古屋大学大学院 理学研究科 物質理学専攻
〒464-8602 名古屋市千種区不老町
TEL:052-789-2482
e-mail:nori@chem2.chem.nagoya-u.ac.jp
略歴:
1979年 京都大学大学院 理学研究科博士過程中退
1979年 分子科学研究所助手
1989年 三重大学工学部助教授
1993年 名古屋大学大学院 理学研究科教授