Volume 27, No.4 Pages 349 - 353
2. ビームライン/BEAMLINES
高エネルギーX線用多層膜分光器の設計と導入
Design and Installation of Double Multilayer Monochromators for High-Energy X-rays
(公財)高輝度光科学研究センター ビームライン技術推進室 Beamline Division, JASRI
- Abstract
- SPring-8の大きな特徴の一つである100 keV前後の高エネルギーX線は、物質の透過能が高く金属内部の観察など利用分野は多様である。分光にあたり結晶では高次の反射面を用いることになり、エネルギー幅が必要以上に狭くなりすぎフラックス低下が課題である。エネルギー幅を結晶と比べ2桁以上広く設計可能な多層膜素子を用いた多層膜分光器は、試料を明るく照明可能な分光手段である。一方、高エネルギーX線用多層膜分光器をビームラインに導入するには、分光器の大きさや多層膜素子の精度などいくつかの考慮すべき技術課題がある。本稿では多層膜分光器の設計例を示し、最近、利用可能となった偏向電磁石ビームラインBL20B2とアンジュレータビームラインBL05XUにおける多層膜分光器の導入例を紹介する。
1. はじめに
SPring-8では、シリコン結晶分光器がほぼ全ての硬X線ビームラインに装備されている。SPring-8の標準的な二結晶分光器(Double Crystal Monochromator: DCM)ではSi 111面により4.5~38 keVをエネルギーバンド幅0.013%で利用可能である。より高いエネルギーにはSi 311やSi 511結晶が用いられる。Si 511の100 keVに対するエネルギーバンド幅は0.001%となり、エネルギーバンド幅が狭くなるほどエネルギー分解能は向上するが、光強度は低下し、結晶の姿勢に対して敏感となる。
高エネルギー領域では、イメージングや蛍光X線分析、高フラックスが必要な回折実験(二体分布関数解析など)のように光強度や安定性を必要とするが、エネルギー分解能は結晶分光器ほど必要としない利用が多数ある。そこで、高エネルギー領域において十分な反射率を有しつつ、エネルギー幅を広く設計可能な分光素子として2枚の多層膜ミラーを用いた多層膜分光器(Double Multilayer Monochromator: DMM)の設計と導入を進めてきた。本稿では、2020年以降の偏向電磁石ビームラインとアンジュレータビームラインにおける導入・試験例を紹介する。
2. 高エネルギーX線用多層膜分光器
本稿で紹介するようなX線分光で一般的な多層膜は、軽元素層(カーボン、炭化ホウ素、シリコンなど)と重元素層(クロム、モリブデン、タングステンなど)の2種類の元素のペアをシリコンなどの平面基板上に数十から数百層、精度良く積み重ねた構造をしている。多層膜の周期長dはブラッグの関係式から以下のように与えられる。
ここでmは反射の次数、λはX線の波長、n = 1 - δは多層膜の平均の屈折率(δは1からのずれ量)、θは斜入射角である。多層膜の最小周期長は成膜の都合から2 nm程度である。これ以下になると界面粗さや拡散などにより反射率が急激に減少する。100 keVのX線を考えるとδは10-7程度でありnはほぼ1となり斜入射角は3 mrad程度と浅い角度となる。入射ビームを受光するために例えば2 mmの開口では、600 mm以上の長い基板が必要となる。また、光源からのガンマ線とX線を分離し遮蔽するために、分光器出射後のX線はSPring-8では通常30 mmのオフセットを設けている。入射ビームと平行に出射ビームを取り出すには、2枚の多層膜素子を5 m程度離す必要がある。偏向電磁石ビームラインの場合では横幅の広いビームを利用するため、長さだけでなく幅の広い基板と均質な多層膜が必要となり、大面積の高精度な研磨と成膜技術が必要となる。
二結晶分光器のように定位置出射で、広範囲に連続的にエネルギー可変とすることは、大きな素子を長距離に移動させる必要があり現実的ではない。そのため、利用で求められる離散的な特定のエネルギーに特化して設計する。
40 keVおよび110 keV用多層膜の反射率を横軸エネルギーとした計算例を図1に示す。目的のエネルギー(40 keVと110 keV)のほか、30 keV以下の全反射成分も同軸上に混入するので、フィルタなどにより除去する必要がある。分光器の前に適切な厚さの水冷フィルタを挿入することで、全反射成分のほか、多層膜への入熱も減らすことができ、熱変形低減や長期安定性の向上に有益である。
多層膜反射率のピーク幅は、密度差が大きい材料系ほど、また斜入射角が小さい(多層膜周期が大きい)ほど、広がる傾向にある。これにより目的のエネルギーバンド幅に合わせてある程度設計できる。また、多層膜の密度と粗さによってもピーク幅が変化するので、使用する多層膜ミラーのパラメータと近い条件で成膜された多層膜の密度と粗さを予め知っておくことも重要となる。
図1 W/B4C多層膜の反射率計算例。パラメータは表1を使用した。
エネルギー(keV) | 40 | 110 |
周期長(nm) | 3.85 | 1.908 |
周期数 | 50 | 200 |
斜入射角(mrad) | 4.29 | 3.00 |
3. 偏向電磁石ビームラインへの導入例
ビームライン再編計画に基づき中尺ビームラインBL20B2に、高エネルギーX線(40 keVと110 keV)による広視野・高速イメージングのために多層膜分光器を導入した[1][1] T. Koyama et al.: J. Synchrotron Rad. 29 (2022) 1265-1272.。40 keVは主に血管造影や材料破壊の高速現象をとらえること、110 keVは電子デバイスや比較的大きな化石などの高精細画像を得ることを目的としている[2][2] 上杉健太朗他: SPring-8/SACLA利用者情報 26 (2021) 448-449.。
多層膜素子はシリコン平面基板(長さ820 × 幅80 × 厚さ60 mm3)上のタングステンと炭化ホウ素の多層膜とし、40 keV及び110 keV用の設計パラメータを表1に、光源とフィルタと多層膜の反射率を考慮したフラックス密度のエネルギー分布の計算例を図2に示す。目的の高エネルギー領域において高い反射率が得られることが期待される。110 keV使用時には0.3 mm厚さの銅板を挿入することで、フラックスを十分確保しつつ、全反射成分を大きく除去し、多層膜ミラーに吸収される熱量を123 Wから55 Wに半減できる。
図2 光源とフィルタおよび(a) 40 keV多層膜分光器、(b) 110 keV多層膜分光器後のBL20B2の実験ハッチ3におけるフラックス密度。
光学ハッチ内には、図3に示すように、スリットと水冷フィルタの下流に、110 keV用の多層膜素子(M1aとM2a)と40 keV用の多層膜素子(M1bとM2b)を配置し、SPring-8標準型の二結晶分光器(DCM)と同じ30 mmオフセットで平行にビームを実験ハッチに導いている。これら素子はいずれも超高真空チャンバ内で水冷されている。エネルギーの切替えは素子の退避・挿入によって行われ、多層膜分光器の配置を工夫して二結晶分光器の中の2枚の結晶の間をすり抜ける光路を実現している。水冷フィルタは合計11種の材料と厚さを選択できる。M2aとM2bチャンバ内には2枚の多層膜ミラーを並列して設置しており、並進ステージにより切り替える。多層膜ミラーの姿勢は3台の上下並進ステージにより、上下、斜入射角、ロール角を制御する。M1a、M1bにはベント軸を設けミラーの自重たわみおよび熱負荷による変形を補正する。BL20B2では光源から200 m離れた実験ステーションに110 keVで幅300 mm × 高さ14 mmの大面積で均一なX線が求められている。素子のわずかな歪みにより高さ方向のビームサイズが変わってしまうため、ベント軸によりビーム変形を補正している。多層膜分光器と二結晶分光器を、超高真空雰囲気を損なうことなく自在に切り替え可能としており、広範な利用ニーズに応えられる光学配置とした。
図3 BL20B2光学ハッチの多層膜分光器の配置図。
2019年から設計検討に着手し、2020年12月から改造工事を進め、2021年4月から立上調整・評価、2021B期から供用開始した。各実験ハッチ(EH1:光源から44 m、EH3:光源から210 m)におけるフラックス密度(ph/s/mm2)の測定値は40 keVで1.4 × 1012(EH1)、6.9 × 1010(EH3)、110 keVで3.9 × 1010(EH1)、1.6 × 109(EH3)で、結晶分光器と比べて約2桁増を達成した。また、エネルギーバンド幅の測定値は40 keVで4.2%、110 keVで0.9%であった[1][1] T. Koyama et al.: J. Synchrotron Rad. 29 (2022) 1265-1272.。
4. アンジュレータビームラインへの導入例
次世代光源に向けた高エネルギー・高フラックス光学系開発のため、理研の施設開発IDビームラインBL05XUでは各種の光学機器の試験が進められている[3][3] H. Yumoto et al.: Proc. SPIE 11492 (2020) 114920I.。2019年度末にフロントエンド部と光学ハッチ内機器の大規模改修を終え、いくつかの種類の多層膜をSPring-8キャンパス内で成膜し、評価を進めている。
改修当初から2020年末までは、30~40 keV用の多層膜分光器の試験を行った。長さ250 mmのシリコン平面基板上に、タングステンとカーボンのペアを周期長5.9 nmで20周期成膜した。成膜時間は1枚当たり17時間程度である。図4に示すM1とM2aの位置に設置した。BL05XUでは出射ビームの高さを変える(30 mmと22.5 mm)ことで、1組の多層膜で、斜入射角4 mradで30 keV、3 mradで40 keVを出射可能とした。アンジュレータの3次光を切り出しており、エネルギーを40 keVに設定したときのスペクトルを図5(a)に示す。全反射成分を除去し多層膜への入熱を軽減するためのフィルタは、アンジュレータではパワー密度が高いためダイヤモンドからモリブデンまでのフィルタを多段に挿入し過度の温度上昇を防ぎつつ間接水冷で対応可能な構造とした[3][3] H. Yumoto et al.: Proc. SPIE 11492 (2020) 114920I.。
図4 BL05XU光学ハッチの多層膜分光器と集光ミラーの配置図。
図5 光源とフィルタおよび多層膜分光器後のフラックス。(a) 40 keV多層膜分光器設置時、(b) 100 keV多層膜分光器(現在)。
実測されたビームサイズは光源から約62 m地点の開発試験エリアで5 mm(H) × 1.2 mm(V)である。30(40)keVにおいてダイヤモンド1.2 mm厚とSiC 1.4 mm厚のフィルタを挿入して評価し、フラックス1.2 × 1015(6.5 × 1014)ph/s、エネルギーバンド幅1.5(1.7)%となり、Si 111結晶分光器と比較して100倍増を達成した。この高フラックス40 keVビームは、先導的試験利用として高圧その場環境下におけるSiO2ガラスの高精度構造測定に利用された[4,5][4] 河野義生: SPring-8/SACLA利用者情報 本号.
[5] Y. Kono et al.: Nat. Commun. 13 (2022) 2292.。
2021年には100 keV用多層膜に交換し、フラックス、エネルギースペクトルの評価や、冷却方式の技術開発を進めている。100 keV用多層膜は、クロムとカーボンの150周期で、周期長は3.33 nmであり、成膜時間は1枚あたり80時間を要している。100 keV用多層膜は図4に示すM1とM2bの位置に設置し、斜入射角は1.9 mradで、アンジュレータの19次光を多層膜分光器で分光する(図5(b))。アンジュレータの19次光はメインピークの裾に不要な成分が現れるため、これを除去するために多層膜反射率の幅をメインピークの幅と同程度の1%程度と設定した。多層膜材料は密度差の小さい材料系としクロムとカーボンを採用している。実測されたビームサイズは5 mm(H) × 0.8 mm(V)、フラックスは3 × 1013 ph/s、エネルギーバンド幅は1.0%となり、Si 511と比較して290倍増を達成した[6][6] H. Yumoto et al.: to be submitted.。すでに高速イメージングなどの先導研究が始まっている。
さらに、タングステンとカーボンの50周期の多層膜ミラーを利用したKB(Kirkpatrick-Baez)配置の集光光学系の開発・評価を行っている。100 keV多層膜分光器と組み合わせることで、ビームサイズ5 µm(H) × 0.3 µm(V)、フラックス1 × 1012 ph/sの高フラックスモードでの100 keVマイクロビームを実現した。また、フラックスは低下するが、フロントエンドスリットの横方向を制限し、ビームサイズ0.3 µm(H) × 0.3 µm(V)、フラックス6 × 1010 ph/sの高空間分解能モードも装備している[7][7] T. Koyama et al.: to be submitted.。
5. まとめ
偏向電磁石ビームラインBL20B2とアンジュレータビームラインBL05XUにおける多層膜分光器の導入例を示した。すでに高速イメージングや回折実験などが進められている。高フラックスかつ高エネルギーのX線は他の施設と比べてもSPring-8の特徴であり、高エネルギー用光学素子の開発と利用機会の拡大は急務である。
高エネルギービームの均質化のために素子基板や多層膜の精度向上が求められており、また、110 keVを越える高いエネルギー領域に適応可能な多層膜の開発も課題である。あわせて高エネルギー用検出器の進展も求められる。
ビームライン再編計画では、高フラックスの100 keVビームの利用ニーズ拡大に応えるように、数年以内にアンジュレータビームラインにおける100 keV多層膜分光器の新たな整備を予定している。高エネルギー領域での高フラックスのマイクロビームの汎用化は、比較的厚い金属内部の微細な構造観察や、産業界などでニーズの高い実環境に近い試料や雰囲気での動的な観察など、利用分野の拡がりや、新たな手法の開拓が進むものと期待される。
謝辞
多層膜分光器の立ち上げと評価は、それぞれのビームライン担当者と関係スタッフと共に、JASRIのビームライン技術推進室及び理研の物理・化学系ビームライン基盤グループと制御情報・データ創出基盤グループによるビームライン改編に関わる研究員・技術職員の共同成果を代表して紹介したものである。BL20B2多層膜分光器の立ち上げ、評価はインハウス課題2021A2084に基づいて実施された。
参考文献
[1] T. Koyama et al.: J. Synchrotron Rad. 29 (2022) 1265-1272.
[2] 上杉健太朗他: SPring-8/SACLA利用者情報 26 (2021) 448-449.
[3] H. Yumoto et al.: Proc. SPIE 11492 (2020) 114920I.
[4] 河野義生: SPring-8/SACLA利用者情報 本号.
[5] Y. Kono et al.: Nat. Commun. 13 (2022) 2292.
[6] H. Yumoto et al.: to be submitted.
[7] T. Koyama et al.: to be submitted.
(公財)高輝度光科学研究センター
ビームライン技術推進室
〒679-5198 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
TEL : 0791-58-0831
e-mail : koyama@spring8.or.jp
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