Volume 26, No.4 Pages 356 - 359
1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
(SPRUC 2021 Young Scientist Award受賞 研究報告)
GeV光子ビームを用いたハドロン質量起源の探索
Study of the Origin of Hadron Mass using GeV Photon Beam
大阪大学 核物理研究センター Research Center for Nuclear Physics, Osaka University
- Abstract
- BL31LEP(LEPS2ビームライン)では、GeVエネルギー領域の光子ビームを用いた原子核ハドロン実験を行っている。GeV光子ビームはSPring-8蓄積リングにレーザー光を入射し、8 GeV電子との逆コンプトン散乱により生成している。LEPS2実験棟において2014年から開始したBGOegg実験では、η'中間子をプローブとしたハドロンの質量起源を探る実験が行われている。本報告では、BL31LEPビームラインの紹介、およびハドロンの質量生成機構を探る鍵となるη'中間子−原子核束縛状態探索実験の結果を報告する。
1. BL31LEP(LEPS2ビームライン)
BL31LEP(LEPS2ビームライン)は、SPring-8で唯一のハドロンを研究対象とした専用ビームラインである。ハドロンとは強い相互作用で結びついてできた複合粒子を差す。クォーク3つから成る陽子や中性子、クォーク・反クォークから成るπ中間子などがハドロンである。前身のBL33LEP(LEPSビームライン)で行われてきたLEPS実験ではクォーク・反クォーク5つから成るエキゾチックなハドロンであるペンタクォークや、u、dクォークよりも重いsクォークの入ったハドロンの研究などが行われてきた[1,2][1] T. Nakano et al.: Phys. Rev. C 79 (2009) 025210.
[2] S. Y. Ryu et al.: Phys. Rev. Lett. 116 (2016) 232001.。ハドロン反応の測定には大型検出器が必要であり、実験ハッチが蓄積リング棟内にあるLEPSビームラインでは検出器が散乱前方の領域のみにしか設置できないことが問題となっていた。そこで2011~2012年に、新しいビームラインBL31LEP(LEPS2ビームライン)、および蓄積リング棟外に広いLEPS2実験棟が建設された。図1にLEPS2実験棟の内部を示す。BGOegg検出器(図2)はGeV領域のガンマ線エネルギーを世界最高分解能(1 GeVで1.3%)で測定できる大立体角電磁カロリメーター検出器である[3][3] T. Isihikawa et al.: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res. Sect. A 837 (2016) 109-122.。2014年度より、π0中間子(→ γγ)、η中間子(→ γγ)といった、ガンマ線に崩壊するハドロンの研究を主目的としたBGOegg実験が開始した。LEPS2スペクトロメーターはソレノイド電磁石を用いた、荷電粒子およびガンマ線に崩壊するハドロンの両方を大立体角で測定可能なシステムである[4][4] S. Y. Ryu and the LEPS2 collaboration: AIP Conf. Proc. 2249 (2020) 030024.。2021年度よりLEPS2スペクトロメーターを用いたLEPS2スペクトロメーター実験が開始している。筆者はBGOegg実験に用いる検出器のうち、Resistive Plate Chamber(RPC)検出器と呼ばれる、粒子の飛行時間測定用の検出器の開発を担当した。日本では利用例のない検出器で、2010年より開発を開始し、250 cm2の大面積読み出しストリップで、60 psの時間分解能を持つRPC検出器の開発に成功した。2014年には実機の製作およびインストールを行った(図3)[5-7][5] N. Tomida et al.: J. Instrum. 9 (2014) C10008.
[6] N. Tomida et al.: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res. Sect. A 766 (2014) 283-287.
[7] N. Tomida et al.: J. Instrum. 11 (2016) C11037.。
図1 LEPS2実験棟内部
図2 BGOegg検出器
図3 Resistive Plate Chamber(RPC)検出器
2. レーザー電子光
BL31LEP(およびBL33LEP)では、SPring-8蓄積リングにレーザーを入射し、レーザー光と8 GeV電子の逆コンプトン散乱によりGeVエネルギーのガンマ線ビームを生成している。この高エネルギーガンマ線はレーザー電子光(Laser Electron Photon(LEP))と呼ばれ、ビームライン名となっている。波長355 nm(3.49 eV)の紫外線レーザーを用いた場合のガンマ線のエネルギー分布を図4に示す。ガンマ線のエネルギーはイベント毎に異なるため、逆コンプトン散乱後の反跳電子のエネルギーを測定することで、イベント毎にガンマ線のエネルギーを求めている。逆コンプトン散乱でエネルギーを失った反跳電子は、偏向電磁石において、8 GeV電子軌道よりも内側に曲げられる。この反跳電子の飛跡を、偏向磁石下流のビームチェンバー外に設置したタギング検出器と呼ばれる検出器で測定することにより、反跳電子のエネルギーを求める。ガンマ線のエネルギーが低い(反跳電子のエネルギーが大きい)場合は、チェンバー外まで電子が曲がらないため、測定できるガンマ線のエネルギー領域が限られる。BL31LEPでは1.3 GeV以上の光子ビームエネルギーの場合にエネルギー測定が可能である。このように逆コンプトン散乱が起きた電子は蓄積リングの軌道から外れるため、前身のLEPS実験開始当初はレーザー入射を開始すると、ビーム寿命の変化が見られた。2004年5月以降は蓄積リングに常に電子を入射し続けるトップアップ運転が行われているため、他実験への影響はない[8,9][8] 田中均、大熊春夫:SPring-8/SACLA利用者情報 8 (2003) 298-304.
[9] 田中均、木村洋昭:SPring-8 News 17 (2004) 2-4.。
図4 波長355 nmのレーザーを用いた場合のレーザー電子光のエネルギー分布
3. η'中間子−原子核束縛状態探索
陽子は938 MeV/c2の質量を持つ一方、陽子の構成要素とされるクォークの質量は3つ合わせて10 MeV/c2程度と、陽子の質量のわずか1%程度である。残りの質量の大部分は強い相互作用のメカニズムによって形成されるとされているが、実験でそのメカニズムを測定することは難しく、陽子を始めとしたハドロンの質量生成起源についてはまだ充分に理解が進んでいない。BGOegg研究グループでは、質量生成機構を実験的に検証できるハドロンとして、η'中間子(958 MeV/c2)に着目した。質量生成機構の一部は密度依存性を持つとされ、η'中間子は高密度中で大きく質量が減少するとされる中間子である。原子核内部は2.5 × 1014 g/cm3と高密度であり、理論モデル計算により、η'中間子は原子核内で37−150 MeV/c2の大きな質量の減少が予想されている。原子核内で大きな質量の減少があると、η'中間子は原子核内にいる方が真空中よりも安定するため、η'中間子と原子核は束縛状態を形成する。この束縛状態のポテンシャルが、η'中間子の原子核内での質量減少に相当すると考えられる。BGOegg実験グループでは、前述のガンマ線ビームを用い、γ + 12C → [η' + 11B]bound + p反応により、η'中間子−11B原子核束縛状態の探索、およびポテンシャルの大きさの評価を行った。実験データは2015年に取得し、2020年に論文発表を行ったものである[10][10] N. Tomida et al., (LEPS2/BGOegg collaboration): Phys. Rev. Lett. 124 (2020) 202501.。
η'中間子−原子核束縛状態は、γ + 12C → X + p反応のγ(ガンマ線)とp(陽子)のエネルギーを測定することによりXの質量を求めるミッシングマス法を用いて探索を行った。η'中間子の生成閾値付近では、多重π中間子生成によるバックグラウンドが多く、γとpのみの測定ではη'中間子生成イベントを同定するのが難しい。バックグラウンドを抑制するため、η'中間子が原子核内で陽子に吸収されることによりη中間子を放出する、η'p → ηp反応で放出されるη中間子−陽子対の同時測定を世界で初めて行った。すなわち探索したのは以下の反応である。
γ + 12C → [η' + 11B]bound + p
η' + p → η + p
ガンマ線のエネルギーをタギング検出器で、(η + p)対をBGOegg検出器で、前方へ飛行するpをRPC検出器で測定した。
図5に黒点で(η + p)対を同時測定した際のミッシングマスとη中間子の放出角度の分布を示す。横軸のミッシングマス(Eex-E0)は0 MeVをη'中間子の生成閾値としており、η'中間子−原子核の束縛状態は、-50~50 MeVあたりに観測される。η中間子の放出角度が前方(cos(η)~1)のイベントを中心に、大量のバックグラウンドイベントが観測された。このバックグラウンドイベントについて詳細な解析を行い、(η + p)対の同時測定により、多重π中間子生成からのバックグラウンドイベントは大きく抑制できているものの、γ + 12C → p + η + 11B反応や、γ + 12C → p + (η + π0) + 11B反応といった、初期反応によりη中間子が前方に放出されるバックグラウンドイベントが残っていることが分かった。
図5 γ + 12C → X + p反応のミッシングマス(Eex-E0 = 0 MeVをη'中間子の生成閾値とする)およびη中間子の角度分布。(η + p)対にバックグラウンドを抑制する運動学的条件をかける前(黒点)とかけた後(青点)。赤が信号領域。
η'中間子−原子核束縛状態から放出される(η + p)対は束縛状態からの二次反応で生成されるため、η中間子とpが反対方向に等方的に放出されるという特徴を持つ。そこでη'中間子−原子核束縛状態の信号を残し、バックグラウンドイベントを落とすように、次のような(η + p)対の運動学的条件を決定した。(1)η中間子とpが反対方向に放出(cos(η-p) < -0.9)、(2)他に観測されていない生成粒子がいない、(3)pは前方に放出されていない(cos(p) < 0.5)、(4)η中間子は後方に放出(cos(η) < 0)。(1)~(3)を満たすイベントを図5に青点で示す。(4)を満たす信号領域(赤色)にイベントは観測されず、本実験ではη'中間子−原子核束縛状態と考えられるイベントは観測されなかった。この結果から、(η + p)対の放出を伴うη'中間子−原子核束縛状態の生成断面積の上限は、90%の信頼水準で2.2 nb/srとの制限を与えた。
また、前方陽子を伴うη'中間子の生成率の評価のために、η'中間子が原子核に束縛されずに放出されるγ + 12C → η' + X + p反応のミッシングマス測定も世界で初めて行った。測定した生成率を用いて規格化したη'中間子−原子核束縛状態生成の理論予想断面積と、実験で得られた(η + p)対を伴うη'中間子−原子核束縛状態の生成断面積上限値の比較を行った。その結果、η'p → ηp吸収反応の分岐率が小さいか、η'中間子−原子核束縛状態のポテンシャルが浅いことを示唆した。
4. 今後の展望
BGOegg実験グループでは、今後の第二期計画として、η' → γγ崩壊反応のガンマ線を測定することでη'中間子の原子核内での質量を直接測定する実験を計画している。またη'中間子−原子核束縛状態については、η'p → ηp反応以外の有力な吸収反応の候補である、η'pp → pp反応モードの解析を行いたいと考えている。LEPS2スペクトロメーター実験は2021年度より定常的なデータ取得を開始しており、ペンタクォークなどエキゾチックなハドロンの研究成果が期待される。
謝辞
本研究はLEPS2/BGOegg collaborationにより行われた共同研究です。本研究はBL31LEPにおいて課題番号BL31LEP/6101のもと行われました。安定なビーム供給にあたっていただいたJASRIスタッフの方々に感謝申し上げます。本研究は文部科学省科研費 新学術領域研究JP21105003、JP24105711、JP18H05402、日本学術振興会科研費 特別推進研究JP19002003、基盤研究(A)JP24244022、若手研究(A)JP16H06007、基盤研究(C)JP19K03833、特別研究員奨励費JP24608、韓国研究財団2017R1A2B2011334、台湾科技部の助成を受けたものです。
参考文献
[1] T. Nakano et al.: Phys. Rev. C 79 (2009) 025210.
[2] S. Y. Ryu et al.: Phys. Rev. Lett. 116 (2016) 232001.
[3] T. Isihikawa et al.: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res. Sect. A 837 (2016) 109-122.
[4] S. Y. Ryu and the LEPS2 collaboration: AIP Conf. Proc. 2249 (2020) 030024.
[5] N. Tomida et al.: J. Instrum. 9 (2014) C10008.
[6] N. Tomida et al.: Nucl. Instrum. Methods Phys. Res. Sect. A 766 (2014) 283-287.
[7] N. Tomida et al.: J. Instrum. 11 (2016) C11037.
[8] 田中均、大熊春夫:SPring-8/SACLA利用者情報 8 (2003) 298-304.
[9] 田中均、木村洋昭:SPring-8 News 17 (2004) 2-4.
[10] N. Tomida et al., (LEPS2/BGOegg collaboration): Phys. Rev. Lett. 124 (2020) 202501.
大阪大学 核物理研究センター
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