Volume 24, No.1 Pages 2 - 6
1. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
専用ビームラインの研究から ~BL33XU(豊田中央研究所)~
固体高分子形燃料電池用ガス拡散層における水分布のオペランドX線ラジオグラフィーによる観察
Observation of Liquid Water Distribution in Gas Diffusion Layers for Polymer Electrolyte Fuel Cells by Operando X-ray Radiography
[1](株)豊田中央研究所 分析部 量子ビーム解析研究室 Quantum Beam Analysis Lab., Materials Analysis & Evaluation Dept., Toyota Central R&D Labs., Inc.、[2](株)豊田中央研究所 要素研究企画室 Core Technology Planning Office, Toyota Central R&D Labs., Inc.、[3]トヨタ自動車(株) FC基盤開発部 Fuel Cell System Fundamental Development Div., Toyota Motor Corporation、[4]トヨタ自動車(株) パワートレーン統括部 PT管理室 Powertrain Administration Dept., Powertrain Management Div., Toyota Motor Corporation、[5](株)SOKEN SP-SES室 SP-SES Div., SOKEN, INC.、[6](株)SOKEN 研究3部 34研究室 Research Dept.34, Research & Development Div.3, SOKEN, INC.
- Abstract
- 固体高分子形燃料電池の高出力化の妨げとなっているフラッディング(多孔電極の細孔内に凝縮した水によって酸素拡散が阻害されることに起因する出力低下現象)を観察するために、BL33XUにオペランドX線ラジオグラフィー装置を開発した。この装置により、酸素還元反応により水が生成するカソードで、電極最表層であるガス拡散層の断面方向にわたる凝縮水分布を、ピクセル解像度1.3 µm、時間分解能1.6秒(露光時間1秒)で観察した。カソードガス拡散層の違いによる出力差を、観察された水分布の違いから電極面直方向および面内方向の酸素拡散阻害を推定することで説明した。
1. はじめに
クリーンで高効率な移動用電源として、固体高分子形燃料電池(polymer electrolyte fuel cell: PEFC)が注目されている。PEFCは、世界初の量産燃料電池車(fuel cell vehicle: FCV)として2014年12月にトヨタが生産を開始したMIRAIに搭載されている。PEFCを高出力化することは、MIRAIに続く普及フェーズのFCVに向けて必須である[1][1] D. Hayashi et al.: SAE Technical Paper (2017) 2017-01-1188.。PEFCとは、図1に示すように、固体高分子電解質膜の両側を電極ではさみ、一方の電極に燃料として水素、他方の電極に酸化剤として空気を供給して発電する装置である。このユニットをセルと呼び、一方の電極から他方の電極までを電極−電解質接合体(membrane-electrode assembly: MEA)と呼ぶ。水素を供給した電極はアノードとなり、水素酸化反応が起こってプロトンと電子とが生成される。生成されたプロトンは電解質膜を、電子は外部回路を通って空気を供給した電極(カソード)に到達し、そこで酸素還元反応が起こって水を生成する。典型的な電極は3層構造となっており、電解質膜に近い側から順に、触媒層、撥水層、拡散層基材と呼ばれている。撥水層から拡散層基材までをガス拡散層(gas diffusion layer: GDL)と呼ぶ。典型的な触媒層は、カーボンブラックなどの電子伝導性担体に白金族元素からなる電極触媒ナノ粒子が担持された触媒粉と、プロトン伝導性高分子電解質とからなる多孔電極である。担体のネットワークが電子の、高分子電解質のネットワークがプロトンの、細孔のネットワークが水素、酸素、水の経路となり、電極反応が電極触媒と高分子電解質との界面で起こる。典型的な撥水層は、電子伝導性ナノカーボンとポリテトラフルオロエチレン(PTFE)とで構成された、厚さ数十µmから百数十µmの多孔体である。典型的な拡散層基材では、バインダで結着したカーボン繊維の多孔体がPTFEで撥水化されており、厚さは百ないし数百µmである。撥水層、拡散層基材の電子伝導性材料は電子の、細孔は水素、酸素、水の経路となる。
図1 固体高分子形燃料電池の模式図。層厚さの比率は実際と異なる。
PEFCには、運転電流密度を上げるほどセル電圧が下がるという特性がある。セルの高出力化を目指すにあたっては、セル電圧を下げる要因を特定して対策を立てなければならない。セル電圧を下げる要因には、触媒活性、オーム抵抗、物質輸送の3つがある。本研究は、物質輸送を対象としている。物質輸送が特に問題となるのは、酸素還元反応が起こる電極である。酸素輸送と電圧低下とは、次のような関係になっている。(i)GDLを通っての電極触媒への酸素供給は、主に拡散によるもので、これは濃度勾配を駆動力としている。(ii)運転電流密度を上げると、それに対応して酸素拡散流束が増え、濃度勾配が急になり、その結果電極触媒表面での酸素濃度が低くなる。(iii)低酸素濃度下でも所定の電流密度となるよう電極反応速度を維持する反応駆動力を得るために、電圧が下がる。
拡散による酸素濃度低下は、GDLを通過する際の有効拡散係数で特徴づけられる。有効拡散係数を下げる因子には、GDLの多孔構造と、さらにPEFCに特徴的な現象として、GDLの細孔内に存在する液体の水(液水と呼ぶ)とがある。液水による有効拡散係数低下は、特に、運転電流密度が高い時、すなわち単位時間当たりの生成水量が多い時や、セル温度が低くて水蒸気圧が低い時に顕著になる。
液水による出力低下は、フラッディングと呼ばれており、実用化に向けた開発当初からPEFCの克服課題として認識されていた[2][2] D. M. Bernardi: J. Electrochem. Soc. 137 (1990) 3344-3350.。世界的には、計算による液水分布予測[3-8][3] D. Natarajan and T. V. Nguyen: J. Electrochem. Soc. 148 (2001) A1324-A1335.
[4] T. Berning and N. Djilali: J. Electrochem. Soc. 150 (2003) A1589-A1598.
[5] Y. Wang and C.-Y. Wang: J. Electrochem. Soc. 153 (2006) A1193-A1200.
[6] X. D. Niu, T. Munekata, S. Hyodo and K. Suga: J. Power Sources 172 (2007) 542-552.
[7] J. T. Gostick, M. A. Ioannidis, M. W. Fowler and M. D. Pritzker: J. Power Sources 173 (2007) 277-290.
[8] P. A. García-Salaberri, J. T. Gostick, G. Hwang, A. Z. Weber and M. Vera: J. Power Sources 296 (2015) 440-453.やイメージングによる液水分布観察[9-12][9] M. C. Hatzell et al.: J. Electrochem. Soc. 158 (2011) B717-B726.
[10] P. Deevanhxay, T. Sasabe, S. Tsushima and S. Hirai: Electrochem. Comm. 34 (2013) 239-241.
[11] J. Eller, J. Roth, F. Marone, M. Stampanoni and F. N. Büchi: J. Electrochem. Soc. 164 (2017) F115-F126.
[12] R. Banerjee et al.: J. Electrochem. Soc. 164 (2017) F154-F162.が進められて来ている。著者らは、液水分布予測技術への展開をねらい、SPring-8豊田ビームラインBL33XUにPEFCオペランドX線ラジオグラフィー装置を構築した。
2. 装置
図2に、オペランドX線ラジオグラフィー用セル治具の概念図を示す。GDLは、大きさがX線透過方向に6 mm、それと垂直方向に4.05 mmの長方形である。MEAは黒鉛材製の流路兼集電体で挟まれた上でMEAの表面が鉛直になるように設置されており、流路は、ガスがGDL表面を流れる方向とX線透過方向とが同じになるように設けられている。黒鉛材周囲は、ガス漏れを起こさないように接着剤で固めてある。黒鉛材の大きさは、X線透過方向に10 mmである。これらの寸法は、液水の定量化精度とMEAの取り扱いやすさから決めた。黒鉛材は、内側から外側に向かって、端子板、絶縁板、エンドプレートで挟まれている。端子板には金メッキが施され、黒鉛材との接触抵抗低減が図られている。セルを加熱するヒータおよび温度測定用の熱電対はエンドプレートに挿入されている。エンドプレートとセルとの温度差は、オフライン実験で較正してある。
図2 オペランドX線ラジオグラフィー用セル治具の概念図。
セルには、窒素、酸素−窒素混合ガスおよび水素が導入できるようになっている。窒素は漏れ試験、反応ガスの排出、配管やセル内部の乾燥、不活性雰囲気での実験に使う。酸化剤ガスは、酸素、窒素それぞれの流量をマスフローコントローラで調節して混合することで、任意の酸素濃度が実現できるように設計してある。これにより、大面積セルで起こりうる、空気入口付近の大気組成から、空気出口付近の低酸素濃度に及ぶ条件まで実現できる。ガスは、セル導入直前で、温度制御したバブラを通ることで加湿される。バルブ操作により、バブラを通さず、乾燥したままのガスを流すこともできる。なお、反応に使われなかった水素は、セル下流で大量の空気と混合された上で触媒燃焼装置を通って水になり、建屋外への排出ダクト内で濃度が400 ppm未満となるように処理される。
セルの電圧/電流制御には、ポテンショスタット/ガルバノスタット(potentiostat/galvanostat、PS/GS、HA-151B、北斗電工)を用いた。PS/GSの外部入力電圧をハッチ外から入力するよう配線し、ハッチ外に設置した任意関数発生器(HB-305、北斗電工)を用いて、ハッチ外からPS/GSを操作した。
ラジオグラフィーには、Si 111二結晶分光器で単色化したエネルギー11.4 keVの単色X線を用いた。このエネルギーは、触媒層に含まれる白金のL3吸収端よりわずかに低エネルギー側であり、白金によるX線吸収を抑えつつ水を認識しやすい条件として選択した。X線カメラ(浜松ホトニクス製、レンズカップリング型、CMOSセンサーはORCA-Flash4.0)は、GDLの端に7 mmの距離まで近づけた。これにより、サンプルによる透過X線の屈折効果をできる限り抑えた吸収像を得た。ピクセル解像度は1.3 µmを用い、1秒の撮像を約1.6秒毎に行った。セル内の水の量は、乾燥状態および運転中の透過像における透過X線強度IdryおよびIopの変化分が、液水による吸収の差のみに起因すると仮定し、等価な液水の厚さtとして、
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により求めた。ここで、µは液水の質量吸収係数である。なお、膜および触媒層中の高分子電解質は、含水によって膨潤する。膨潤によりGDLの位置が乾燥状態に対してずれるため、液水の厚さを算出する際は、GDL基材の多孔構造を反映して現れる濃淡を基準に位置合わせを行った。
3. 実験
カソードGDLのみ異なる2種類のセルA、Bについて、同じ電流密度での拡散層基材内の液水分布を比較した(課題番号:2015A7109)。セルを53°Cとし、アノードに水素を、カソードに酸素−窒素混合ガスをそれぞれ大過剰で供給した。ガスの背圧は大気圧とした。ガス加湿用のバブラの水温は、アノード、カソードでそれぞれ52.5、57.5°Cとした。その上で、電流制御でセルを運転しながら、X線透過像を撮影した。電流は、ゼロから物質輸送による電圧低下が顕著になるところまで掃引した後、10分間保持し、最後に電流ゼロまで2分かけて掃引した。
4. 結果および考察
同じ電流密度で所定時間保持した後のセル電圧を比較したところ、セルAはセルBより高かった。図3に、カソード拡散層基材について、式(1)によって求めた液水厚さを示す。いずれのセルでも、液水量は、流路に面した領域(流路下と呼ぶ)に比べて黒鉛材集電体に接した領域(リブ下と呼ぶ)の方が多いことが分かる。触媒層は反応に伴って発熱するため、面直方向では触媒層からGDL表面に向けて温度が下がる。黒鉛材の温度は外部から制御されているのに対し、流路を流れるガスや液水で持ち去ることができる熱は限られているため、リブ下は流路下より温度が低くなる。飽和蒸気圧は温度とともに上昇するため、温度の低いリブ下ではより水が凝縮しやすく、その結果液水量が流路下より多くなると考えられる。
図3 カソードGDL内の液水分布。流路、リブ、カソード触媒層からアノード拡散層までの領域は削除してある。(a) GDL A。(b) GDL B。
セルA、Bの電圧差と液水分布との関係を考察する。図3より、セルAよりセルBの方が、カソードGDL内のリブ下を中心に、液水の多い領域が面内方向(図の上下方向)に広がっていることが分かる。特に、流路下のリブ下寄りの部分(図3の点線で囲った領域)で、セルAはBより液水量が少ない。この領域では、AではBより酸素の有効拡散係数が大きく、流路からGDL基材に酸素が移動した後、酸素がGDL基材を触媒層に向かう向き(図の左向き)に拡散する時の濃度低下が小さいと考えられる(図4参照)。
図4 液水による酸素拡散阻害の模式図。水色部分は液水が存在することを示す。ただし、アノードGDLの水分布は表示していない。矢印は酸素拡散を、点線矢印は液水による酸素濃度低下が顕著であることを示す。(a) GDL A。(b) GDL B。
さらに、セルAでは、リブ下のGDL基材中、撥水層との境界付近に、Bより液水量が少ない領域があることが分かる(図3の一点鎖線で囲った領域)。この液水分布の差により、AはBより酸素が基材部を流路下からリブ下へ拡散する時の濃度低下が小さくなり、AはBよりリブ下の酸素濃度が高く保たれ、セル電圧が高くなっていると考えられる(図4参照)。
5. まとめ
BL33XUにPEFC用オペランドラジオグラフィー装置を構築し、セル断面方向のGDL内液水分布を観察した。カソードGDLのみ異なるセルの液水分布の違いから触媒層の酸素濃度分布差を推定し、同じ電流密度でのセル電圧差を説明した。液水量の多いところでの酸素濃度低下が大きいと考えることにより、セル電圧の高低が説明できることを示した。
セル電圧を決める水分布は、物質や熱輸送のバランスが成立したところで決まる。リブ下の酸素濃度が流路下の酸素濃度より低い場合、典型的には、リブ下での電流密度は流路下より低くなり、その結果、単位時間当たりの生成水量はリブ下で少なく、流路下で多い。他方、排水のための移動距離は、リブ下の方が流路下より長いため、排水抵抗はリブ下からの方が流路下からより高く、その結果リブ下の水は滞留しやすい。GDLの温度は、リブに接している部分ではリブの温度に等しく、この部分でGDL温度は最低となり、前述の通り最も水が凝縮しやすいと考えられる。この低温領域の広がりは、GDL面内方向の熱伝導度が高いほど流路下に広がると考えられる。さらに、反応速度分布は過電圧分布を伴うため、局所的な電流密度と過電圧との積で与えられる触媒層での発熱量は面内で分布し、これがGDLの温度分布に影響する。これらのバランスへの理解は、ラジオグラフィーによる液水分布観察結果と計算による液水分布予測との比較をすることで深まると考える。観察結果によって計算予測精度の検証がなされることで、セル内の物質移動モデルが改良され、より効果的なフラッディング対策につながっていくと考える。
参考文献
[1] D. Hayashi et al.: SAE Technical Paper (2017) 2017-01-1188.
[2] D. M. Bernardi: J. Electrochem. Soc. 137 (1990) 3344-3350.
[3] D. Natarajan and T. V. Nguyen: J. Electrochem. Soc. 148 (2001) A1324-A1335.
[4] T. Berning and N. Djilali: J. Electrochem. Soc. 150 (2003) A1589-A1598.
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[6] X. D. Niu, T. Munekata, S. Hyodo and K. Suga: J. Power Sources 172 (2007) 542-552.
[7] J. T. Gostick, M. A. Ioannidis, M. W. Fowler and M. D. Pritzker: J. Power Sources 173 (2007) 277-290.
[8] P. A. García-Salaberri, J. T. Gostick, G. Hwang, A. Z. Weber and M. Vera: J. Power Sources 296 (2015) 440-453.
[9] M. C. Hatzell et al.: J. Electrochem. Soc. 158 (2011) B717-B726.
[10] P. Deevanhxay, T. Sasabe, S. Tsushima and S. Hirai: Electrochem. Comm. 34 (2013) 239-241.
[11] J. Eller, J. Roth, F. Marone, M. Stampanoni and F. N. Büchi: J. Electrochem. Soc. 164 (2017) F115-F126.
[12] R. Banerjee et al.: J. Electrochem. Soc. 164 (2017) F154-F162.
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