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Volume 06, No.3 Pages 227 - 231

4. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH

K殻電離に伴う金197核励起現象の観測
Observation of nuclear excitation by K-shell ionization on 197Au

岸本 俊二 KISHIMOTO Shunji

高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 Institute of materials structure science, High energy accelerator research organization

Abstract
We have succeeded in observing nuclear excitation by electron transition (NEET) on 197Au by a new method. Monochromatic x-rays of BL09XU were used to ionize the K shell of gold atoms. The internal-conversion electrons emitted from excited nuclei were detected with the time spectroscopy using a silicon avalanche photodiode detector. At a photon energy of 80.989 keV, higher than the Au K-edge, the NEET probability on 197Au was determined from a comparison of the event rates between the NEET and the nuclear resonance at 77.351 keV.
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1.NEETとは
 原子の内殻電子がX線や電子線などにより電離されて空孔を生じると、外殻の電子が軌道を移り空孔を埋める。その際、蛍光X線やオージェ電子が放出されるのが普通である。ただし、ある条件が満たされると小さな確率ながら原子核が励起されることが起こる。これを「電子軌道遷移による核励起」(Nuclear Excitation by Electron Transition)、略してNEETと呼ぶ。軌道電子遷移にもとづく、外には放出されない仮想的な光子を原子核が吸収することによる電磁相互作用に基づくものと考えられる。原子核が励起されて基底状態にもどるときに内殻の軌道電子が放出される内部転換過程の逆反応とも考えられる(ただしNEETの場合は束縛状態間の遷移)。Fig.1にその様子を模式的に示した。




Fig.1  Schematic of the NEET process.



 NEETの条件は、内殻電子の電離によってできた空孔を外殻電子が埋める電子遷移のエネルギーと原子核励起のためのエネルギーとの差が小さいこと、それらの遷移において同じ多重極度を持つ放射遷移が存在することである。1973年に森田がウラン235について理論的な検討をはじめて行い[1][1]M. Morita:Prog. Theor. Phys. 49(1973)1574.、その後、オスミウム189などについて計算や実験が行われた。NEET現象が起きる大きさはNEET確率(PN)として評価され、原子の内殻電子が電離される確率に対する原子核の励起確率の形で定義される。理論計算によりNEET確率はしだいにより小さいと予想されるようになってきた。実験で得られた値は計算値との開きがあまりに大きかったり、上限値しか決められずにいた。NEETは誰もが納得できるような形で確認されたとはいえなかった。


2.金197のNEET
 金197はNEETが期待されてきた原子核のひとつである。Fig.2は金のK殻電離の際に金197原子核(天然存在比100%)のNEETが起きる電子軌道と原子核での遷移の様子を示す。金197の場合、K−M1レベル間の軌道電子遷移と原子核を励起するエネルギーの差が51eVと小さい。共通の電磁放射遷移としてM1放射が存在する。したがって、NEET確率は比較的大きいと予想された。ただし、原子核の励起準位の半減期は1.9ナノ秒と短く核励起現象の検出は困難であった。藤岡らは100keVに加速された電子をパルス化して金箔に照射しNEETを時間分光法によって観測するという、よく工夫された実験を行いその結果を1984年に報告している[2][2]H. Fujioka, K. Ura, A. Shinohara, T. Saito and K. Otozai:Z. Phys. A315(1984)121.。これが金のNEETに関するこれまで唯一の実験だった。電子分光器を使い時間とエネルギーによって選別されたL内部転換電子の一部を捉えNEETを観測したと報告された。しかし発表されたデータは統計が十分でなく、原子核が脱励起していくときの内部転換電子強度の時間変化が明瞭には示されていない。それでも、NEETが起きない白金での結果を使ったバックグラウンドの評価からNEET確率はPN=(2.2±1.8)×10−4と見積もられた。Table 1にこの実験値とこれまでに報告された金197のNEETについての計算値を示した[3〜7][3]K. Pisk, Z. Kaliman and B. A. Logan:Nucl. Phys. A 504(1989)103.
[4]A. Ljubićić, D. Kekez and B. A. Logan:Phys. Lett. B272(1991)1.
[5]E. V. Tkalya:Nucl. Phys. A 539(1992)209.
[6]Y. -K. Ho, Z. -S. Yuan, B. -H. Zhang and Z. -Y. Pan:Phys. Rev. C 48(1993)2277.
[7]E. V. Tkalya:JETP 78(1994)239.
。量子電磁力学の導入などにより、計算値もより確からしいものへと近づいていった。ただし計算されたNEET確率は10−5台から1×10−7程度へと小さくなった。1995年には藤岡らの実験データを見直してPN=(5.1±3.6)×10−5と報告されている[8][8]A. Shinohara, T. Saito, K. Otozai, H Fujioka and K. Ura:Bull. Chem. Soc. Jpn. 68(1995)566.。実験で求められたNEET確率の値は、当初から計算値と大きく異なっていたが、90年代に報告された計算値とは見直しのあとでもなお2桁以上の開きがある。このように、金のNEETも実験と理論との間で決着がついていなかった。




Fig.2   Level schemes of Au atom and 197Au nucleus for the NEET process.


Table 1  Calculated and experimental values of the NEET probability on 197Au.




3.放射光による金197のNEET観測
 我々は、放射光X線を使う新しい方法で金197のNEETを観測しようと実験を行った。その特徴は3つある。第一に、SPring-8で得られる強力な単色X線ビームを使って金のK殻電離を選択的に行うこと、第二に、放射光のパルス性を利用し、試料近くに配置したシリコン・アバランシェフォトダイオード(APD)検出器[9][9]S. Kishimoto:J. Synchrotron. Rad. 5 (1998)275.を使ってサブナノ秒時間分光法により内部転換電子(主にL内部転換電子)を検出しようとしたこと、第三に、同じ実験配置によって測定される核共鳴現象の大きさからNEET確率の大きさを見積もることである。
 実験はBL09XUにて行われた。Fig.3に実験装置の配置図を示す。シリコン(111)二結晶モノクロメータからのビームを利用するが、77〜81keVという高いエネルギーを得るために、(333)反射の光を利用した。つまりモノクロメータからの1次光をアルミニウム(厚さ26mm)で十分に減衰させた状態で3次光を取り出して使用した。厚さ3µmの金箔が試料として小型の真空チャンバー内にビームに対して30度傾けて保持され、金箔表面からの放射線は2.5mm離れたAPD検出器(有感部:φ3mm、厚さ30µm)によって検出される。入射X線ビームの強度は試料の上流および下流(真空チャンバー内)に設置された透過型シリコン・フォトダイオード(厚さ500µm)[10][10]S. Kishimoto:KEK Proceedings 98-4(1998)20.でモニターされる。APDからの信号は高速増幅器で増幅され、その信号はコンスタントフラクション・ディスクリミネータ(CFD)によってタイミング信号に変えられる。その際、CFDの波高弁別レベル以下の低い波高の信号を発生する低エネルギーの放射線は時間スペクトルから除かれる。検出器からの信号のタイミングは加速器のRF系から得られる時間基準信号と時間−波高変換器(TAC)によって比較され時間スペクトルが得られる。このとき、電子遷移による即発放射線の強大なパルスは、原子核脱励起に伴う時間遅れ成分検出の妨げとなる。そこで即発パルスはタイミング信号としてTACに入力されないように回路で処理される。時間スペクトル上には、原子核が励起された後に放出される放射線のみが現れるというしくみである。




Fig.3  Experimental setup.



 実際にAPD検出器がどのような放射線を検出するか、確かめてみた。Fig.4は、そのエネルギー・スペクトルである。ビーム強度毎秒約106光子でAPDの信号を電荷有感型増幅器によって処理した。放射光研究施設のBL-14Aで測定を行ったが、金K吸収端前後のエネルギーのX線ビームを使ってSPring-8で時間スペクトルを測定したときと同じ条件でAPDを作動させた。スペクトルには、主に光電子(L,M,N)が現れる。このスペクトルには見えていないが、金の原子核脱励起の際に放出される内部転換電子のうち、主たるL1内部転換電子のエネルギーは最大63keVである。金表面から放出されるまでに失うエネルギーの違いにより光電子スペクトルと同様に低エネルギー側にすそを引く形をとる。K吸収端より高いエネルギーのX線を入射したときにはオージェ電子(KLLなど)が検出される。一方、シリコンAPDでの検出効率が小さいため、KX線(67〜69keV、78keV)ピークは見られない。9〜11keVにはLX線が見える。CFDの波高弁別レベルから35keV以上のエネルギーをもつ放射線を検出していたことがわかっているので、LX線は時間スペクトル測定には寄与しなかったことになる。




Fig.4  Energy spectra measured at 80.989keV and at 80.415keV.



 SPring-8での実験は、116バンチ・モード運転の下で行われた。電子バンチは42ナノ秒の等間隔でリングを周回する。まず核共鳴エネルギーで金197原子核の励起現象を確認し、その後、K吸収端前後のエネルギーで時間スペクトルの測定を行った。Fig.5に測定された核共鳴エネルギーでの時間スペクトルとNEET現象の時間スペクトルを示す。核共鳴の場合は、共鳴エネルギー(77.351keV)よりも100eVほど高い77.455keVで測定したスペクトル、NEETの場合は、K吸収端を十分に超えた80.989keVでのスペクトルとともに、K吸収端よりも低い80.415keVでもスペクトルを測定した。それらをバックグラウンドとみなして入射光子数を評価しデータ処理して核の脱励起成分だけとみなせるものが、それぞれの(c)スペクトルである。時間t=0秒の位置が、リングを42ナノ秒間隔で周回する電子バンチ(主バンチ)による即発放射線ピーク位置である。5ナノ秒までピークのすその影響が残っている。また、主バンチ間に1.97ナノ秒間隔のサブバンチがわずかな強度で存在したため、サブバンチからの即発放射線によるピークが(a),(b)のスペクトルに見えている。(c)でもそれらの影響が残っているものの、5〜15ナノ秒間のデータを使って信号強度の時間変化を見ると金197の励起準位のもつ寿命(2.76ナノ秒)によく一致したものであった。K殻電離による核励起現象が明瞭に捉えられたといえる。




Fig.5  Time spectra for Nuclear Resonance(left) and NEET(right). See text.

σN, σKを各々、NEET断面積、K殻光電離断面積とすると、NEET確率PNは、

(1) 

で与えられる。PNの大きさを核共鳴現象との比較から求めてみた。実験配置を変えず同じ条件で測定する場合、次式 

(2) 

で与えられるように、入射ビーム強度に対する観測された核励起事象の比が核共鳴とNEETとの断面積の比に等しいという関係がある。ここで、σRはモノクロメータからのX線ビームによる実効的な核共鳴断面積、NN, NRは、NEETおよび核共鳴エネルギーで観測された核励起現象の数、IN, IRは、NEETおよび核共鳴エネルギーでの入射X線の積算光子数である。入射光子数はフォトダイオードの電流値から別の実験により換算した。リング電流50mA程度のとき、毎秒約1×1010光子の強度であった。メスバウアー測定でよく用いられる最大核共鳴断面積の値とモノクロメータによって得られたX線ビームの形状と幅(半値幅:19eV)、K殻光電離断面積のデータを使って検討した結果、NEET確率としてPN=(5.0±0.6)×10−8という値を得た[11][11]S. Kishimoto, Y. Yoda, M. Seto, Y. Kobayashi, S. Kitao, R. Haruki, T. Kawauchi, K. Futani and T. Okano:Phys. Rev. Lett. 83(2000)1831.。この値は、Tkalyaの計算値1.4×10−7[5][5]E. V. Tkalya:Nucl. Phys. A 539(1992)209.と比べると約3分の1であるが、桁の違いはない。


4.おわりに
 今回の実験では、80keVという高いエネルギーのX線ビームを毎秒1010光子を超える強度で長時間安定に使うことができた。モノクロメータの高次反射を利用したとはいえ、SPring-8ビームラインがあってこそ実現できた実験である。77.351keVでの金197核共鳴測定が世界で最も高いエネルギーでの放射光X線による核共鳴の観測となったことも付け加えておきたい。また、核外電子からの強烈な放射線の中から原子核から遅れて放出される微弱な内部転換電子を直接検出することは、APD検出器による時間分光法によって初めて可能となった。このように高輝度・高エネルギーの放射光ビームを取り出すことができたこと、それを生かすような装置の工夫を行うことでこれまではっきり見えなかった現象を観測することが可能になった。ただし、金197だけでなく他の核種のNEETを観測しようとすると、1桁から2桁小さなNEET確率の測定となる。さらなるビーム強度とそれに耐えられる検出器の開発が要求される。検出効率の改善も必要である。より質の高い放射光と工夫された実験装置との組み合わせによって、電子と原子核との関わりについて理解が深められるように今後も研究を進めていきたいと考えている。
 本研究はJASRIの依田芳卓氏、京都大学原子炉実験所の瀬戸誠氏、小林康浩氏、北尾真司氏、春木理恵氏、東京大学生産研の岡野達雄氏、福谷克之氏、河内泰三氏との共同研究によるものである。また最後に、等間隔セベラルバンチモードでの安定な運転を実現していただいたSPring-8の加速器部門の方々、その他関係者の方々に深く感謝いたします。



参考文献
[1]M. Morita:Prog. Theor. Phys. 49(1973)1574.
[2]H. Fujioka, K. Ura, A. Shinohara, T. Saito and K. Otozai:Z. Phys. A315(1984)121.
[3]K. Pisk, Z. Kaliman and B. A. Logan:Nucl. Phys. A 504(1989)103.
[4]A.Ljubićić,D. Kekez and B. A. Logan:Phys. Lett. B272(1991)1.
[5]E. V. Tkalya:Nucl. Phys. A 539(1992)209.
[6]Y. -K. Ho, Z. -S. Yuan, B. -H. Zhang and Z. -Y. Pan:Phys. Rev. C 48(1993)2277.
[7]E. V. Tkalya:JETP 78(1994)239.
[8]A. Shinohara, T. Saito, K. Otozai, H Fujioka and K. Ura:Bull. Chem. Soc. Jpn. 68(1995)566.
[9]S. Kishimoto:J. Synchrotron. Rad. 5 (1998)275.
[10]S. Kishimoto:KEK Proceedings 98-4(1998)20.
[11]S. Kishimoto, Y. Yoda, M. Seto, Y. Kobayashi, S. Kitao, R. Haruki, T. Kawauchi, K. Futani and T. Okano:Phys. Rev. Lett. 83(2000)1831.




岸本 俊二 KISHIMOTO  Shunji
高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所
〒305-0801 つくば市大穂1-1
TEL:0298-79-6108 FAX:0298-64-2801
e-mail:syunji.kishimoto@kek.jp
略歴:
1987年 京都大学大学院 工学研究科 博士課程後期修了
1987年 高エネルギー物理学研究所・放射光実験施設 助手
1997年 高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所 助教授



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[ - Vol.15 No.4(2010)]
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