Volume 03, No.1 Pages 21 - 24
4. 最近の研究から/FROM LATEST RESEARCH
X線発光分光
X-ray Emission Spectroscopy
東京大学物性研究所 Institute for Solid State Physics, University of Tokyo
- Abstract
- X-ray emission spectroscopy (XES) is one of the most important spectroscopies to make a remarkable progress utilizing third generation synchrotron radiation sources. Here, I discuss some aspects of XES in rare earth compounds and transition metal compounds on the basis of our theoretical analysis of recent experimental data. Some prospects of future investigations are also given.
1.はじめに
内殻電子の分光学は放射光源の進歩とともに発展を続けてきた。また、別の面から見ると、実験と理論の協力関係がその発展を支えてきたといえる。わが国で初めて、自前の放射光源としてSOR-RINGが作られたのは1975年のことであるが、伝統的な光物性の立場からは「X線のような高いエネルギーの光を固体にあてて、果たしてまともな物性研究ができるのだろうか?」という疑問があったように思う。実際、その頃放射光源を用いて観測された固体の光吸収や光電子放出のデータには既成概念では説明できないものが多く、研究は手探り状態であった。私は、当時物性研の助手であったが、豊沢先生は理論家でありながら、放射光源の重要性をいち早く見抜かれ、SOR-RINGの実現のために並々ならぬ尽力をされた。理論家としての役割は、放射光源が物性研究のためにいかに重要なものであるかを説明することであり、鍵となる実験に着目し、その解釈を与えるとともに、そこからどのような物性の知見が引き出されるかを示すことである。その鍵となる実験として、故佐川先生のグループで石井先生らが測定された希土類金属の内殻励起のスペクトルがあり、その理論をつくるのに私が参加できたことは大変幸いなことであった[1]。以来、今日にいたるまで私は内殻電子の分光理論を中心テーマの一つとして研究を続けている。
今から約10年前に、第三世代放射光源の提案がなされた際に、私は、第三世代光源によってもっとも大きな発展が期待される分光分野はX線発光分光(XES)であると考え、世界に先だって(また、実験に先だって)理論研究を開始した。XESはXASやXPSのような一次光学過程の終状態がさらに光を出して緩和する過程であるから、これをひと続きの二次光学過程として定式化し、希土類化合物や遷移金属化合物のようなf 電子およびd 電子の系にこれを適用した。XESはXASやXPSよりもはるかに豊富な電子状態に関する情報を与えることが期待されたが、一方、二次光学過程の強度は一次光学過程に比べて極端に小さいので、精度のよい実験データを得るためには輝度の高い光源が不可欠であった。ようやく最近3、4年の間に第三世代(もしくはそれに近い高輝度の)光源が世界で稼働をはじめ、かなりの精度の実験データが得られるようになり、これまでの理論の蓄積が生かされる時が来た。特に、XASの終状態が光学緩和することによる共鳴XES(RXES)は、物質の基底状態、比較的低エネルギーの励起状態、および内殻電子の高エネルギー励起状態に関して、電荷移動、電子相関などのさまざまな情報を与えることが確かめられてきた。以下では、f およびd 電子系のX線発光(特にRXES)の特色と研究の現状、今後の展望について述べる。
2.X線発光の特色と研究の現状
可視領域の二次光学過程の研究は古くから行われている。しかし、X線領域の二次光学過程(特にfおよびd 電子系の場合)はこれと本質的な違いがある。可視領域の二次光学過程では、電子・フォノン相互作用による中間状態の緩和過程が中心的な主題である。一方、X線領域では、中間状態で内殻に正孔がつくられ、その寿命が希土類や遷移元素のK殻やL殻ではフォノンによる緩和時間よりも遥かに短いため、フォノン緩和を起こす前に発光が起こってしまう。電子・フォノン相互作用に替って重要な働きを演じるものは電子間相互作用である。多重項相互作用、電荷移動効果、電子相関エネルギーなどの大きさの代表値は1~10eVであり、これは内殻正孔の寿命による準位幅と同程度であるから、X線発光のスペクトルにはこれらの相互作用による電子励起が強く反映されることになる。以下にはそれらの典型的な例について述べる。
1)原子内多重項効果
希土類金属や希土類化合物において、希土類は3価のイオンとして振る舞うことが多い。希土類の3 d(あるいは4 d )電子を4 f に励起し、4 f 電子が3 d(4 d )に遷移することによるRXESには原子内多重項構造が観測され、また計算によってそれらはよく再現される。希土類の2 p 電子が4 f(5 d )状態に四重極子遷移(双極子遷移)により励起された後、3 d 電子が2 p に遷移する発光からは、これまで不明確であった2 p 吸収端近傍での四重極子遷移と双極子遷移の相対的な位置と強度が明らかにされた。円偏光励起による発光の二色性もGdなどで測定され、理論解析されている。一例として、図1にGd金属の2 p 電子を円偏光で高エネルギー連続帯に励起したときの3 d - 2 p RXESとその二色性の実験データと理論計算結果を示す[2]。
図1
強磁性Gd金属の3 d 内殻電子を高エネルギー連続帯に円偏光励起した際に生じる4 f - 3 d X線発光スペクトル(上)とその円偏光二色性(下)[2]。実線は計算結果、点は実験データを表わす。
2)電荷移動効果
RXESにおいて電荷移動効果が重要な役割を演じる例として、CeO2 の4 f -3d RXESがあげられる[3]。実験データと計算結果を図2に示す。Ce3 d 3/2 XASのメインピークとその約6eV高エネルギー側のサテライト(XASの矢印BとA)にそれぞれ入射光エネルギーを共鳴させることによって得られたRXESが図のBとAである。
図2
CeO2 に対するCe3d XASとCe4 f - 3 d RXESの計算結果と実験の比較[3]。RXESのAとBは入射光エネルギーをXASのAとBの位置に固定した場合の発光スペクトルである。
CeO2 の基底状態は4 f 0 配置と電荷移動による4 f 1L配置が強く混成した結合状態である。ただし、Lは酸素の2 p バンドの正孔を表わす。RXESの中間状態(3 d XASの終状態)では3 d 9 4 f 1 と3 d 9 4 f 2 Lが強く混成し、3 d XASのメインピークとサテライトは、これらの結合、反結合状態に対応する。RXESの終状態電子配置は始状態のそれと一致し、発光スペクトルの高(低)エネルギー側のピークは4 f 0 と4 f 1 L状態の結合(反結合)状態に対応する。図2の計算結果は、電荷移動効果と多重項効果を考慮した不純物アンダーソン模型を用いて得られたもので、実験結果を良く再現している。このRXESの解析からは、始状態電子配置における電子構造と内殻電子励起状態における電子構造についての貴重な情報が得られ、例えば、混成相互作用に対する電子配置の影響が明らかにされている。
最近、PrO2に対して同様のRXESの測定と理論解析が行われた[4]。PrはCeより4 f 電子数が一つ多いため、原子内多重項効果もRXESに寄与し、実験結果を再現するためには、多重項効果と電荷移動効果の共存・競合を考慮することが本質的に重要であることが示されている。
3)結晶場準位
遷移金属化合物の3 d 状態は希土類化合物の4 f 状態よりも空間的に広がりが大きいので、まわりの陰イオンの配列をより敏感に反映する。たとえば、銅酸化物のCuのRXESには結晶場準位間の励起(d - d励起と呼ぶ)が見られる。われわれは、4,5年前にLa2 CuO4 の2 p - 3 d 共鳴による3 d - 2 p 遷移のRXESを計算し、d - d 励起によるRXESには強い偏光依存性があることを理論的に予言した[5]。図3に基底状態(b 1g 状態)の上にある励起準位および偏光に依存するRXESの計算結果を示す。実際に、発光の偏光を観測することは軟X線領域では大変困難であるが、最近La2 CuO4 についてDudaらが観測に成功した[6]。その結果は概ね計算と一致しているが、まだ分解能がよくない。今後、分解能が向上すれば、この種の実験は、電子状態の対称性を研究する上で、有力な手段となることが期待される。
図3
(a)はLa2 CuO4 の結晶場状態と電荷移動状態のエネルギー準位図、(b)と(c)はLa2 CuO4 のCu3 d - 2 p 3/2 RXESの偏光依存性を示す[5]。入射光と発光の偏光方向は、(b)では共にx 方向(結晶のc 軸に垂直な方向)、(c)ではx 方向とz方向(c 軸方向)である。発光エネルギー(横軸)の原点は入射光エネルギーにとられている。
4)異なった内殻準位に対する共鳴効果
最近、Nd2CuO4 のCu1s -4 p 共鳴励起に対する4 p -1 s のRXESが観測され、その理論解析から、電荷移動効果がスペクトル構造を決めていることが明らかにされた[7]。先のLa2 CuO4 では電荷移動効果よりもd - d 励起効果が顕著に見られたこととは対照的である。これは物質の違いによるものではなく、中間状態の違い(異なった内殻励起)によるものである。Cu1s -4 p 励起では中間状態で1 s 正孔も4 p 電子も殆ど3 d 電子と相互作用しないため、3 d 電子の対称性は常に基底状態(b 1g ) と同じものに保たれ、d - d励起は殆ど生じない。したがって、電荷移動効果の情報を得るためにはCu1s -4 p 共鳴励起の方がより適当である。このように、何を研究したいかに応じて、異なった内殻準位を選択できることもRXESの大きな特徴の一つである。
5)大きなクラスターの効果
すでに述べたように、4 f 軌道に比べて3 d 軌道の空間的広がりは大きい。したがって、遷移金属化合物のRXESの解析においては、遷移元素を複数個含む大きなクラスターを扱うことが望まれる。上記のCu1s -4 p 共鳴RXESの実験データにも、大きなクラスターの効果を示唆するスペクトル構造がある。また、軽い遷移金属化合物では大きなクラスターを用いることが不可欠であるように思われる。3 d 電子の遍歴性と局在性の共存・競合がどのようにRXESに反映されるかを明らかにすることは今後の重要な課題になるであろう。
6)励起スペクトルとしてみたRXES
1)~5)では、RXESを発光エネルギーの関数として見てきたが、発光エネルギーを一定値に固定して入射光エネルギーの関数として見たものが励起スペクトルである。励起スペクトルはXASと同じく中間状態の構造を反映するが、そのスペクトル幅は中間状態の寿命よりむしろ終状態の寿命によって決まる。それゆえ、寿命の長い終状態を用いることにより、XASでは検出できない中間状態の微細構造を観測できるという利点がある。Dy化合物の3 d -2 p RXESの2 p 吸収端における励起スペクトルや、Mn化合物の3 p - 1s RXESの1s 吸収端における励起スペクトルからは、XASでは観測できない構造が観測された。特に、Mn化合物では、発光のエネルギーを交換分裂のメインピークとサテライトにとることにより、局所的なスピンに依存する励起スペクトルが観測されており、理論解析も行われている[8]。
3. 今後の展望
以上の現状をふまえ、第三世代光源による今後の実験(SPring-8に対する期待大!)の発展を念頭におき、我々はXESの理論を次のような方向に展開したいと思っている。
(1)これまでは、単一の希土類および遷移元素を含む模型(不純物アンダーソン模型またはクラスター模型)がかなりの成功を収めてきたが、今後は、より精度の高い実験に呼応して、大きなクラスターによって初めて記述される効果を詳しく研究することが必要である。絶縁体だけではなく、電子や正孔のドーピングによる金属状態でのXESの研究も重要である。(2)これまでは、入射光と発光の偏光に関してそれほど精密な研究は行われていなかったが、今後は、スペクトルの偏光依存性の研究が、電子状態の対称性との関連で重要となる。強磁性物質に対する円偏光二色性の研究もますます盛んになるであろう。(3)これまでは、電気双極子遷移によるXESの研究が中心であったが、今後は実験精度の向上とともに電気四重極子遷移や磁気双極子遷移の研究も必要となろう。一電子遷移だけでなく、多電子遷移の研究にも着手する必要がある。(4)オージェ電子放出と発光は共通の内殻電子励起状態(中間状態)からの緩和過程として同時に生じる。電子状態に対するより正確な情報を把握するために、両者の相関を研究することが求められよう。(5)XPS・XES同時計測は固体に対してはまだ成功していないが、将来は興味ある分光分野となるだろう。そのための理論研究を進め、光電子のスピンや入射・発光の偏光との相関について理論面から明らかにしてゆく。
本稿でとりあげた研究例からもわかるように、XESの研究は硬X線・軟X線の両方のX線領域で重要である。実験と理論の協力を通して、XESが電子状態の研究にますます大きな役割を果たすことを願ってやまない。
謝辞
この原稿は、岡田耕三、小笠原春彦、魚住孝幸、中沢誠、田口宗孝、萱沼洋輔、F.M.F.de Groot,J.Nordgren,S.M.Butorin,L.C.Duda,P.Lagarde,J.P.Hill,C.C.Kaoの諸氏をはじめとする多くの方々との共同研究を基にしている。
厚く感謝の意を表したい。
参考文献
[1]A.Kotani and Y.Toyozawa: J.Phys.Sos.Jpn.35(1973)1073; 35(1973)1082;37(1974)912.
[2]F.M.F.de Groot,M.Nakazawa,A.Kotani,M.H.Krisch and F.Sette: to be published in Phys.Rev.B.
[3]S.M.Butorin,D.C.Mancini,J.-H.Guo,N.Wassdahl,J.Nordgren,M.Nakazawa,S.Tanaka,T.Uozumi.A.Kotani,Y.Ma,K.E.Myano,B.A.Karlin and D.K.Shuh: Phys.Rev.Lett.77(1996)574;M.Nakazawa,S.Tanaka,T.Uozumi and A.Kotani,J.Phys.Soc.Jpn.65(1996)2303.
[4]S.M.Butorin,L.C.Duda,J.H.Guo,N.Wassdahl,J.Nordgren,M.Nakazawa and A.Kotani:J.Phys.Condens.Matter 9(1997)8155.
[5]S.Tanaka and A.Kotani:J.Phys.Soc.Jpn.62(1993)464.
[6]L.C.Duda,G.Dräger,S.Tanaka,A.Kotani,J.Guo,D.Heumann,S.Bocharov,N.Wassdahl and J.Nordgren:to be published in J.Phys.Soc.Jpn.
[7]J.P.Hill,C.C.Kao,W.A.C.Caliebe,M.Matsubara,A.Kotani,J.L.Peng and R.L.Greene,preprint.
[8]たとえば、田中智、小谷章雄: 固体物理30(1995)907 を参照。
小谷 章雄 KOTANI Akio
昭和16年4月11日生
東京大学物性研究所
〒106-0032
東京都港区六本木7丁目22番1号
TEL:03-3478-6811
FAX:03-3478-4903
1969年3月 大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了
1969年4月 大阪大学基礎工学部助手
1972年4月 東京大学物性研究所助手
1977年4月 東北大学金属材料研究所助教授
1981年1月 大阪大学理学部助教授
1987年4月 東北大学理学部教授
1990年11月 東京大学物性研究所教授
現在に至る。