SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume6 No.2

SPring-8 Section A: Scientific Research Report

Cs吸着バーミキュライトの軟X線放射光光電子分光
Photoemission Spectroscopy with Soft X-ray Synchrotron Radiation for Cs-adsorbed Vermiculite

DOI:10.18957/rr.6.2.219
2014B3801 / BL23SU

寺岡 有殿

Yuden Teraoka

(国研) 量子科学技術研究開発機構

National Institutes for Quantum and Radiological Science and Technology

Abstract

 粘土鉱物に吸着したセシウムの化学結合状態に関する情報を得るため、粘土鉱物の一種であるバーミキュライトにセシウムを吸着させ、軟X線放射光を用いた高分解能光電子分光を試みた。粘土鉱物の絶縁性のために粉末試料の帯電は避けられず、試料の成分元素の光電子ピークを解析することは困難であるが、帯電シフトしない光電子ピークも観測されたことから、バーミキュライトに吸着したセシウムの内殻結合エネルギーを評価できることが分かった。


Keywords: 軟X線放射光光電子分光、バーミキュライト、帯電、セシウム


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背景と研究目的:

 絶縁性物質のX線光電子分光(XPS)では、試料の帯電により、構成元素の内殻結合エネルギー(BE )を実測することは困難である。軟X線では硬X線に比べて光吸収断面積が大きいために帯電が起こりやすく、絶縁性の粘土鉱物にXPS法を適用した例は少ない[1]。市販のAl-Kα線源に比べて、高輝度、且つ、高いエネルギー分解能の軟X線放射光を用いたXPS観察ができれば、1 eV以下の化学シフトの評価も可能となり、粘土鉱物に吸着したセシウム(Cs)などの化学結合状態の解析が期待できる。そこで、本研究では粘土鉱物に対する軟X線放射光XPSの実用性を検証することを目的として、粘土鉱物の一種であるバーミキュライト(vermiculite)の軟X線放射光XPSを試みた。


実験:

 本実験で用いたvermiculiteは福島県小野町産の市販品である。vermiculiteではシリコン酸化物層が金属酸化物層を挟んだ 2:1 構造のフィロシリケイト(phyllosilicate)層が積層している。それが負に帯電しているため、層間に K+ イオンや Na+ イオンがインターカレートすることで電荷が中性に保たれる。本実験ではvermiculiteに吸着したCsの化学結合状態に注目した。地殻でのCsの濃度は 3 ppm 程度である[2]。XPSで検出可能にするために、天然のvermiculite(粒径 1.6 µm 程度のものを水簸分級)を市販の塩化セシウム水溶液に浸してCs濃度を高めて 2.1 wt% とした。

 15 mm(縦)× 15 mm(横)× 0.3 mm(厚さ)のタングステン(W)板(純度99.99%)を基板として、その上に厚さ 1.0 mm のインジウム(In)板(純度99.99%)をのせて、vermiculite粉末、または、各種Cs化合物の粉末(和光純薬製)を分散させた。それにアルミニウム(Al)箔を被せてプレスし、粉末試料をIn板の中に圧着埋め込みした。Al箔を取り除いて試料基板をXPS用の試料ホルダに取り付けた。この方法は文献[1]と基本的に同じである。

 軟X線放射光XPSの測定は全てSPring-8のBL23SUの表面化学実験ステーションで行った[3]。前置トロイダルミラーを用いて試料位置で直径 0.1 mm 程度に放射光を集光すると、試料の帯電は顕著であった。そこで、試料粉末の表面濃度を少なくし、前置平面ミラーによる平行光(1 mm(縦)× 2 mm(横))を用いて、帯電に由来するXPSピークシフトを可能な限り抑制した。

 文献[1]との比較の便宜のため、実験室X線源(SPECS社 XR-50、Al-Kα線)と放射光を用いてAu-4fのXPSスペクトルを測定し、放射光のエネルギーをAl-Kα線(1486.6 eV)に一致させた。フォトダイオード(IRD社製AXUV100)で実測したフラックスは 2.7 × 109 photon/s、試料位置でのフラックス密度は約 1.4 × 1011 photon・cm-2・s-1 である。中和電子銃はOmegatron社製のOME-0030Nを用いた。放射光の入射角は試料表面から37度とした

 BL23SUの光源は真空封止型ツインヘリカルアンジュレータである[4]。放射光は不等間隔平面回折格子を用いた斜入射分光光学系[5]で単色化された円偏光である。放射光のエネルギー分解能 E/ΔE は概ね 104 程度であるので、用いた放射光のエネルギー幅はおおよそ 0.15 eV 程度である[5]。ちなみに、実験室X線源のAl-Kα線のエネルギー分解能(半値全幅)は一般的に 0.85 eV 程度であり、分光器付きのX線源でも高々 0.25 eV 程度である[6]。

 光電子のエネルギー分析には同心半球型のアナライザー(Omicron NanoTechnology社製 EA125-5MCD)を用いた。試料表面に対してアナライザーの入射軸を垂直にして、角度積分モードで測定した。アナライザーのエネルギー分解能は、入射スリット幅(6 mm)、アクセプタンス角(± 8°)、パスエネルギー(5 eV)、軌道半径(125 mm)の条件では 0.2 eV 程度である[6]。よって、XPSスペクトルの全エネルギー分解能は 0.25 eV 程度である。

 TPP2M法[7]によって光電子の非弾性平均自由行程を見積った。この計算にはTougaardのソフトウェアパッケージ[8]を用いた。InについてはIn酸化膜(In2O3)中の、Csやvermiculiteを構成する元素については、vermiculiteがphyllosilicate層で構成されていることから、SiO2 中の非弾性平均自由行程を計算した。概ねその3倍程度の深さまで光電子を検出できるので、観測深さはInで 6 nm 程度、他の元素で 3 nm から 11 nm 程度である(O-1s: 8.4 nm、Mg-1s: 3.0 nm、In-3d5/2: 5.7 nm、In-3p1/2: 4.5 nm、Cs-3d5/2: 6.0 nm、Fe-2p3/2: 6.0 nm、Fe-2p1/2: 6.0 nm、Si-2p3/2: 11.3 nm)。従って、In板表面の自然酸化膜、露出した試料粉末粒子の表層、および、In板に接触して露出している試料粉末の微小な表層部分を観測することになる。本実験では放射光の強度、試料の作製方法、中和電子銃の運転条件を調整することによって、試料の帯電状態の変化に対応したXPSスペクトルの変化を調べた。


結果および考察:

 試料粉末のないIn基板のみのIn-3d スペクトルでは、スピン軌道分裂したIn-3d3/2 とIn-3d5/2 の各ピークに肩構造は観測されないので、Inは単一の化学種と考えられる。In-3d5/2 の実測結合エネルギーは 444.6 eV である。NISTデータによれば、In2O3 の場合に 444.3 eV から 446.7 eV の範囲である[9]。金属の自然酸化膜の厚さとしては、TEM観察で 5 nm 程度をしばしば経験する。非弾性平均自由行程の3倍値は約 6 nm であるので、観測したIn-3d3/2、3d5/2 スペクトルはIn板の自然酸化膜に帰属した。また、中和電子銃を用いてもIn-3dのピーク位置・プロファイルは変わらなかった。従って、用いたIn板は本実験の条件では帯電しない。

 実測したC-1sの結合エネルギーは 284.8 eV であった。これも中和電子銃による帯電変化でもシフトしなかった。このピーク値は帯電補正によく用いられる値(284.6 eV、284.8 eV、285.0 eV)[10-12]とほぼ一致する。しかし、半値全幅は 3 eV 程度と広いので、複数種の炭素化合物が寄与していると考えられる。そこで本報告では、In自然酸化膜のIn-3d5/2 準位の結合エネルギー 444.6 eV を基準とした。

 試料粉末の構成元素のXPSでは複数のピークが現れた。中和電子銃の使用によってスペクトル全体がシフトするのではなく、一部のピークのプロファイルが変化し、低結合エネルギー側にシフトした。例としてCs吸着vermiculiteの酸素(O)のO-1sスペクトルを図1に示す。本実験の試料では、O原子は主にvermiculiteのphyllosilicate層、その層間の吸着水、および、In板の自然酸化膜に含まれている。図1(a) では4本のピークが観察された。ピーク1はIn板でも観測されるのでIn自然酸化膜に由来し、ピーク2、3、4がvermiculiteに含まれる酸素に由来する。ピーク1と2は中和電子銃を使用してもシフトしないが、ピーク3と4は低結合エネルギー側にシフトして一体化した。また、放射光を当てる位置を変えるとピーク3と4の位置やプロファイルが大きく変化した。既に述べたようにIn自然酸化膜は帯電しない。これはピーク1がシフトしないことに対応する。ピーク2はIn板に接したphyllosilicate層に由来し、ピーク3、4は帯電シフトすることから、In板に接していないvermiculite粉末粒子の表層のphyllosilicate層に由来すると解釈した。


図1. Cs吸着vermiculiteのO-1s XPSスペクトル (a) 中和電子銃不使用 (b)中和電子銃使用 IFは中和電子銃のフィラメント電流値


 vermiculiteの構成元素のひとつであるマグネシウム(Mg)のMg-1sスペクトルを図2に示す。図2(b)に示すように、1305 eV 近傍の構造は中和電子銃を使用してもシフトしない。一方、1310 eV 付近のピークは中和電子銃を用いると 2 eV ほど低結合エネルギー側にシフトした。このMg-1sスペクトルとその電子線照射への応答はO-1sの場合と酷似している。Mg-1sに限らず他の測定した全ての構成元素のXPSスペクトルがO-1sのそれと酷似していることが判明した。その特徴を考慮して結果的に全てのXPSピークを同定できた。


図2. Cs吸着vermiculiteのMg-1s XPSスペクトル (a) 中和電子銃不使用 (b)中和電子銃使用 IFは中和電子銃のフィラメント電流値


 Cs-3dスペクトル領域は非常に複雑なプロファイルを示し(図3(a))、しかも、帯電状態の変化でプロファイルが大きく変化する(図3(b))。CsやFeのXPSスペクトルもO-1sと同様のプロファイルを示すと考えることで、Cs-3dスペクトル領域の複雑なピーク構造を同定することができた。ピーク1はIn自然酸化膜に由来するIn-3p1/2 であり、ピーク2はそのエネルギーロスピークである。ピーク3はphyllosilicate層に含まれる鉄(Fe)に由来するFe-2p3/2 である。Fe-2p1/2 はそれより弱く、他のピークとの重なりのため不明確である。ピーク4はCs-3d5/2 である。これは帯電シフトしないのでIn板に接したphyllosilicate層に由来する。Cs-3d3/2 は弱く、他のピークとの重なりのため図3(a)では不明確であるが、図3(b) では他のピークのシフトのために明瞭に現れた(ピーク6)。ピーク5はピーク4に対応した帯電シフトで、vermiculite粉末粒子の表層のphyllosilicate層に由来する。同じくピーク6に対応する帯電シフトがピーク7である。ピーク4とピーク6の結合エネルギー(Cs-3d5/2: 725.9 eV、Cs-3d3/2: 739.8 eV)がvermiculiteに含まれるCs-3d準位の結合エネルギーである。NISTデータ[9](Cs-3d5/2: 723.6-726.3 eV)の範囲内に収まり、過塩素酸セシウム(CsClO4)のCs-3d5/2 の結合エネルギー(724.2 eV)に近い。


図3. Cs吸着vermiculiteのCs-3d光電子スペクトル (a) 中和電子銃不使用 (b)中和電子銃使用 IFは中和電子銃のフィラメント電流値


 帯電の影響を相殺できる特長を持つオージェパラメーター解析では、測定した各種Cs化合物の中ではCsClO4 のCsのオージェパラメーターが、vermiculiteに含まれるCsのそれに最も近い。CsClO4 のCs+ はClO4- の酸素と相互作用しているので、それとの類似性から、本実験で観測したCsはphyllosilicate層にインターカレートして酸素と相互作用しているものと解釈した。近年、EXAFS法や第一原理分子動力学計算等によって粘土鉱物に吸着したCsの研究が詳細になされた[13-15]。本実験結果はそれらの結果と矛盾しない。


今後の課題:

 本研究ではCs吸着vermiculiteを試料として、帯電する粘土鉱物における軟X線放射光XPSの適用可能性について検討した。In板に試料粉末を埋め込む方法でも帯電は避けられないが、帯電シフトしないXPSピークも実測されることが分かった。これによって、吸着Csとvermiculiteを構成する成分元素の内殻結合エネルギーを評価する目途を得ることができた。vermiculiteのみならず、他の粘土鉱物の軟X線XPS測定にも同様の方法を適用できる見通しを得た。


謝辞:

 本研究の放射光実験は、高輝度光科学研究センターの承認のもと、SPring-8のBL23SUでJAEAの装置を用いて行われました(課題番号2014B3801)。JAEA物質科学研究センターの矢板毅副センター長とそのグループのみなさま、および、国際農林水産業研究センターの八田珠郎主任研究員(現千葉科学大学教授)の試料提供に関する支援には深く感謝いたします。また、JAEAの斎藤祐児博士とスプリングエイトサービスの福田義博博士のビームライン調整に関する支援には深く感謝いたします。


参考文献:

[1] 八田珠郎ら、表面科学、34(3), 131 (2013).

[2] J. Emsley, in “The ELEMENTS”, Third Edition, Oxford University Press, Oxford, 1998.

[3] Y. Teraoka, A. Yoshigoe, Jpn. J. Appl. Phys. 38, Suppl.38-1, 642 (1999).

[4] Y. Saitoh et al, J. Synchrotron Rad. 19, 388 (2012).

[5] Y. Saitoh et al, Nucl. Instrum. Meth. Phys. Res. A 474, 253 (2001).

[6] EA125 Energy Analyser User’s Guide Ver. 2.1, Omicron NanoTechnology, (2002).

[7] S. Tanuma, C. J. Powell, D. R. Penn, Surf. Interface Anal. 21(3), 165 (1994).

[8] S. Tougaard, Quases-IMFP-TPP2M in Quases software packages to characterize surface nano-structures by analysis of electron spectra, QUASES-Tougaard Inc., Odense, Denmark, (2000).

[9] NIST Data Gateway, Binding Energies of In-3d5/2 and Cs-3d5/2 in NIST X-ray Photoelectron Spectroscopy Database, NIST Standard Reference Database 20, Version 4.1 (web, free access), (2012).

[10] C. D. Wagner et al, in “Handbook of X-ray Photoelectron Spectroscopy”, G. E. Muilenberg, ed., Perkin-Elemer Co., (1979).

[11] J. F. Moulder et al, in “Handbook of X-ray Photoelectron Spectroscopy”, J. Chastain, ed., Perkin-Elemer Co., (1992).

[12] G. Beamson, D. Briggs, in “High Resolution XPS of Organic Polymers”, John Wiley & Sons, New York, (1992).

[13] 池田隆司、矢板毅、分子シミュレーション研究会会誌、18, 262 (2016).

[14] 矢板毅、池田隆司、松村大樹、日本原子力学会誌、56, 366 (2014).

[15] 矢板毅ら、日本放射光学会誌、27, 315 (2014).



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(Received: January 24, 2018; Early edition: April 25, 2018; Accepted: July 3, 2018; Published: August 16, 2018)